17
「私が前衛を務めるから、フィーナと、ロゼは援護を」
「任せておけ」
「了解です」
巨木にも見える、トロールを前にしてもシアは冷静に指示を飛ばす。それに続くフィーナもロゼッタも決して慌てた様子は見せない。
これが冒険者って奴なのか、それともこいつら特別なのか。
なんというか、かっこいい!
「なあ、俺はどうしたらいいんだ?」
俺も続こうと、尋ねる。
「邪魔だから下がってなさい」
「…………はい」
いや、いいんだけどね。好き好んで危ない奴と戦いたくなんかないしさ、どうせなら、尻尾巻いて逃げ出したいくらいだし、うん。
でも、ちょっと不満なのはなんでだろう……?
「グオオオオオオオオオッ!!」
「ちょ」
トロールの咆哮は草木どころか、大地まで震わせた。
「なん――」
「速い!」
咆哮によってもたらされた、一瞬の隙。
ひょっとして、トロールは始めから、それが目的で吼えたのか。
「くっ」
シアはトロールの拳を上手く剣で受けたが、耐え切れず吹き飛び、背後にあった、木へと激突した。
おいおい、なんて怪力だよ。人をボールみたいに吹き飛ばすなんて。
「シア!」
「くっ、ただ図体がデカイだけではないということか。ならば我が真の力を見せてやろう!」
今まで何もやってなかったのに、行き成り、真なのか。
「清廉なる聖女は闇へ落ち、深淵より呪歌を唄う」
神官職には、絶対相応しくなさそうな詠唱だが、その効果は本物なのか、様々な色の光がフィーナの周りを踊るように飛び回る。
「フィーナ、こんな時に無駄な詠唱をするのはやめて下さい!」
「む、無駄じゃない! こういうのは、気持ちが大事なの!」
それって突き詰めれば必要ないってことだよな。
さっきの俺の説明、凄く恥ずかしいことになっちゃったんだけど。
「朽ちろ、腐れ、折れ曲がれぇ!」
動揺しているせいか、詠唱もどこかおかしい。
「ジャイアント・ジャスティス!」
だが、その術の威力は凄まじかった。
天から降り注ぐ一筋の光は、トロールの全身を包み込む。
「やったか?」
少なくとも見た目は……
「む、無傷だと」
まあ、完全にフラグ立ってたし、予想はついてたけどね。
「どうやら、あのトロールって化け物、ただの魔物ってわけじゃないみたいですね」
「どういうことだ?」
「今、フィーナが放った術は魔物に対して特効を持ってるんです。ですが、トロールには効いてない」
へえ、そういうことか。
けど、そんなことが分かったところで、何か対策はあるんだろうか。
「ボク達は、こいつを足止めしますので、お兄さんは、シアを」
「了解」
どうせ出来ることはないのだし、少しでもトロールから離れた方が安全だろうという打算もあって、俺は直ぐに了承する。
でも、あんな化け物に勝算はあるのだろうか。
「おい、大丈夫か?」
こういう時、揺らすべきではないという知識だけはあったため、俺はシアの肩を軽く叩き、声をかけるだけに留める。
「うぅ……」
どうやら、気を失ってるらしい。
こうなってしまえば、毒舌女も可愛いものだ。
それでも、このまま起きないでいられると何より困る。
「し、しょうがない、人工呼吸を……」
俺は倒れているシアの気道を確保し、口を近づけ――
「何をしてるの?」
「…………ええっと」
「もしかして、気を失った私を前に、ここぞとばかりに唇を奪おうと」
「誤解だ! 俺はただ、お前を助けようとして」
「そう。なら、そういうことにしといてあげるわ。アナタが相手なら、仮に唇を奪われたところで、犬に舐められたようなものだし」
扱いが酷すぎる!
そりゃあ、ちょっとは役得だと思ったりしたけどさぁ。本当に助けようとしたのに。
「とにかく、今はアナタに構っている暇はないから、ここでじっとしときなさい」
「ねえ、だから、もうちょっとオブラートに包んで言ってくれない?」
真実でも、口にしない方がいいことってあると思うんだ、僕。
シアは俺の言葉なんざ聞く必要さえないと、トロールに向かって疾走する。
シアは、この中で唯一の前衛職だ。フィーナとロゼッタを守るために、前に出るのは別に不思議なことじゃない。
ただ、どうにも違和感がある。
剣は宝石と見紛うほど、美しく、装飾も豪華だ。俺の刀とは、まったく違うが、高級品であることに違いない。
そしてそれらは、冒険者にとって不要。寧ろ、邪魔なものだ。
ああいうのを持ってる奴は、どっちかというと、前衛を務めるよりも、後ろに控えて、指揮でもしてる方が自然だろう。
「ハアアアアアッ!!」
けれど気迫は本物。
やっぱ、何か秘密でもあるのだろうか。少なくとも、門番のオッサンが、敬意を払うくらいの立場ってのは、確実なんだが。
………………まっ、どうでもいいか。考えるのしんどいし。
「スラ!」
「手伝わないのかって?」
そうは言っても、俺が行ったって実際邪魔になるだけだろう。
最初は吹っ飛ばされたシアも、今では化け物じみたトロールと渡り合ってるように見えるし、フィーナだって、回復魔法や、何かしらの術でフォロー出来てるようだ。ロゼッタにしても、器用にシアを巻き込まない範囲で、トロールへと攻撃を加えている。
俺も学校で習った分野ではあるが、正直、こいつら以上の使い手は、教師にもいなかった。
まあ、実際に戦闘に使うやつなんざ、冒険者くらいだから無理はないんだろうが、それでもこいつらが凄いのは間違いない。
こうなったら、俺はなにもせず、のんびり観賞させて貰うのが、一番の協力だろうさ。
「厳しいわね」
「え?」
突如として、シアは不穏な言葉を呟いた。
俺としては、普通に勝勢だと思ってたんだが、違うのか?
「これがAランクって奴ですか。ちょょっと、甘くみてたかもです」
「ぐっ、我が力が及ばぬとは」
どうにも緊迫した様子っぽいが、俺には、まったくその危機感が伝わって来ないんですが。
説明して貰おうにも、そんな余裕はないみたいだし。
「スラ!」
「ん?」
「スララ! スラ、スラ」
「トロールは今でも無傷?」
そんなハズは――少なくとも、何度もシアの剣で斬られていたし、ロゼッタの魔法も受けていた。体毛で隠れてるだけじゃないのか。
「ハアアアアアアッ!」
シアの剣は、ついにトロールの腕を切り落とした。
なんだ。やっぱ優勢じゃない――
「嘘、だろ……」
切られたはずの、トロールの腕が瞬時に生える。
「どうやら、トロールは凄まじい回復、いえ再生能力を持った種族のようね」
「そんな冷静な……」
いいや、シアの頬には汗が伝っている。恐らく疲弊によるものだけではないだろう。
「こうなったら、ボクの最大魔法で焼き払います! フィーナとシアは時間稼ぎを」
「分かったわ」
「うむ。任せておくがいいわ」
いや、焼き払うって、
「ここ森だよ!?」
ただの表現だったらいいんだけど、もし言葉通りなら、トロールだけでなく俺達まで焼け死ぬことになるんじゃないのか?
「お兄さん、それについては心配いりませんよ。魔の森の草木は、火への耐性が高いんです。というより、そうでもなければ、こんな森、とっくの昔に焼き払われていたでしょう。というか、この程度のこと普通に学校で習うと思うんですが」
そういえば、そんな話、昔、聞いたような気も……
「やめて、そんな憐れむような目で見ないで!」
「別に見てませんが。そもそも、今、お兄さんに構ってる余裕はないので」
「ご、ごめん」
どうやら、俺はお邪魔らしい。
まあ、被害妄想が凄いのはニートあるあるだから仕方ないね。
ロゼッタは魔力を高めるように、杖を両手で持つ。
詠唱が必要ないといってた通り、特に何かを呟く様子もない。けど、こう観察してたら、詠唱がないと、ちょっと味気ないように思うのは、俺の我が儘なんだろうか。どうせ魔力を練ってる間は暇なんだし。
ロゼッタの周囲で、赤い光が渦を巻く。
確か、あれは周囲のマナと術者の魔力が共鳴することによって、生まれる現象のはずだ。
要するに、術の完成は大詰めということである。
「撃てます! 下がって下さい!」
ロゼッタの指示で、シアはトロールから距離を取る。
「フレイム・インフェルノ!」
詠唱はなくても術名はあるらしい。
発生した大量の炎は、トロールに絡み付くように、強く燃えあがる。
離れていても凄まじいまでの、熱を感じる。あれが人間だったら、一瞬で消し炭だろう。
だというのに、炎は勢いを落とす様子をまったく見せない。
「不味いぞ」
フィーナは苦虫を噛み潰したような顔で呟いた。
「え? なんでさ?」
寧ろ、これは完全に決まったと思ったんだが。
「あの魔法は、魔力を込め続ける限り、敵を灰にするまで燃え続ける魔法なのだ」
「それって、つまり」
「うむ。あのトロール、まだ生きているのだろう」
おいおい、冗談じゃねえぞ。あんな魔法で倒せない相手に、どうやって、勝てというんだよ。
「それに、ロゼの魔力も無限ではない」
「グオオオオオオオッ!!」
トロールの絶叫が再び轟いたと思うと、炎がこっちに向かって突っ込んできた。
「ちょ、燃えたまま来てるぞ!」
「ロゼ、魔法を!」
「分かってますよ!」
魔力を流すのは、止めたんだろうが、一度、ついた炎が一瞬で消えることはない。
「皆、下がって!」
三人は、早々に距離を取るが、一瞬、判断が遅れた俺は、僅かに出遅れる。
「ひえええええ!」
「スラァ~」
当然、狙われるのは、遅れた俺だ。
トロールはその巨体に似合わず、動きも速い。
くそっ、逃げられねえだろ、これ!
「ニトー!」
フィーナが詠唱を始めるが、術が発動するまで逃げられる気はしない。というか、こうなってみると、詠唱のウザさが分かったわ。
「まったく、世話が焼けるわね」
俺の横を駆け抜け、トロールとの間に入ったシア。
「ちょ、お前、どういう」
「言ったでしょ、守ってあげるって。アナタに協力を依頼したのは私だし、そのせいで死なれては気分が悪いもの」
うぐっ、かっこいいじゃねえか。
不覚にも、シアの姿が神々しく見えてしまったぜ。
けど、もし、あんな炎の塊みたいな奴に、掴まれたりしたら、一貫の終わりだってこと分かってるのか。
気分が悪い程度の理由で、命を賭けるなんざ、馬鹿のやることだろうに。
ズドンという衝突音。
とても拳と、剣がぶつかったとは思えない音が響く。
あの華奢な体のどこに力があるのか、押されてはいても、トロールに吹き飛ばされるということはなかった。
それでも均衡は長くは続かない。
「ぐっ」
トロールを包む炎が、シアを襲う。
当然だ、剣と拳がぶつかる距離まで近づけば、その熱は、十分、肉を焼ける。
「ニトー、早くこっちに来い!」
「お兄さんにそこにいられると、シアが逃げられません!」
「わ、分かってる!」
シアが、トロールと鍔迫り合いを続けてるのは、俺が後ろにいるからだ。
畜生。これじゃあ、ホントに足手まといじゃないか。
普段なら、そんなこと気にもしないはずなんだが、命の危険が掛かってる状況と、女の子に助けられてるという情けなさが、俺を責め立てる。
俺に出来ることは、何かないのか。
「シア、今から、無理矢理、火を消します!」
「了解よ」
「アクアボール!」
シアが、トンと地面を蹴り、飛び上がると同時に、巨大な水の球が、トロールへと直撃する。
中々の威力だったように見えたが、トロールに対しての効果は、ほぼないんだろう。
それを証明するように、トロールの焼けた皮膚が、瞬時に修復していく。
これによって、分かったのは、燃やすことに効果がなかったわけではないということ。しかし、決して致命傷には至らないということの二つだ。
「これはもう絶望的ですね」
「むう」
確かに、こんな光景を見てしまえば、諦めが早い、なんて言葉は口にする気にもならない。
だが、一つだけ言わせて貰おう。
「俺は死にたくないぞ!」
だから、諦めるな、俺としてはそういった激励のつもりだったのだが、
「ならアナタは逃げるといいわ。アナタでも、ギルドに報告することくらいは出来るでしょ?」
「…………え?」
「そうですね、ボク達なら足止めくらいは可能ですし」
「適材適所という奴だな。お前は、助けを呼んで来てくればいい」
ちょっと待て。お前ら、何を、決まったことのように話してるんだ。
俺だって、女の子を見捨てて逃げ出すなんて、ちょっとは気が咎めるんだぜ。少しくらい考えさせてくれ。
「真剣に悩んでる顔をするのはいいけど、後ろ向きで歩くのは危ないわよ」
「ちゃんと街の方角に進んではいますけどね」
「は? 何言って……」
言われてみれば、体が勝手に。
べ、別に逃げようとしてたわけじゃないんだ! そう、これは本能というか、反応というか。
「というか、私達でもそこまで時間を稼げるわけじゃないから、早めに逃げてくれた方が助かるのだけど。どうせ、アナタはここにいたところで、足手纏いにしかならないのだし」
いつもの毒舌だが、今回ばかりは、気を使っての台詞のように聞こえてしまう。
「まあ、天才であるこのボクは、まだ本気を出してませんしね」
「ふっ、お前がいなければ、我らの真の力を解放出来るとうものだ」
こ、こいつら……
「リアルに、そんな台詞を吐いたところでダッセェだけだぞ」
「グハッ」
フィーナは吐血でもしたかのように、口元を押さえ、
「ちょ、こんな時に、それを言いますか!? ボクだって恥ずかしいの我慢して言ったのに!」
ロゼッタはツッコミを入れる。
「それについては、私もニトーに同意ね」
「シアはボク達側でしょ!?」
こんな状況で仲間割れとは、やれやれである。
でも、漢前な発言ではあった。
「分かったぜ、お前らの覚悟を無駄にしないためにも、絶対、助けを呼んで来てやるからな!」
ビシッと親指を立て、俺は踵を返した。
「スラッ!」
「ちょ、痛ッ! え、何!?」
頭を強く縄で締められるような痛みに、俺は苦悶の声を漏らした。
「スラ! スララ!」
「ここで女の子を見捨てるのは、ダメだろって?」
「スラ!」
そんなこと言われても困るんだけど。
実際、役立たずなのはホントなんだし、寧ろ、逃げることこそ、最善だろうに。
「いいのよ、アオ。その男に、ここで命懸けで戦うような勇気を求めてないから」
なら、そういう言い方するのやめてくれる?
死に気で戦えって、言われてるように感じちゃうからね。
「スラ! スラスラ!」
ここで戦わなくちゃ、男じゃない、か。
俺は生まれた時から、生物学的に男のはずなんだが、アオが言いたいのは、そういうことではないのだろう。残念ながら。
「お兄さん、言い争ってないで、早く逃げて下さい! 護りながら戦うのは、本当に難しいんです!」
ロゼッタは器用に、トロールの目や、足を狙い、足止めしているようだ。
「ほら、アオさん、彼女達、ああ言ってますよ」
「スラ!」
聞く耳持たんと。
「わ、我は、まだまだ余裕だがな!」
術の効果がトロールに対して低いと分かった今、フィーナは基本、支援担当だ。
声はちょっと震えてたが、回復から補助までしっかりこなすのは、やはり実力があるからに他ならない。
もちろん、シアの剣術だって一流だ。
「いいか、アオ、ハッキリ言うが、俺達が、あの輪の中に入って出来ることは何もない。いいや、邪魔だけだ」
アオはスライムだとは思えない正義感を持っているようだが、ここまで言われれば諦めるだろう。
「スララ!」
「は? 冗談だよな?」
「スラ!」
本気、と……
俺はアオの提案を熟考してみる。
可能性としてないわけじゃない。上手くいけば、全員が生き残れるかもしれない。
ただ、相当、危険だ。
特に、
「お前、分かってるのか? スライムだって不死身ってわけじゃないんだぞ」
「スラ!」
なんて漢前な。
これじゃあ、俺だけが情けない奴のように思われちまうじゃないか。
「…………分かったよ」
どうせ断ったところで、頭を締め上げられるだけだ。だったら、やってやるさ。
「スラ!!」