前史(前編)
前史は単純かつ適当にまとめてあります。適当に流してくださってもたぶん問題ありません。
―これは、史実とは異なる歴史を歩んだ物語―
1940年、史実では日独伊三国同盟が締結される筈であったが、8月15日、海軍将校によるクーデターが発生。彼らは、拡大する中国戦線からの撤退、日独伊三国同盟締結の拒否、アメリカとの同盟締結を要求した。
最終的には海軍将兵の7割と陸軍の半数が賛同したと言われるこの事件は、天皇の「消極的賛成」により終結。この結果、当時の政府内の親独派、対米戦を主張していた者は消え、親米派の米内光政政権が再び誕生した。
同年12月、日本は国民政府との講和を実現し全面撤退を約束。1942年8月までに全軍を撤退させた。続いて政府はアメリカとも交渉を始め、対独戦に参加することを交換条件に、終戦までの満州、仏印、蘭印への駐留と対日経済制裁の解除を認めさせた。
そして、1943年6月、日本はドイツ及びイタリアに宣戦布告。海軍は『赤城』を旗艦とし、6隻の空母、4隻の戦艦を中核とする遣欧艦隊を派遣し、陸軍も1個師団をイタリア方面に投入している。
1944年6月6日、ノルマンディー上陸作戦発動。この作戦において、最激戦区となったオマハ・ビーチにおける日本陸軍第6師団の奮戦ぶり(最も早く目標地点を制圧するも作戦終了時の損害50%以上)と、これを支援する為に放たれた戦艦『大和』『武蔵』の艦砲射撃の凄まじさは長く語り継がれた。
1945年5月7日、ドイツは無条件降伏し第二次世界大戦は終結を迎えた。その後約60年間は、この世界は史実とはあまり変わらぬ歴史を歩んでいる。日本においての相違点といえば、帝国陸海軍の存続、天皇の統帥権放棄などが挙げられるであろう。尚、2006年には初の国産ジェット戦闘機JF‐01『隼』の配備が開始されている(この世界において、F‐1、F‐2は開発されていない)。世界はテロリズム等が発生しながらも、まだ、大きな混乱は起こらず、平和だったと言えるだろう。
だが、2009年、世界中を震撼させる出来事が起こった。発端は2008年、とある科学者の発した警告だった。
「2009年から、地球上の全ての土地が異世界へと消え、その後地球は消滅するだろう」
この警告の根拠は、今に至るまでも解明されていない。当然、世界中の人々は戯言と思い失笑を持って迎えた。日本が、その科学者からのしつこいまでの要請を受け、凍結していたいくつかの計画を始動させ、半信半疑ながらも単独で生き残れる準備を始めただけであった。
世界中から信じてもらえないと分かると、次に、彼はこう宣言した。「自分の指定した日に宣言した土地が消えなかったら、私は皆さんの前でこの命を絶とう」と。宣告を受けたのはギリシャ。日時は2009年3月1日。全世界が注目した運命の日、彼は姿を現し、祈るような姿勢になった。それは自らの予測に外れてほしいがための祈りだったのか。本人がその件に関しては口を開かなかったため、それは分からない。
結果から言えば、警告は現実となった。ギリシャの国境に濃霧が発生したかと思うと、全ての通信が途絶した。あらゆる電波を通さないこの濃霧は数時間続き、それがようやく晴れた先を見た人々は絶句した。かつてギリシャと呼ばれた国はそこには存在せず、ただ陽光を反射してきらめく海が広がっているのみだったのだ。
科学者は、土地は消滅するのではなく異次元に『転移』するだけであること、『転移』する数か月前にその土地の周囲に異常な重力反応が観測されること、土地は基本的に国単位で『転移』するであろうということ等を伝えた。
これを聞き、世界中がパニックに陥った。今まで謳歌してきた平和が打ち砕かれるのだから当然だろう。それも人間同士の争いではなく、理不尽ともいえる不可解な天変地異によって。
日本も同様な状況に陥ったが、政府の宣伝などにより、比較的早く落ち着いた。尤も、それは半ば諦めの混じったものであったかもしれなかったのだが。
まず、政府が取り組んだのは食糧問題である。当時、日本の自給率は32%。しばらくは輸入が出来ないと考えると全く足りなかった。政府はかねてより研究を続けていた合成食品の生産方法を確立し2010年10月より生産を開始。これにより、自給率は約85%まで上昇した。
また、当時の日本の人口は約2億人であり、海外から引き揚げてくる人々の数も考えると居住用の土地も足りなかったため、軍直轄地(演習場等)の一部を民間に払い下げし、また、数十万人を居住させられる海上都市の建造を開始。2014年までにはこれが5つ完成する。その予定であった。
これらの動きを面白く思わない国があった。隣の大国、中国である。海外の企業や工場が次々と撤退し、失業した人々による暴動がほぼ毎日のように発生しているこの国から見れば、順調とは言えずとも確実に『転移』への準備を進めている日本という国の存在が、中国上層部にとってはうっとおしくなっていた。そして、国内の鬱憤を国外、つまり日本に向けて発散させようと考え始めたのである。
これを決定づけたのが、発表された中国の『転移』する日時と範囲。日時はともかく範囲が問題だった。それには中国が未だ自らの領土と騒いでいた(尤も、世界中では日本の領土と認識されていた)尖閣諸島が含まれていなかった。中国側は、これを「日本の陰謀」「尖閣諸島を我々から奪い取るつもりだ」などと宣伝。これは『転移』の情報は最初に警告していた科学者が日本から発信していたからだった。この宣伝には日中戦争の恨みや、そもそも警告しなければこんなことにはならなかったのにというある意味逆恨みに近いものが混じっていたことは否めない。もしあのままならば、中国は不満が噴出することもなかったのかも知れなかったのだから。
この宣伝を、中国国民は信じ込み、当局の思惑通りに日本を非難し始めた。そして、この声に押されるかのように中国海軍は空母4隻を含む143隻の戦闘艦艇を日本海の日本側の領海線ギリギリに展開した。
当然、日本にとっては言いがかりに等しいのだが、この事態を放っておけるはずもなく、連合艦隊司令部(この世界では未だ連合艦隊は残っていた)は虎の子とも言える原子力空母『大和』級3隻を含む86隻を投入し、また、空軍は作戦機の約8割を日本海側へ配置させ、緊急発進待機を命じ、陸軍は対弾道弾部隊を急ぎ展開した。
尚、当時の両国の空海軍の戦力であるが、中国が戦闘艦艇187隻、潜水艦43隻、作戦機約2000機。日本が戦闘艦艇97隻、潜水艦34隻、作戦機約860機であった。
この日本の行動に、中国は「日本はやはり尖閣諸島を侵略しようとしている」などと言い張り、5月20日、ついに一方的とも言える宣戦布告を行った。余談だが、この時ともに日本を攻撃しそうな韓国は3か月前に『転移』している。
本来ならばこれを止める役目を負っていたはずの国連はまったく機能していなかった。この時点で『転移』をした国は20カ国。これにより、国連を構成する人間はほとんどが祖国に帰っていったためである。尤も、このような『紛争』はこの混乱の中、全世界で起こっており、機能していても収拾できなかったであろうが。
そして、2013年5月27日。日本海にて大規模な海戦が勃発した。一般には『日本海事変』、一部からは『第二次日本海海戦』と呼称されることになったこの海戦は、結果から言えば日本の勝利と言えるだろう。ただし、『辛勝』という名の勝利であったが。
日本は虎の子であった空母『武蔵』『信濃』を始めとする71隻を失い、空母『大和』を含む9隻が中大破(後自沈1、処分1)という大損害を被った。また、投入された潜水艦28隻中22隻撃沈、航空機も624機を失い、日本の空海軍は致命的とも言えるダメージを負ってしまった。
一方の中国は空母全てを含む147隻を撃沈され、潜水艦36隻中32隻、航空機1134機を失った上に敗退していた。
この直後、日本の諜報機関による情報操作により、中国国内では再び暴動が発生。この混乱を鎮められないまま、中国は2013年10月20日に『転移』した。
一方の日本は、まず壊滅した海軍の再建に追われた。海上都市の建造に使われる筈だった資材を転用し、損傷艦の修理と非常時生産型『松』級駆逐艦の大量生産に充てた。これにより、海上都市の建造は大幅に遅れることとなったものの、半年後には戦闘艦艇数は56隻まで回復した。
2014年3月、次世代型太陽光発電システム完成。1基で大型火力発電所1つと同等の発電力を持つこれは、後に日本の発電力の7割を占めるまで拡大することとなる。
そして、2015年1月。日本の『転移』兆候が確認された。日時は2015年12月31日。範囲は日本列島全てと周辺の日本領の島々、そしてマリアナ諸島であった。このため、日本は『転移』観測のための研究結果全てを引き換えにアメリカからマリアナ諸島の自治権を受け取った。2015年6月、海上都市第一号が完成、移住開始。
2015年12月31日午後10時。未だ解決できていないいくつかの問題を抱えつつも、日本は異世界へと『転移』していった…………。
次は後編へどうぞ。