湿原の戦い
「アミル避けて!」
私はレイピアを回転しないよう真っ直ぐ目的に向かって投げた。高速で動いていた羽の辺りに突き刺さり、ぬかるみに墜落する。横目でアミルの退避を確認して、私は甲虫に走りより、短刀で止めを差した。足の数は六本だが、昆虫なのかはわからない。そもそも外骨格の限界を超えたサイズで私の体の4倍くらいか。
カブトムシのように枝分かれした角が一本ある。全体は鮮やかな緑色だけど、光の角度で違った色に見える。いわゆる玉虫色だけどこれだけのサイズとなると偏光色を塗ったロボットのようにも見える。
更に遠くから向かってくる甲虫が見えたので、急いで太腿に装備した投げナイフを投げる。
眠り薬を塗ったナイフは回転しながら甲虫に突き刺さった。しかし動きを止めるには至らなかった。一瞬飛ぶ高度を落としてすぐに持ち直す。私は続け様に三本、追加のナイフを投げるとようやく甲虫はべちゃっと地面に落ちた。足が埋まりながら、なんとか駆け寄って止めを差す。
「今のと同じモンスターが集まってきてる。群れで動くタイプだったみたい」
私はナイフを回収して、アミルにそう告げた。
「すぐ終わらせるから、絶対動かないでね」
続々と飛んでくる偏光色の甲虫の大群が灰色の空を埋め尽くした。その羽音は耳が痛いほどの爆音で、この戦いで聴覚はまるで使えないなと思った。虫なら明るい方に寄ってくるかもとさっき倒した甲虫に魔法で火を放ち、私はその横に立った。
もう私が何をやってもアミルが私を嫌うことはないと、いつの間にか信じていた。だからこそアミルに危険が及ぶ全てを殺したいと思ってしまう。殺意や怒りに呑まれそうで、息が上がる。アミルがいる右側を肌がひりつく程警戒させた。
狙い通りというべきか、全て私に向かってくる巨大甲虫の群れに私は腰の太刀を抜いた。私に向かってくるのなら、飛んで火に入る秋の虫、などと考える余裕すらある。
ただし足場が悪いのでこの場から動かずに戦おうと決意した。少しの失敗も許されない。
全てこの刀の餌食としてくれようと私は古風に顔の横に太刀を立てて構えた。猛スピードで突っ込んでくる一体に横凪ぎを与え頭を落とし、眼前まで迫った別の一体に私は掌底と共に魔力を送り込み、爆発させた。
爆風と立ち上る煙で私を取り囲む群れの動きが一瞬鈍った。いける。太刀を一度腰辺りに構え、抜刀するモーションで大きく回転斬りを行い、周囲を一掃した。開けた視界に飛び込んでくるのは、変わらず緑色に光る甲殻。突き、凪ぎ、払いの連携が徐々に上手くなってきたなと自分で思った。どこまでも斬れる――――
久しぶりに頭から思考が消え失せて体の反射だけで戦っていた。周りに動くものがなくなったとき、ようやく私は怒りの感情を太刀の汚れと共に払い、拭き清めて鞘に納めた。甲虫の遺骸の隙間を通ってアミルのところに行く。少し足が重かった。
「アミル、怪我はない?」
「ユリィこそ……ごめん、俺何も出来なくて……」
アミルの青灰色の瞳を見たとき、やっと自分に感情が戻ってきた気がした。
「本当に気にしないで、アミルが無事なら私はそれでいいから」
私は本心を言っている。
「ユリィはすごくかっこいい」
アミルの紅潮した顔も本心としか思えない。だとしたらめちゃくちゃ誉められてるな、と恥ずかしくなってきた。
「あ……この虫の素材も何かに使えそうだから持って帰らなきゃね」
耐えられなくて私は背を向けてしまった。
「それくらいは俺も手伝うよ」
ピートを入れる為に持ってきた袋に虫の素材も詰めて、私とアミルはミルとスノウ号のもとへ戻った。焦げ臭い匂いがしたので、ミルもモンスターを燃やしたか食べたらしい。
再び空へ飛び上がり、田畑地帯をぐるっと見てから適当なところへ降り立つ。領民は遠巻きに私たちを見ている。
「俺がここの男爵を継いだときに、領民には城門に集まってもらって知らせてあるから顔は覚えてもらっていると思うよ。それが伝統なんだって」
アミルがそっと教えてくれた。本当に昔ながらの古風なやり方を続けている場所らしい。なお養父であるレオナルド・グラソーは王都に邸を建てて遊んでばかりだ。
アミルは途中、この国ではあまり見ない高床式に建てられている倉庫の前で足を止めた。湿気対策でこうしているんだろうか。
「見てユリィ」
アミルの声に何かいいものなのかと近寄るけど、そこには倉を中空に支える柱に枯れ葉のような何かがくっついているだけだった。
「何これ?」
「これはカマキリの卵鞘なんだけど」
「アミル、今のうちに燃やしてもいい?」
「いや、これは害のないカマキリだから……作物につく虫を食べてくれる益虫だから」
さっきの虫モンスターのこともあってつい燃やしたくなったけど、アミルはヒロインのように卵を守ろうとする。
「ユリィ、この国では冬に雪は降らないよね?」
「ほとんど降らないけど?」
意味がわからないまま私は答えた。温暖な気候のこの国で冬の積雪はない。何年かに一度くらいは降るけど積もりはしない。
「カマキリは預言者と俺の国では言われている。今年の冬は卵を産み付けている、この高さまで雪が積もるかもしれない」
「ええっ、こんなに……?」
私は高床式倉庫の高さをまじまじと見つめた。底上げしているのは私の膝下くらいだけど、雪用の対策がなければ数センチでも大変なことになる。
何より冬の作物に影響が出そうだ。それから春に向けた土作りもあるのに、雪があってはままならない。
「そうは言っても虫の気まぐれかもしれないけど一応ほかにも見てみよう」
土地の視察を兼ねながらアミルは路々、領民に声をかけ、倉庫の場所を尋ねた。領民の女性などは顔を赤らめて答えているので私は名伏しがたい気持ちになった。
そうしてアミルは倉庫やあるいは住居の隅に次々とカマキリの卵鞘を見つけた。人間、好きなものは見つけるのが早いなと思った。
「この地域は寒くなりそうだとは思う。対策費を出すよ。ヴィース村は、帰ってからも俺の方で調べてみるよ」
「でも備えあれば憂いなしって言うから、私も今から対策するね」
私も少し不安になってきた。頭の中の計画書を呼び出し、いくつか修正を加える。帰ってからも良く考えなきゃいけない。
田畑の土や川の水量を大体見終わった頃には、すっかり暗くなってどこかへ帰る鳥や翼竜の編隊が群青の空を渡っていた。
「そろそろ帰ろうか。ユリィ、今日はありがとう」
「ううん……こちらこそ。すごく楽しかった」
新規の土地を見回るのは本当に楽しく、しかもアミルは私の好きにしていいと言う。普段は養父のグラソー子爵やそのブレインであるエトヴィンの了承を得なければいけないので、格段に自由に感じて面白かった。
「冷えてきたね」
そう言ってアミルは、首に巻いていたストールをほどいて私の首にかけた。柔らかく暖かい肌触りのそれを器用に結んでいく。自分ではあまりよく見えないけどアミルが巻いていたのとはまた違う、リボン結びに似た巻き方だ。
「あ、ありがとう……上手だね」
「妹にやってたから」
そういえばアミルには妹がいたなと思い出す。こんな兄がいるなんて羨ましい。でも私が取ってしまって――いや取ってないけど、恨まれてるかもしれないなんて考えた。
「アミルは寒くないの?私は風邪ひかないけど」
「大丈夫」
結び具合を調整するため屈んでいたアミルに上目遣いに微笑まれると私は本当に何も言えない。微かにアミルの匂いがして、ストールの温もりとは別に胸の奥から温かくなる。
「さ、帰ろう」
「うん」
私は返事をして、意味ありげな横目で私を見ていたミルに飛び乗った。アミルもスノウ号に騎乗して空中に浮上する。湿った冷たい風が顔に吹き付けるけど首回りだけあたたかい。
「ユリィは、怖いものってないの?」
隣に並んでアミルが訊いてくる質問の意味を私はちょっと考えてから答える。
「私は恐怖を感じないの。戦いに関しては。でも……怖いものはアミルかな」
「俺?……そんな怖がらせるようなこと何かした?」
あくまで冗談のように笑って言ったけど本当だったりする。
アミルといると私が私でなくなりそうでとても怖い。だけど、私が今の私でいられるのもアミルがいるからだと感じている。一生懸命考えているアミルに、私は気を取り直して冗談を言う。
「だってアミル、さっきのカマキリの卵鞘持って帰ってきそうだったし。私の家で孵さないでよ」
「それは昔、実家でやって怒られたからもうやらないよ……良くわかったね」
首を振って苦笑するアミルにつられて私も笑った。もっとたくさん話をしていたいなと思った。




