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藍色に熔ける  作者: 藍澤ユキ
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 拒絶と取られないように注意しながら、覆い被さってきたリンちゃんを少しだけ押し留めて僕は頼んでみた。

「シルビアさんにはご退室いただけないかな」

 シルビアはリンちゃんの愛猫だ。僕にはなんという種類かわからないが、毛が長く品のある雰囲気を持った小柄な猫だった。

「気になる?」

 愛らしい笑みを浮かべるリンちゃん。その瞳には、どこか得体の知れない余裕が浮かぶ。

 でもそんな印象も、たぶん、計算された演出。

「見せる趣味は、生憎、僕にはないんでね」

「勿体ぶった言い方をする」と、リンちゃんにはよく言われた。

 でもそんな時、決まってリンちゃんは楽しそうに口元を弛めることを僕は知っていた。

「見せてあげればいいのに」

 僕の上に馬乗りになって、くつくつと笑うリンちゃん。

「頼むよ」

 リンちゃんの整った顔を見上げながら、再度お願いしてみる。「うぅん」と顎に人差し指を当てて考えるポーズをしたあと、

「わかった」

 そう言って、リンちゃんはにんまりと微笑むと、柔らかく身体を前に倒して、軽く唇を重ねてきた。

「すんごく集中できちゃうんだよねぇ、きっと」

 リンちゃんは僕の耳へと唇を当てながら、吐息混じりに艶かしく囁いた。僕の腕と背中がぞわりと粟立つ。

「今日はなんだか煙草の匂いがする。吸わない人なのにね」

 リンちゃんは煙草の匂いには敏感だった。

「来る前に立ち寄ったカフェが分煙じゃなくてね」

 吸わなくなってはじめてわかったが、髪に着く他人の煙草の臭いは最悪だ。

「でも、こういうのも嫌じゃないよ」

 リンちゃんは耳元で思わせぶりに優しく囁くと、忍び笑いを洩らしながらゆっくりと僕から降りた。そして、そのままシルビアを優しく抱きかかえて歩きはじめる。

「ごめんね、シルビアちゃん。あのおじちゃんがね、シルビアちゃんが見てると恥ずかしいんだって。だから、ちょっとだけ、あっちに行ってようね」

 そんなことを愛猫に話しかけながら、リンちゃんはリビングの方へと向かった。滑らかな曲線をしたリンちゃんの後ろ姿を、僕は無言で見送る。

 ジルと二人で生活をすることになって暫くすると、僕は猫カフェを運営している知人に会いに行った。猫のことがさっぱりわからなかったので、僕はいろいろと助言を必要としていた。

 リンちゃんとはその猫カフェで知り合いになった。僕が訪ねて行くと、店の常連であるリンちゃんとはよく顔を合わせるようになった。

「よく来るのに、猫と遊ばないんですね」

 確か、リンちゃんは最初にそんな意味のことを尋ねてきたと思う。

「自宅の猫だけで僕のリソースは枯渇しているんでね」

 僕もその頃にはリンちゃんの顔を覚えていたので、なんとなく、知り合いと話をするような気安さで応じた。

「わたしに『リソース』とか『枯渇』とか言って、伝わらないかもって思ったりしないんですか」

 ネコジャラシを模したおもちゃを、ゆらゆらと指先で弄びながら、リンちゃんは僕の目をまっすぐに捉えて言った。

「君がオーナーと話をしているところに居合わせたことがあってね。その時、君から知性と教養を感じたんだ」

 僕は、この会話自体が言葉遊びだと、そんなニュアンスを忍ばせながら、気取った調子で言ってみた。

「ふふふっ。あれでしょ? 友達いないでしょ?」

 リンちゃんは嬉しそうに、にやにやしながら身を乗り出してきた。

「想像にお任せするよ」

「あーっ、もう、絶対いない。間違いないって」

 そう断言すると、リンちゃんは本当に可笑しそうに声をたてて笑った。

 そして、どのぐらい経った頃だったか、僕らはそれが予定されていたことのように自然と仲良くなった。

 僕は、猫カフェというのは、様々な事情で猫を飼うことができない猫好きが利用するものだとばかり思っていたのだが、そういうわけでもないということを、リンちゃんとの会話によって知ることになった。猫好きとは、他の可愛い猫とも触れ合ってみたいという欲望を抑えられない人種らしい。リンちゃんも自宅にはこうして愛猫のシルビアがいる。

 そんなリンちゃんや知人店主に助言をしてもらいながら、僕は順調にジルとの生活を送っていた。

 自己嫌悪がないわけじゃない。僕が第三者ならば、きっと軽蔑しただろう。でも、僕は自分が思っていたほどには孤独を愛していなかったらしい。時間の止まった部屋で想い出に浸りながら生きることも、僕は悪いとは思っていなかった。ジルもいることだし、僕らは慰め合ってやっていけるはずだった。でも、僕は欲してしまった。一度知ってしまうと戻れなくなるのかもしれない。

 僕はそれを生理的な欲求のせいにして、目を逸らすことにした。そう。リンちゃんに彼女の代わりを求めてなどはいないと。

 こうしてリンちゃんと関わるようになって、僕は少しだけ猫好きの気持ちが理解できるようになった気がしていた。たぶん、みんな孤独に耐えられない人たちなのだ。でも、猫は人間の都合がいいようには相手をしてくれない。だから、猫好きは、他の猫にも触れ合いを求めてしまうのではないだろうか。自分の孤独を持て余して。

「んふっふっふー。襲っちゃうぞ?」

 すると、リビングから戻ってきたリンちゃんが、勢いよくベッドに飛び乗ってきたので、僕は拡散していた意識を、目の前の現実へと引き戻した。


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