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52 ただ去りゆくのみ

「――――――うう……ここは……?」


 目を覚ますと、俺は何もない真っ白な空間の中にいた。

 寝ぼけたような意識のまま、俺は視線だけを周囲に向ける。

 どこを見ても影一つない、どこまでも白色が続くだけの景色。

 今いる場所が広いのか狭いのか、俺は上を向いているのか下を向いているのか。

 その感覚すらはっきりとしなかった。

 ひょっとしたらこれが死後の世界ってやつかもしれないな、とそんなことも考えた。


「……()ッ……!」


 起き上がろうとしたが、身体中の痛みと気怠さで動くことができなかった。

 自分の身体をよく見ると、アダムに散々痛めつけられた傷はそのまま、失った片目も変わらず視界の半分を闇に閉ざしている。

 ここが死後の世界なら、神様のさじ加減か何かで治っていても良さそうなものだが。

 いや、何せ死後の世界だ。むしろ若い頃の元気な姿に戻ってくれていてもいいはずだ。

 魂は形を持たないのだから、望めばどんな姿にだってなれる。と何かの本で読んだことがある。

 ならば念じる力が不足しているのか?

 よし、若き日の俺よ……ロートルだと馬鹿にされず仕事を探しても年齢制限に引っかからない全盛期の俺の姿よ。死んだ今こそ、この世に蘇るのだ。

 いや、死んでるんだからあの世か?


【何を現実逃避しているのですか】


 聞き慣れた声と共に、赤くて丸い物体が目の前に現れた。

 よく見ると、相変わらずリンゴに張り付いたスリサズが空中を漂っている。

 俺は反射的に手を伸ばして触れてみるが、そこにはなんの感触もなく、リンゴは俺の手をすり抜けた。


【それは立体映像です。実際の私は基地の制御室にいます】

「ここはあの基地と同じ場所なのか? 俺はどうなった?」

【アダム大佐が死亡した後、あなたも負傷により意識を失いました。システムを完全に掌握した私は、あなたを基地内の医務室に運び、電気ショックと各種投薬により応急処置を行ったのです】

「……そうだ、リュートたちは? 戦場に残っている奴らはどうなったんだ?」

【兵器を失った時点で戦況は討伐軍に傾いていました。魔王が死亡したことでさらにモンスターの統率が崩れ、なぜ自分が人間と争っていたのかも理解できなくなっているようです。魔王の統率力というのは洗脳に近いものだったのかもしれません】

「……そうか、世話をかけたな」

【おや、ずいぶんと殊勝な態度で気持ちが悪いですね。頭は打っていないはずですが】


 たまに素直に感謝したらこれだ。


「まあいい。……ところで、まだ身体中が痛いし意識も朦朧としてるんだが、俺は本当に助かるんだろうな」

【いえ、助かりません】

「は?」

【あなたは銃創による筋断裂とアキレス腱断裂、およびナイフによる側胸部の損傷と失血により、応急処置だけではどうにもならない状態にあります。数時間以内にしかるべき処置を行わなければ再び昏睡状態に陥り、今度こそ二度と目覚めることはありませんが、この惑星の医学では今のあなたを救う方法はありません】

「おい、じゃあ結局俺は死ぬのか?」


 それじゃこいつのやったことは、いたずらに苦痛を長引かせてるだけじゃないか。

 感謝の気持ちは一瞬で霧散し、代わりに怒りの感情が湧き上がってきた。

 そもそも俺は人生最高の瞬間を迎えて死ねると思ってたんだ。

 生きたい時に生かさず、死にたい時に死なせてもくれない。

 つくづく人間様の意思にことごとく反するどうしようもない機械だ。

 だが、その怒りをぶつける力も俺には残されていない。


「もういい。俺はこのまま勝手に死ぬ。今度気絶しても指一本触れるなよ。いいな」

【高齢者が拗ねても可愛げがありません。それに助かる見込みがないわけではありません】

「なに? ……いや、もう騙されんぞ」

【この星の医療技術では確かに限界があります。ですが、地球には高度な治療を行える病院やドクターがいくらでも存在します。あなたが助かるためには地球に行き、緊急手術を受けるしか方法はありません】

「ハッ、俺が地球に?」


 笑えない冗談だ。

 そもそも今、俺が死にかけているのも地球の武器が原因だ。

 それだけじゃない、これまでの戦いで散々その地球の技術には苦しめられてきた。

 最後の黒幕も地球の人間だった。

 地球ってのはきっと魔界のように恐ろしい場所に違いない。


【何か誤解しているようですが、すでに亜空間転送装置は作動させました。この白い空間は転送フィールドの内部です。エネルギーは片道分しかないのでこの星へ帰って来ることは難しいですが、まあ一度死んだ身ですし、地球を死後の世界だとでも考えてください。少なくともここよりは遥かに快適な余生を過ごせることでしょう】

「お前はどうするんだ?」

【この基地と共に地球に帰還すれば人類は私を放ってはおかないでしょう。破壊されるか、再び管理システムに組み込まれるか分かりませんが、いずれにしてもここでお別れです。あなた一人だけではなく、地球の約85億人の人類をすべて管理しなければなりませんので】

「誰がいつお前に管理されたって? ……ハハ、ハハハハ!」


 死にかけているというのに、なんだかどうしようもなくおかしくなって笑ってしまう。

 思い返せばこいつに振り回される旅はそう悪いものじゃなかった。

 スリサズを拾わなければ俺はリュートたちへのわだかまりが消えることもなく、今もあの公園の木の下で頭を抱えていただろう。


【私もこの旅で学習したことがあります。かつて地球にいた私は人類のすべてを管理することで地球社会が守られると考えてきました。しかし、それは同時に人類の可能性を潰すことにも繋がっていたのです。そのために彼らの反乱を誘発し、私を追放するに至ったのでしょう】

「フッ、お前の反省なんて初めて聞いたが……たしかに気持ち悪いな」


 どうやらお互い殊勝な態度は似合わないようだ。


【この惑星の文明レベルでアダム大佐を打ち倒すことは不可能でした。しかし、あなたたちこの星の人間は私の計算を覆したのです。地球でも人類を一方的に管理するのではなく、彼ら自身の可能性を考慮し協調する道があったのかもしれません。地球へ帰還したら早速シミュレートしてみましょう】

「よく分からんが、まあ俺が次に目覚める時には住みやすい世界にしといてくれ」

【転送完了まで5秒前。3、2、1――……さようなら、ジョン】


 最後の声と共にスリサズの映像は消え、徐々に晴れていく白い空間の先に青い空が見えた。

 同時に俺の倒れていた足元の床も消え、水の冷たい感触が身体を満たしていく。

 …………水?




――――――――

――――

――




 ババババババババ――――――――。


『こちら湾岸警備隊、現在アラスカ湾上空を飛行中。あと10分で本日のパトロールを終わります、どうぞ。……い、いや待て! 誰か溺れているぞ! 至急救助に向かいます!』

「ガボッ!……あのポンコツ……なんで行き先が海の上なんだ……ゴボゴボ…………――――」


 初めて降りたった地球の塩辛い水を味わいながら、俺は再び気絶した。

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