02
『なんでグレンは一緒に居てくれないの!?』
孤児院の庭の隅で、リーニャはグレンに怒った。
今日こそ職員の一人にグレンを見せようと思っていたのに、グレンはそんなリーニャの気を知ってか知らずか、気づくとポケットから居なくなっていたのだ。
リーニャは孤児院のあちこちを探し回り、庭の隅でのんびり日向ぼっこをしているグレンを見つけた。
グレンは誰かに見られるのが嫌なのだという事は、ずっと以前からリーニャは知っていた。
小さな頃はそんなグレンの意思をリーニャだって尊重していた。そうしなければ、守護者を大切にしなければ、守護者に見放されてしまえば、リーニャが本当に一人になってしまう事を、リーニャ本人がよくわかっていたから。
『……宿屋の息子さん、守護者持ちだからってお国に支援してもらって王都に勉強に行くんだって』
でも、やっぱり人の欲というものは抑え切れるものではない訳で。
『グレンが一緒に居てくれたら私も王都に行って、美味しいものがたくさん食べられるのに』
ひもじい毎日が嫌で嫌でたまらなくて。
『今日はずっと一緒に居て、お願い!』
何度も何度も頼んだ。でも決してグレンは首を縦に振ってはくれなかった。
グレンはやっぱり気づくとポケットから居なくなっていた。
『……なんで? グレンは私の事が嫌いなの?』
それでも、一人で泣いていると絶対にグレンはリーニャの傍に居てくれた。
もしかしたら今度こそ愛想を付かれちゃったんじゃないかって心配を打ち消すように、細い舌で涙に濡れた頬を舐めてくれた。
「グレン……?」
リーニャは頬への馴染みのある感触に目を開けた。
そこに居たのは思った通り紅い蜥蜴の金の瞳だった。その事になんだかとても安心した。
「グレン、よかった……。怖い、夢を見て……。街が……ッ!?」
リーニャは昨夜の事を思い出して慌てて体を起こした。
そこは簡易で作られたと思われるテントの中だった。リーニャの他にも数人が逃げ延びたのだろう。誰も彼もがあちこちに怪我を負っていた。
あれはやっぱり夢ではなかったのだ。
リーニャは一日の労働を終え、グレンと小さなアパートでのんびりと絵本を読んでいた。
前世ほどではないものの、やはり物語を読むのは好きで、市民向けの図書館で借りた一冊だった。
本来であれば孤児が図書館で本なんて借りられないが、雄鶏亭のミランダとハリーが後見人として付いてくれたため、借りる事が出来た。
内容としては子供向けのこの世界の創世記のようなものだ。
神がどうしてこの世界を創り、守護者を遣わしたのか。
そして、どうして魔物という存在が現れたのか。
そんな話が可愛らしい絵付きで書かれていた。
前世の記憶がある者としては、どうしても微生物とか、進化とか、最終的にはそういう方向へこの世界も変わっていくのかも、と思いながらも、やっぱり魔法や魔力が関わってくるというだけで夢がある。
大人な前世の思考からすればどこか宗教の本のようなイメージがあったものの、書かれている内容は文字の勉強にもなるし、楽しいと思えた。
「ふぁ、そろそろ寝ようかな……」
まだすべての文字が読める訳ではないが、絵のお蔭でなんとなーく内容は把握出来た。明日もう一度読み直して、どうしてもわからない部分はミランダとハリーに教えて貰おう。
そして部屋の端のベッドに潜り込んだ。
その時。
窓の外がまるで朝日の光を浴びるように光った。
それからの事をリーニャはよく覚えていない。
ものすごい轟音と共に辺りが真っ暗になり、気づいた時には瓦礫と火に包まれた世界に一人座り込んでいたのだ。
(あっ!!)
「女将さん達はっ!?」
リーニャは慌てて立ち上がると、疲れからか一瞬よろめいた体をなんとか踏みとどまらせ、テントの外へと駆け出した。
テントから出て見た光景は、リーニャの足を止めた。
火は既に鎮火されていたものの、街は半壊していた。特にリーニャの住んでいた地域は建物が薙ぎ倒されている。一体何が起こったのか。この世界に生まれてから初めての経験にリーニャは震えが止まらない。
ミランダ達は、生きているのだろうか。こんな酷い状況で。
(でも、探さないと……)
探さないと、探して、探して……。
――探してどうするの?
リーニャは歩き出そうとした足を再び止めた。
――探して死んでいたら?
――生きてても、こんな状況じゃ今後も同じ生活が出来る訳ないじゃない。
――まさかこんな状況で自分の面倒を見させるなんて図々しい事、考えてないわよね?
こんな状況で、こんな時に、保身を考えた自分を責める、自分の声。
どくり、と心臓が音を立て、血がどんどん下がっていくのがわかった。
こんな時に何を考えているんだ、と罵倒したい自分も居れば、こんな時だからこそ仕方がないじゃない、と叫ぶ自分も居た。
どちらの声も否定出来ない。
だって、孤児だから。
誰も庇護してくれない。
誰も暖かい食事を分けてくれない。
誰も一緒に眠ってくれない。
優しくしたら、優しくしてもらえないかと思った時期もあった。
まずは自分から動いてみようと思った時期もあった。
でもリーニャの気持ちを返す事が出来るのは、心に余裕がある人間だけだったのだ。
荒んだ人間が運営する貧しい孤児院では皆明日を生きる事しか考えられない。
心優しい子供だって居た。自分より小さい子供に自分の食糧を分けて、分けて、分け続けて……。死んでしまった……。
耐え切れない寒さに死んでしまう子供も居る。
貧しさに耐え兼ね、後ろ盾もなく孤児院を飛び出していった子供も居る。
リーニャには、勇気がなかった。
耐えれば、十二歳まで耐え抜けば、まともな衣服を貰い、孤児院が最初だけ保証人になってくれる。その時を夢見て生き抜いた。
もう過去の話だ。
そのはずなのに、リーニャは未だどこかであの日に戻る事を恐れている。
「リーニャかい!?」
何度も聞いた声に、リーニャは顔を上げた。
そこにはミランダとハリーが居た。ミランダは額にガーゼを、ハリーは片腕を布で吊っている。
料理人が腕に怪我をしたなんて、きっとお店が無事だとしても、再開はすぐには出来ないだろう。
でも、生きてる。
生きててくれた事に素直に喜べる自分に、リーニャはホッとした。
「女将さん!!旦那さん!!」
飛びついたリーニャを、二人は力強く抱きしめてくれた。
「よかったよぉ。あんたの家の辺りを今見に行ってきたんだけど、酷い有様だったから……」
「親切な人が助けてくれたの」
「そいつは礼を言わなきゃな、その親切な人はどこだ?」
(そういえば、私を助けてくれたのは誰だったんだろう……)
火の光にも負けない見事な紅い髪と褐色の肌を持つ男。上半身裸で刺青だらけだったのはとても怪しいが、子供とは言えない大きさのリーニャを軽々と抱き上げ、安全な場所へと運んでくれた事にはリーニャも礼を言いたい。
キョロキョロと辺りを見渡してみたが、この辺りには居なさそうだ。
「えっと、その人が運んでくれてる間に、私寝ちゃって……」
「きっと騎士様だよ、私達も助けて貰ったんだ」
「騎士様? この街に騎士様がいるの?」
騎士というのはみんな強い守護者を持っており、国防を司っている職業の事だ。しかしリーニャは今まで話には聞いた事があったが、騎士なんていう存在は見たことがない。警備兵の間違いではないのか。
リーニャが首を傾げると、ハリーは誇らしげに頷いた。
「ああ、国防軍だ。話を聞くに、近隣にサイクロプスリザードの目撃情報があったため、わざわざこんな辺境まで来ていたらしい」
「サイクロプスリザードって……、魔物!?」
「ああ、リーニャはまだ魔物を見た事がないんだったか」
「うん」
リーニャは魔物を見たことがない。
魔物が居るらしい、というのは色んな人達から注意を受けるから知っていた。
街から出たら魔物に襲われる。
他国に行く時には護衛が絶対に必要。
迷い込んできた小型の魔物を警備兵が倒したらしい。
しかし、街の外れの孤児院に魔物が出た事はなかったし、街から出たことがないリーニャは魔物を見た事がなかった。
(魔物って本当に居たんだ……)
狭い世界で生きてきたリーニャは改めて周りを見渡した。
今居る小高い丘から見てみれば街の姿がよくわかる。
街は真っ直ぐ一本道を通すかのように壊されていた。これが魔物の攻撃なのだろう。
(こんなのがたくさんいるのかな……)
怖い。純粋にそう思った。
こんな攻撃をする魔物を倒すには守護者の力が必要だ。だが、辺境の地に留まる守護者持ちは滅多にいない。王都の方がより良い職場が溢れており、待遇もとてもいい。例え平民であっても重宝して貰えるのだから、こんな辺鄙な街で一生を終える必要はない。
それにこんな魔物の恐怖に怯えることもないのだろう。
いいな、とリーニャは単純に思った。
(まぁ、私の場合はグレンがどうしても嫌がるから無理だけど)
そんなリーニャの心の声に反応するかのように、いつの間にかポケットに入っていたグレンがもぞりと動いた。
「サイクロプスリザードなんて大型の魔物は俺たちも今まで見た事はなかったけどな」
「珍しい魔物なの?」
「そもそも大型の魔物なんてやつが見つかる事が滅多にないぞ。あいつらは強いが、結界が嫌いなんだ」
「結界?」
「ん? リーニャは習わなかったか?」
知らない。そうは言えない雰囲気だが、知らないものは知らない。
孤児院で多少の教育は受けるが、それは日常生活に困らない程度のものだ。今思い返しても孤児院の職員はどうかしている。
リーニャはボソボソと小さく言った。
「知らない……」
「あー……、そうか」
ハリーに残念そうな目で見られ、リーニャは唇を尖らせた。
「創世記は習ったか?」
「あ、それなら……」
今読んでる。
教えて貰ってない、とは言えなかった。
そんなリーニャの心を知ってか、知らずか、ハリーは丁寧に教えてくれた。
この世界の始まりを。
※※※
寒さも、暑さも、飢えもなく、寿命すらないそんな楽園には、たくさんの神々が住んでいた。
そんな世界の中。一柱の神が代わり映えのない毎日に飽き、変化のない日々を憂いた結果。退屈な毎日を終わらせるため、神は一つの世界を作り、創造神となる。
創造神が作った世界は始め、ただ土と石の塊でしかなかった。
まず創造神は種を撒いた。
種はあっという間に芽吹き、世界は緑に包まれ……。そして、あっという間に枯れてしまった。水がなかったためだ。
神は今度は土の塊の上を水で覆い、またそこに種を撒いてみる。
だが、ありとあらゆる土の成分を吸い込んだ水では木は育たなかった。
代わりとばかりに海藻が生まれる。
水の中の世界はとてもおだやかで、しばし神の心を癒したが、神は変化のない世界にすぐに飽きてしまった。
神は途方に暮れた。
これ以上どうすればいいのかがわからなかったのだ。
そこで神は暇そうな他の神々へと話を持ちかけた。
暇だった神々は創世神の話に飛びついた。
一柱の神が言った。
「水辺だけじゃつまらない。新たな大地を作ってそこに森を作ろう」
一柱の神が言った。
「空を作り、光と闇を作ろう。森があるなら水が必要だ、最初の水を海として、その海から溢れた水を大地に降り注げるようにしよう」
一柱の神が言った。
「生き物を育てたいな」
一柱の神が言った。
「ならばその生き物は私達と似た姿にしよう」
こうして神々は魔力によって獣を、鳥を、魚を、そして人を作り出した。
しかし、またしても問題は起きる。
人だ。
獣や魚や鳥達とは違い、手を使える人という存在は、神達の予想よりも遙かに早い速度で成長を遂げ、知恵を付けた。
その知恵は獣や魚や鳥を襲い、そして最後には人同士の争いへと変化していく。
自分達の欲を満たすために彷徨い、最終的には他者の物を奪い合って殺し合う。滅びへの道を歩む人々を、創造神は憂いた。
そしてまた他の神々へと相談する。
そこで新しく加わった一柱の神が言った。
――人同士で争うのを止めたいのであれば、共通の敵を作ればいい。
ニヤリと笑いながら言ったその神は、邪神だった。
邪神は他の神々の静止も聞かず、いくつかの黒い石を大地へと埋めてしまった。
そうして一時も経たない内に、そこから魔物が生まれ、争いをしていた人々が食い殺されていく。
邪神は逃げ惑う人々を嘲笑った後、もはや興味は失せたとばかりにその場から立ち去った。
残った神々はしばしの間悩んだ。
人間というものは強欲で、時にどうしようもなく愚かになってしまう存在ではあったが、自分たちが生み出した可愛い子供だ。
神々を敬う心を忘れた者も居れば、生涯に渡って敬愛してくれた者も居る。
そんな彼らを神々は見捨てなかった。
神は特に世界を嘆き、どうすることも出来ない自分の力の無さを悔いている人々に自分達の眷属を遣わした。
眷属達はその力を持って魔物の入ることの出来ない結界を張り、結界内の人々を守った。
それから結界内に国が出来、結界内で生まれた人達の中に神の眷属を連れて生まれる者も現れた。
彼ら眷属は守護者と呼ばれ、守護者と契約をして生まれた者達は守護者の庇護を得られるという事で大事に保護されるようになった。




