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新しい陽

私はどちらかというと方向音痴だ。数度角を曲がれば元来た方向は忘却の彼方となる。


「まだ…あわてるような時間じゃないし」


私にはザンディーラの石がある。嗅覚を強化するこの石を使えば、いつも日なたの匂いがするジェイクの元にたどり着くなど造作もないこと。ただ、ここの埃とカビの臭いも存分に味わうことになる。それは最終手段にしたいなあと私はふらふらと本の背表紙を読み、記憶のふるいにかけながら本の迷路を歩いていた。


私はふと足を止める。


硬い床を踏む足音がしている。3人くらいだろうか。ジェイクではない。面倒そうなので出来れば顔を会わせずにおきたいなと思う。


「そこにいるんだろう?」


張りのある、青年の声が響いた。


私の存在も向こうにばれているらしい。出るべきか逃げるべきか一瞬迷う。


「隠れることはない。少し話をしようではないか」


声の調子から努めて優しくしようとしているのがわかる。悪意はなさそうだし、もしあったとしても人間3人くらいなら私の敵ではない。万一ジェイクに危害を加えられる前に私が何とかしておくべきか。


「はい、ここにおります」


私は大きめに声をあげ、本棚の陰から出た。恐らく騎士の青年と、とても珍しい女性騎士。二人に挟まれて立つ金髪の青年の姿を認め、私は胃が縮み上がるほど驚いた。


――王太子が何でこんなところに。


私はたかが子爵の養女なので当然会ったことなどないが、肖像画で一応勉強した姿そのままに、肩までの波打つ金髪と碧色の瞳をしている。確か私より3つ上の18歳だ。


慌ててひざまずき口上を述べる。

「殿下におかれましてはご機嫌うるわしく、大慶至極に存じ上げます。このような場で思いもかけずお会いできて光栄の限りでございます。私はレオナルド・グラソー子爵の娘ユリアレス・グラソーでございます」


とにかく、王太子なんかに目をつけられるとやばいと思う。私の農地は奪われたくないので出来るだけ丁寧に挨拶する。


私が名乗った瞬間、騎士二人に緊張が走った気配を感じた。私の名は黒嵐竜を毎年撃退していることで有名になっている。別に人間に乱暴するつもりも、したこともないけど。


「なんと、あのユリアレスか?まさかここで会えるとは……こんな場所だ。楽にしてくれ。私をただの男と思ってもらって構わない」


殿下は流石の貫禄で慌てた様子は感じさせない。

私は立ち上がり顔を上げる。改めてエミリアーノ殿下を見ると、肖像画では薔薇色の頬をしていたけれど本人は頬がこけ青白い顔で隈もあって不健康そうだな、と失礼なことを考えた。


「ユリアレス。まさかあなたに会えるとは想定外だった。本当はもっと前に会いたかったのだがこのように、私は自由な身ではない故に何年もかかってしまったことを心苦しく思う……」


殿下は左右に張り付く護衛に軽く視線を送る。彼らは私の一挙一動も見逃さないと言わんばかりに私を睨んでいる。


「いえ、大切な御身ですから、私のような不可解な者を遠ざけるのは当然かと」


「ずっとユリアレスに言いたかったことがある。これは私個人の言葉として聞いて欲しい」


「はい……?」


エミリアーノ殿下は護衛二人が止めようとする手を振り払い、私に歩み寄る。体格は細いが上背があるので迫力がある。


「……8年前、幼きあなたに黒嵐竜撃退などという命令を下した我が父の愚計を、息子として謝罪する。当時私は10歳だったが、私と歳の近い少女に、黒嵐竜と戦えなどと命ずる父を恥じ、私は憎んだ。

だが、あなたは誰ひとりの人命も失うことなく、この王都を守りきった。その報せを聞いたときの父上の狼狽ぶりといったら。あなたに見せたかった…」


削げた片頬をつり上げるエミリアーノ殿下はなぜか危うい美しさがあった。


「この国はあなたに滅ぼされる、と私も父上も覚悟したものだ。子供の身でどれ程の力を持っているのか計り知れなかった。しかし現在に至るまで、強大な力で反旗を翻すこともなく、あなたはこの国を守り続ける……。私が知る限り、あなたは最も慈悲深い人だ。あなたに心から感謝と敬意を表したい」


「……勿体ないお言葉です。私はただ、亡き母の思い出の地を守りたいだけなのです」


エミリアーノ殿下の碧色の瞳が力強い意志を湛えて私を見つめている。

自分でも単純だと思うけれど、ずっとこの国に抱いていた思いが氷解したのを私は感じた。8年前の命令は私の周りの人たちをとても苦しめたし、私も嫌だった。


そして黒嵐竜との戦いは今でも続いているが、毎年命令と報奨金が来るだけで王からは直接何も言われたことはない。雲の上の存在だと思っていた。


でも殿下は突然出会った私に、私が無意識に求めていた言葉を与えてくれた。もしこれが計算の上の行動だとしても構わない。この人についていきたいと思わせる素晴らしい弁舌ぶりだと思う。


エミリアーノ殿下の後ろに控える騎士二人も誇らしげに、女性騎士に至っては目を赤くして殿下を見ている。


「ところで、ユリアレスにはジェイクという連れがいるのでは?」


「はい……?」


「私は本当はジェイクに会いたくて、ここの管理人に来たら呼ぶよう頼んでいたのだ。まさかユリアレスに会えるとは、僥倖であったが……」




王太子御一行を連れて彷徨う訳にもいかないので、私はザンディーラの石を使って密かに気分が悪くなりながらジェイクを探した。さっき管理人の様子がおかしかったのはこのせいだったのかと理解した。でもまさか王太子を呼びに行くなんて想像の遥か上すぎて思いもよらなかった。



「ジェイク!」


「あれ?ユリィ…とその方たちは?」


見つけたジェイクは分厚い本の山を抱えて歩いていた。ジェイクにも長年私の作った料理を食べてもらって身体強化しているので見た目にそぐわない力がある。


「ジェイク、君に会えて嬉しい。私はエミリオだ。ここの管理人のゴンズから君の話を聞いていた。ゴンズでも敵わないほど、本の内容と在処に詳しいそうだね?」


エミリアーノ殿下は素早くジェイクに近づき微笑みかける。


「……どのような本をお探しでしょうか?」

ジェイクは外向きの笑顔を見せる。


「古典的排中律について、と300年前に亡びたニカナ国の為政について探している」


「かしこまりました。持って参りますのでこちらで少々お待ちいただけますか?」


「うむ」


ジェイクは持っていた本をそっと床に置き、早足で歩き出した。さっきエミリアーノ殿下に感服したばかりの私だが、嫌な予感がして声をあげてしまう。


「殿下、ジェイクは私にとって大切な友人でございます。こんなところで働かせるのは御容赦ください」


殿下は振り向いて碧い瞳を細めてみせる。


「勿論、こんな地下で働かせるつもりはない。ゴンズから聞いた通り優秀な人物のようだな。ここにあるだけの知識を全てあの頭に修めているのか?しかも力も強い。私の近くに置きたい人物だ」


「……!」


足の力が抜けて倒れそうになる。ジェイクが王太子に取られてしまうかもしれない。15年間、ほとんど毎日顔を合わせて大事に大事に育ててきたのに。ジェイクのお母さんと二人三脚で育ててきたのに。


「ジェイクにとって悪い話ではあるまい」


「殿下のおっしゃる通りです……」


殿下は恐らく前例のない女性騎士を起用していることからもわかるが人材について斬新な考えを持っているから、平民でも関係ないのだろう。


ジェイクの頭脳は村の収穫物を王都に出荷して、ポンさんの商会を手伝うだけでは勿体ないとは思っていた。とはいえ、生き馬の目を抜くような政治の世界には行ってもらいたくない気持ちがある。


「もうあまり時間がない。わかるな?」

殿下の僅かにひそめられた声に興奮が重なっている。


「殿下、それは……」


「どんなに輝く太陽もいずれ沈む。致し方ないことだ」


私は、王の命が尽きかけていると初めて知った。

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