第1話【出会い】
本編です。
2024年(新皇紀9年)、横須賀鎮守府―
『転移』以前より日本を護ってきた殊勲艦。夕焼けの光が照らすその広い甲板の上で、一人の少年が泣いていた。年齢は6、7歳位であろうか。彼の後ろでは、両親が困惑した顔で何とかなだめようとするが、少年は泣き止まない。両親が困惑する理由はただ一つ。彼らの息子が何かにしがみついているように見えるからだ。彼らには見えていなかったが、少年がしがみついているのは、長い黒髪をたなびかせ、海軍の軍服を着て困った顔をしている一人の少女だった。
少女は困っていた。目の前の少年は自分が見えているらしく、なかなか離れてくれない。少女は、艦魂という、艦に宿る魂であった。普通の人間には見えないのだが、何故かこの少年には見えているらしい。それは、訳が分からないという表情の彼の両親を見れば分かる。父親の方には見覚えがあった。乗組員の一員だ。最近、一般に公開されるようになった自分の勤務する艦を息子に見せて自慢したかったのだろうが、彼にとっては失敗だったようだ。自分が見えることを無邪気に喜び、ついかまってしまった彼女にも少なからず責があるのだが。
とはいえ、いつまでもこうしているわけにはいかない。少女は、少年に親の元へ帰るように諭した。当然だが彼は頷かない。ここで、少女は一つ嘘をついた。「また、いつでも会える」と。本当?と泣くのを止めて見上げてくる少年に、彼女は内心の後ろめたさを押し隠して頷く。「いつでも」なわけはない。近いうちに自分の後継が現れ、解体されるだろう。だが、それを教えるわけにはいかなかった。
こうして、二人は別れた。少年は瞳を輝かせて嬉しそうに、少女は悲しみの色を瞳に浮かべ。
…………まさか、この出会いが少年が自らの進路を決める最大の要因となろうとは、誰も思わなかったが。
そして、時は流れ………………
2040年(新皇紀25年)4月6日、旭日島鎮守府、昇日港―
連合艦隊麾下の一部の艦隊の母校となっている昇日港。人が住んでいる場所で最も早く日の出が拝めるという単純かつ適当な理由で名付けられたこの港にある、ランチの待合室。ここに一人の青年がベンチに座って居眠りをしていた。
時刻は午前5時。ランチの始発便は午前6時なのだが、彼は30分ほど前からこうしている。眠り続ける彼に、もう一つの人影が近づき、その肩を叩いた。
「中佐、中佐。起きて下さい」
「……ん?もう時間?」
起こされた青年は大きな欠伸を一つすると立ち上がった。
「悪いね、起こさせて」
「いえ!とんでもありません」
ねぎらいの言葉をかける中佐と呼ばれた青年に、もう一人―こちらは彼より少し若い―は畏まって敬礼した。こちらは少尉の階級章を襟につけている。二人は荷物を持って外に出た。まだ朝日は顔を出していないので港内は薄暗いが、その中でも、軍艦と思われる巨大な影ははっきりと見えた。
「そういえば、君、名前は?」
青年が聞いた。実は、彼らはついさっき出会ったばかりだった。その理由が、二人ともランチの始発の時間を1時間間違えていたというどうしようもない理由だったが。ちょうど配属先が同じなのでこうしているのだ。
「はいっ!自分は本日初配属の古賀光二少尉であります!」
「ははっ、そう畏まらなくても。僕は御国幸人中佐。第5艦隊からの転属だ。よろしく、古賀少尉」
そういうと、幸人は手を差し出した。古賀は少しためらった後、その手を握った。
そうしているうちに、ランチがやってきたので、二人は乗り込む。まだ朝早いためか、他に乗客はいなかった。ランチは1隻の軍艦へと向かう。目的の艦に近付くと、古賀が感嘆の声を上げた。
「うわあ、大きいですね!」
「うん、そうだね」
まるで子供のようにはしゃぐ古賀の様子を見て、幸人は苦笑した。初配属の時の自分に反応がそっくりだった。尤も、その反応は自然かもしれない。彼らが乗るのは日本海軍最大級にして、海軍の象徴的な名前の艦だったからだ。
「戦艦『大和』。約100年ぶりの戦艦、か……」
幸人は目の前に迫った鋼鉄の船を見つめながら呟いた。停泊している他の艦よりも巨大であり、自分こそ王者であると無言で示しているかのようだ。三連装の巨大な砲塔が3基、それよりも小さいが十分な大きさの三連装砲塔2基がそれを際立たせている。
特装戦艦『大和』級。既存の軍艦を遥かに超える火力と装甲を持ち、帝国海軍の象徴ともいえる艦であった。
数分後、ランチは『大和』に接舷していた。二人が甲板に降り立つと、ランチは元の波止場に戻っていった。
「中佐、誰をお探しですか?」
辺りをきょろきょろと見回す幸人に、古賀が不審気に問う。気がつけば、衛兵として立っている二人の水兵も同じ表情をしている。
「ん?いや、何でもないよ」
そうですか、と腑に落ちない様子の古賀は放っておき、幸人は再び周りを見ていたが、目的の人影は見えなかった。
(ま、いいか。後で探せば)
幸人はそう思いなおすと艦内へ入っていった。後ろでは、水兵がひそひそと自分を見ながら話していたが、彼は敢えて無視した。
4月6日といえば一般市民にとっては入学式や入社式などがある日だと認識されているが、軍では春の大異動の日であった。第1艦隊旗艦である『大和』でもそれは変わらない。その艦長室では、艦長の青柳鉄雄大佐が異動者の履歴書を眺めていた。今年は100名前後が新たに異動してくるが、士官は今見ている履歴書の一人のみだ。
その時、廊下から慌ただしい足音が聞こえ、艦長室の前で止まった。ノックの音に、青柳は入るように促した。入ってきたのは正にその士官であった。
「失礼…します…。御国…幸人…中佐、ただいま…着任…いたしました…」
「うん、御苦労さま。まずは深呼吸でもしたらどうだ?」
そう言われて、幸人は深呼吸を数回して息を整えた。その様子を、青柳は微笑ましそうに見つめる。幸人が落ち着いたところで、青柳は問いかけた。
「それで、どうしたのかね、そんなに慌てて」
「実は……自室でちょっと居眠りしてたんですが、気がついたら艦長の所へ行く時間ぎりぎりに起きてしまったんです。で、艦長室へ行こうとして今まで迷ってました」
幸人の答えに青柳は首を傾げる。
「ん?確か予定では11時ではなかったかな?」
「え、10時ではなかったのですか!?」
その場に落ちる沈黙。幸人は壁にかかっている質素なつくりの時計を見た。時刻は10時半。幸人が「……やっちまった」と呟くのを、青柳は面白そうに見ていた。
「……申し訳ありません。お騒がせしました」
「はは、いいよ。面白い男だなあ、君は」
頭を掻きながら苦笑いする幸人を、青柳は笑って許した。時間を間違えるなど、軍人としてはあり得ないが、彼はこういう人間は嫌いではなかった。
その後、他愛もない会話を続けていたが、やがて、青柳の表情は艦長のそれになる。
「本日は迷わないように艦内を見学していてくれ。この艦は恐ろしいほど複雑な造りだからな。業務は明日から行ってもらう」
「はっ」
幸人も真顔で見本となりそうな敬礼で答える。青柳は満足そうに頷いて退出するよう促した。部屋から出る直前、幸人は振り向いて質問した。
「そういえば、一つお聞きしたい事があるんですが」
「何かな?」
「艦長は『艦魂』の存在を信じますか?」
青柳は虚を衝かれたような表情になった。そんな質問を投げかけてきたのは、彼が初めてだった。
「……見えるのか、君は?」
「はい。そのご様子だと、艦長も見えるようですね」
平静な表情を取り繕いながらも、青柳は内心では本当に面白い人間が来たものだと笑っていた。そして、『彼女』がどんな反応を見せるのかにも興味を持った。
「この艦の艦魂は、正午頃に露天測距所にいる筈だ」
「……そうですか。ありがとうございます」
そう言うと、幸人はいささか早足になって退室した。どこか嬉しそうに歩いていった彼の後ろ姿を見て、青柳は久しぶりに心からの楽しそうな笑みを浮かべていた。
露天測距所は、昭和時代の艦艇でいうところの防空指揮所である。尤も、高性能なレーダーがある現代では、レーダーの不調時以外は利用されない。また、対空戦闘の指揮は、司令塔内の同名の場所で執られる。そこが副長―つまり幸人の持ち場である。
ハッチを開けて露天測距所に立つと、頭上から轟音が叩きつけられた。幸人が空を見上げると、旭日島所属の航空隊らしいJF−02『鍾馗』が8機、翼を連ねて飛び去っていくのが見えた。それをしばらく見送った後、彼は視線を港内に向けた。
まず目に飛び込んできたのは、『大和』級二番艦である『武蔵』であった。その姿は『大和』と同じく、威風堂々として見える。その奥には、広大な飛行甲板を持つ、大型正規空母『赤城』級が3隻、艦を並べて停泊していた。その他にも、各艦隊所属の巡洋艦や駆逐艦、小型の哨戒艇などが見える。
旭日島には、この港に停泊している第1艦隊(戦艦部隊)、第1機動艦隊(空母部隊)の他に、別の港に第5艦隊(巡洋艦部隊)が存在している。
春の香りを運んでくる風を身に受けながら景色を見ていた幸人だったが、不意に後ろで光が発生したのに気付き、そちらの方へ体を向けた。光はすぐに一人の軍服を着た少女の形になる。普通の人間ならこの現象に腰を抜かしただろうが、何度もこの光景を目撃しており、ついでに腰を抜かすのも経験済みな幸人はまったく驚かなかった。彼は微笑みながら少女に近づき、話しかけた。
「やあ、初めまして。君がこの艦の艦魂、で合ってるかな?」
ちょっと軽いかな、と反省しながら、幸人は目の前の少女を見つめた。彼女は信じられないものを見たとでも言いたげな顔で見返している。この反応も経験済みである。少女は唇を驚愕に震わせながら口を開いた。
「そ、そうですけど……あなたは……私が見えるんですか?」
その問いに黙って頷く。そして、右手を差し出した。
「僕は御国幸人。本日付でこの艦に着任しました。よろしく、大和」
その手を同じく黙って見つめていた大和だったが、やがて微笑みを浮かべるとその手を握り返した。
「はい、こちらこそよろしくお願いいたします」
これが、彼らの出会いだった。
注釈
※1 日東事変
『転移』後初の対外戦闘の日本側の呼称。東方共和国の黎明島侵攻から北京占領までの一連の戦闘の総称である。
『戦争』というにはあまりにも一方的な日本側の勝利に終わったため、この名がついた。
うまく書けているか不安です……。
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