農民暮らし
けたたましい鶏の声で私は目を覚ます。粗雑な土壁に、明かり取りとして空けられたガラスも嵌め込まれていない小さな窓から仄かな陽射しが差し込んで四角く床を照らしていた。
私はため息をつきながら簡素な寝台から身を起こし、作業用の簡素な服に着替える。転生してから7年目の朝だ。
前世で、実家の農家を継ぐこともなく都会に憧れて、税務署職員として忙しい生活を続けていたら突然私は死んでしまって、なんの罰なのか中世くらいの生活レベルの異世界に送り込まれてしまった。
ステータスオープン!
とか
ファイア!
なんて子供の頃は色々試していた。異世界転生したものとして、一度は見てしまう甘い夢だと思う。けれど私は何の能力もなかった。
ただ、それは私だけではない。そもそもこの世界には魔法など存在しなかった。『守りの鐘』と呼ばれる鐘音が響かない村の外に出れば火を吹くドラゴンや、3メートルはありそうな狼などモンスターはいるのに、人々は魔力がなく誰も魔法は使えない。体が少しだけ頑丈なくらい。
モンスターに怯え、身を寄せ合うように人々は暮らしている。守りの鐘の音が聞こえる範囲には小型の鳥や兎程度のモンスターしか入って来ない。
それでも両親は優しいし、私には前世の農家の知識があるから、すぐに生活は良くなる。そんな希望も二年前に大流行した疫病によって失われた。私のお母さんは亡くなり、生活は一変した。
この村も含めて国中の人口は大幅に減った。細かい情報は入って来ないけれど半分くらいになったという。
人手がなくなり廃棄される畑が相次いだ。食糧事情は元々良くなかったのに更に悪化した。私の家は食べ物を自分で育てているから何とかギリギリ食べるものはあったけれど、領主への年貢も含めるとかなり貧しい。
ひとりで粗末な家を出て、隣接する牧場にある、鶏舎の扉を開ける。
その瞬間、空気すら切り裂くような恐ろしいスピードの乗ったキックが私の顔面に迫るが、軽くしゃがんでかわす。黒い羽が1枚、ひらひらと宙に舞った。
「ルシファー!おはよう、今日も元気ね」
私がルシファーと呼んでいる黒い羽に真っ赤なトサカの、悪魔的容貌の雄鶏は不機嫌そうに足で地面をかく。第二段のキックを鼻先すれすれでかわす。
その恐竜めいた足には鋭い爪が生えており、当たれば重傷は免れない。これがこの世界の鶏だ。
「さ、ご飯よー」
餌入れに私の特製配合飼料を注ぐ。私が幼い頃から研究を重ねている飼料だ。おとなしい雌鳥たちはコッコッコッと鳴きながら一生懸命食べ始める。雌鳥たちは現在20羽、雄鶏が1羽というハーレム構成だ。
雄鶏はとても危険なのだが、狐のようなモンスターから雌鳥たちを守ってくれる役割を担っている。攻撃は当たらなければどうということはない。突進してきたルシファーをホウキでいなす。
卵を回収して鶏舎の掃除を済ませ、畑で野菜を収穫する。どうしても体が子供なのであまり広くは畑を広げられない。
馬車が近づく音が聞こえた。私のこの人生の唯一の癒し、ジェイクが来たみたいだ。ジェイクは幼なじみで、私と同い年なのにこの村の収穫物を王都への出荷を立派にこなしてくれている。元はジェイクのお父さんと一緒だったけれど彼も疫病で亡くなったからだ。
「ユリィ~!おはよう!」
早朝から元気に挨拶してくれる声、その猫柳色の髪と栗色の瞳、全てがかわいらしい。
「ジェイクおはよう!いつもより顔赤くない?」
「か、風が冷たいから!」
「えー鼻も赤くなってるよ?」
「そんなことないよ!!」
ごしごし顔をこすったジェイクはもっと真っ赤になってしまう。
「じゃあこれが今日の出荷分で、こっちがジェイクとお母さんの分ね!野菜と果物も入ってるから」
私は大きい籠と小さい籠を渡した。
「いつもありがとう、ユリィのとこの卵と野菜すごくおいしいってお母さんも言ってるよ」
「ふふん、研究の成果かな」
「じゃあこれ、今日のパンだよ」
大きな籠に入ったパンは前世でいうLサイズのピザくらい。やや平たく表面に編み目や切れ込みで複雑な模様が入っている。ジェイクのお母さんが焼いたものど。ほとんど自給自足の厳しい生活なので、うちで採れた卵と少しの野菜、パンとの物々交換でなんとか回している。私は牧場作業で忙しくて発酵に時間がかかるパンを焼く時間がないから。
王都の市場への、収穫物の出荷はジェイクに村全体でお願いしていて、売上の一部を渡すこととなっている。
「ユリィ、あとこれ…お誕生日おめでとう」
突然差し出されたのはチューリップに似た赤い花だった。
「あ、ありがとう…どうしたのこれ?!」
「王都に行く途中の街道をちょっと離れたとこに咲いてた。ユリィの赤い瞳みたいできれいだったから」
「街道離れたの?!危ないよ!!」
私は嬉しい気持ちもあったけどジェイクまでに何かあったら、と思うとつい注意してしまう。
「言うと思ったよ。大丈夫だよ」
私より少しだけ背が低いジェイクは無邪気に微笑む。
「うん…でもありがとう」
「えへへ…」
生まれたばかりの頃から一緒に育ったけど、ジェイクは本当に天使だと思う。初見からかわいかった。
「ジェイク、そろそろ行かなくていいの?」
「あっ、そうだね!市場が開く前に行かなきゃ!」
「行ってらっしゃい、気をつけてね」
ジェイクは馬車に乗り込んだ。額の真ん中に角の生えた黒毛の馬はひとつ嘶くと走り出した。そのスピードはいわゆる馬車馬のレベルではない。サラブレッドのトップスピードくらいはありそうだ。
ちなみに卵は割れないように羽毛のクッションに包まれている。助走ののち、馬車は物理法則をふわりと飛び越えて空中を走り出した。王都までは1時間半くらいだ。
私は朝食兼昼食の食事作りのため家の玄関ドアに手をかけた。しかし、中から漂う異様な気配に動きを止めた。
「また……?」