オレンジジュース
照り付ける太陽、キラキラと光を跳ねさせる白い波。青い空と青い海をガラス越しに見渡して、私は呟いた。
「すっごくいいところですね」
「よかったらいつでも遊びに来てね」
背後に立って優しく声をかけてくるのは、ポンさんだ。ポンさんはグラソー家と共同商会を経営していて、長らくお世話になっている。本来アミルの叔父だけどずっとこの国に住んでいるので、私にとっても叔父のような存在だ。
ポンさんはこの度事務所を移転した。王都の港を見下ろせる高台の物件だ。とある貴族の妾の邸を改築したらしい。超高級な大型ガラスが窓に嵌め込まれている。
以前の怪しげな露地裏の、違法増築事務所とは雲泥の差だ。広さも部屋数も十分ある。
引っ越しする金銭的な余裕は充分あったけれど面倒だったらしい。だけど、商会を手伝っていたジェイクが抜けた穴を埋めるため人員を増やさざるを得なかった。その為手狭になったのともうひとつ、この商会は新規事業を始めた。
「ジェイクが財務部から手を回して、今まで何年申請しても不正にはね除けられていた両替商と貸付商の許可を通してくれたんだ。だってずっと要件は満たしてたしね」
「ジェイクすごいですね」
「ほんと、ジェイクとユリィちゃん様々だよ。これからじゃんじゃん稼ぐからね。金融は正にお金がお金を生む、錬金術だよねえ」
ポンさんは童顔で昔と見た目があまり変わらないまま、にこにこと笑っている。これで商売上手なのだから不思議な感じがする。
「あっユリィちゃん何その顔!ちゃんと手数料は正当な額でやってるよ?」
「いえ、ポンさんを疑ってなんかいません。商売は大事ですよね」
私は洋上を駆ける帆船を眺めた。あの船は外国に行くんだろう。
「ポンさんみたいにお金と商品を滞りなく上手に回してくれる人がいて、豊かな生活があると思っています。人は食糧さえあればいいというものではありませんから」
私は最近捨てた食糧増産計画を遠くに思う。海鳥がのんびり風に乗って飛んでいた。
「さっすがユリィちゃん、わかってるう。潤滑に回るのが経済の基本だよ。富のひとりじめは良くないよね」
「あ、そろそろ約束の金物屋さんが来ますね」
「金物屋さんにも更に儲けてもらわないとね」
私はそもそも金物屋さんと話をするためにここに来ている。お菓子の金型を作って貰うため、ちょこちょこ相談を始めてついにうちの商会が店ごと買い上げる形になってしまった。
先方も大きな商会についてもらった方が安心だと納得の上なので、協力的吸収合併となる。
金物は一度商品が買われてしまえば長持ちするので、大きな儲けはない。しかし堅実な商売だ。
いくつか売れそうな商品のアイディアもあるのでこれからが楽しみな分野だ。
○●○
無事に契約を終え、私は頼んでいたシフォンケーキ型のサンプルとマドレーヌ型のサンプルを貰った。
「ねえねえ、ユリィちゃんは新しいお菓子のアイディアっていつ考えてるの?忙しそうなのに」
王都の港沿い、屋台通りの人混みをすり抜けながら、ポンさんは何気ない質問をぶつけてくる。ポンさんは手に木箱を抱えていて、中には私が輸入を頼んでいたカカオの苗とバニラの苗が入っている。私は今日の大収穫に浮足立っていた。
「え?あ……えっと、収穫作業とか無心になれますからね!そういうときです!」
「ふうん?あー!!」
「え!?」
急にポンさんが大声を出すので私は木箱を落としたのかと背筋をぞくっとさせた。
でもその両腕にはしっかり木箱が抱えられている。
「おーいアミル!偶然だね」
背が高いポンさんは同じく背が高いアミルを見つけたらしい。私ひとりならこの人混みでは気づかなかったと思う。
アミルはこの間の夜からまた私の家に泊まってるけれど私は深夜と言っていい早朝に起きて、夜はジェイクと陛下のところを訪問しているのでほとんど顔を合わせていなかった。
「アミルはお仕事中かな?忙しい?」
にこにことポンさんはアミルに駆け寄る。どちらもルサーファ出身の特徴といえる褐色の肌と長身だけど、並ぶと雰囲気がかなり違っていてあまり血縁関係は感じられない。
アミルは彫刻のように研ぎ澄まされた造形で、ポンさんは柔和で親しみやすい感じだ。そういえば私がアミルと再会してから、二人が並んで立つのは初めて見た。
「俺は……今は忙しくないです」
アミルは驚いた感じで私とポンさんの顔を交互に見た。
「ボクはユリィちゃんの荷物持ちだよ。もうユリィちゃんを城門まで送って帰るとこだったんだけどさ」
ポンさんは私を振り返って曖昧な笑みを浮かべた。笑っているのか悩んでいるのか。
「ユリィちゃん、ボクはジェイクも好きだけど苦労してきた甥もかわいい。ずるくてごめんね……この荷物は城門の兵士に預けておくから、あとは若い二人でごゆっくり」
ポンさんは私の持っていた荷物も器用に取り上げた。
「ど、どういうことですか?」
しかしポンさんは私の問いに答えず大股で人混みをすり抜け、去って行ってしまった。呆気に取られた私とアミルは一瞬見つめあうが、往来の邪魔になりそうなので道の端にずれた。
荷物を取られてしまったので手の置き所がわからない。私はこういうとき手をどうしていたんだろう、急に記憶喪失になった。横に下げてる?後ろに組む?前に組む?
「アミル、あ、あれ飲む?」
わからないまま私は目に入ったオレンジジュースの屋台を指差した。何か手に持っていれば落ち着く気がした。オレンジが多く取れるこの国では夏に良く見かける屋台だけど私は買ったことはない。
「そうだね、そうしようか」
アミルは笑って屋台に歩いていくので、私も続いた。でも、誘ってから私はお金を持っていないという重大な事実に気がついた。金物屋を買うお金はあるのにポケットマネーがない。だって普段は自給自足か、つけ払いで生活している。
私が焦っている間にアミルはオレンジジュースを2つ注文した。店員は手慣れた様子でオレンジを半分に切り、レバーが長い機械に乗せた。テコの原理的なもので素早くオレンジが搾られて、陶器のカップに注がれていく。屋台でグラソー家につけとか出来そうもないし、その辺の石を宝石に変えるのも良くない気がする。
「ごめんアミル、私お金持ってなかったの……」
店員に聞こえないようアミルの袖を引っ張って小声で告げると、アミルは吹き出した。
「このくらい俺が払うから、ユリィの家に泊めてもらってるんだし」
そう言ってアミルは笑いをこらえながら支払いを済ませた。この国とルサーファのお金はもちろん違うけど、アミルの方が硬貨の扱いに慣れているように見えた。
「はい、ちょっと座ろうか」
「ありがとう……」
どこかの石室で氷を貯蔵してるのか氷鳥の鱗の冷凍庫があるのか、受け取ったオレンジジュースは氷が浮かんでいてひんやりしていた。
屋台の横の木陰に椅子が置かれている。ここで飲んでカップは戻す仕組みなんだと思う。私たちは横に並んで座った。
「ユリィってすっかりお嬢様なんだな。昔はちゃんと買い物してたのに」
「自分でもびっくりした……今度からお金持ち歩くから」
恥ずかしくて暑くなってきたので、冷たいジュースを飲んでみる。
「……!」
やばい、買ってもらったのにそんなにおいしくなかった。フレッシュな風味はいいけど、甘味は少ない。砂糖は足してないようだったし仕方ないかもしれない。
「ユリィのところのこの間のオレンジはすごく甘かったな。あれはまだ出回らないもの?」
「え?!あ、まだ完成したばかりで。来年には接ぎ木でもう少し増やせると思う」
厳密には栽培法もあるけど、そんなことよりこの間のことまで思い出してきて私はカップを意味もなく、くるくる回した。
「そうなんだ、楽しみだね」
私は眩しそうに目を細めて往来を見ているアミルの横顔を盗み見た。きれいなラインをしている。不意にその唇が動いた。
「俺、爵位を買ったんだ」
アミルの言っている意味とジュースが飲み込めなくて私は咳き込んだ。




