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ある日、彼女のもとを訪れると、部屋の雰囲気が変わっていることに気がついた。何が変わっているのかと注意を凝らしてみると、見慣れないクッションの入ったカゴと、水の入ったボウルが置かれていた。
「ペットでも飼うのかい?」
僕がボウルの方へ顎をしゃくって尋ねると、彼女は本棚の方へ視線を向けて答えた。
「んー、友達に頼まれてね」
そのまま彼女は本棚と壁の隙間を、ちょいちょいと指で示してくる。その隙間を覗き込んでみると、黒くて小さな毛玉がいた。その毛玉は僕が近寄ってきた気配を察知すると、もの凄い勢いで飛び出してきた。そして、あっという間にレコードプレーヤーの裏へと隠れてしまった。
「猫?」
「そう黒猫。動物愛護団体でボランティアやってる友達から、どうしてもって泣きつかれてね。わたしが引き取ることになった。あぁ、名前はジルだよ」
「ジル? 由来はなんだい?」
「さぁ? 由来は聴いてないな」
「自分で付けたんじゃないの?」
「いや、元からの名前だよ。彼が生まれて初めて与えられた名前だからね、尊重しようかと思ってさ」
そう言って彼女はチッチッと舌を鳴らしながら、指先を動かして黒猫を呼んでみるが、ジルの出てくる気配はなかった。
「君がいるから出てこないみたいだね。ほら、あれだよ。動物はわかるらしいから。善人か悪人か」
ニヤニヤと彼女は憎たらしい笑みを浮かべる。
「それなら、真っ先に擦り寄ってくるはずだと思うね、この僕に」
「自分のことって、案外、自分が一番わかってなかったりするよね。うん、あるある」
彼女は一人で大きく頷いてみせると、ぷぷっと堪えきれずに吹き出した。
ジルと僕の距離がいつまでたっても縮まらなかったということは、きっとそういうことなのだろう。ぼくが悪人であることは、自分でも否定はしない。やっぱり動物にはわかるらしい。
彼女が正しかった。