第三話 吊るし鏡
俺がもう少し賢ければ、床の赤黒い汚れを見てすぐに回れ右して帰ったはずだ。
だが好奇心という奴は厄介なもので、この先に何かあるのではないかと確認したい欲求が本能に勝った。
まさかとは思うが、これの正体が血痕なんてことはないだろう。心のどこかでそう楽観していたことも否定できない。
俺は跡をたどって次の部屋に進むことにした。
次の部屋の入り口も、ドアの立て付けが悪くなっている。地震によるものか腐敗によるものかは分からないが、体当たりするように体重をかけて押し開けないといけなかった。
やっとの思いで身体が通れるくらいの隙間が開くと、いたるところを擦りながらその隙間を擦り抜けて次の部屋に入った。
懐中電灯で照らすと、この部屋は先ほどの部屋よりも広い間取りのようだった。
部屋に漂う空気は冷たいような、ぬるいような感じがして気持ち悪い。湿気と埃が沈殿する中を壁伝いに移動すると、壁に掛けられた一枚の鏡に手が触れた。懐中電灯に照らされて暗闇から浮かび上がったその鏡の表面をひたひたと触る。
すると、突然部屋全体が白い光に包まれた。
急な眩しさに眩暈を覚える。
しかし......なぜ急に明かりがついた?
当たり前のことだが、廃墟に電気が通っていること自体あり得ないのだ。
......誰かいるのか?
そう思うと、首筋が泡立ち始めた。
と、いきなり俺の目の前を風切り音と共に何かが落下してきた。
それは床にぶつかると共に派手な音とガラスをまき散らして倒れた。俺の口から意図しない悲鳴が飛び出る。
見ると、それは太い鎖で繋がれた鏡だった。あと数センチいま立っているところから動いていたら、確実に俺の頭は砕けていただろう。間違いない。何者かの悪意を感じる。
鏡が落ちてきた天井を見上げると、滑車装置のようなものが見えた。鏡の鎖はその装置に繋がれているようだった。今落ちてきた鏡以外にも、もう何枚か鏡が吊るされているようだがそれに混じって不自然なものも吊るされてある。
それは、鏡と同じように鎖で繋がれていたが、青いビニールシートで覆われているみたいだった。
大きさはなんというか、まるで人間のサイズのようなもので。
......あまりそれには触れたくないのだが、そのビニールシートのシルエットはちょうど人が逆さに吊られたような形だった。
ぽちゃ。
何かがそのビニールシートから滴って、俺の頬を濡らした。途端に、錆びた鉄のような、また熱を帯びた乾電池のような臭いが広がる。
ゆっくりと右手で頬に触れると、手のひらは真っ赤に染まっていた。
それを見た俺は、無意識に全身がぶるぶると震えた。
これはやばいと思ったその時。
俺の後ろで誰かがケタケタと嗤った。
「あーぁ、見ツかっちゃっタ」