プロローグ
俺はポテチを食いながら、テレビに流れているニュースを眺めていた。
曰く、王都が復活した魔王軍によって滅ぼされたらしい。多くの人間は犠牲になり、また、生き残ったものたちも、奴隷となることを強いられているようだ。
「魔族ヤバ過ぎ、人類終わったな」
俺はやれやれと残ったポテチをコーラで流し込む。
正直、王都つっても、この街からじゃ、かなり遠いわけだし、危機感なんかまったくなかったりするわけで。
大半のネット民の感想も、魔王が復活したなら、勇者だって、どっかで生まれてるでしょ、クソワロ、というものがほとんどである。まったくもって同意見だ。
――――と、そんなことよりも、MMOで新たに解放された新職業をレベルを最大にしなくては。
そうとなれば、まずは腹ごしらえである。
「ママン、飯だ! 飯をおくれ」
俺は部屋から出て階段を駆け降りると、そこからリビングへと直行する。
勿論、仕事から帰って来て疲れてるだろう母親に、飯の用意をさせるのは、申し訳ないって気持ちもあるんだよ。でもさ、仕方ないよね。ニートだって腹は減る。にんげんだもの。
だが、俺がリビングに入って目にしたのは料理中の母親ではなく、仁王立ちでこっちを睨めつける阿修羅様であった。
なんだこれ? いつものママじゃないんだけど。
「ニトー、そこに座りなさい」
「いや、でも、俺も忙しいというか……」
半歩下がって踵を返そうとしたが、
「い・い・か・ら」
仮面のような笑顔と、有無を言わさぬ口調に、俺は従うほかなかった。
これ以上、怒らせると包丁が飛んで来るからね、マジで。
俺が椅子に座るのを見届けると、ママンは、その正面に腰を下す。
食事をする時のいつもの定位置ではあるが、今日は普段と様子が違う。俺はビクビクしながら、母が口を開くのを待った。
ニートになってからというもの、小言は言われるのは当たり前で、たまにボコられることだってあったが、今回は機嫌の悪さに拍車がかかってる気がする。
まあ、俺のニート魂は簡単には折れないけどな!
ママンは喉の調子を確かめるように咳払いすると、改めて口を開いた。
「いい、よく聴きなさい」
緊張から無意識で、俺は息を呑だ。
「フィーナちゃんが、冒険者になったそうよ」
「………………ん、それで?」
さも、とんでもないことのように言われたが、俺としては、だから? という感情しかない。
そりゃあ、子供の頃は家が近かったという理由で、面倒を見てやったりはしてたけど、最近はまったく関わりもなかったからな。
「アンタ、フィーナちゃんが幾つかしってるわよね?」
「ええっと……確か十五くらい?」
俺の記憶だと、俺と五歳差だったハズだし、恐らく間違いない。
「そうよ。今年で十六」
「ふぅん」
ハッキリ言って、まったく興味がない。他人がいくつ歳をとろうと、俺にはどうでもいいことだしな。
あ、勿論、ママンに怒られたら嫌だから口には出さないけどね。
俺は鼻をほじりながら、ママンが続きを話すのを待つ。
早くゲームしたいし、さっさと終わらせて欲しいんだけどな。
しっかし、母ちゃんの目的がさっぱり分らない。フィーナの誕生日を祝えってやれって雰囲気でもないし、俺に何を求めてるんだろうか。
「あのね、アンタ、この話を聞いてもなんとも思わないの?」
「うん、まったく」
俺が平然と頷くと、母ちゃんは愕然とした顔をし、その後、こめかみをピクピクと痙攣させ始めた。
ヤバい、これは地雷踏んだか? でも、何に怒ってるのかさっぱりなんだけど……
「ニトー、フィーナちゃんが冒険者になったのは、最近、魔物の動きが活発になってるからなのよ」
「へ、へぇ~」
口調は冷静を装ってるが、これは間違いなく不味い兆しだ。嵐の前の静けさ。噴火の前の、最後の溜め。
「魔王軍が復活したことで、世界は恐怖に満ちている。だからこそ、フィーナちゃんは冒険者になることを選んだの」
舞台役者のような大仰さでそう言ったママンは、俺を憐れんだ、いや、侮蔑した目で見つめる。
「どう? 十五歳の、それも女の子がそんな一大決心をしてるってのに、アンタは二十歳にもなって変わらずニートのまま。それでいいと思ってるの?」
「うん、まあそうだね。で、でもさ、人には向き不向きがあるというか、適材適所というか……」
「ええ、そうね、お母さん分かったわ」
「ママン……」
そうか、分かってくれたか。流石は俺の母親だ。よし、これからも、末永く養って貰おっと――
「今までのやり方じゃ温すぎたってことがね」
「へ?」
異様なオーラを纏って立ち上がった母親の姿に、俺は瞠目する。
え、誰この人? ひょっとして、魔王様? 魔王なら、ここに居ますよ、などという冗談が本気に思えてしまうほど、今の母ちゃんは恐ろしい。
俺はあまりの恐怖に椅子から転がり落ち、這う這うの体で距離を取る。
ヤバいヤバいヤバい! 目からして、明らかに実の息子を見るもんじゃないんですけど。あの目は、台所に表れたゴキブリを退治する時の目だし。
「いい、ニトー、お母さんはもう我慢の限界。何もアンタまで冒険者になれって言ってるわけじゃないわよ。でもね、こんなご時世に、いい歳した息子を働かせないなんて、世間様に申し訳が立たないの」
「で、でも、そんなこと突然、言われてもさ」
「突然? ずっと前から言ってたわよね?」
「うっ――」
その通りだけれど。
「そ、そうだ、金がないなら金持と結婚すればいいじゃん! 母ちゃん、昔から美人だって近所や学校でも評判だったしさ、今だって相手くらい簡単に見つかるって」
実の親をそういった目で見ることは皆無だけど、言われてみれば五十近いといは思えないほど若々しい。その気になれば、いつだって相手を見つけられるだろう。
「あのね、別に、お金に困ってるわけじゃないの。そもそも、私の操はとっくの昔にジークさんに捧げてるんだから」
「ぶふっ! 五十近くにもなって操って――」
「なんですって?」
し、しまった、これは完全にやらかしたぞ、俺。
「いや、さっきのは言葉の綾というか」
「そうね、アンタの考えがよ~く分かったわ」
笑顔ではあるが、その実、まったく笑ってない。
これ、子供が見たら絶対、失神ものだぞ。俺だって、漏らしそうだし。
「でも、そんなことはどうでもいいの.……。大事なのは、今直ぐにでも働きに行くか」
淡々とした語り口。
「ここで死ぬかってことよ!」
「お母様!?」
どこからか取り出した、包丁に斬り付けられそうになり、俺は寸でのところで回避する。
こ、この女、包丁仕込んでやがったよ。しかも、今の明らかにマジだったんですけど!
「さあ、どうするの? 言っとくけど私は容赦しないわよ」
「ひいいいいいいい!」
俺は再び振り下ろされようとしている包丁から逃れるため、大急ぎで玄関から飛び出したのだった。
ニートとしてのプライド? 働いたら負け? 命あっての物種だろうが。
「ああ、そうだ、忘れものよ」
玄関から放り出されたのは、俺の財布。
「あの、中身は」
「………………」
待ってはみたが返答もない。
俺は財布を開け、中身を確認する。
「これでどうしろと」
入っていたのは、ギリギリ一食分にはなるかという小銭と、身分証だけだった。