交渉成立と執事
「養子縁組で手を打とう」
「…………」
養子縁組。グラソー男爵が養父になる、とどうなるのか咄嗟にはわからず、私は沈黙した。男爵は私を離れて執務用の椅子に腰かける。
「心配することはない。君は今まで通り君の父親と暮らせるよう配慮しよう。週に一度、レディとしての教育を受けてもらえばそれでいい。それから納税義務はなくなるが、未成年の娘のものは父親である私のものとなる」
「……始めから養子縁組のつもりでしたね?」
先に無理のある提案をして相手を揺さぶってから妥協案を示す。交渉の基本中の基本で、ナンパから値切りまで幅広く使われている手法だ。
でも、悔しいことに婚約よりましだと思ってしまっている自分がいる。惚れ薬を使ったという先入観があったのもいけなかった。この男は、とっくの昔に正気に戻っている。
「僕としては婚約を受けて欲しかったがね」
グラソー男爵は微笑を浮かべて既に用意してあったと思われる書類を広げ出す。罪を犯さずに牧場を今の土地で続けるには、縁組を受けるしかないようだ。
「私の小麦はどうなりますか?」
あと少しで収穫できる大量の小麦が全てグラソー男爵のものになるかと思うと脱力感がある。
「ああ、それはユリィの好きにしていい。かわいい娘のものを取るほど私は悪い父親ではない。……私も初めて娘を持つのだが。はは!」
快活に笑うグラソー男爵はまだ20代の独身だったと思い出す。
「借地権を払わなくて税収は大丈夫なのですか?それに私などを養女にとってご結婚が遠のくのでは?」
「心配することはない。縁談はたくさん来ている。なにせ君のお手柄で子爵に陞爵することが決まったからね!」
「!」
グラソー男爵は満面の笑みでウインクまで送ってくる。私が一生懸命戦った結果、男爵が子爵に上がるなんて…。風が吹けば桶屋が儲かるという懐かしいことわざを思い出した。
いや──でもよく考えたら、私にとってデメリットはひとつもない。
「領地も広くなりますよね。領民への農業指導を私が行っても良いでしょうか?」
私は気持ちを切り換えて前向きに考えることにした。私の最終目標はこの国を豊かにすることだ。使える土地が広ければ広いほどいい。
「ユリィは戦いだけでなく農業にも素晴らしい才能があるようだな。勿論、私の名代として指導を任せよう」
「あ、はい。グラソー男爵…子爵?」
「一応言っておく。私の名前はレオナルドだが、これからはちゃんとお父様と呼んでくれたまえ」
軽く人差し指を立ててレオナルドは告げる。
「…努力します」
私がひっそりとため息をついたのを見とがめてレオナルド──お父様は片眉を上げる。
「縁組はそんなに悪いことばかりではない。私はユリィが思っているよりずっとユリィをわかっている。私のかわいい娘だからね。例えば、君につけられている国からの監視のものだが」
「よ、よくご存知ですね」
私は意外な話題に驚きを隠せない。
「なぜなら、監視役がモンスターに襲われる事故があって、村長に馬車を借りただろう。そこから報告があった。」
彼は幅広の二重の瞳を更に見開く。特徴のない顔と思っていたけど、ようやく顔の癖がわかってきた。
「そうでしたね」
村長はレオナルドから村の管理を命じられている立場なので、報告があるのは当然だった。
「だがこれからは子爵の娘だ。反逆罪の疑いをかけられることもなくなるだろう。なぜかわかるかね?」
子供になぞなぞを出すように、レオナルドは私の瞳に問いかける。
「それは……農民は税を納める側ですから、反感は常に持っています。でも貴族は農民から集めた税の一部を国に納めるだけで、基本的に非課税ですからね。逆らう理由がありません。もし王を討つとしても正当な理由がなければ、倒したあと国民から支持を得られません」
「やはり、ユリィは良くわかっている。大まかに言うとその通りだ。しかしこれからは子爵の娘の名に恥じない行動を心がけてくれたまえ」
レオナルドは満足げに頷く。
「さて。縁組をまとめてしまおう。ヴィース村のアウグスとジーナの娘、ユリィか……愛称かと思ってたけどこれで届けられてるなあ。もう少し貴族っぽく改名しないかい?」
レオナルドは付箋紙代わりなのか羽根が挟まれた台帳の束を広げて、顎を触る。
名前をばかにされて少々腹が立つが、お父さんとお母さんもまさか貴族になるなんて思いもしなかったから、呼びやすい名前にしてくれたんだと思う。
私はふと思いつく。
「では、ユリアレス、として下さい」
「ふむ、良い響きだな!」
7歳の誕生日、ジェイクからもらったリリアレスという赤い花をもじった名前。
あの日をきっかけにこんなところまで来た。
「……お父さんの許可とか、いらないんですね」
私は凪いだ気持ちで小さく呟く。
「私に養女ができると、領地権や遺産について手続きがあるので法院に届けは出すがね」
「そうですか、早く結婚してお世継ぎ作って下さいね」
「娘にそんなことを言われるとはな!はは!」
いくつかの書類を作成するレオナルドを残して私は帰ることにした。帰りもフロムさんが送ってくれるそうなので、エスコートされて馬車に乗り込む。
馬車は助走ののち、夕焼けの空に浮上した。ぼんやりと赤く色づいた世界を眺めていると、御者台のフロムさんから声がかかった。
「お嬢様、そのままでお聞き下さい」
「お、お嬢様?!」
耳慣れない呼びかけに声が上ずってしまう。
「御主人様の娘ですからお嬢様です。養子縁組を引き受けて下さったこと、心より感謝申し上げます。正直申しますと、拒否されて殺される可能性も考えておりました」
「私をなんだと思ってるんですか?!そんな狂犬みたいなことしませんよ!!」
そう叫んで私は自分に嘘をつく。ついでに、今回の話の持っていき方は全部フロムさんの入れ知恵ではないかと思った。
「私の勘違いで失礼を申し上げました。少し私の話をしてよろしいですか?」
「はい」
「私は先代…つまり、坊っちゃまの父君の代からこの家に仕えております。しかし、先代を不幸な事故で亡くしてから死人のように日々を過ごしておりました。
しかし、お嬢様が最初に屋敷にいらした日、惚れ薬を飲んで錯乱する御主人様を見て私は自分を恥じました。私は危険を察知していながら止めようとしなかったのです」
急に私に懺悔されても困るんですけど……と話の腰を折りそうになるのをこらえて私は黙っていた。
「お嬢様が屋敷を去ってからも御主人様の錯乱は続きました。私は御主人様をベッドに縛りました」
「え?」
私はフロムさんのきちんと整えられた黒髪の後頭部を見つめる。
「……失礼致しました。お嬢様にお話する内容ではありませんでした。それから、色々あって御主人様の錯乱は解け、私と御主人様は互いに深い絆で結ばれたのです。共にこの領地を再興しようと」
「そうですか」
大丈夫なのかな?この人?と思ったけど私は声だけ平静を装った。
「お嬢様の持ってきたヴィース村の計画書や、ポン氏との出会いも素晴らしいもので御座いました。私はお嬢様は、天が遣わせた存在ではないかと思っております。どうぞこれからは私めにどんなことでもお申し付け下さい」
「…えっと、新しい領地についてわかり次第教えてください」
「かしこまりました」
少しいらない情報が入っていたけど、これから相談があるときはフロムさんに言えばいいらしい。フロムさんの方が切れ者っぽいので私としては助かる。
家に着いた私は、少し暗い気持ちでドアを開けた。
グラソー子爵の養女になったなどとどうやってお父さんに伝えればいいのだろう?




