正しい未来
エミリアーノ陛下に何もかも私のせい、と言われてまた何かやったかなあと私は最近の記憶を回想した。約二千人の移民のお世話で忙しくて陛下とはそれほど関わってなかった気がする。
「――ユリアレスと私は、特別な仲であると巷間に噂が広まっていただろう」
いきなり何を言い出すのかと、私はテーブルの下で強く拳を握った。
「それは、口さがない人達が、歳が近いとか男女であるというだけで勝手なことをおっしゃるだけでしょう。仕事の要件で陛下に謁見してるだけでしたし、いつもほかの者もたくさんいる場でした」
私はアミルとラウラリア王妃陛下に視線を送りながら言い訳めいたことを口にする。何もない、本当に何もないぞ。正確には二回ふたりきりになったけど、周囲の人には知られていない。
「しかし、噂は母上の耳にも入っていたようだ。そういう時期にラウラが妊娠したことで母上にとって忌まわしい記憶と古傷が疼き、暴れ出したのだ。どうも、母上は私を妊娠している間に父上が愛人を作ったことが許せなかったらしい。それで私は嫌われていたようだ」
「そんな……陛下のせいではないじゃありませんか」
陛下が母君に嫌われていた理由がそんなものだったなんてあまりにも理不尽だ。陛下も酷薄な笑みを浮かべている。
「母上は理論的なお人ではない。だから半狂乱になって、お前も父と同じ道を辿るつもりか、と大変であったよ……」
「……ごめんなさい。誤解を招かない方法をもっと検討するべきでした」
陛下と母君の修羅場を想像すると罪悪感にかられてくる。誤解を招かないよう、植物研究所長として謁見していたがそれだけでは足りなかったようだ。
「ユリアレスを責めてはいない。そもそもラウラの妊娠すら、ユリアレスが私の健康状態を治してくれなければ無理だったと思われるしな」
「……」
ちょっとその辺は私にはコメントできない。確かに以前の陛下は青白い顔で骨ばかりが浮いていたが。誰を見る訳にもいかず、私はテーブルの中央にあるテーブルランナーに描かれた葉脈などを目でなぞる。
「わたくしだって陛下のお身体を案じておりましたわ。でも私がお食事を用意しても召し上がって下さらなかったのですもの」
王妃陛下は陛下の発言を気にする様子もなく、微笑みを崩さずにそう言った。後継ぎを作らなければと周囲に言われすぎて感覚がおかしいのだろう。両陛下にはまだ子どもがいない。現在、次の王位継承者は先王の弟と歪なことになっている。
「ラウラが用意すると言っても、料理人に命じるだけだろう。調理から給仕までたくさんの者が関わる中、母上の息がかかった者がいるように思えて無理だった」
「うふふ、そうですわね」
ころころと鈴を転がすような笑い声を上げる王妃陛下はやっぱり生粋のお嬢様らしい。多分包丁なんて握ったこともないんだろうなと私は思った。
「まあ良い。ラウラの朗らかなところは嫌いではない。どうか私の母上のように愚かにならないでおくれ」
「陛下にお褒め頂いて嬉しいですわ。ええ、陛下のお心のままに」
「――私も父上のようには決してならない、それが父上と母上への私の復讐だ」
強い視線を感じて顔を上げると、陛下が何かを言いたげに私を見つめていた。陛下は夏に亡くなった先王――父君のことすら心の整理がついていないだろうに、母君すら自らの手で遠ざけた。
両親に愛されず、それでも理知的に正しい道を歩もうとする彼に尊敬の念が湧き上がってくる。
「陛下」
「何だ、ユリアレス」
私は陛下に呼び掛ける。そうして応える彼の声は何か大きな決意に満ちていた。
「心から尊敬申し上げます。陛下は既に……先王より遥かに偉大なお方となられました。そして陛下が生まれたこと、陛下と同じ国に生まれたこと、私は本当に嬉しく思います」
「そうか」
陛下は少し驚いた表情だった。
「私は陛下に対して、勝手ながら親近感を抱いておりました。お互い、願わずとも重い責任を負わされた同士ですから。戦友、と思ってもよろしいですか?」
「……好きにせよ」
陛下の目元がゆっくり微笑みに近づき、次いで口元が追い付く。
「私にそのような無礼な口を聞けるのはお前だけだ」
私も口元が緩んだ。もしも私が男だったら、もっと仲良くなれたのかと考えたことが何度かある。もっと王と臣下らしく。だけど仮定の未来に意味はない。男女だからと立ってしまった噂が招いた結末を受け入れるしかない。これで良かったと思おう。
「……やっぱり何だか妬けてしまいますわね」
ラウラリア王妃陛下が可愛らしく小首を傾げ、陛下を見た。
「私は父上のようにはならぬと誓ったであろう。それに、ユリアレスも見目麗しい婚約者が出来たようだしラウラが気に病むようなことは起こらぬよ」
「ええ、銀の髪が素敵なお方ですわね」
突然アミルに視線が集中する。
「あなたは婚約者であるユリアレス嬢を心配なさらないの?」
「私は彼女を信じていますから」
王妃陛下の、優しげながら毒を含んだ質問にもアミルは余裕たっぷりに微笑んで答えた。アミルもなかなかの強者だ。王妃陛下対アミルの戦いはかなりの頂上決戦と言える。
陛下が咳払いをした。
「オリヴェーロ男爵は、医療技術に優れたウィスカルダにて医学を修めたらしいな。ラウラの出産の際には、万が一のこともある。別室で待機してもらえぬか?母上は私を産んだときに大出血して数年後遺症に苦しんだ。それも私と母上の確執となったのだ」
「出産は専門ではありませんが、私に出来ることは致します」
アミルはモンスターに襲われた人の怪我の治療、つまり整形外科のような分野を主としている。でもこの国の医療が遅れているので、結局何でもやっていると以前聞いた。大量出血など万が一のときにはアミルの技術は絶対必要だろう。
そのままふたりは会話を始めた。
アミルと陛下が会話してるのは不思議な光景だった。どちらも相当な顔面の完成度だけど、種類が違う。アミルは滑らかな褐色の肌に涼しげな銀髪で、光線でいつも色合いが違って見える青灰色の瞳は少し垂れ目で温かさがある。
陛下は金髪の緩い巻き毛が豪華に白皙の肌を彩り、冷たそうな碧の瞳は強い意思と情熱を感じさせる。
どういう関係を築き上げるのだろうと、邪魔にならないよう二人の会話を黙って眺めていた。しかし、王妃陛下からの視線を感じて、目が合った。
「ねえ、私のお茶会に今度いらしてね。女同士のお話をしましょう」
「ええ……王妃陛下にお誘い頂き光栄です」
すごく面倒そうだから出たくないけど私はそう答えた。
「うふふ、ユリアレス嬢って正直なお方。可愛らしいわ」
王妃陛下に見透かされているようで私は思考を止めようと努力だけはした。
やっと両陛下との話が終わり、お城から出ると解放感で変な声が出た。
「ふわあぁ、何か疲れたね」
「少しね」
アミルも流石に緊張したのか肩を回している。
グラソー邸で大急ぎで窮屈なドレスから着替え、村に帰るため、城壁の外でミルを呼ぶ。
ミルは、仲間の火灰狼の群れを引き連れて雪を蹴散らし嵐のように駆けてきた。この一帯はすっかり彼らの縄張りと化し、人にとっては安全なところになった。
「ユリィが陛下に対しては、しっかりした歳上の女性みたいな態度を取るから面白かったよ。初めて歳上の女性かも、と思った」
「そ、そう?何となく陛下に対してはそうなりがち……」
アミルがぼそっと呟くので、私もなぜか小さな声で返す。確かにアミルの前とでは違いすぎて、恥ずかしくなってきた。
「あ、でも俺の前ではしっかりしなくてもいいから」
「やろうと思っても出来ないよ……」
無意識にそんなにアミルに甘えてたのかなと私は照れ隠しにミルに抱きつく。雪をたっぷり纏わせた白銀の毛皮がひんやりして、火照った顔に丁度良かった。