第一話 ミラーハウス
お気に入りの黒いキャップを目深に被り、今一度機材をチェックする。
まあ、チェックすると言っても頭に取り付けたカメラがきちんと録画を続けていることは、ここの入り口で確認したし懐中電灯のバッテリーも問題ないくらい残量が残っていることはチェック済みだ。
この一連の動作は、俺の趣味である廃墟探索を始める前の儀式みたいなものだ。
俺の住む町から少し離れた郊外、そこは山の中腹に位置し主要な町や駅などから離れているため非常にアクセスが悪い場所に一つの遊園地の残骸があった。
バブル期に建てられて対した利益を生むことなく廃園に追い込まれたそこは、繁殖力の強い木々や雑草が侵食しており、一年のうちほとんどがじめじめとした霧に包まれている。
ネットでもなかなかこの遊園地の情報は出回っていなかったため、これはいい廃屋探索になるのではと思って俺はここに来た。
いい年してなにを勝手にこんな所に不法侵入しているかというと、俺は廃墟が大好きで仕方ないからだ。確かにあまり人に褒められるような趣味ではないが、人の営みがあった建物たちが自然と朽ち果て自然に還る様はとても美しい。
もちろん探索には危険が伴う。
一度はホームレスに鉢合わせしたこともある。ある古いマンションに侵入した時は、配線泥棒を食器棚に隠れてやり過ごしたこともある。
さてさて、今回は鬼が出るか蛇が出るか。
俺は印刷した当時の遊園地のマップを見ながら、とりあえず入り口から入って少し歩いたところにあるミラーハウスに入ることにした。外装からしてぼろぼろとペンキが剥げるままになっており、腐ったベニヤ板がめくれ上がったリしている。
入り口に散らばるガラス片や雑草の生え具合から、最近人が侵入した様子はないようだ。外れかかっている入り口のドアをグローブをはめた手で引っ張る。
するとドアは派手な音を立てて開いた。
懐中電灯で中を照らしながらそろそろと入っていく。しばらくは長く狭い通路が続いているようだ。
通路に敷かれたカーペットはところどころが欠けており、黒いカビで変色している。
両脇の壁には当時のキャラクターだろうか、悪趣味なピエロの絵が一定の間隔で飾られてある。
塗料の劣化により、ニタニタと笑うピエロは赤い色の涙を流していた。
まっすぐな通路の途中で、いきなり尋常でない物音が地響きと共に響いた。例えるなら金属製のロッカーが倒れたような音だ。それが聴こえた時に、身体がビクリと震えあがった。
動きを止めて耳をそばだてる。
だがそれ以上は物音がしなくなり、耳が痛いくらいの静寂が響く。
心臓の輪郭が分かるくらいドキドキしていたが、しばらくして俺はさらに通路を進むことにした。
今一度気を引き締めて。歩き出す。
だが今度は通路を完全に抜ける瞬間、唐突に俺の目の前にあった絵が額縁ごとばたんと床に落ちる。動くはずのないものが動いた。
息をひそめ、静かに絵を観察する。
なぜ絵が落ちたのか?
考えられることは、俺が移動する振動で落ちてしまったのだろう。そう思いこもうと努力し、気を落ち着かせるため深呼吸する。冷静さを装いながら、デジカメを取り出して記念に一枚その絵を写真におさめようと構えた。
ピッとデジカメのフラッシュが光ったその瞬間。
今度は入り口近くの通路に飾られていた絵が、ぱたんと音を立てて落ちた。慌ててそちらに振り替えると、通路の左右に飾られた絵が次々と床に落ちだした。
ぱたん。
ぱたん。
ぱたん。
ぱたん。
ぱたん。
ぱたん。
ぱたん。
ぱたん。
ぱたぱたぱたばたばたばたばたばたばたばたばたばたばたばたばたばたばたばたばたばたばたばたばたばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばたッ……!!
何者かが通路の絵を落としながら俺に迫ってくる。
そんな風に思えてしまうほど、尋常でないその現象に腰を抜かしながら俺は慌てて通路から逃げ出した。