子供部屋
ある中年男性が某県の地方都市の郊外に、
家を買おうか検討していた。
不動産屋から勧められた一軒家は、何組かの
家族が住んできた中古の物件ではあったが、
間取りや立地が素晴らしく、その上価格も
予算の範囲内とまさに理想通りだった。
他の候補も何軒か見たが、やはりここだと
決め、再度その家に足を運んで、その場で
購入の意思を伝えようと決心した。
買う気満々の彼は、それを雰囲気で悟って
ほくほく顔の不動産屋と共に家に向かった。
玄関から、リビング、キッチン、水まわりを
間取り図を見ながら確認する。
どこを取っても自分の理想そのものだった。
しかし──。
「間取り図だとここ、2階の隅、今いる廊下の
突き当たりに小さな部屋があるみたいだけど」
そこには壁があるだけだった。
しかし外観から見て、スペースはあるのだ。
不動産屋は別に焦る様子もなく答えた。
「ここは3組前に住んでいた中年夫婦が、もう
子育てが終わったから使わない、とかなんとか、
確かそんな理由で、部屋が開かないように工事
して新たに板と壁紙を貼ったそうなんです」
「は? 使わないからって、わざわざ一部屋を
潰したんですか? 4畳くらいだと思いますけど、
物置とかにだってできるでしょう」
「いやあ、私も以前担当していた上司から聞いた
だけで、詳しいことは知らされていないもので」
説明が後になって申し訳ない、と不動産屋は
素直に謝った。
男性は気を悪くしなかったが、惜しいと考えた。
彼は多趣味のため、物を置くスペースは多いに
越したことはない。
「その部屋、元通りにして使えませんか?」
「と言いますと?」
「どこかの業者にでも頼んで、壁を剥がして
もらうんです。ちょっと手を加えれば、物置に
使うくらいにはできるでしょう。その工事費は
こちらで払います。部屋が使えそうなら、すぐ
購入の手続きを済ませますよ」
その言葉に不動産屋は目を輝かせる。
「そうですか。それなら早速、うちの工務店に
頼んでみます。内装のリフォームも必要でしたら、
是非こちらでお世話させてください」
連絡すると10分足らずで軽トラが来た。
不動産屋と懇意の工務店らしい。
30代と20代くらいの作業着姿の男2人が、
2階へと上がってくる。
「ここですか。……うん、壁紙の裏は簡単に板を
貼っただけみたいですね。すぐですよ。すぐ」
男達は工具を取り出すと、手馴れた感じで壁紙を
剥がす。
「この板は素人仕事だな。ここに住んでた人が
やったんですかね」
ドアに封でもするように、何本かの釘だけで
無造作に打ち付けられた板を、彼等は職人技で
手早く取り外す。
奥からは何の変哲もないドアが1枚出てきた。
「カギは掛かってないようです。まず我々が入って
中を確認しますよ」
男の1人がマスクをし、準備してきた懐中電灯を
つけながら言った。
「部屋に窓がないみたいですし、こういう場合、
ホコリだらけとか、嫌な虫の巣になってるとか、
結構あるんですよ」
もう1人がそう言って、ドアを半開きにする。
カビくさい、すえた臭いが廊下まで漂ってくる。
2人が足を踏み入れ、ライトを照らすと、
「うわあ!」
悲鳴と共にすぐに駆け出してきてしまった。
若いほうは廊下の壁に張り付くように仰け反って
いる。
「なんだよ、なんだよあれ」
「え、どうしたんですか!? そんなに酷い状態
だったんですか?」
「あのお客様、リフォームなら見違えるように
綺麗にできますから、購入のほうは諦めずに」
取り繕う不動産屋に作業員が叫んだ。
「そうじゃない! そういうことじゃない!
害虫なんかより、もっとやばいものが!」
その慌てぶりに、男性は自分で中を確かめたく
なった。
開けてくれと頼んだ手前、己の目で確認する
のがすじだろうと、その時思ったのだ。
放り出されていた懐中電灯を手に取ると、
部屋の中へ──。
「なんだよこれ」
そこは子供部屋だった。
カビがびっしりと生えているが、学習机が置かれ、
ベッドがあり、本棚には図鑑と事典が揃っている。
オモチャ箱には特撮ヒーローの人形が積んであった。
それだけならただの古びた部屋なのだ。
だが、この朽ちた空気の中に部屋主がいた。
いや、正確には置かれていた。
学習机の上に直径30センチほどのガラス瓶が1つ。
皮肉なくらい澄んだその中で液体に浮かんでいたのは。
「………赤ん坊か」
ホルマリン漬けの。
死産か、それとも生まれてしばらく生きていたのか。
男性は後ずさる。
揺れたライトの光が、壁に何枚も何重にも貼られた
画用紙を照らした。
おたんじょうびおめでとう
「たんじょうび? なんだ、どういう……っ」
その手描きの文字で男性は全てを悟ってしまった。
死んだ子の歳を数えていたのか。
数組前に、部屋を閉じてこの家を出た中年夫婦は。
子育てが終わるとは、まさか成人の歳になるまで、
赤ん坊の死体をここで子供として扱っていたのか。
机を選んで、ベッドを置いて、玩具まで買って。
それで区切りがついたから、部屋に封をした?
封? なぜ? どうして置き去りに?
大切にしていた子の亡骸を置いて、その夫婦は
一体どこへ行ったんだ?
いやまて。
それ以前に、その後に移り住んできたものたちは
これを知らずに生活していたのか。
こんなものがあるとは知らずに。
もしかしたら、俺も同じように。
男性は力なく、懐中電灯を落とした。
それから、警察を呼んで捜査が行われたが、
夫婦の行方や漬けられた赤ん坊の詳細が分かることは
なかったという。
ただ、男性はこの家の購入を止めたそうである。