第四話 レインコート
振り向きざま、俺は右腕に針で何度も刺されたような痛みを感じた。あの独特な痛覚を刺激されるような感触だ。
そして同時に、普通の人生を送っているなら聞きなれない音がした。
スパンッ!! ゴッ……チッィィギィ!!
擬音で表すとしたらそんな感じだ。
その瞬間は何が起こったのか気づかなかったのだが、あとから変に冴えた頭で俺の腕に起こったことを分析すると、前半のスパンッという音は刃物が勢いよく腕の肉を切り開いた音、そして続く鈍い音は肉に深く刺さった刃物が骨に打撃を加えた音、そして骨の上を刃がノコギリのように滑った音だった。
絶叫しながら俺は後ろに飛び退く。
恐る恐る切られた部分を掴むと、零れ出る鮮血でぬるぬる滑って掴みにくい。その感触が、俺を恐怖に陥れる。
俺の腕はどうなってるんだッ……!? 生まれて初めてこんなに切られたけれど、これ、もとに戻るのかッ……!? あ、てかこんなに出血して大丈夫なんだろうか……ていうか、俺を切りつけたのは誰た!? 誰もいないじゃないかッ!!
「アぁ腕を切っちゃッたかー残念ー」
さっき聞こえた声が。
若干舌足らずな女の声が俺のすぐ後ろ、耳元で囁いた。
熱ぼったい吐息混じりの声に、耳を中心として身体中を一気に鳥肌が立つ。慌てて後ろを振り向くと、今度は右腕を抑えていた方の腕をなぶるように切られた。
俺の二度目の悲鳴は過呼吸でとぎれとぎれとなり、なんとも情けなかった。
「ぎゃハはッ!!」
誰かが嗤った。
追われる草食動物のように鏡が吊られた明るい部屋の中を見回す。
すると……いた。
黒いレインコートを着た人間が、吊るされた鏡の横に立っている。フードに覆われて顔は見えないが矯正の入った歯がにやりと覗く。
そしてそいつの右手には、血で汚れた包丁がぶら下がっている。刃渡りはまずまずの長さで、機嫌よくそいつの身体の横でぷらぷらと揺れており、俺はそれから目を離すことができない。
右に。
左に。
振り子のように揺れて、そして次の瞬間。
俺の顔面に向けて包丁が迫った。
あ、これはやばい。
確実に痛い。
そんな風に、死よりも先にこれから感じるであろう新たな痛みに怯えた。