バレンタイン特別編~チョコレート祭り後編~
「な、何このモンスター?!」
「あらぁ、懐かしい。崩鯨竜だわ」
アンジェラが呑気にやっほーと手を振る。
「千年ぶりかしら? 目覚めたのねえ」
「いやちょっ……どこで寝てたの?あんな大きいのに」
崩鯨竜と言うらしいモンスターは、会場の半分を日陰にしてしまう程大きい。冬の薄青い空に豊かなヒレをはためかせ、白い鯨を思わせる流線形の体を左右に振って浮いている。頭からはドリルのような、金色の角が2本伸びていた。
「海で眠りについてたはずよ。もしかして、チョコレートの甘くていい匂いにつられて起きちゃったのかしら」
「そんなの困るんだけど」
水空両用らしい巨大崩鯨竜を見て、人々が悲鳴を上げている。楽しいお祭りの空気は一変してしまった。攻撃してくる様子はないけれど、血走った大きすぎる目がこちらを見下ろしている。白目をギョロギョロ露出させて、何か探している雰囲気だ。
「ミル!」
とりあえず会場の外で待っててもらっている、火灰狼のミルを呼んだ。数秒で、風のように白銀の巨大狼が駆けてくる。その後ろを追って、ミルの子供たちもついてきているのがかわいい。
私はふわふわのミルの背中に乗って浮き上がった。ミルは走っても速いが、空も飛べる。空陸に対応している。
「あの、何か知らないけど今は楽しいお祭りなのでお引き取り願えませんか?」
目線を合わせて、私は崩鯨竜に話しかけてみた。しかし、何の反応もない。白いヒレだけが風に動いている。
「ん?」
崩鯨竜の背後から黒くて巨大なものが飛んできているのが見えた。祖竜のヴェプナーだと認める。艶々した黒い鱗は黒真珠に似ていて、翼は恐竜のように骨張っている。しかし、祖竜と崩鯨竜の浮かぶ空は怪獣映画の様相になってしまった。私のチョコレート祭りが台無しなんですけど。
祖竜の背中には、始祖のエズリが乗っていた。エズリは人型だけど、何色でもないまだらの皮膚と、あらゆる色に移り変わる髪を持っている。彼らはこの世界の生き物全ての親で、始まりの存在だ。
「やあ、懐かしい気配がして来てみたら、寝ぼすけの崩鯨竜だね」
エズリが話しかけると、高周波みたいな音というか、耳鳴りがした。鳴き声だと思う。
エズリとヴェプナーが来てくれたなら話は早い。モンスターと意思疎通が出来るからだ。
「エズリ、ヴェプナー。崩鯨竜に、どこか別のところに行ってもらえるように伝えてもらえます? ここに居られると困るの」
「うーん? 嫌だって言ってるよ。いい匂いの食べ物を食べてみたいんだって。こんなの千年前になかったから」
「チョコのこと?」
確かにチョコは、カカオの実を割って中を取り出して発酵させて、擂り潰し、砂糖や副原料を混ぜて練って溶かして形成してと大変手間のかかった食べ物で、千年前にはないだろう。
「そのようだね」
「ちょっと待つように言って下さい」
仕方なく私は、適当にチョコを買い集めた。皆が軽く避難しているので並ばずに買った、というかお金を置いて勝手に取ってきた。あの巨体にどれだけ食べさせれば足りるかはわからないけど。もう一度ミルに乗って浮かび上がる。
「じゃあ、はい。あーんして」
チョコをかざしてそう言うと、私を余裕で飲み込めそうな大きな口が開いた。ジャンドゥーヤが入った高級チョコレートの粒を崩鯨竜の開いた大きな口にぽいぽい投げる。20粒投げた。
ばくんと大きな下顎を閉じ、崩鯨竜は味わっている。下顎の方が大きくてちょっとしゃくれなんだけど、見慣れるとかわいさがある。すぐにまた口が開いた。次は、緑茶風味生チョコを12個投げ入れる。
世にも珍しい崩鯨竜のもぐもぐタイムを、みんな呆気に取られて眺めていた。ピッ、ピッと高音で鳴く。
「おいしいと言っているよ。でも、物足りないって」
「この体がお腹いっぱいになる量なんて、会場のチョコ全部集めてもないです!」
エズリの通訳に私は焦る。全部取られてたまるか。
「いや、何かもっと、すごく特別な気配のものがある……と崩鯨竜は言っている。千年の飢えを癒す、魔力と愛に満ちたもの。それはさっきから私も感じていた。ユリィ、何か作ったのかな?」
「私が作ったもの……」
嫌な流れだ。それってどう考えてもアミルのために作ったアミル専用のチョコレートだ。
「それを食べたい、くれないなら無理やりにでも…ってそれは良くないよ、崩鯨竜」
白いヒレを振って準備運動をし始めたので、エズリとヴェプナーが揃って止めようとしている。こんなとこで怪獣対決をされたらかなわない。
「……っ。わかった、あげるからちょっと待って……」
嫌だけど私は覚悟を決めた。だってこれは自分の蒔いた種というか、あのチョコレートに情熱と魔力を込めすぎた私が引き起こした事態かもしれない。
これでみんなに迷惑をかけたら、楽しみに来てくれた人に申し訳ない。アミルにはまた作ればいい。最高のカカオはまた次の収穫を待たなきゃいけないけど。
会場の一角に飾っていたアミル用のチョコを持ってきた。私の腕に一抱え程の帆船の形をしている。元々別々の国に生まれた私とアミルを繋いでくれたのは、海を渡る船だから。その形にがんばって作った。アミルはもう見てくれているので、とりあえずそれでいい。
「はい、あーん」
大きく口を開けた、崩鯨竜の奈落のような暗闇に特製チョコレートを投げ込む。ばくっと下顎が閉じて、味わうように瞳も閉じられた。
「こんなにおいしいもの食べたことないって」
「でしょうね!」
エズリが通訳してくれた崩鯨竜のお気持ちだけ受け取っておく。満足したのか、耳鳴りがする鳴き声をあげると、遠くから小さめの、別の崩鯨竜が空を泳いできた。
「繁殖する気持ちになったと言っているよ」
「そ、そうですか」
身も蓋もないエズリの通訳に私はそれだけ答えた。
「――という訳で、アミルにあげるチョコレート、これだけになっちゃった。ごめんね」
私の味見用の、一粒のチョコレートをアミルに渡す。あいつらはどこか静かなところへ移動した。
「ありがとう」
アミルは責めるでもなく、微笑んだ。私の自己満足で動いて、アミルにずっと夕食作ってもらってたのに、なくなっちゃったのに。
「本当にごめんね……」
「ユリィは悪くないよ。でも、何か勿体なくて食べられないなこれ」
「食べて」
チョコは日持ちするけど、やっぱりフレッシュなうちがおいしいと思う。
「じゃあ、いただきます」
カカオの栽培から手をかけたチョコレートがアミルの口に消えた。カカオ分は程よい55パーセント、カカオのフルーティーな香りに僅かにナッツのようなコクがあるはず。
「……信じられないくらいおいしい。俺、これだけで千年は生きられる」
相変わらずアミルは何でもベタ誉めしてくれる。おいしくなくても誉めてくれるけど、本当においしいときとそうじゃないときの若干の違いがあって、全力で前者だったので私は嬉しくなった。
「良かった。来年も作るから、来年こそ一緒に食べようね」
「そうだね」
アミルの青灰色の瞳は熱っぽく、見つめられて私はうっとりしてしまう。だけど美しいアミルの背後に、グレンが苦虫を噛み潰したような顔で立っているのが視界に入った。
「お前ら見てると甘ったるくて胸やけがする」
「グレン! 今いいとこなんだから邪魔しないで!」
目が合った途端にグレンに文句を言われた。私も反射で言い返す。
「ユリィ、あっちでココアを飲もう」
アミルは苦笑して、私とグレンをさりげなく引き離す。
暗くなり始めたので、キャンプファイアを焚いていた。その前でちびちびと暖かいココアのカップを傾ける。なお、マシュマロも焼き放題となっている。
「冬にこんな楽しいことがあるなんて、俺知らなかったよ」
「定番にするつもり」
「いいね。来年は俺もチョコレート作りを手伝うよ」
「……二人で力を合わせたらもっとすごいものが出来て、もっと変なモンスターが目覚めるかもね」
私の冗談に、肩をぶつけて笑い合う。紺碧の空に、キャンプファイアの赤い火の粉が爆ぜていた。
ハッピーバレンタイン!