第3話【発端】
かなり遅れてしまいまして、申し訳ございません。
……受験勉強が始まるので、これからも遅れることが多くなるでしょうが……。とりあえず、頑張ってみます。
4月20日。第1艦隊は昇日港を出港した。すでに第1機動艦隊はおらず、港内に残っているのは海上警備隊所属の小型警備艇ぐらいである。それらがしっかりと固定されているのも見える。
外洋に出た艦隊。その中の1隻、『大和』の艦橋で、幸人は青柳の隣に立っていた。二人の他には、数人の見張り員が双眼鏡片手に外を睨むようにして警戒している。一切の電子機器が使用できなくなるため、艦隊の隊列維持が難しくなる。的確な報告を出せるか、日頃の訓練の成果が問われる一日でもあるのだ。
「副長は、これを経験したことがあるのか?」
不意に青柳が話しかけてきた。新参者の自分を心配してくれているのだととり、幸人は小さく笑って見せた。
「それならばご心配なく。第5にいるときに経験済みです」
「そうか。君は元から旭日島配属だったな。何に乗っていたんだ?」
「『筑摩』です。いい艦でしたよ」
幸人の答えに青柳はほうという顔になった。
「『筑摩』か。あれは確か安定性が悪いそうだが」
「ええ。そのおかげで、新兵はほとんどが吐いたそうです。僕は何故か何ともなかったんですけどね」
二人のすぐ側では、何人かの見張り員が警戒を続けながらひそひそと声を交わしていた。
「『筑摩』ってあれだよな。居住性とかはいいけど、安定性に欠けるっていう……」
「ああ、確か、『笹舟で鳴門の渦潮に巻き込まれたみたい』とか『ミキサーに放り込まれてごちゃごちゃになったかのようだった』とか『あれに乗るぐらいなら日本最長のジェットコースターに一日中乗り続ける方がまし』とか言われてる艦だろ?」
「……聞こえてますよー。あと、そこまでひどい揺れはありませんでしたって。そもそも、『利根』級重巡は噂ほどじゃありませんよ」
幸人は話の発信源である人間を半目で睨んだ。彼らは首を竦めて業務に戻る。幸人が溜息をついた時、CICと防空指揮所から報告が上がってきた。
『CICより艦橋。対水上レーダーに障害発生。おそらく、例の磁気嵐かと』
『対空レーダーも同じくです。今、上空を飛んでいた航空機が退避しているのを確認中です』
「艦橋了解。対空レーダー、墜落と思われる反応消失があったら知らせてくれ」
『了解』
仮に今迫りくる第二種台風で墜落する航空機があるのなら、彼ら海軍には救助の義務が生じる。海が荒れ、生半可な船では救助活動ができないため、堅牢な軍艦にやらせればいいという意見が出たかららしい。とはいえ、いくら復元性に優れている軍艦があったとしても、限界というものはあるのだが。
「よし、副長。警戒態勢発令だ」
「は。―総員、警戒態勢。露天測距所、各甲板要員、応急要員は配置に就け。甲板要員は救助用の装具を準備。全員、救命胴衣を着用」
青柳に促され、幸人は命令を発する。程なく、艦橋の後ろにあるラッタルを駆け上がっていく足音が響いた。窓からは甲板に出ていた乗組員たちが艦内に入っていくのも見える。
「対EMP防御。以後、目視にて航行する」
その指示の後、艦橋の照明が落とされ、すぐに赤い非常灯に切り替わる。レーダー画面に目を凝らしていた兵も、双眼鏡片手に窓際に移動した。幸人が外を見ると、前方がどす黒く染まっていた。数十分後、第1艦隊は嵐に突入した。
「……相変わらず凄いですね〜」
「うむ。だが、この程度の揺れ、中国とやり合った時の回避運動に比べればどうということはないな」
「さすがは艦長。第二次日本海海戦を経験した人の言うことは違いますね」
「ははは。褒めても何も出せんぞ」
聞いただけでは穏やかに聞こえる幸人と青柳の会話だが、周囲はある意味地獄だった。艦橋には7人の見張り員がいるのだが、そのうち2人が顔を真っ青にし、3人がバケツにしがみついて戻している。何とか無事でいるのは古参の下士官だ。今現在は仕事がないレーダー員や通信員、彼らの後ろにいる艦隊司令部の参謀たちは、そんな二人に変なものを見るかのような視線をよこしていた。
「ふ、二人とも、何で酔わないんですか!?」
堪り兼ねた一人の航海士の叫びに揃って首を傾げる艦長副長コンビ。会って2週間だというのに、随分と息があっているように見える。
「ん?少なくとも引っ切り無しに面舵取舵と転舵する衝撃を飛行甲板上で受け続ければこの程度、何とも感じなくなるぞ?」
「僕はやっぱり『筑摩』に乗ってたからですね。あと体質かと」
笑って答える二人。艦橋内にいる全員が、理解しようとする努力をやめた瞬間である。それぞれの業務に没頭することで忘れることにしたようだ。『大和』は襲い来る波を割って進む。正面から来る波が、甲板を洗い流していくが、それでも、『大和』はビクともせず前進を続ける。今のところ被害報告は入っていない。尤も、駆逐艦クラスは被害なしとはいかないだろう。報告されていないだけで、浸水ぐらいはあるのかもしれない。その時、艦橋に全身波飛沫でずぶ濡れになった水兵が駆け込んできた。
「露天測距所より伝令です!指揮官、先任下士官他4名、負傷しました!」
「伝令?艦内電話は障害なく使えるはずだが?」
青柳が怪訝そうな表情で尋ねると、その水兵は寒さに震えながら報告する。
「電話線が切断していたようです。現在、応急班が対処しています」
それを聞いた青柳は、幸人をちらりと見やった。その視線の意味を受け取った彼は、艦橋から飛び出して行きながら叫ぶ。
「副長、露天測距所で目視索敵の指揮執ります!あとはお願いします!」
「了解だ。頼むぞ」
青柳の声を背に受けつつも、幸人は備品置き場に走った。途中、慣れない揺れで転倒したらしい兵を同僚が肩を貸して医務室へ連れて行く光景に出くわした。
(この分だと、医務室は今頃戦場だろうな)
そんなことを思いながらも、彼は備品置き場に辿り着いた。内務班の水兵が雨合羽や防水加工済みの電子双眼鏡を監視任務に就く将兵に配っている。
「姓名を!」
内務班の兵が声をかけてきた。いくらこんな混乱した状況でも、備品の管理をしっかりとしなければいけないのが彼らだ。
「副長兼防空科指揮官、御国幸人中佐です。露天測距所に上がります」
「副長!?どうしたんですか、こんなところで」
兵は驚きの声を上げる。まさか副長ともあろう人間がここにいるとは思わなかったのだろう。
「測距所で負傷者が出たらしくて。穴埋めに行くんです」
「なるほど。って、副長行かせるほど悪いんですか?」
「応急1個班が数十分で全員負傷して後送と言えば理解できます?」
「……ええ。どうぞ、雨具です。お気をつけて」
そう言って、兵は雨合羽と双眼鏡を差し出した。幸人は礼を言って受け取ると、露天測距所に向かって走った。その途中、目の前に大和が現れた。
「大和?どうしたんだ、こんな所に」
「御国中佐、露天測距所に行くんですか?」
不安げに聞いてくる大和。幸人は頷いた。
「うん。上は見てきた?どうなってる?」
「……ひどいです。ほとんどの人が揺れと風に吹き飛ばされて、医務室に運ばれてます」
大和は憂鬱そうに言う。実際に見てきた身としてはかなりきつい体験だっただろう。
「そりゃまずいな……早く行かないと」
そう呟いて駆け出そうとした幸人は、服を引っ張られた気がして後ろを振り向いた。大和が服の裾を掴んでじっと見つめてくる。
「大和?悪いんだけど、早く行かないといけないから」
大和は顔を赤らめ、もじもじとしている。かと思うと、勢いよく何かを突きつけてきた。
「うおっと……これ、御守り?」
それは紫色の御守りだった。書いてある文字は何故か『交通安全』。
「……あの、私の力で発現させたんです。お怪我しませんようにって。私には何も出来ませんので……」
幸人はしばらく沈黙していたが、ふっと笑って御守りを受け取り首にかけた。
「何か違う気もするけど……ありがとう。これがあれば無事に帰ってこれそうだよ」
そう言いながら大和の頭を撫でる。彼女は「あう……」という声を発したきり顔を熟れたトマトのように真っ赤にして黙りこんでしまった。その姿を幸人は微笑んで見たが、表情を引き締めると踵を返した。
「じゃ、ちょっと行ってくる!」
「っ!は、はい!お気をつけて!」
大和の声に振り向かずに片手を上げて答え、幸人は露天測距所に急いだ。
「あ、中佐!遅いです!」
「すみません!少し準備に手間取って」
幸人が露天測距所に繋がるラッタルの下に到着すると、既に着いていた応急班の兵士が叫んでいた。その傍では、別の班の兵が壁にあるパネルを開き、電話線の修復を行っている。
「復旧しました?」
幸人が尋ねると、その兵は額に汗をかきながら答えた。
「もうちょっとですね」
応急班の一人が携帯無線を差し出した。
「こいつで報告するしかありません。一応動作確認を」
幸人は彼から無線を受け取ると艦橋に繋いだ。
「こちら副長。これから上がります」
『艦橋了解。気をつけろ』
幸人は通信を切ると、現状報告を求めた。
「今、上がっている兵はいません。新たに上がるのは我々応急2個班です」
「分かりました。それじゃあ行きましょう」
幸人はラッタルを登るとハッチを押し開けた。その途端、大量の海水がなだれ込んできた。
「……っ!?」
その水圧に転げ落ちそうになるも、ギリギリで押し留まる。
「うわあ!?」
「な、何じゃこりゃあ!」
下からは応急班の悲鳴が聞こえてくる。
「副長!大丈夫ですか?」
「はい!問題なし!」
叫び返すと、幸人は露天測距所に立った。凄まじい暴風と雨粒が彼の顔を打つ。その勢いに吹き飛ばされそうになった。
「うわ。こりゃ負傷者が出るわけだ」
幸人は思わず呟く。少々、外を甘く見ていたようだ。そのうち、他の兵も上がってきて暴風雨に顔をしかめながら配置に就く。幸人は風にかき消されないぐらいの大声で指示を出す。
「全員、命綱装着!」
その場にいた水兵たちが腰から命綱を取り出し、手近の突起にその先端を結び付ける。幸人も同じ動作をしながら、双眼鏡を覗いた。露天測距所には大型の双眼鏡も据え付けられているのだが、大量の雨粒によってレンズが曇りまったく使い物にならない。幸人たちの持っている双眼鏡も同じくである。目視の方が見えやすいという笑えない事態となっている。
「艦内電話、復旧!」
見張りを始めてすぐ、下からの怒鳴り声が響いた。幸人はすぐに受話器をとる。
「電話復旧しました!」
『こちらでも確認した。たった今、我々は荒れが最も激しい位置にいるようだ。警戒を厳にしてくれ』
「了解!」
受話器に耳を押し当てないと聞こえないほどの嵐の中で、幸人は負けずに大声で返した。見張りに就いた兵からの報告が響く。
「左舷、駆逐艦『初春』近付きます!」
「後方、重巡『高雄』接近!距離、目測で50切った!」
その報告を幸人が逐次艦橋に送り、それを甲板の信号員に伝え、発光信号で僚艦に伝送する。直接見張り員が報告すれば手っ取り早いのだが、そうすると情報が錯綜する可能性もあるので、現場の士官が情報の優先順位を決めて報告するという手法が取られている。今働いている人間の中では、信号員が最も大変だろう。
「……あ!」
不意に見張り員の一人が声を上げた。
「どうしました?」
「今、十時方向に光が見えたような気が……」
「光?」
「たぶん、船だと思うんですけど……今は見当たりません」
幸人は近くにいた下士官に受話器を渡すと、自分の分の双眼鏡を覗いた。だが、真っ暗な中には何も見えない。
「何もありませんけど……一応報告しておきます」
彼は受話器を再び手にすると、それを報告した。青柳からは僚艦にも伝達しておくと言われたが、結局、一度もその光は見えなかった。
「この嵐で吹っ飛ばされるだけなのはただの水兵だ!吹っ飛んでも任務は忘れないのはよく訓練された水兵だ!ホント、第二種は地獄だぜ、フゥーハハハーハァー!」
あまりのひどさにハイになってしまったらしい兵の叫びにかぶりを振りつつ、幸人は任務を続行することにした。
―その第1艦隊から20kmほど離れた海域。そこで1隻の船が荒波に翻弄されていた。空が明るければ、その甲板に砲塔があり、軍艦だということが分かるだろう。その艦橋内には数人の男たちの影があった。
「……先ほどからの光は何だったか分かるか?」
豊かな髭を生やした一人が部下に問う。問われた乗組員は双眼鏡から目を外し、首を横に振った。
「ダメですね。発光信号らしいというのまでは分かるのですが、内容はちょっと……」
答えを聞き、男は深く溜息を吐いた。
「そうか。……レーダーは?」
「そっちもダメです。この嵐に入ってから電子機器関係は皆ダウンしやがりました」
それを聞き、再度嘆息する。この海域に突入してからずっとこんな調子だ。機械が故障しているわけではない。ならば原因は一つ。この嵐だ。そうなると、彼らにはどうしようもない。嵐が過ぎ去ってくれるのを待つだけだ。
「……どうですか?」
突然、気難しい表情で黙りこんでいた彼らの後ろから、透き通るような声がした。髭面の男が慌てて振り返ると、そこには腰まで伸ばした金髪をポニーテールにした少女が艦橋を覗きこんでいた。その瞳には不安の色が宿っていた。
「ご安心を、姫様。この程度の嵐で沈むほど、この船はヤワではありません。ここは危ないので、お部屋に戻っていただけないでしょうか」
男は素早く笑顔を取り繕いながら言った。
「……分かりました」
少女が姿を消した後、男は部下たちを怒鳴り付けた。
「野郎共!姫様は不安がっていらっしゃる!いいか!?この船を沈めるような真似しやがったら地獄に叩き落としてやるからな!」
『イエス・サー!』
部下たちの返事に不機嫌な顔で頷き、彼は前方に広がる漆黒の闇を睨み付けた。
一方、『姫様』と呼ばれた少女が自室に戻ると先客がいた。彼女と同じ金髪をショートカットにした幼い少女だった。
「姫様ぁ……怖いです……」
怯えた表情で縋りついてくる彼女に、少女は笑いかけた。
「大丈夫よ。皆頑張ってくれている。私たちは死なないわ」
本当は彼女自身も怯えていたのだが、目の前の少女をこれ以上不安がらせないようにそれを内心に押し隠した。まだ震えている少女を、彼女は抱きしめた。嵐はまだ収まりそうにない……。
嵐が過ぎ去った海は穏やかさを取り戻していた。柔らかい日差しが、外洋を進む第1艦隊にも降り注ぐ。だが、その恵みを受けるはずの乗組員の姿は甲板上にはどこにもない。ぽつりぽつりと人影が見えるが、それは当直の目視見張り要員だ。
その中の1隻、『大和』の司令塔内にある防空指揮所。その指揮官席に幸人は座っていた。彼の左右にはそれぞれ3人ずつの防空管制官が自分の手元にあるコンソールと向き合っている。青白い光に包まれた、CICに似た場所で、室内の誰もが緊張した顔で画面を凝視している。不意に、耳につけたイヤホンから声が流れてくる。CICからの報告だ。
『対水上レーダーに感あり。本艦隊三時方向、距離1000kmに、敵性艦艇補足。重巡2、軽巡1、駆逐艦4と認む。25ノットで航行中です』
『総員、対艦戦闘用意。面舵一杯、第二戦速』
『航海科了解。面舵一杯、第二戦速』
CIC要員と艦長の青柳、それと航海科のやり取りを聞きつつ、幸人は艦が舵を切る振動を僅かに感じた。尤も、さほど気になる揺れではない。『大和』級は、巨艦故に舵の効きは悪いが安定性は連合艦隊の戦闘艦艇随一を誇っている。やがて、回頭が終了し、第1艦隊は『敵艦隊』と正対するかたちになる。その時、管制官の一人が鋭い叫び声を上げた。
「対空レーダーに感あり!一時方向距離1200km、敵性航空機24、急速接近!」
それを聞き、幸人は素早く指示を出す。
「対空戦闘用意!艦対空誘導弾、艦隊防空圏に到達し次第発射!」
了解、と返答が重なり、慌ただしくなる防空指揮所。次に幸人は椅子の脇に据え付けられている受話器を取ると、砲雷科へ艦内電話を繋げる。
「防空より砲雷。通常型各砲の制御移譲願います」
『了解。制御移譲する』
幸人は受話器を置くと、入ってくる報告に耳を澄ませた。
「各砲の制御、確認」
「主砲、速射砲、対空レーダーと連動開始」
ここからは見えないが、前後に1基ずつ存在する三連装50口径42cm『主砲』、片舷に3基ずつの155mm単装速射砲がまだ見えぬ敵機にその砲口を指向しているはずだ。
幸人は自身の目の前にもあるコンソールに目を向けた。二つの画面といくつかの操作パネルによって構成されるそれのモニターは、片方は高速で接近する光点を、もう片方は『大和』の周囲のものと、ゆっくりと接近するものの光点を映し出していた。前者が対空レーダー、後者が対水上レーダーである。
何故防空指揮所にも対水上レーダーの画像が表示されるのかといえば、仮に艦長のいるCICが使用不能となった場合、速やかに艦の制御を引き継げるようにしているためである。逆に、先に防空指揮所がやられた場合でも、今度はCICがその任を引き継げるようにできている。
尤も、どちらが先に破壊されるかといえば、艦橋の真下にあり、装甲で覆われたCICより上にある防空指揮所の確率が高いわけだが。それはともかく、空陸のどちらもまっすぐに彼らを目指して来る。
「敵編隊、まもなく艦隊防空圏に到達。現在、距離300km。防空圏まで後50km……」
管制官が淡々とした声でカウントダウンを始める。防空圏に敵機が到達する直前、光点が分離した。
「……っ!敵、対艦ミサイル発射!数16!」
「敵機8、反転。残存16、尚も接近!」
報告が飛び交う中、幸人は即座に命令を発する。
「迎撃開始!ミサイルを最優先目標に!」
「了解!迎撃開始!」
その言葉と同時に、艦隊からも光点が分離し、ミサイルを示す光点へと向かう。息のつまるような数十秒が過ぎた後、いくつかの光点が消滅した。
「ミサイル残余4、艦隊防空圏を突破。個艦防空圏に入ります!」
「短SAM発射。各砲座、近接防空戦闘用意!」
やがて、さらに2つの光点が消えるが、残りは未だ健在だった。だが、すぐにそれも消える。どうやら、速射砲あたりに撃墜されたようだ。それには安堵せず、幸人は管制官に問いかける。
「敵機は?」
「数、進路ともに変わらず。すでに第二次迎撃を始めています」
平静に戻っていた管制官の声が、再び緊張の色をはらむ。
「撃墜3!残存機、個艦防空圏に侵入!」
さらに迎撃が続けられるが、ミサイルと違い複雑な回避運動や対抗手段を有する航空機を全て撃墜することはできない。半数ほどに減った光点から、さらに光点が分離した。
「敵機、ミサイル発射!目標は……味方駆逐艦!」
「しまった!」
幸人は思わず叫ぶ。大物狙いでくると思っていたのだが、敵は直前で目標を変更したようだ。近接防空をも掻い潜ってきたいくつかの光点が重なり、次の瞬間、僚艦の光点が点滅した。
『駆逐艦『陽炎』大破!重巡『高雄』、駆逐艦『朝潮』『霞』中破!』
CICからの悲鳴混じりの声が聞こえる。この時、艦隊は『大和』『武蔵』『高雄』を中心に置き8隻の駆逐艦で周りを囲んだ輪形陣をつくっていた。その外縁部の数隻がやられたようだ。間髪入れず、管制官からの報告が上がる。
「敵艦隊、ミサイル発射」
「迎撃!1発も抜かせるな!」
『対艦誘導弾、撃ち方始め!』
幸人と能代の声が重なり、多数の光点が両艦隊の間に生まれる。第二幕が始まろうとしていた。
『――演習終了。各員、警戒態勢に移行――』
イヤホンから流れるアナウンスに、幸人は肩の力を抜いてシートにもたれかかった。数人の管制官も同じ行動をとり、防空指揮所内の空気も緩む。
「上空を、804、805、816航空隊が通過します」
報告する管制官の口調にも、先ほどにはなかった穏やかなものが混じっている。第二種台風が過ぎ去った後も、電子機器のチェックなどで昇日港を始めとする旭日島内の各軍港はしばらく使えないため、退避した艦隊同士による演習がいくつかの海域で行われていた。このために各方面の(主に旭日島方面の管轄のものだが)基地航空隊も巻き込んでいる。第1艦隊の場合、第5艦隊に数個航空隊をつけた混成部隊との演習であった。ちなみに、この演習は旭日島のレーダー復旧までの哨戒も兼ねている。レーダーが正常に作動している艦艇ならば演習中に不測の事態に遭遇しても対処できるからだ。
「御国中佐、お疲れ様です」
シートに深く沈みこんだ幸人の背後に、いつの間にか大和が現れていた。
「ああ、大和か。疲れたよ」
ぐったりとしたままの彼に、大和はにこにこと微笑みながら給水用のボトルを渡した。
「はい、どうぞ。食堂から失敬してきましたから本物ですよ」
「……今、良からぬ一言を聞いた気がするけど、聞かなかったことにしておく」
そう言いながらボトルを受け取り中身を飲む幸人に、驚いたような声がかけられた。
「ふ、副長。ボトルが浮いてましたよね、今!」
幸人が声がした方を見れば、左斜め前方に座っていた古賀少尉が驚愕の表情を貼り付けてこちらを指さしていた。何に驚いているんだ、と一瞬思った幸人だったが、周囲の人間が同じ表情で彼の左手にあるボトルを見つめているのに気づき、思い直した。彼らには艦魂が見えず、見えるのが当たり前な自分の方がおかしいのだと。
「ああ、これはこの艦の艦魂が持ってきてくれたんだ」
「艦魂?何です、それ?」
「簡単に言っちゃうと、1隻の軍艦に一人ずつ宿っている守り神、みたいなものかな?皆女性なんだけど」
首を傾げる古賀に、こんな話信じるわけないよなと思いながら簡単に説明する幸人。古賀はふむふむと聞いていたが、何かに思い至ったらしく、急に固まった。
「どうした、古賀少尉……?」
「副長……今、艦魂っていうのは皆女の子だって言いましたよね……?」
「う、うん。正確には女性だけど……」
不気味なオーラを発生する古賀に、幸人は言い表せない嫌な予感を感じた。
「つまり……副長は艦魂とのハーレムを作れるというわけですね!」
「…………………………はい?」
どこをどう考えたらそうなる!?と内心で叫びつつ、周りも同じ心境だろうと見回す。だが、彼の目に映ったのは、古賀の一言をまともに受けた管制官たちだった。
「そうか……」「その発想はなかった……」「君、頭いいね……」「畜生、羨ましい……」口々に言う自分の部下に幸人は呆然となった。この分では、彼らは今が警戒態勢のままであるということも忘れているのかもしれない。
「ダメだこいつら。早く何とかしないと……」
緊張感がまったく感じられない彼らから目を逸らし、大和を見る。彼女ならきっとまともでいてくれるに違いない。そんな幸人の淡い願望は、大和の挙動を見た瞬間に見事に打ち砕かれた。彼女は顔を真っ赤にし、ちらちらと幸人の方を見ている。
「え、えっと……その……ちゅ、中佐がよろしければ……わ、私の方は覚悟ができておりますので……はう」
「…………お前もか」
幸人は深く嘆息した。この場でまともな思考を持っているのは自分一人だということを認識したらしい。どうしようかと途方に暮れていた時、艦内放送がスピーカーから入った。
『警戒態勢解除。各員は通常の業務に戻ってください。繰り返します―』
渡りに船とばかりに幸人は立ち上がった。
「僕、これから艦橋で当直なんで行ってきます!」
そう言うと、返事も聞かずに防空指揮所を飛び出した。……断じて逃げたわけではない。
「……ということがあったんですよ」
「なるほど。それは災難だったな」
当直任務中、幸人は共に当直としている艦隊司令部の参謀と会話をしていた。あまりに緊張感がなさすぎると言われるであろうが、彼らからすればずっと張り詰めている方が危ないと言うだろう。実際、ほとんどの艦艇ではこんな光景が見られる。だからといって気を抜きすぎているわけでもないが。
「そういえば、君は聞いているかね?」
「何をです?」
「この航海が終わったら、『大和』級は順次改装に入るそうだ」
「……初耳です。具体的にはどんな改装が施されるのでしょう?」
幸人は静かに答えた。そして、自分の乗る艦がどのようになるのかにも興味が湧いた。
「ふむ。確か、予算が足りず建造当時は搭載できなかった対空兵装や、指揮システムの最新型の搭載が主だったと思うが」
「ああ、『大和』級って計画段階で建造すると1隻分予算が足りないからっていろいろと削ったんでしたっけ」
幸人は『大和』に乗る前に見ておいた資料の内容を思い出しながら言った。そういえば、そんなことが書いてあったような気がする。
「でも、何でこの時期に?」
「それなんだが……そろそろ、連合艦隊の艦が遠洋調査に駆り出されることになったらしい」
「つまり、その調査隊の護衛を『大和』がするってことですよね?」
「そうだ。この艦は存在するだけで圧倒的な威圧感を発することができるからな。調査隊の方も安心して仕事に専念できるということだ」
その答えに、幸人は肩を落とした。
「……それってぶっちゃけて言えば、もし他の国と接触したら、最悪砲艦外交になるかもしれないということですよね?」
「そうだが……何か不満かね?」
「うーん、何て言えばいいのか……不満というよりも気分が悪いっていう感じですね。相手に砲口突きつけて交渉とか、想像しただけでも後味悪い外交になりそうなんで」
「それはおそらく最後の手段になるだろう。少なくとも、君の所の艦長が最初からそんな行動に出ることはないと思うがな」
「そうですよね……」
そんな会話をしていると、通信員が声を上げた。
「副長、先程離脱した805空より緊急電です。『我、不審船発見。貴艦隊に接近中。規模は駆逐艦クラス、数1。警戒されたし』です」
「……不審船?」
幸人は通信の中にあった単語を聞き咎めた。報告をよこした通信兵は首を縦に振って肯定の意を示した。
「はい。805空の現在位置は本艦隊の針路上です。どうします?」
幸人は一瞬、隣の参謀に視線を走らせた。それを受けた彼は、低くよく通る声で命令を発した。
「副長、各艦に警戒態勢発令だ。針路はそのまま」
「了解。総員、警戒態勢発令。針路そのまま。艦隊司令と艦長を呼び出してください。レーダーは?」
問われた兵は焦りを露わにしながら答えた。
「ほ、捕捉してますが……十二時方向、距離140km。20ノットの速度で接近中です!」
「140kmだと!?何故その距離になるまで気づかなかった!」
参謀が声を荒げて問いただす。最新型のイージスシステムを搭載する『大和』級は、600〜700km先の物体を捕捉・追尾できる性能を持つ。140kmというのは、対艦ミサイルが存在する現代では危険な距離だ。レーダー員は怯えながら答えた。
「も、申し訳ありません。磁気嵐の影響でまだ完全ではなかったようでして……」
この二人は放っておき、幸人は新たな命令を発した。
「戦闘態勢発令。各科員は速やかに配置に就くように。急がせて!」
「はっ!」
「805空に通信!詳細知らせ!」
「りょ、了解」
蜂の巣をつついたような騒ぎになる艦橋で、彼は表面上は平静を保ちながらも内心では焦りを感じていた。仮に相手が日本の戦闘艦艇レベルの性能を持っていたとしたら、この遅れは致命的なものとなる。
「外洋云々と言ったらこれかよ。僕、何か悪いことしたかなあ……」
幸人がそうぼやいた時、光が発生し、大和が現れた。こちらも焦りを表情に浮かべている。
「み、御国中佐!不審船が……!」
「落ち着け大和。お前は第1艦隊の旗艦だろうが。上がそんなんじゃ、兵はますます不安がるぞ?」
大和をなんとかしてなだめようとしていると、艦隊司令の植村弘夫中将と青柳が入ってきた。さすがにこちらは落ち着いている。
「状況は?」
静かな声で尋ねる青柳に、幸人は体の向きを変え答えた。
「は。先ほど、離脱した805空からの駆逐艦らしき不審船ありの通信を受けました。現在、目標は前方140kmの位置におります」
「その目標からの攻撃等は?」
今度は植村だ。
「それは確認されておりません。艦長、ここはお願いできますか?自分は万が一に備え防空指揮所に降りようと思うのですが」
「分かった。行っていいぞ」
幸人は敬礼をすると身を翻し防空指揮所へと駆け降りた。その後を、大和がついてくる。
「で、何でお前まで付いてくるの?艦長の所にいればいいのに」
「中佐の傍が一番安心できるからです!」
「あっそ。ま、別にいいけど」
「な、何ですか、その淡白な反応は!嬉しくないんですか!?」
「……何で喜ぶ必要があるんだ?」
そんな言い合いをしながら幸人は防空指揮所の自分の席に飛び込み、レーダー画面を睨んだ。そこには、先ほどと変わらず進んでくる光点がぽつんと浮かんでいた。
「所属不明の軍艦だと!?何故気付かなかった!?」
「は、レーダーがさっきの嵐で破損してまして。目視に頼っていたために遅れました」
第1艦隊に接近中の艦の艦橋では、こんな会話が交わされていた。
「くそっ!追手ではないのだな!?」
「ええ。私が知る限り、あのような巨大な艦は初めて見ます。秘密裏に建造されていたとするなら話は別でしょうが、もし追手であれば、既に本艦は砲撃に晒されていると愚考いたします」
艦長が苛立った声で問いかけるのを、副官は冷静に応じた。それを聞き、艦長はひとまず安堵する。だが、危険が去ったとは考えられなかった。彼には、何としてでもこの艦に乗っている一人の少女を安全な場所まで送り届けるという義務があった。
「よし、総員戦闘配備。艦回頭180°。機関室、速力上げられるか?」
『28ノットまでなら何とか。もっと出すこともできますが、暴発の恐れがありますので安全に行くならそれが精一杯ですな』
「それでいい。とにかく、一刻も早く逃げるんだ」
その指示を出した直後、通信兵の鋭い声が上がった。
「艦長!接近中の大型艦から全周波通信です。『我、大日本帝国海軍、連合艦隊麾下第1艦隊。貴艦の艦名、所属を知らされたい』だそうです」
「大日本帝国?連合艦隊?何だそれは」
「さあ。私も聞いたことのない国名と艦隊名ですな」
艦長と副官はお互いに首を捻る。だが、正体の分からない相手にそれらを教えることはできない。
「無視しろ。回頭、終わったか?」
「終わりました。現在、本艦の出し得る最大速力で退避中であります」
「よし……」
艦長が何か言いかけた時、再び通信兵が叫んだ。
「大型艦より再度入電!『貴艦は我が国の領海を侵犯している。直ちに停船し、こちらの臨検を受けられたし。さもなくば、こちらは武力を持って対処する用意がある』……どうします?」
「無視だ」
「艦長、それはまずいのでは?」
「だが、もし彼らが追手だったらどうする?姫様を危険に晒すわけにはいかん」
「ですが……」
副官が尚も食い下がろうとした時、見張り員の絶叫が上がった。
「大型艦より閃光!」
「何!?」
艦長が驚く暇もなく、彼らの正面に幾つもの水柱が発生した。
『初弾弾着確認。狙い通りです』
砲雷長の能代からの報告に、青柳は満足そうに頷いた。砲弾を撃ち込んだのは『大和』『武蔵』の前部42cm主砲計6門だった。目標との距離はすでに30kmを切っていた。
「それにしてもこの距離になるまで気づかないとはな……」
「あちらは索敵系に何か異常でもあったのではないでしょうか?そして目視にも慣れていなかったとか」
植村の呟きに、青柳は相槌を打つ。彼らは艦橋に残って指揮を執っていた。今の段階になっても動きに変化がないので長距離攻撃用の兵装を持たないと判断されたためだ。直接相手を見ることのできる艦橋の方が指揮を執りやすいという彼らの個人的な理由もあるのだが。
「不明艦、尚も逃走中」
「『高雄』より入電。『本艦及び第11駆逐隊、これより接近を開始する』」
『大和』の脇を『高雄』とそれに率いられた4隻の駆逐艦が通り過ぎる。第1艦隊は、『大和』『武蔵』の第1戦隊と、『高雄』と駆逐艦8隻からなる第1水雷戦隊で構成されている。水雷戦隊は、さらに4隻の駆逐艦による第11駆逐隊と第12駆逐隊に分けられる。
「CIC、不明艦に変化は?」
『依然針路、速度変わらず……いえ、速度上がりました。現在26ノット』
「ふむ……単独で動く駆逐艦にしては足が遅いな」
「ええ。艦隊運動を考えなくていい以上、30ノットは出してもいいはずですが。しかし、これなら追いつくのは容易でしょう」
青柳はそう言いながら遠ざかろうとする船を見つめた。彼がそう言うのは、こちらの駆逐艦の最大速力が50ノット近いためである。艦隊行動を取る際は最も足の遅い戦艦に合わせているが、一度分離すると本来の足の速さを発揮できるのだ。実際、今の第11駆逐隊は40ノットで追跡中だ。
「主砲、第二射用意。照準は第一射と同じく」
『了解。……方位、仰角、修正良し。撃てます』
青柳は更に威嚇射撃を続行しようと砲雷科に命令を下す。砲術室からの報告を受け、彼は後ろの植村に振り向いた。
「よろしい。存分にやりたまえ」
植村は頷き、そう言った。青柳も頷き返すと張りのある声で号令を発した。
「主砲、撃ち方始め」
『主砲、撃ぇっ!』
再び『大和』『武蔵』が咆哮する。放たれた砲弾は、狙いを逸らさず不明艦の艦首方向で炸裂する。彼らが『限定的専守防衛』の方針に則って警告後に撃沈という行為に走らなかったのは相手が国籍不明だからだ。『前の世界』では撃沈後に国籍を調べる手立てはいくらでもあったが、どんな国が存在しているのかまだ完全には分かっていない『この世界』ではおいそれと撃沈できるものではないのだ。尤も、過去にその方針によって沈めたのは、主に漁船に化けた工作船や海賊の船ぐらいなものだったのだが。
「不明艦、まだ停船しません」
「第11駆逐隊、目標まで後10km」
これでも止まらない相手に、青柳は内心で尊敬の意を抱いた。42cm砲の至近弾を受けても速力も変わらずに逃げ続けるのは並大抵の胆力ではない。普通の海賊程度なら、これを恐れて投降してくるものなのだが。あるいは―――捕まるわけにはいかない理由があるのか。
「『高雄』より哨戒ヘリが発艦しました」
通信兵のその一言に、青柳は唖然とした。そんな命令は出されていない。何より、どんな武装を備えているか分からない相手に、低速のヘリを出すなど迂闊ともいえる。突然、押し殺した笑い声が聞こえた。彼が振り向くと、植村が腹を押さえながら可笑しそうに笑っていた。
「さすがは村井少将だ。独断行動には定評がある」
彼は1水戦の戦隊司令の名を呟いた。青柳は目線でいいのですか?と問いかける。それを受けた植村はまだ笑いの余韻を残しながら説明した。
「そうか、君は彼の性格を知らなかったな。彼は元々即断即決を信条としていてな、演習中でも時々独断専行を繰り返すのだよ。最近はそれも鳴りを潜めていたのだがな」
「お知り合いですか?」
青柳は最初期からの『大和』乗組員であったが、植村や村井少将は途中から人事異動で入ってきた人物であるので、前者はともかく、後者はあまりよく知らなかった。
「ああ。彼が今ここにいたらこう言うだろう。『ヘリで詳細を観測するんだ。攻撃してきたら反撃もできるように武装させて』とな。まあ、さすがに発砲までは独断で決めんだろう」
「はあ。ということはあれらはすでに武装していると?」
「そうだろう。とにかく、不明艦の動向次第だな」
そう言うと、植村は小さな点となった不明艦をじっと見つめた。青柳も顔を戻すと、『高雄』艦載のヘリから通信が入った。
『こちら『高雄』1番機。これより目標に接近する』
『『高雄』了解。注意しろよ』
ヘリと『高雄』の交信を聞き、青柳は自分の手が汗ばんでいるのを感じていた。
『こちら1番、目標の観測開始。艦首に2基、艦尾に1基小口径の連装砲があります。対空火器は……何だありゃ。昔ながらの手動か?』
『1番、他に武装は?」
『特になし……ん?乗組員らしい人影が艦内から出てきたようですが……』
訝しげなヘリパイロットの報告に、青柳は嫌な予感を覚えた。そして、それは現実となる。
『まずい!全機、散開!退避しろ!』
『どうした1番機!』
『高雄』の通信兵の叫びが聞こえたが、それに応答するのは、パイロットの声ではなく――銃弾が掠め去る音。
『……っ!こちら1番機!不明艦からの銃撃を受けた!一時離脱する!』
『こ、こちら3番機!被弾しました!機体の安定が……っ!』
交わされる通信の内容に、艦橋内の温度が下がっていくような感覚を、青柳は感じた。さらに、不明艦から閃光が迸り、第11駆逐隊の周囲に小さな水柱が立つ。
「なっ……何てことをしたんだ、あいつら!」
参謀の一人が毒づく。それはヘリのパイロット達に向けられたものではなく、不明艦に向けられたものだった。理由は簡単。撃たれてしまった以上、今まで威嚇程度で済んできたのに、当てる必要が出てきたからだ。撃たれても威嚇のままでは国民からの批判が殺到するであろうし、何よりも、当事者の彼らが我慢できない。
「1艦隊司令部より全艦。現時点を持って、不明艦を敵艦と識別する。全兵装自由使用許可。1水戦司令部へ。どんな手を使ってもあいつを停めろ。生存者がいればいい」
植村の冷たい声が響く。全兵装自由使用許可。それはその命令を発した指揮官の配下にある全ての兵装の使用制限が取り払われることを意味している。すぐに、『了解』と1水戦司令の村井繁信少将からの返答があった。
「全対艦装備用意。目標敵艦」
青柳の口からも命令が発される。他の艦でも同じ光景が見られるだろう。
「第11駆逐隊の各駆逐艦より哨戒ヘリが発艦しました。『高雄』からの通信では、全機が03式を装備しているとのことです」
「被弾した機は?」
植村の問いに、通信兵は少しの間交信した後、彼を振り向いて告げた。
「機体は損失しましたが、パイロットは無事に収容したそうです。重傷ですが、命には別条はないと」
「そうか、よかった」
それを聞き、僅かに安堵した表情を見せた植村だったが、すぐに顔を引き締めると、敵艦に接近するヘリ部隊を見詰めた。
各駆逐艦から1機ずつ、計4機の哨戒ヘリは撃ち上げられる弾幕を巧みにかわしつつ射点に着くと、機体下部に1発吊り下げた03式対舟艇誘導弾を放った。放たれた誘導弾のうち、3発は砲塔に向かい、残りの1発は、ボイラーがあると思われる箇所に向かった。
そして爆発。対舟艇用、とは呼称されていても、対戦車ミサイルとしても優秀な03式の直撃を受けては、駆逐艦程度の装甲ではどうにもならない。砲塔はことごとく吹き飛び、煙突に直撃した1発は誘爆を引き起こした。
「敵艦に直撃弾確認!目標、速力低下、いえ、停止します!」
見張り員の報告に植村は「よし」と頷いた。足を停められ、主武装を失った軍艦に残された道は、自沈か、降伏しかない。
「司令、『高雄』の村井少将が、陸戦隊の投入許可を求めていますが」
通信員が植村の顔色を窺うように尋ねた。彼はしばし目を閉じて黙考した後、口を開いた。
「許可する。但し、抵抗された場合限定で発砲を許可するとも伝えてくれ」
「了解しました」
通信員が伝達しているのを横目で確認した後、青柳は敵艦をじっと見つめた。このまま何事もなく事が済めばいいとは思うが、穏便に済むだろうかという不安もある。
やがて、『高雄』と4隻の駆逐艦からヘリが発艦した。それらは敵艦上空で滞空すると、ロープを降ろし陸戦隊が次々と滑り降りていく。その間、第1戦隊と第12駆逐隊の艦は敵艦に接近しその砲口を全て相手に向けた。不用意に接近すると反撃を食らう可能性もあったが、陸戦隊が突入している以上、下手な動きはできないはずだ。しばらくして、通信員が怪訝そうな面持ちで陸戦隊と会話を始めた。
「……ええっ?それ、本当ですか?」
「どうした?」
何か不測の事態でも起こったのかと青柳は身構えた。通信員は困惑した表情で報告した。
「それが……敵艦に乗っていた指導者らしき人物が会談を開くことを求めていると……」
「何……?」
青柳は再度植村の指示を待つように見た。彼は思案に耽るような仕草をしていたが、すぐに指示を出し始めた。
「受け入れよう。すぐにその人物をお連れするように伝えてくれ。艦長、『大和』をあの艦に接舷させられるか?」
それを聞き、青柳は操舵室に電話を繋いだ。
「航海長、あの駆逐艦に接舷できるか?」
『ええ!?あれにですか……確実にできる保証はありませんよ?』
それはそうだろう。片や排水量十数万トンの巨大戦艦。対するはざっと見て二千トン程度の小型艦。少しでも操艦を誤り接触などしようものなら、こちらには何の損害もないだろうが相手は即時沈没である。
「君の腕ならできるだろう。済まんが、やってくれんか?」
受話器の向こうで、内海が溜息をつく気配が感じられる。
『せめて命令で言ってくれれば楽なのに……分かりました。『大和』航海長のプライドにかけて、必ず成功させてご覧に入れましょう』
「ああ、頼む」
青柳が電話を切るとほぼ同時に、『大和』がゆっくりと動き始めた。そして、そろそろと近づいていく。艦橋にいた誰もがその光景を息を飲んで見つめる。やがて、スピーカーから内海の安堵する声が流れた。
『航海科より艦橋。成功させました』
「良くやってくれた、航海長」
青柳は内海を労う。すでに甲板に待機していた水兵たちが一斉に動き出し、相手が離れないように固定し、人が渡って来れるよう倉庫にあった鉄板を橋渡ししていた。
「先方からの追加連絡は入っているか?」
「えっと……今入りました。先方は随員含めて2名。武器は携帯せずに来るそうです。それと、負傷者がいるので治療の用意も出来ればしてほしいと」
それを聞き、植村は立ち上がった。
「よし。それならこちらも誠意を見せるとしよう。艦長、済まないが少し付き合ってくれ。参謀の諸君はここで留守番を頼む。警備兵は要らんぞ」
「なっ!?」
「し、司令!相手がどんな人物なのかも分からないのにそんな迂闊な行動をとるのは危険です!どうかお考え直しください!」
植村の言葉に、周囲の参謀から驚きと諌める声が上がる。彼らの反応は至極真っ当なものだ。いきなりこちらのヘリに発砲してくるような相手に丸腰で向かうとは危険すぎる。だが、当の本人は笑って首を振った。
「それはあちらだって同じだろう。それを承知でこの艦に入ってくるような人物だ。一度は腹を割って話してみたいとは思わんかね?」
「で、ですが……」
言いよどむ参謀の言葉を遮り、植村は青柳の方を向いた。
「それよりも艦長。負傷者の件なのだが……」
最後まで言わせず、青柳はある部署に艦内電話を繋いだ。
「医務室。これから敵艦の負傷兵がそちらに担ぎ込まれることになるが、準備は出来るか?」
『……やれと言われればやりますが……いいんですか?』
「大丈夫だ。司令からの許可はもうもらってある」
『分かりました。甲板員への連絡はこちらでしておきます』
青柳は受話器を置き、植村に笑いかける。
「これでよろしかったでしょうか?」
「ああ。では、しばし付き合ってもらおう」
「了解です。……ああ、副長に艦橋へ上がるよう言っておいてくれないか?」
「は、はあ……」
出て行く前に近くにいた水兵にそう言い残し、二人は艦橋を出て行った。あとに残されたのは、呆然とそれを見送る参謀陣と乗組員たちであった。
「……なんだかな〜」
いきなり呼び出された幸人は一人溜息をつく。「すぐに来てくれ」と泣きそうな声で呼ばれ、艦橋で何かあったのかと慌てて上がってみればただ指揮する人間がいなくなったというだけ。それも艦長と艦隊司令が揃っていなくなるという事態である。混乱する暇もなく、相手方の負傷者の受け入れやら何やらをやって、今それらが一段落したばかりである。
「……暇になった」
彼は誰にも聞こえないように呟いた。さっきまでは忙しかったのだが、それらが終わってしまうと彼にはやることがなくなる。時折指示を求められるが、その頻度はとても少ない。
「……このままいなくなっても、誰も気づかないよな、たぶん……」
後ろにいる参謀たちは今更しても意味のない議論を交わしているし、周りの水兵は己の仕事に全力を傾けている。が、彼らは自分の力で解決しているようだ。大和と暇つぶしに話そうかと思っても、彼女は艦橋に上がる直前、どこかへ行ってしまっている。しばらく何も言わずに突っ立っていたが、余程忙しいのか誰もが幸人のことを空気のように気にしなくなっている。本当にいなくなってやろうか、と真剣に考え始めた時、彼の目の前に光が生まれた。それはたちまち人の形を形作る。
「御国中佐、ただいま戻りました」
それは大和だった。幸人は視線だけ動かし小声で答える。
「おかえり大和。こういう答え方で悪いな」
艦魂と話していると常人には虚空に向かって独り言を呟いているようにしか見えないだろう。それ自体は構わないが、それが原因で自身が変人奇人と噂されるのは気になる。それを分かっているのか、大和は笑みを見せた。
「分かってますよ、中佐。私は気にしてません」
「そっか、ありがとう。……で、後ろにいるのはどこの艦魂だ?」
幸人は視線を大和の背中に隠れるように佇んでいる金髪碧眼の少女に向けた。彼女は彼の視線を受け、ひっという声を上げて大和の後ろに隠れてしまう。
「大丈夫ですよ。中佐はこんな目つきですが、いい人です」
「……日頃からこういう目つきしてるみたいな言い方しないでくれるかな?」
「さあ、何のことでしょう?」
とぼける大和を一睨みし、幸人は僅かに首を動かし目を合わせようとした。尤も、周りに不審に思われない程度に収めようとした結果、あまり意味のない行動になってしまったが。
「『大和』副長の御国です。君の名は?」
できるだけ優しく言ってやったつもりだったが、第一印象が悪かったせいか、少女はさらに怯えてしまったようだった。幸人が大和に視線を移すと、彼女は仕方ないとでも言いたげな表情を作り説明し始めた。
「彼女は駆逐艦『ヒューズ』というそうです。『リスティア』っていう国の所属だそうですが……」
「どこだ、それ?そんな名前の国、聞いたことないけど……」
「さあ、私にもさっぱり……東の方にある国だということしか彼女にも説明できないらしくて。というか、日本の存在も知らないんですからお互い様じゃないですか?」
「そうかもな。で、これが『転移』後に接触する二つ目の国になる訳か……出会い方が最悪だな、おい」
そんな会話をしていると、『ヒューズ』の艦魂がおずおずと会話に割り込んできた。
「あ、あの……」
「ん?どうかしたか?」
幸人が尋ねると、彼女は首を竦め、しかし瞳は逸らさずに問いかけてきた。
「わ、私はこの後どうなるのでしょうか……?」
その問いに、幸人は艦橋の窓から見える艦体を見て考え込む表情になる。
「あれぐらいの損傷だと……普通は自沈処分だよなあ……」
「そ、そんな!酷すぎます!」
大和が思わず抗議の声を上げる。ヒューズも何も言わないが顔が青ざめていくのが分かる。それに対し、幸人はあくまでも冷静に言葉を続けた。
「お前にも分かってるだろう?大破した上に足を止められた艦を移動させるより、この場で沈めちまった方が手間がかからない」
それに、と彼は一旦言葉を区切り、
「今の僕たちにとって……彼女は『敵艦』なんだ」
その一言に、大和ははっとなる。言葉を継げなくなった彼女を見据え、幸人は続ける。
「先に手を出された上に仲間を傷つけられて……全員が許せるってわけじゃないだろう?特に『高雄』の飛行科なんてその念が一番強いんだろうし。そもそも、うちの艦長とか艦隊司令が穏便に事を運ぶ人だったから今の状況があるんだし、普通の人間だったら対艦ミサイル1発で終わらせちゃってると思うよ?何があるか分かんない状況で警告なんて悠長な手段採るわけないし」
そこまで言い終わり、幸人は大和が項垂れているのに気づいた。
「でもまあ……」
彼は頭を掻きながら言う。
「うちの艦長が君を沈めろって命令する場面が想像できないけどね。たぶん……」
そこまで言いかけた時、艦橋のドアが開いた。その場にいた皆の視線が入ってきた青柳と植村に集中する。
「方針は決まった」
植村の一言一言に注目が集まる。彼は咳払いをひとつすると話し始めた。
「我々はひとまず彼らを拘束し、旭日島まで連行する。尚、敵艦は『大和』が曳航することになる」
驚きのざわめきが一瞬だけ艦橋内を満たす。それを割って、植村の話は続く。
「また、この一件については緘口令が敷かれると思うが、その辺は了承しておいてくれ。では、帰還の用意を始めてくれ」
それを聞きながら、幸人は二人の少女に笑みを見せる。
「……ね?やっぱりこうなった」
「……中佐は、こうなるのを予想してらしたんですか?」
大和の問いに、幸人は笑ったまま頷いた。
「まあね。っていうか、僕より艦長と付き合いが長いお前なら、予想はできると思ったんだけどなあ」
「艦隊司令もいらっしゃったので、どうなるか分からなかったんです」
「ああ、そういうことか。何はともあれ、君は今のところ沈められることは無くなったわけだ。よかったな」
幸人はヒューズに笑いかけた。彼女はほっとした表情になる。
「……副長!」
「はい、何ですか?」
幸人は青柳に呼ばれ振り返る。
「済まんが、甲板に行って曳航作業の様子を見てきてくれないか?」
「分かりました……けど、専門の人に任せた方がいいんじゃないですか?」
「それもそうなんだが、ほら、万が一のこともあるだろうし……」
なるほど、と幸人は頷いて見せた。いきなり攻撃されたことを根に持って、曳航用のロープに細工する人間が出ないとは言い切れない。だから自分を監視役としておいておくということなのだろう、と彼は解釈した。
「了解しました。それじゃあ、ちょっと行ってきますね!」
最後にもう一度大和とヒューズを見て、幸人は甲板へと走った。
それから数日後。第1艦隊は横須賀に停泊していた。『大和』『武蔵』の改装のためである。旭日島はどちらかといえば前線基地の役割を持っていて、『大和』級のような超大型艦用のドックがなかったのである。それに対し、横須賀には『大和』や『薩摩』(『大和』級3番艦)が建造されたドックがあるため、改装作業ができるのであった。ちなみに、第1艦隊の他の艦もここでオーバーホールを受けることとなっていた。
「……それで、いつになったら待機状態は解除されるんだろうな?」
「……私に分かるわけないじゃないですか」
昼食時のピークが過ぎ去って少しした頃、幸人と大和は食堂の隅にあるテーブルに座っていた。彼らの反対側にはヒューズ、そしてその両側に駆逐艦『陽炎』級1番艦『陽炎』と同じく16番艦『朝霜』の艦魂が座っている。3人とも楽しそうに会話しているようだ。
「駆逐艦の艦魂同士、気が合うんかね?」
「そうじゃないですか?駆逐艦の子が護衛艦隊の護衛艦の子たちと話すところをよく見ますし」
「で、いつになったら……」
「中佐、それ今日で何回目ですか?」
大和の呆れた視線を受けても幸人は動じない。
「だってさ、横須賀に着いてからもう3日だぞ?なのに誰にも上陸許可は下りないし、改装のために来たのにドックに入る気配すらないし。一体何があったんだって話だよ」
幸人の言う通り、第1艦隊の全乗組員は半ば軟禁状態に置かれていた。その上、『大和』と『武蔵』だけが横須賀港の隅に停泊していた。尤も、これの意味は分かる。『ヒューズ』の存在を一般市民に知られないよう、『大和』『武蔵』の2隻を目隠し代わりにしようというのだろう。この巨艦に挟まれていれば、小型艦の存在はまず分からない。外部からの訪問者の存在を簡単に知られてはならないということなのかもしれない。
「お気持ちは分かりますけど……もう少ししたら外に出れますよ。この状態がずっと続くというわけでもないでしょうし」
「だといいけどね……」
大和の慰めるような言い方に、幸人は深く溜息をついた。
「ほら御国中佐。そうやって溜息ばっかついてると幸せが逃げますよ。せっかく名前に『幸』の字がついてるのに、もったいないですよ」
「何がもったいないんだよ、何が」
陽炎にそう言われ、幸人は苦笑いを見せた。そんな会話をしていると、艦内放送が鳴った。
『御国中佐、艦長がお呼びです。至急艦長室までお越しください。繰り返します。御国中佐―』
「……なんだろう?」
そう呟きながら幸人は立ち上がった。
「またやっかいな事じゃなければいいですね」
「……そういうの、当たりそうだからやめてくれないか?僕は平和に生きることを目標にしてるんだからさ」
にこやかに告げる大和をジト目で見た後、幸人は艦長室に向かった。彼女の言葉が半分程度は本当になるとは、今の彼は知る由もない……。
雪風「さて、作者。言い訳はある?」
作者「Tes.提督の決断4やるのと終わりのクロニクルを読むのに没頭してたらこうなりました。言い訳のしようもございません」
雪風「……覚悟はできてるわね?」
作者「……Tes.」
雪風「なら……空の果てまでぶっ飛びなさい!」
作者「ごふう!」
武蔵「あーあー。また派手にふっ飛ばしたわねえ」
高雄「出番がなかったことに憤っていることも多分に含まれていたようですが……自業自得でしょう」
武蔵「……私たちも出番なかったけどね」