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この作品には 〔ガールズラブ要素〕〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

オカルトマニアな悪役令嬢は呪術の力で生き残る

作者: ソーカンノ

 ――人は誰しも、間違いを犯す。


 ――だけど今回ばかりは神様も間違ったらしい。



☆★☆



 わたしこと、進藤こずえは異世界転移・転生に関する知識を持っていた。

 正確には、ムリヤリ持たされていたと言った方が正しい。


 高校で隣の席の立花奏とは相容れなかった。クラスで浮き気味という共通項こそあったが、その傾向はまったき逆ベクトルであり、友人と言うにはほど遠い関係しか築けないと思っていた。それが互いの共通理解だと。


 立花奏の考えは違っていた。あいつは陰キャらしく隅っこで本でも読んでおとなしくしていようとするわたしの首根っこをむんずと引っ掴み、おハイカーストなおクラスメイト様がご歓談にお花をお咲かせあそばせる光の世界を通り越して、あいつ独自のゆるゆるほわほわなマイワールドまで力ずくでわたしを拉致しようとした。


「ねえこずえちゃん、聞いてくれる? この前買った乙女ゲーなんだけどさぁ――」


 週の始まりの月曜日にはいつも、立花奏は休日中に買い求めた乙女ゲーやらというものの感想を、喜々としてわたしに話して聞かせるのだった。


 ハッキリ言って、聞いてて楽しい話題じゃない。

 何故ならわたしはオカルトマニア。

 非実在青少年である乙女ゲーの攻略キャラがどれだけイケメンだろうとわたしの人生が潤うことはなく、それを聞かされるなど苦痛でしかない。


 そんなわけで、このときもわたしは読んでいた雑誌『月刊ム●』の開いたページに顔を寄せ、聞こえなかったフリをしたのだが――。


 無視されたと思ったか、立花奏はこちらに近づき、わたしの肩を引っ掴んで、力技でムリヤリ目線を合わせてきた。


「ねー聞いてんのー? こずえちゃんってばさっきから態度悪くない?」

「……き、聞いてる……」

「ホントにぃー? じゃあさじゃあさ、こずえちゃんはこの『ドキめも(ドキドキめもりーでいず)GS』の攻略対象の中で誰が好きなのかなっ?」

「……あ、あう……そんなの、わからない……」

「えーわからないなんてことないでしょぉー? 好きな男の子が誰かって訊いてるだけじゃん。ホラ、乙女ゲー情報誌のここにもちゃんと特集記事が組まれてる。この中で誰が好みなのか教えてくれるだけでいいんだよ?」

「……わ、わからない……ぶんかがちがう……」

「こういうのに文化とか関係ないって。必要なのは運命と乙女回路だよ。ねーねー、ちょっと指差してみてよー」


 とまあ、ここまでのやり取りだけでも気づく人は気づく。

 わたしこと進藤こずえは超絶なるコミュ障であり、絶対ノウと言えないタイプの女なのだと。


 かたや立花奏である。まったくもって脳味噌の代わりにカスタードクリームが詰まっているとしか思えないこの女は、傍迷惑なことにコミュ力に関しては尋常でないものを持っていた。


 本来ならクラス内ヒエラルキーのハイカーストの座も狙えただろうあいつがわたしと同じ底辺に甘んじているのは、ひとえにその乙女ゲーマニアっぷりで世間の目をドン引きさせていたためである。


 ――そんな乙女ゲーマニア、立花奏がある日、本を読み出した。


 わたしはひどく驚いた。隣に座るこの女には、猿と同程度の知能しか備わっていないと思っていたからだ。わたしはキョロキョロと周囲を確認する。猿からヒトへの進化は一代では完了しない。この教室のどこかに黒いモノリスが屹立し、隣の無知蒙昧女に知恵という名の果実を授けたとしか考えられない。どこだ、どこにある――そんな風に眼前で起こり得た奇跡の意味を探求していると、ふいに立花奏が顔を上げて自慢気にこう言ってきた。


「ふっふっふー、どうやらこずえちゃんも気になるみたいだね。あたしが今読んでいるこの本がいったいなんであるのか」

「……う、うん……」


 とわたしは頷いた。もちろん本意ではない。ラノベ風の表紙が付いたその本などより、むしろお前に文字を読むだけの知性を授けた超越存在の所在こそ今のわたしには重要だ。


 だが超絶コミュ障を自認するわたしがそれを他人に上手く伝えられるわけがなく、この重要局面に至っても立花奏のペースにあっさりと呑まれてしまう。


「この本はね、乙女ゲーの悪役令嬢に転生してしまった女の子のお話なんだよ」

「……お、乙女ゲーの悪役令嬢に転生……?」


 聞き慣れぬその言葉の羅列に、わたしは首を傾げる。


 いやわかる。わかりはする。転生戦士、これはわたしのようなオカルト者なら持っていて当たり前の知識だ。かつての『月刊ム●』の黒歴史でもある。投稿欄に乱舞する、全国の青少年から送られてきた現世否定の表出。前世の仲間探し。だがそれが乙女ゲーの悪役令嬢とどう繋がってくるというのか。


 わたしが驚いた顔をしていたからだろう、立花奏は満足そうな顔をして、机の上に本を置き、わたしに向かって嬉しそうな顔を寄越す。


「その顔、このジャンルの話は全然知らなかったみたいだね。いい? この乙女ゲーの悪役令嬢に転生する本っていうのは――」


 そんなわけで、ここから立花奏の異世界転生レクチャーが始まった。


「乙女ゲーの悪役令嬢に転生してしまった女の子がね、破滅フラグを回避するためにみんなと仲よくなって、その結果イケメン美少女問わずにモテモテになっちゃうっていう、とっても素敵なお話なんだ。でねでね、その方法っていうのが――」


 あいつの口から語られる真実を知るにつけ、わたしは脱力し、うんざりし、やっぱりこの女は下半身でしかモノを考えてないアバズレだわーと認識を再度矯正することになるのだった……。



☆★☆



「エリーカお嬢様、お茶の準備が整いました」

「ありがとうギルバート……それに、ここにお越しのみなさんも」


 場面代わって日当たりのいいサロン。

 まるで宮廷内と見紛わんばかりの豪奢さを誇るそこに今、絵に描いたような美男美女が揃っていた。


 一見して、アバンギャルドなその服装にはよく見ると統一性がある。というのも当然で、元はといえば同じ制服だからだ。彼ら彼女らが好き放題に着崩しているせいで別の服装に見えているだけ。まったくこの学園の校則はどうなっているのか。


 わたしは、うわぁエリーカお嬢様素敵ですぅー、と心のこもらない棒読みでわたしの美貌を誉めそやす取り巻き令嬢たちから眼前の人物へと注意を移動し、慎重にこう言ってのけた。


「それでジーク様、婚儀の予定は左様でよろしいので?」

「……無論です。私はあなたに私の心臓を捧げたのです。赤い血潮が脈打つ限り、このジークの心は貴女のもの。今貴女が抱えておられるご不安も、実際に籍を入れ、両家の結びつきが強まれば、夏の日の下に晒された氷の如く、立ちどころに氷解することでしょう」

「わかりました。それでは予定通り、明日わたくしと貴方は結婚いたします。このリィントレーズ学園のチャペルで、全校生徒が見守る中、貴方が永遠の誓いを結んでくださることを、非常に嬉しく思いますわ」

「当然です。命に代えて、貴女のことを幸せにいたします」


 ――とまあ、いけしゃあしゃあと眼前のイケメンは、わたしに大嘘を吐いて去っていったのだった。


 さて、もうおわかりのことだろう。

 わたしこと進藤こずえは今、中世ヨーロッパ風乙女ゲーの悪役令嬢に転生している。


 そのゲームの名は『庶民はプリンセスの夢を見るか?』といい、名作SFのタイトルをモジった割に全然原典へのリスペクトのないことでわたしを苛立たせる、はっきり言って甘ったるすぎる内容の乙女ゲーだ。


 無論、その甘ったるさは乙女ゲーの主人公のみが体験できる。ヤツにざまぁされる予定の悪役令嬢ことエリーカ・アーデルハイドには1ミクロンとて用意されていない。


 ――この一年、わたしは戦った。


 立花奏にムリヤリ聞かされていたため、このゲームの内容はあらかた知っていた。エリーカ・アーデルハイドはゲーム開始時点までにこのリィントレーズ学園で悪逆非道の限りを尽くし、陰で女帝として畏怖されている女。攻略対象のイケメンどもの心は最初から離れており、ご飯粒でくっ付けた紙よりも簡単に引きはがせる。つまり乙女ゲーとしては簡単に攻略できるということだ。


 これが逆に作用する。乙女ゲーの主人公にとって容易く攻略できるということは、悪役令嬢にとっては難易度インフェルノ。乙女ゲー主人公の好感度がまったきゼロからのスタートなら、こちとらマイナスからのスタートである。


 普通にやっていれば間に合わない。しかも乙女ゲーの主人公がどのイケメンを狙ってくるかわからないため、こちらとしては攻略対象全員の好感度を上げておく必要性がある。間に合わない。だからわたしは性欲に訴えることにした。


 お蝶婦人みたいな金髪のくるくるパーマは削ぎ落とし、服装はドレス風学生服からラフなものへと改造。ちょうど、乙女ゲーの主人公みたいな感じのキュート系にしてみた。それでいて豊満な胸元は露出した上で強調する。わたしと同じ年代の男どもは下半身の欲求に抗えないからだ。


 コミュ障を矯正し、人にやさしく接する術も覚えた。鏡の中の自分に向かって語りかければ本来の人間性が壊れ、自己洗脳されるというオカルト知識がここで役に立った。人当たりやさしく、そしてことあるごとにスキンシップ、乳を押し付ける。これで好感度を稼いでいく。わたしの戦略はある程度は功を奏した。だが――やはり時間が足りなかった。


「うぅ……ダメだ、破滅待ったなし……」


 お茶会のあと、わたしは地べたでorzみたいなポーズで己が運命を嘆く。

 そこにお盆を持ったギルバートがやってきた。


「お嬢様? どうなされたのです?」

「ハッ、ギルバートっ!? ……ううん、なんでもないのよ……」

「マリッジブルーになられているのですね……。女性にとって結婚とは人生の一大事。選ばれた殿方が本当に運命の相手であるのか、その確証が持てないのでしょう。ですが安心なさってください、このギルバートが明日の婚儀、絶対に成功させてみせましょう!」


 そう言って、片目が髪で隠れた執事ギルバートは目と白い歯をキランと光らせて太鼓判を捺すが、わたしはコイツのことを絶対に信用しない。

 何故ならコイツは、真っ先にエリーカ・アーデルハイドを売って乙女ゲーの主人公側に付いた、コウモリユダ野郎だからだ。


 平民から搾取して成り立つ絢爛豪華なる学園の革命――それがギルバートの動くお題目なのだが、その実やっていることはエリーカの婚儀の破壊工作である。明日の婚儀を最高潮のタイミングでブチ壊し、攻略対象ジークハルトからエリーカに婚約破棄を突きつけさせ、その場で乙女ゲーの主人公と婚約し直させるという鬼畜の所業。それを裏で手引きしているのがコイツだ。明らかに私怨で動いているとしか思えない。ひどすぎる。


 およそ最高のタイミングで登場し、ざまぁさせることに定評のあるギルバートのことを、立花奏は『ざまぁスイッチ』などと綽名していたが、頭カラッポなあいつにしては実によくできた言い回しだと思った。たぶんネットかなにかのスラングなのだろう。


「ともかく今夜はよくおやすみになってください。明日、あなたは世界で一番幸せな淑女となられるのですから」


 爽やかな笑みを浮かべるギルバートの顔が、わたしには下卑たニヤニヤ笑いにしか思えない。


 ――わたしの目の前は真っ暗になった。



☆★☆



 その日の夜。

 わたしは、明日に控えたざまぁへの恐怖に打ちのめされていた。


「……ヤバいヤバい死んじゃう死んじゃう……」


 ネグリジェ姿のわたしはいつもの令嬢モードを引っ込め、そんな陰キャ丸出しの独り言を漏らしながら、膝を抱えてガタガタ震えていた。


 というのもこの場合、死というのは社会的にそうなることを意味しない。


 世に広く出版される悪役令嬢転生モノの書籍が、悪役令嬢の末路を国外追放、あるいはお家取り潰しという比較的温いものとして描く一方、この『庶民はプリンセスの夢を見るか?』というゲームでは、生命的な意味での死がざまぁされた悪役令嬢を待ち受けている。


 リベルド王国第一王子・ジークハルトルートの順序としてはこうだ。


 エリーカとジークが愛を誓い合うチャペル、今にも誓いのキスが果たされようとするそこに、学園内を暗躍するざまぁスイッチの手により密かに監禁場所から抜け出した主人公が駆けつける。


 そして主人公の口からエリーカの悪行が全校生徒に明るみになると、動かぬ証拠を手にいつしかそこにいたざまぁスイッチが、大衆の面前でいちいち裏付けをとっていくのだ。


 元々あまり評判のよろしくなかったエリーカである。そこに今まで隠していた悪行三昧が暴き立てられ、そもそもエリーカのことを毛ほども愛してなかったジークはこれを好機とばかりに婚約破棄、密かに想いを寄せていた主人公の元へと走る。


 こうして晴れてエリーカはざまぁされ、愛し合う二人は幸せなキスをして終了――となるはずなのだが、なんとこのゲーム、その先のエリーカの動向まで詳細に描かれているのだ。


 いや……動向と言うよりか、死因といった方がより適切だろうか。


 ジークを想うエリーカの愛は本物だった。頭の弱いお嬢様であるところのエリーカは、恋敵である主人公を追い払うため、裏で汚いことを色々やっていた。それがバレ、永遠にジークを失う痛手に、この今まで身内にワガママが通らなかったことのない頭パープリン女は耐えられない。


 目の前の現実を受け入れることができないエリーカは、涙を流しながらチャペルの外へと駆け出し、そこにたまたま通りがかった馬車に轢かれて死んでしまうのである。


 ――【†††今回のエリーカ様の死因、なんと交通事故死†††】。


 これは本作の最後の最後、完全なハッピーエンディングを迎えてからディスプレイに表示される文言である。


 嘘じゃない。立花奏の言によれば、ユーザーにざまぁの快感を最大限味わわせるため、この『庶民はプリンセスの夢を見るか?』では、最後に必ず悪役令嬢が死ぬことになっている。そこに一切の例外はない。なんならバグを駆使して生還ルートらしきものを作っても必ず死ぬ。まただ、またエリーカ様が死んでおられる。


 門外漢のわたしからすれば、作った制作者側も受け取るユーザー側も頭のおかしい仕様だが……ともかくそれこそがこのゲームの最大のウリであり、そのお蔭もあってか売り上げは非常によかったそうだ。


「……うぅ、クリアしたら悪役令嬢が絶対に死ぬとか、なんて迷惑すぎる仕様なのこのクソゲー……ま、また乗り物に轢かれる派目になるなんて……」


 わたしは頭を掻き毟って己が運命を嘆く。

 生前、トラックに衝突されたときには上手く死ねなかった。

 苦しんで苦しんでやっと死ねたと思ったら、こんな場所にいて、ゲームの悪役令嬢をやらされることになったのだ。


 もうあんな痛みは嫌だった。

 だったらいっそのこと、六階にあるこの自室の窓から飛び降りてしまえ――そう思いつめた矢先、ノックの音が響いた。


「夜分に申し訳ありません、エリーカお嬢様。少し扉を開いてはいただけませんでしょうか」


 ざまぁスイッチだ!! ――わたしはネグリジェの上から上着を羽織り、扉のカギを開けた。


「まあどうなさったのギルバート。こんな夜深くに乙女の部屋を訪ねるだなんて、いくらわたくしの専属執事といえ、不躾にもほどがあるのではなくて?」

「いえ、申し訳ありませんお嬢様。ですが、ジークハルト王子からお嬢様宛てに、大切な贈り物をお預かりしたのです」

「贈り物?」

「はい、これを……」


 そそくさと両手でギルバートが差し出したのは、輝かんばかりに純白のウエディングドレスだった。


「明日の婚儀の際、お嬢様がお召しになるよう仰せつかっております。ジークハルト王子手ずからお選びになった珠玉の一品です」

「まあ……なんて素敵な……本当にわたくしにこれを?」

「左様にございますお嬢様。学園一美しい美少女であらせられるお嬢様を置いて、このドレスを着こなせる女性はおりません。どうか今日のうちに試着なさってくださいませ」

「わかったわ……ありがとうギルバート。それではおやすみなさい」

「よい夜をおすごしください。それでは私は失礼いたします」


 とまあ、ニコリと狐のような糸目になって去っていったざまぁスイッチの背を見送ると、わたしはもらったばかりのウエディングドレスをベッドに叩きつけた。


 さらに上履きを履いたままその上に飛び乗って、二三度ふみつけにする。


「……クソッ! あ、ありえないだろこんなの! このウエディングドレス、わたしが馬車に轢かれて血塗れになるの見越した死装束じゃない!! 赤と白っていうざまぁスチルの色の見栄えのためだけにこんなの着せられて、こっ、こんなもの……!!」


 ドスンドスンと、鬱憤晴らしにウエディングドレスを痛めつけていると、今度はどんどんと悲しくなってきた。

 わたしは、ベッドの側に置いている手製のリトルグレイ型宇宙人人形『やおいくん』に手を伸べると、ムダに育っている悪役令嬢の胸の谷間でぎゅっと抱きしめる。


「……や、やおいくぅん、やだよぉ……また死んじゃうのこわいよぅ……わ、わたしはただ、現世でチュパカブラの研究をしたり、アダムスキー型円盤に乗ったり、ネッシーの写真を捏造したり、スカイフィッシュを掴まえたり、エリア51の真相を世間に公表したりしたかっただけなのに、どうしてこんな目に遭うんだよぉ……」


 誰かに慰めて欲しいと本気で思った。

 この運命は絶対におかしかった。


 現世とは別に乙女ゲーの世界があるとして、そこに転生させられるのはわたしであるべきじゃなかった。

 だってわたしの席の隣には立花奏がいて、あいつならこの境遇だって喜んで受け入れたに決まっているからだ。

 開始早々に詰んでざまぁされるにしろ、憧れの乙女ゲーの世界で死ねるのなら、あのバカ女もそれで満足だったろう。


 ――わたしが行きたかった『あなたの知らない世界』はここじゃない。


 だからもし、この世に神様なんてオカルトな存在がいるとしたなら、今回ばかりは間違ったに違いない。

 乙女ゲーマニア・立花奏の代わりにオカルトマニア・進藤こずえを、誤って『庶民はプリンセスの夢を見るか?』の世界に送ってしまった。


 こずえはがんばった。自らの性格を直し、媚態を覚え、将来の婚約者候補である小国の王子たちと仲良くなるためなんでもやった。

 だけど間に合わなかった。こずえは明日死ぬことになる。馬車に轢かれ、血塗れのウエディングドレス姿で、悲しみの向こうへとドナドナされてしまう。


「……ううぅ、そんなのやだよぅ……どうしたらいいの……答えてよやおいくぅん……」


 だが黒目がちで大きな瞳を持つやおいくんはなにも語ってはくれない。

 何故ならここは乙女ゲーの世界で、宇宙人なんて存在しないからだ。


 『月刊ム●』も売っていなければ、オカルト系報道バラエティも放送しない。なんならテレビもネットもない。オカルト娘は情報欠乏に弱い。わたしはお茶会で何度もやらかした。お砂糖と蜂蜜で育った取り巻き連中に、それと知らずキャトルミューティレーションについて二時間も語ってしまったとき、いっそ自分がアブダクションされてしまえばいいと思った。たぶん言っている意味がわからないだろう。わたしも混乱している。死にたくない。


「……やだやだぁ……ひっく……もう死にたくないよぉ……」


 あまりの恐怖に、とうとうわたしは子どものようにぐずり出した。

 こんなに涙を流したのは、徳川埋蔵金シリーズ最終回で、発掘作業打ち切りを悔しげに発表する糸井重里の姿を観て以降なかったことだ。


 涙を流せばストレスから解放される。けれどそれはあとからいくらでも湧いてくる。二度目の死はわたしをどこに押し流すだろうか。こうなったら化けて出て主人公とざまぁスイッチを呪い殺してやろうか。その前に教会のエクソシストにやられてしまうだろうか。ならわたしはなんのためにここにきたのだろう。わからない、誰でもいいから、わたしを死の運命から救って欲しい――。


 果たしてその願いが通じたのだろうか。

 それともただの偶然か。


 わたしの豊満な胸の谷間で潰れていたやおいくんの腕が曲がり、その三本しかない指の一本を使ってなにかを指さしているように見えた。


「……ふぇ……?」


 思わず萌えキャラみたいな声を出してしまったわたしは、やおいくんの指が示す方向を見る。そこにはウエディングドレスがある。


 いや……それだけじゃない。


 窓から差し込む月光を跳ね返し、輝かんばかりに光るウエディングドレスの上に、同じく月の光を受けた極細の物体がたしかに存在していた。


「……これを、使えっていうの……?」


 やおいくんは答えてくれない。人形がしゃべるわけがないからだ。

 だからそれはきっと、偶然でしかなかった。


 乙女ゲーの世界に宇宙人などいるはずはなく、ましてやお手製の人形が勝手に動くはずもないからだ。それは自然の法則に反する。


 だけどそれでも、わたしは天啓を手に入れた――だから。


 一か八かの賭けに、乗ってやろうじゃないか!!



☆★☆



 まるでこの日のためにあつらえたような鈍色の曇り空。

 陽光の差し込む隙間すらない分厚い黒雲。

 そこから、冷たい雨が降ってくるまでにそう時間はかからなかった。


 年季が入ったチャペルの外壁も深く淀んだ色を見せる。本来なら祝福に包まれるはずの場所から、今ひとつの棺が運び出されようとしていた。


「エリーカお嬢様、どうかお気を強くお持ちくださいませ」

「……ええ、わかっておりますわギルバート」


 わたしは傍らで複雑そうな表情を浮かべる執事に、そう返答した。

 そう、わたしが今ここにいるということは、死んだのはエリーカじゃない。


 むしろ定められた婚儀が始まる前にすべては決着した。わたしが死のウエディングドレスを着ることはなかった。それは別の使われ方をしたのだ。


 傍らの執事ギルバートことざまぁスイッチは苦い顔をしている。それも当然だろう。本来ならとっくのとうにエリーカ・アーデルハイドはざまぁされ、リィントレーズ学園には、コイツ好みの新たな秩序が生まれていなければおかしい頃合いにあった。だがそのための策略は無に帰した。今はただ職務に忠実に、喪服姿のにっくき悪役令嬢の隣に立ち、降りしきる雨から彼女を守るという本心と裏腹な行動を取らざるをえない。ざまぁ。


 ざまぁスイッチはチャペルの入り口を見ながら、殊勝なツラをして心にもない言葉を続けた。


「お嬢様、このようなタイミングで申し上げるのは大変心苦しいのですが……本日付けで、我がリィントレーズ学園に通うさる国の王子から、お嬢様宛てに結婚の申し込みがきております。このような事態であり、お嬢様のお心の痛手も鑑み、先方はしばらく待つと言ってきておりますが、どうかご一考いただきたく……」

「お受けして」

「は? し、しかし! まだ名も顔も明かすなと言っている、どこの馬の骨とも知れぬ王子との婚約をそんなあっさりと……!!」


 とまあ、らしくなく慌てふためくざまぁスイッチの姿は愉快だった。

 どうやらまだ、コイツはわたしに結婚して欲しくないようね。

 大方、新たな策略を練るために手間と時間が必要というところだろうが、わたしの即答に当てが外れたらしい。ざまぁ。


 ――わたしはそんな内心を隠し、高飛車お嬢様エリーカとして発言する。


「あらまあ? そのように驚くようなことですかギルバート? たしかに貴方の言う通り、今回の事故はわたくしにとっても大変な不幸でした。けれど幸運でもあったわ。だってそうでしょう? わたくしはまだ初夜を迎えてはおりません。この大いなる不幸が一日でもズレていたら、わたくしはきっとあの方にすべてを捧げてしまっていたことでしょう。そしたらもう、誰の妻にもなれませんもの」


「そ、そうでしょうとも! ですが……愛する人を失ってしまった悲しみは、一日や二日そこらで癒えるものではありません! お嬢様だってそうです! 今はまだ、ジーク様を喪ってしまったあまりの衝撃に、お心が麻痺していらっしゃるだけなのです! 今はどうかお休みになられてください! そしてご自分をお大事になさってくださいっ!!」


 それはざまぁスイッチにしては珍しい、焦ったような早口だった。

 その姿を見て、理解して、わたしの背筋がゾクゾクとする。


 ああ、きっとそうなのだ……この感覚こそがきっと、『庶民はプリンセスの夢を見るか?』でエリーカを地獄に突き落とすプレイヤーが味わっていた、ドス黒い快感なのだろう。


 ざまぁスイッチのリアクションに新しい快楽を学習したわたしは、お礼としてニッコリと素敵に微笑みかけてあげることにした。


「うふふっ。その心配でしたらまったく不要でしてよ、ギルバート?」

「え? 不要って、それどういう……」


 そんな、まるで虚を突かれたようなざまぁスイッチに向かって、わたしは最高の笑顔で――。



「だってわたくし、ジーク様のことなんて、これっぽっちも愛してなんていませんでしたもの」



「!!」


 まるでメデューサにでも睨まれたような、その表情は見ものだった。


 ざまぁスイッチは固まった表情のままわたしを見ると「わ、私は先方に連絡いたしますので、これで……」と逃げるようにその場をあとにした。


 傘を受け取ったわたしの視線の先で、チャペルの扉がにわかに開く。

 家臣たちに担ぎ上げられ、棺が馬車に積み込まれようとしているのだ。


 それを見届けていると、参列者の中から喪服姿の女が歩み出て、わたしの姿を認めると雨の中を小走りにこちらに駆けてきた。


「――エリーカ様っ!!」


 喪服姿の女は駆ける勢いそのままにわたしに抱き着き、その肩に顔を埋めると、えぐえぐとしゃくり上げ始めた。


 まるで牛乳のような甘ったるい匂い、やや個性に欠けるものの抜きん出た美貌、そして発売当初一部貧乳ユーザーの顰蹙を買ったという喪服越しにもわかる豊満なバスト――もはや間違いない。


 この女こそすべての元凶にして『庶民はプリンセスの夢を見るか?』の主人公――ミリル・ハートシェルだった。


 ミリルは顔を上げると、その可愛らしい目に大粒の涙を浮かべて言った。


「ああ! なんてお可哀想なエリーカ様!! 貴女は昨日、世界で一番幸福な女性になるはずでしたのに! 何故!? どうして!? こんな運命の皮肉があってよいものなのでしょうか!? 私は今、初めて女神様の御心を疑っています! 庶民の身ながらこのリィントレーズ学園に通うことを許された日から、私はずっと女神様に感謝してきました。この世界は祝福されたものだって信じてきたのに。それがこんな……こんなのって……」


 一気呵成に捲し立てたミリルはそこで言葉を失う。

 わたしはその背をぽんぽんと叩くと、やさしい口調で言ってやった。


「落ち着いてくださいミリルさん、わたくしなら大丈夫ですわ」

「エリーカ様ぁ……でも、こんなのってないですよ……私エリーカ様に幸せになって欲しくて、ただその一心で、うぅ、うわああああああああああああんっ!!」

「……よしよし」


 ひしと力いっぱいわたしに抱き着いてくるミリルのことを、わたしもまた同じくらいの力で抱きしめてやった。

 本来なら同じ空気を吸うことすら嫌悪する相手にここまでサービスしてやったのは、当然わたしの方からも伝えることがあったからだ。


 ――私はミリルの耳元に口を寄せ、小声でこう続けた。


「ねぇ貴女、上手くやったわね」

「ふぇ? エリーカ様? 今なにを仰って……」


 図々しくもシラを切るこの泥棒猫に、わたしは未開人に言葉を教えるかのよう、根気強く伝えてあげる。


「あら、聞こえなかったのかしら? わたくしはね、上手くやったわねって言ったのよ。こうやってわたくしを慰めて、抱き合って、声を上げて泣いてさえいれば、まるでわたくしの境遇を心から悲しんでいるように見えるのではなくて? その実、貴女が自分のために泣いていたのだとしても、だってそれは誰にもわからないことでしょう?」

「え、エリーカ様……ちっ、違いますっ!! 私別にそんなつもりじゃ……」


 早口に言い終えると、まるでついさっきまで害虫かなにかと抱き合っていたように、ミリルはわたしを突き放すようにして距離を取る。


 その美しい造形の顔に浮かぶ表情は困惑、嫌悪、そして一時的な敗北感の入り混じったおぞましいもので――そうだ、わたしはコイツのこんな顔がずっと見たかったのだ。ざまぁ。


「うふふ、愛する殿方を喪った女はそのようなお顔をなさるんですね」

「……違います。私ジーク様のことを愛してだなんて」

「貴女がどう思おうと、ジーク様のお心がわたくしから離れていたのは周知の事実でしょう。なんならうちのギルバートにでも訊いてみましょうか? まあ、きっと様々な事実を捏造してでも否定するんでしょうけど」

「ぎ、ギルバート様も関係ありません! 私はただ、エリーカ様とジーク様が結ばれればいいなって、それだけで……」


 いけしゃあしゃあと、ミリルがそこまで言いかけたときだった。

 葬儀に詰めかけた参列者の中に、背の高い男性の姿が見えた。

 彼はミリルのことを見つけると、大きく手を振って存在をアピールする。


「……チッ」


 果たしてその音が、乙女ゲー主人公が決して出してはいけない舌打ちの音だったのかどうなのか、ここでは問題にしないことにしようか。


 その癖をたしかめる機会なら、きっとこの先いくらでも訪れる。


 ――絶対に。


「あらあら、どうやらもう新しいお友だちができたようですわね。お待たせするのも忍びないですし、早く行ってあげたらどうです? ……ほら、あんなにはしゃいで、犬みたいにコロコロ笑って。きっとミリルさんのこと大好きなんでしょうね。わたくしのことなんていいですから、早くあの殿方の元まで走って、お身体と同じに巨大な自尊心を満足させてあげたらいいじゃありませんか」

「……エリーカ、さま……」


 もはや言葉も途切れ途切れ。

 屈辱感に塗れたミリルの表情に、またもわたしの背筋はゾクゾクとする。


「うふ。そうお睨みにならなくてもいいでしょう? わたくしなにも、貴女のことを軽薄な尻軽女などとお茶会で吹聴しようなんて思っておりませんわ。だって貴女はジーク様とはなんでもなかった。この学園に特例として通わせてもらっているだけの、王族と天と地ほども身分の違うタダの庶民のことなんて、そもそもジーク様には妾としてすら囲う利点がありませんものね……おや? どうなさったのミリルさん、さっきから貴女、まるで泣いているみたい」

「……るさい」


 わたしの傘の届く範囲から遠く離れ、雨の中で握った拳を震わせるミリル。

 垂れた前髪の隙間に覗く瞳は、猛禽類のそれのように鋭く尖って見えた。


 ――うん? とわたしが首を傾げて態度で催促すると、それを火種として爆ぜるようにミリルは本性を現した。


「うるさいバカ女! この、性悪女! あんたになにがわかる! もう少しであんたを引きずりおろせるはずだったんだ!!」

「……穏やかじゃありませんわね。わたくしに対する謂れのない中傷、もしお父様のお耳に入れば、学園からの退学如きですみませんよ」


 そんなわたしの安い煽り――普段のぶりっ子ミリルなら軽くいなせるだろうそれも、今の彼女にとっては火に注がれた油と同じ。


 業火は、さらなる火柱を上げる。


「知ったことか! そうやって高いとこから見下ろして! そもそもそこには私がいるべきだったんだ! いい? 私は私の立場を絶っ対に取り戻すから! 今度こそあんたを足下にひれ伏せさせてやるっ!!」


 もはや周囲の目など毛ほども気にせず言いたい放題叫んだミリルは、くるりと踵を返して、雨の降る中をどこかへ走り去っていった。


 なんと言うか、今までリア充女にキレられたことのないわたしにとって、さっきのミリルの剣幕には圧倒されっ放しだったのだが……それより気になったのは場にひとり取り残された背の高い男性の方だった。


 ミリルが見た目の可憐さに反してかなりの健脚を飛ばしたせいで行き先がわからくなったその人は、仕方なく葬儀の続きを見守ることにしたようだ。ざまぁ……じゃなくて、こっちはちょっと可哀想。


 まあ、もう一度誰かの葬式があればミリルとはそのとき再会できるだろう――だなんて、これはサイコパスの考え方だったろうか?



☆★☆



「まあ、気にしてもしかたないわね。そろそろ行きましょう」


 この場でなすべきことはすべて終えた。

 わたしもまたミリルと同じように、しかし雨に濡れぬよう傘だけはちゃんと差して、新たなる目的地へとしっかり歩んでいく。


 陰鬱な曇り空と冷たい雨により、白と黒のモノクロームに退色した世界は、目指す目的地である小塔を不気味にデコレーションしている。

 そして小塔の窓にぼうっと光る蝋燭の赤い光――遠目に滲んで見えるそれに、わたしはジークハルトの言葉を思い出す。


 ――それはすべてが偽りの愛の告白。


 ジークハルトがわたしに捧げた赤い心臓は、既に動きを止めている。

 その内に脈打っていた赤い血潮は流れ出で、路上を染める花となった。

 命に代えてわたしを守ると誓ったその口は、もう誰に愛を囁くこともない。


 まさしく不運だった。一昨日の朝、ジークハルトは花嫁姿のわたしを迎えに馬車を飛ばしていた。もし暴走する対向馬車を咄嗟に避けようとしなければ、逆に彼自身の命は助かっていただろう。馭者が手綱を強く引いたせいで、傾いだ馬車から投げ出され、暴れ馬の蹄に胸を潰されることになったのだ。


 だが慈悲はあったとも言える。ジークハルトは即死だった。彼は苦しまず、そして偽りの花嫁の姿も本物の花嫁の姿も目にすることなく、その短い人生をまっとうした。死に顔は安らかなものだったらしい。不思議なことに、暴れ馬はジークハルトの心臓を踏み潰したあと、まるで今暴れていたのが嘘のように静かになったという。


 小塔の近くまで歩むと、ギイ、と低い音がして、中から背の低い女子生徒が姿を現した。

 彼女はとてとてっといった感じにわたしに駆け寄ると、両手で傘を受け取って自分が濡れるのもお構いなしにわたしを雨から守る。


「えっ、エリーカお嬢様、どうもお疲れさまでした。そっ、それでジークハルト様のご葬儀の方はどうだったですか?」

「もちろん、首尾は上々よ。あの女も、これには一泡吹いたんじゃないかしら」

「ふっ、フヒヒ……エリーカお嬢様に盾突くからこんなことになるんですよぅ。げ、下賤な血筋の癖して、ミリルのヤツとっても生意気だったですから」


 そう言って、不気味に笑ってわたしのあとを付いてくる少女。

 塔の中までの道行きを雨から守ってくれた彼女に、わたしは礼を言うことを忘れない。


「傘はここまででいいわ、ありがとうエーコ。それに一昨日の夜のことも。もし貴女たちがいなければ、わたくしきっと破滅の運命を辿っていたことでしょう」

「そっ、そんな、あたしは別に……エリーカ様のためならあれくらい……」

「いいえ、そんなことはないわ。あれは貴女たちの協力がなければ絶対にできなかった。ねえエーコ、ちょっとこっちを向いてくださらない? わたくし貴女に心からお礼して差しあげたいの」

「……お、お礼……」


 螺旋階段を中ほどまで上がり、わたしはエーコを振り返る。

 わたしより下の段に立つエーコは、畳んだ傘をきゅっと胸に抱きしめ、期待と不安が半々に入り混じった表情でこちらを見ている。


 エーコの、貴族の子女らしく整った顔の造作。

 その上の栗色のおかっぱ頭にやさしく掌を乗せ、髪の毛をわしゃわしゃと掻き混ぜて、わたしは彼女の頭を撫でた。


「……ふわぁ? ふわあああああああああぁぁっ!?……」


 そんな情けない声とともに恍惚の表情を浮かべるエーコ。

 おっと、たしか飴ばかりじゃいけなかったのだわね――わたしは気を取り直し、エーコに近づいてさらに言ってあげる。


「はい、今回のご褒美はここまで。この続きをして欲しかったら、今後ともわたくしの力になること――いいわね、エーコ?」

「……ふ、ふぁい。もっ、もちろんれすぅー……」


 どうやら憧れのエリーカ様のスキンシップに、エーコは完全に骨抜きになってしまったらしい。

 わたしは真っ赤な顔をしてふにゃふにゃしているエーコを置き去りに、階段の上の部屋から漏れている灯りに向かって歩む。


 一段、一段、踏みしめる段差は、わたしのこれまでの間違いと、そしてこれからの道行きを、まるで暗示しているかのよう。


 あの日、わたしは窮地に立たされた。

 ざまぁを明日に控え、進退窮まったわたしが最後に頼ったのは、他ならぬ呪いだった。


 ギルバートは言っていた。贈り物のウエディングドレスはジークハルトが手ずから選んだものなのだと。きっと本意ではなかっただろう。ひょっとしたら嫌がっていたかもしれない。家臣に泣き付かれ、親族に窘められ、渋々店に赴いて適当に選んだものかもしれない。けれどそれが彼の選んだものだということに意味があった。わたしには、あった。その上に金色の髪の毛が一本、乗っていたということにこそ意味があったのだ。


 時間は迫っていた。大掛かりな準備を要する呪いは実行できない。手駒はジークの髪の毛と、せいぜいが護身用に持たされている先の尖ったナイフ。打ち付けるものが欲しかった。ハンマーなら使用人から借りられるはずだ。藁人形は――さようならやおいくん。これでほとんどの材料が揃う。残る懸念事項はひとつだけ。


 わたしの目はベッドの上に吸い寄せられた。純白のウエディングドレス。これだけでは無理だ。分解し、白襦袢として再構成するテクニックがわたしにはない。だがこれは外せない。三種の神器なしに丑の刻参りは成り立たない。


 わたしは考え、悩み――そして決断した。

 その結果が今、この薄い扉越しに存在している。


「…………」


 ノックをかける前に、頭の中によぎるものがある。

 生前のわたしに、たしか立花奏は言っていた。


 乙女ゲーの悪役令嬢に転生した少女は、その乙女ゲーで悪役令嬢が辿る悲惨な運命を知っているからこそ、そこから逃れることができるのだと。


 わたしは『庶民はプリンセスの夢を見るか?』をプレイしたことがない。でも概要なら立花奏から聞いて知っていた。エリーカは死ぬ。己が傲慢な振る舞いの代償を払って。だからそれと逆に、いい子になってみんなに好かれれば生き残ることができるのだと、ずっとそう思っていた。ずっとそう思って、努力もして、その結果があの恐怖の夜だった。


 ――だからきっと、わたしも間違っていたのだろう。


 調和のための努力なんて、最初から成功するはずがなかった。

 みんな仲よくお友だちごっこなんて主義じゃない。

 陰キャのわたしにやさしい悪役令嬢は似合わない。


 あの夜、半狂乱になって部屋を飛び出したわたしが向かったのは、同寮にあるかつて熱心にエリーカを囲んでいた取り巻き令嬢たちの部屋だった。


 わたしは大泣きして頭を垂れ、ウエディングドレスを白襦袢に仕立て直す手伝いをして欲しいと必死で訴えた。リィントレーズ学園に通う前に上級貴族の邸宅で作法を習う彼女たちなら、服を仕立て直すことができる。


 だけど彼女たちの反応は冷ややかだった。冷笑を浮かべて扉を閉めた者もいた。もう夜遅いので明日、というやんわりとした拒絶が続き、わたしの腹の底には恐怖と別の感情が生まれかけていた。


 それはエーコに向かって爆発した。ごめんなさい、とだけ呟いてドアを閉めようとする彼女の頬を反射的に本気でぶったのだ。


「きゃあぁっ!! ……エリーカ様、どうしてっ……?」


 赤く腫れる頬を押さえ、倒れた姿勢そのままのエーコに思わず謝ろうとしたわたしは、そこで口を噤んだ。

 エーコは興奮していた。潤んだ瞳でじっとわたしを見て、ずっと期待していたなにかをようやく手に入れたかのような恍惚に身を浸していた。


 その姿は、暗に言葉の続きをこう語っていた。


『――どうして、今までこうしてくださらなかったのですか?――』


 そうしてわたしは、やっと知ったのだ――エリーカ・アーデルハイドがエリーカ・アーデルハイドでなくなったことで、失われた絆もあったということを。


 そうとわかれば、わたしは元のエリーカ・アーデルハイドに戻らなければならなかった。


 引きずるようにエーコを連れ出したわたしは、それから部屋を逆戻り。ノックもせずに取り巻き令嬢の部屋に押し入り、きつく睨んで、ときには暴力に訴えて連中を拉致すると、わたしの部屋に連れ込んで全員にお針子のまねごとをさせることに成功した。


 もちろん丑の刻参りの現場だって見せた。


 生地の薄い白襦袢に袖を通し、ジークの髪を胸に仕込んだやおいくんにナイフを突き立て、奇声とともにハンマーを振り下ろすわたしを見て、連中は気の触れた女だと思っただろう。なんならそこかしろからすすり泣きの声すら聞こえていた。貴族の箱入りご令嬢が目にするには、あまりにショッキングな恐怖映像だったに違いない。


 しかしその甲斐あってか呪いは発動し、ジークは馬に心臓を潰されて死んだ。

 逆に、死の運命にあったわたしの命の火はまだ灯ったままだ。


 ――でも、これですべてが終わったとは思わない。


 新たにわたしに求婚してきた王子にしたって、いつ恋のお相手をミリルに鞍替えするか知れたものか。いやむしろ、それは既定路線だと考えるべきだろう。誰彼構わず魅了する乙女ゲーの主人公のことだ。きっと狙った獲物は逃さない。依然として、わたしの身はざまぁの危機に晒され続けている。


 だけどわたしは手に入れもした。いや、再発見したと言ってもいい。かつてわたしの身の回りにあり、わたしが闇雲に人にやさしくすることで知らず失い続けていたモノを。


 高飛車で高慢ちきで傲慢で、けれども圧倒的な権勢を誇っていた悪役令嬢としてのエリーカ・アーデルハイド――彼女の背に憧れ、付き従ってきた取り巻き令嬢たちこそ、わたしの頼るべき真の味方だったのだ。


 そんな彼女たちの期待を一身に受け、可愛らしくおやさしい誰にも好かれるご令嬢という虚飾の衣を脱ぎ捨てて、エリーカ・アーデルハイドは女帝の座に復帰する。


 そして、今度こそわたしは、死の運命を完全に断ち切ってみせる。


 宇宙人はいないけれど呪いだけは存在するこの世界を、わたしは呪術の力で生き残ってみせる。


「……うふふ」


 扉一枚隔てて彼女たちが待つ部屋を前に、わたしは微笑する。


 そして目を瞑り、わたしのために作られた呪術研究サークル【黒いお茶会】の誕生を祝すと、すっとドアノブに手を差し伸ばした。



 ――さあ、オカルトを始めようか。

なんだか自分の書く初悪役令嬢モノがこれとか色々間違ってる気がしてきた……。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 最後の締めの言葉がいいですね!
[気になる点] 丑の刻参りって、誰にも見られちゃいけないんじゃない? 見られたら失敗して呪いが自分に降り掛かってくるはずだよ。
[一言] 丑の刻詣りって人に見られたら自分に呪いが返ってくるはず そしてあれは成就に数日かかるのではなかったか?
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