長雨の中
厚い灰色の雲が垂れ込めて今にも降りだしそうな天気の朝だった。
「もう今日から長雨が始まりそう。午後は休みかなあ」
私は伸びをしてベッドから降りる。この地方は本格的な夏が来る前、数日強い雨が続く。この時期は動物たちのお世話以外は無理せず休むことにしている。
ダイニングに行くとコーヒーを淹れているカルロと目が合った。私はいつもより早かったらしい。
「ユリィ、昨日のことだけど」
「え?」
私の分のカップ半分のコーヒーをカルロは差し出して言う。
「俺と剣で模擬戦したとき。隊のみんながいるからって負けてくれなくていいから。俺は…」
「か、勘違いしないでくれる?」
私はかっとなって、カルロの言葉の続きを遮る。
「別にカルロのために負けた訳じゃないんだから!あれはその前の8人斬りで弱すぎて手加減に疲れてただけ!」
私は何を言ってるんだろう?
「ああ、そっか……。悪かった」
カルロは自分の頬を一瞬触って、気まずそうに、手持ち無沙汰のように辺りを見回す。やがてコーヒーの生豆が入った麻袋の配置を変え始めた。何の意味があるんだろう。
「俺は、ユリィが作ってくれる食事を食べてなければ、強くなれないのは自分でわかってる。隊長なんて呼ばれて調子に乗るつもりはないから……」
「そんなこといいから。それより聞きたいことがあるんだけど」
「何?」
首だけ振り向いてカルロは聞く。私は何となく冷蔵庫からメロンを取り出して切り分け始めた。
「私って体は勝手に強くなるけど精神が弱い気がするの。精神はどう鍛えたらいい?」
「それは……俺もまだまだ弱いっていうか昔は今くらいの年齢になればもっと強くなれるかと思ってた。……俺の持論を言うと」
カルロは麻袋の配置に納得したのかようやく席に座って少し考え込む。
「うん」
「筋肉が動作の反復で鍛えられるように、精神も経験を積めば強くなっていく。だけど経験してないことには弱いままだ。どうしようもない」
「なるほど…」
私は深く頷く。どうしようもないということがわかった。
窓に強い雨が叩きつけるように降り出した。
「うわ、思ったより早い。午後は休みね」
「そうだな。ユリィは今年は何するんだ?」
私が毎年長雨のシーズンに新しい取り組みを始めることをカルロは知っている。
「冬でも夏の作物が育てられる建物の準備を始めるつもり。だから王立図書館に行って、色々調べてくる。もしモンスターを狩りに行く必要があったら……」
ビニールハウスと言ってもカルロには通じないだろうから言葉を変えて説明する。
「それはすごいな。素材を集めるんだったら、モンスターに傷が少ない方がいいだろ。そのときは俺も行くよ」
「ありがとう」
ごく自然にカルロは言ってくれる。カルロの弓矢の技術は疑う余地もないし、恐らく大量の皮が必要になるから、矢の1ヵ所の傷で済むのはとても助かる。
雨の中、防水のコートを着て作業を終え、賄いを食べてから私はミルと一緒に王都に出かけた。このコートは深い紺色で、ある飛竜の素材を使っている。防水素材として使われているモンスターは結構種類がある。
ビニールのように、透明で防水の皮を持つモンスターはいるのかと集荷のときにジェイクに訊くと、それは知っている限りいないと言われた。モンスターについてはほとんど丸暗記しているジェイクなので、早くも計画は頓挫かと思われた。
だけどジェイクがいくつか別の案があるかもと言い、一緒に調べようと提案してくれたので待ち合わせをしている。
「雨の中ごめんね、ミル。待っててね」
城門の前でミルの顎を撫でて別れるが、ミルは雨を気にする素振りもなく駆け出していった。薄々思ってたけど雨が好きなのかもしれない。炎系モンスターだけどお風呂好きだし。
ジェイクの仕事が一段落するまでと、私は市場の馬車停めにあるジェイクの馬車に向かう。馬車の中で待っていてと言われている。
「今日は二度目ね、オリヴァ」
真っ黒で猛々しいジェイクの馬に挨拶して、私は馬車の幌に入った。幌に当たる鈍い雨音と薄暗く狭い空間は眠りを誘う。私が何もせずじっとしているなんてほとんどない。いつも忙しくしているからか、すぐに目蓋が落ちて来た。
「ユリィ、ごめんねお待たせ」
目を開くとジェイクの栗色の瞳が私を覗き込んでいた。ジェイクの頬が少し赤くなっているので外の気温は低いのかと思った。幌の中は温かいけど。
「ううん、私こそ突然だったのに時間作ってくれてありがとう。さ、行こう?」
二人してフードを被り、雨が降りしきる中、人混みを避けて歩く。私は王立図書館の秘密の入り口を覚えていないので自然とジェイクの後ろを追いかける形になる。
昔はかわいいと思っていたジェイクのお父さんの形見である黒い斑点模様のフロモササのコートも、今ではおしゃれに見えるくらいすっかり着こなしている。だけどフードを被っていてふわふわの猫柳色の髪が見えない後ろ姿は、誰か知らない人のように感じてしまう。
たくさんの曲がり角を過ぎて行き止まりのレンガの壁を、ジェイクは慣れた様子で押す。私たちは仕掛け扉を開けて暗い階段を降りていった。




