03
「これがこの世界の成り立ちと言われている話だな」
なるほど。
リーニャは納得した。
絵本で見た魔物が生まれる時にある黒い石のようなものはなんなのだろうかと思っていたのだ。
あれが邪神が埋めた石というものなのだろう。
「まぁ、物語のようにすべての魔物が入れない訳じゃないんだけどねぇ」
「そうなの?」
「最初から内側に居た魔物は内側でそのまま繁殖してしまっているからな。大型はさすがに居ないが、中型は極稀に現れる事がある」
「今回みたいなのは……?」
少し苦笑い気味のミランダと肩を竦めるハリーを見て、リーニャは恐る恐る問いかける。
さすがにこんな大災害がまたあると思うと恐ろしい。もう一度同じような事があれば今度こそ死んでしまうかもしれないのだ。リーニャは体を震わせた。
「はっはっは、こんな事が起きるのは初めてだから安心していい。騎士様が言うには街から離そうとしている最中の事故だそうだ。今のところ死人も見つかっていないしな。それもこれも守護者様達が守ってくれたからだろう」
不安を吹き飛ばすように言ったハリーの言葉に、リーニャはホッと息を吐いた。
しかし、守護者様が守ってくれたから、とはどういう事だろう。
「守護者様って、騎士様達の守護者達の事?」
まさかグレンの事ではないだろう。グレンは火を出す蜥蜴だ。人を守る力なんて見た事がない。
「おや、リーニャはグレンちゃんとずっと一緒に居るのに知らないのかい?」
「え、う、うん」
何か知らなければいけない事があったのか。リーニャはドキドキした。
なにせリーニャが守護者持ちだと知っているのはミランダ達だけなのだ。実のところ、リーニャが守護者に関して聞いた話はほとんどが噂話で、グレンに質問はしているものの、グレンは質問に対して頷くか首を横に振る事しかしない。
王都に行けば詳しい勉強をさせてもらえるという話なのだが、グレンが姿を見せなければリーニャが訴えたところで詐称と思われてしまうのが関の山。そういう行為は牢に放り込まれる事もあると聞く。そういう事もあって、リーニャは随分前に王都で勉強する事は諦めていた。
だから細かな取り決めや違反行為があったとしてもリーニャは知らない。
「まさかリーニャ、神殿に行った事がないのかい!?」
え。
鬼気迫るミランダの様子に、リーニャは戸惑った。
「失念していたな……。孤児院のヤツらは一回も神殿には連れて行かなかったのか?」
「う、うん」
神殿。名前は聞いた事はある。
どうやらこの国は三年に一度、各地の神殿で神を祀るお祭りをするらしい。期間はひと月。ひと月も長いお祭りなんてすごいなぁ、とリーニャは思っていたのだが、二人の様子を見ているとどうやら意味合いが違うようだ。
「くそっ、あの孤児院は一回調査をして貰った方がいいんじゃねぇか?」
「そうだねぇ……、私もまさかそんな酷い事をしてるなんて……」
「えっ、神殿に連れて行かないっていうのはそんなに酷い事なんですか?」
リーニャの戸惑う姿に二人は顔を見合わせ、そして重々しく頷いた。
「リーニャ、孤児とはいえ、預かった子供を神殿に一度も連れて行かないのは犯罪なんだよ」
「犯罪!?」
「ああ。昔からあの孤児院は怪しいと思っていたが、まさか子供を神殿に連れて行かないとは……」
まさか、である。
リーニャにとって話に聞く神殿は、前世でいう教会みたいなものだと思っていた。
だが、二人の様子を見るとどうやら違うらしい。
「えっと、連れて行かないと犯罪っていうのはどういう……」
「神殿っていうのはね、この国で生まれた人達に加護を与えてくれる場所なんだよ」
「加護?」
「まぁ、守護者の居ない只人のためのお守りみたいなもんだな。俺達も守護者様の加護のおかげで今回は助かった」
加護ってそんなにすごいのか。
リーニャは驚いて目を瞬かせた。
「まぁリーニャにはグレンが付いているから必要ないんだが、守護者持ちは神殿で登録が義務付けられてる」
「えっ」
(義務……?)
「リーニャもグレンと一緒に居るからわかるだろう? 守護者持ちを私物化しようとする人間も居るって事を」
わかりたくないけれど、わかった。
それが恐らくグレンが懸念していた事だから。今だからこそわかるが、グレンは人を信用していなかったのだと思う。
個の力は集の力には負ける。
グレン自身だけならばなんとかなる事も、リーニャが人質となってしまう事で誰かの命令を聞かなければいけない状況に変わってしまうかもしれない。
この街にはそもそも守護者持ち自体が少ないからそんな事件は聞いた事がなかったが、死刑や国外追放などの重い罪になってしまうとしても甘い蜜の誘惑に勝てない人間が多いだろう事は予想が付いた。
だって、誰かが言うのだ。
ここにあの守護者持ちが居れば、とか、自分にも守護者様が付いてくれてたら、とか。
グレンくらいの力の守護者でも、傍にいるというだけで心強く感じてしまうのだから、守護者を持ってない人達が羨むのは仕方がない。
リーニャ自身もグレンという守護者がいなかったら守護者持ちにおかしな期待を持っていただろう。
だから今、神殿という守護者を管理する場所があると聞いて驚いた。
弱い立場の守護者持ちをどうやって守っているのか、リーニャは知らなかったが、まさかそんな規則があるなんて気付きもしなかった。
リーニャは今の今まで誰か大人に自分が守護者持ちだと教えれば王都へ連れて行って貰えると思っていたのだ。
まぁ、現実はそんなに甘くはないという事だろう。
今更ながら無理やり孤児院を飛び出したりしなくてよかったと胸を撫で下ろした。
だが、次のミランダの台詞に凍りついた。
「義務を怠ると罰則もあってね」
「罰則!?」
「おいおい、リーニャをあまり脅かすなよ」
ミランダの言葉と真剣な表情に青ざめるリーニャの背中をハリーは苦笑しながら優しく叩く。
そのハリーの様子にリーニャは少し安心した。
「罰則があるのは基本的に大人だ。親とかな。リーニャの場合は孤児院の職員になるが……」
どきりと胸が高鳴った。
「……その、罰則って、どんな?」
確かにあの孤児院は酷い。
でも、外の世界はもっと酷い。
ミランダやハリーのような良い人は少数だし、基本的に働けない人間を無条件で養えるほどこの街の住人は裕福ではない。
復興するのにだって多少なりともお金がかかるだろう。
それを考えると罰則の内容次第によっては被害を受けるのは子供達だ。
いい思い出なんてほとんどない。ないけれど、美味しいものが食べられた時、一緒に笑った子も居る。寒くて凍えそうな時、一緒に体を寄せ合った子だって……。
そんな子供達の事を考えると、安易に罰して欲しいなんて言えなかった。
罰が、金銭で片付くものだったら?
もしかしたら誰かが告げ口をしたんだろうと責められるかもしれない。
職員が変わって、もしもっと酷い人間が来たら?
もっと死んでしまう子供が増えるかもしれない。
色々な事を知っているだけの前世の知識が、想像力を膨らませ、信頼しているはずのミランダやハリーにも結局何も言えなかった。
何より、リーニャは自分のせいで状況が悪化するのが怖かったのだ。
「……とりあえず、監査は入るだろうな」
ハッと顔をあげると、ハリーはリーニャをじっと見つめていた。
「ただの監査じゃない。守護者持ちの監査だ」
リーニャはパチパチと目を瞬かせ、首を傾げた。
守護者持ちの監査と、普通の監査は違うのだろうか。
「リーニャは本当に何も知らなかったんだねぇ……。私達はちっとも気づかなかったよ」
「う、あ、その……」
「こらこら、気にするんじゃない。悪いのはリーニャじゃないんだからな。リーニャはグレンが自分の事を理解してくれてるのはわかっているだろう?」
ハリーの言葉に、リーニャはすぐに頷いた。
グレンはリーニャが言葉にしない事でも理解してくれている。でもそれは、ずっと一緒に居るからだと思っていた。
しかし、ハリーがわざわざそうやって言うという事は、違うのだろうか。
まさか……。
「えっ、守護者って人の心が読めるの!?」
「私達も本当にそうなのかは知らないんだけどね。そういう噂だよ」
噂……。でも噂になるって事は……。
リーニャは肩の上に乗って話を聞いてる様子のグレンをじっと見た。
まさか、自分の浅ましい気持ちがグレンに筒抜けているなんて思いたくない。
思いたくないが、そんな自分を知っていても傍に居てくれるんだとしたら、嬉しいような気もする。複雑な気持ちのままグレンを見つめ続けていると、ハリーが喉を鳴らした。
「まぁ、守護者持ちの監査が入ると、悪事を働いていた人間が捕まるのは間違いないらしい」
「それは本当?」
「ああ、次に入る人間の事も厳選してくれるだろうよ」
「そう……」
よかった。
リーニャの頬が緩む。
まだ安心は出来ないが、厳選してくれるというのだから、それなりの人間を宛がってくれると信じよう。
孤児院を出てからまだ三年しか経っていないが、自分だけが幸せな生活を送れているような気がしていたのだ。
職員が変われば孤児達は今よりも少しはマシな生活が送れるだろう。
心に痞えていたしこりが一つ取れた気がして、リーニャは安堵の息を吐き出した。
その心の変化に反応するように、グレンはリーニャの頬につるりとした頭をすり寄せる。リーニャはグレンの優しさを感じた気がして、お返しに指で頭を優しく撫でた。
「……リーニャ。一つ聞きたいんだけど、リーニャは王都に行きたいかい?」
「えっ?」
王都に?
リーニャは突然のミランダの問いかけに戸惑った。
昔は恋焦がれていた王都。
どんな場所かは詳しく知らないけれど、そこはこの辺境の街よりもうんと大きくて、もっと綺麗で、清潔で、そして勉強が出来るという。
昔は何度も夢を見た。そこに行けば、この前世の知識を使って俗に言う無双とか、チートとかが出来るんじゃないかって。
乙女ゲームのように、かっこいい人に出会って、素敵な恋が出来るんじゃないかって。
しかし現実はそんなに甘くはなかった。
前世の知識なんていうものはおぼろげなもので、便利な道具があった事を覚えていても、その作り方を覚えている訳ではないから、誰かに話したところで夢物語だと思われて終わりだったのだ。証明できない物の話をしても世界が変わるはずもなく、ただ頭のおかしい人間だと思われただけだった。
次に考えたのは守護者の存在を利用する事だった。
そう。リーニャはグレンをダシにして伸し上がろうとしたのだ。
それが悪い事だとは思わない。コネは誰かの信用を得るための手段の一つだと思うから。
でも、その時のリーニャはグレンを自分の所有物のように考えていたのだ。
グレンがリーニャを連れて行きたくないと思うのも当たり前だ。
嫌だと拒否するグレンの気持ちを考えず、何を思って拒否をしているのか理解をしようともしていなかったのだから。
その王都へ行く切符が、今突然目の前に現れた気がした。
「……グレン」
リーニャは肩に居たグレンを片手でむんずと掴むと、手のひらに乗せてその両の瞳をじっと見つめた。
「ねぇ、私が王都に行きたいって言ったら、一緒に王都に行ってくれる?」
以前は押し付けるだけだった気持ちを、問いかけへと変えて、リーニャはグレンの返事を待つ。
グレンはまるでリーニャを見定めるかのように見つめ返し、そして目を細めると、仕方がないな、と言わんばかりに頷いた。
「いいの!?」
その頷きは、以前は決して貰えなかった返事だった。
「グレンありがとう!!」
リーニャは嬉しすぎて、グレンを胸元で抱きしめる。
そんなリーニャの様子を、ミランダとハリーは少し寂しそうに見つめていた。




