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Cartagra

 つくしは、欲しがらない義妹(いもうと)だった。

 二人で服を見に行った時、私のおすすめを喜んで着ることはあっても、買ってあげようかって訊いたら、どうしようかなと言って、曖昧に笑うだけ。馴染みのスタッフも一緒に、あれこれ勧めてみるけど、反応は変わらなくて。何だかいたたまれなくなった私が、ヨソに行こうかって声をかけると、あの()(かぶり)を振ってこう言うのだ。

 ──あたしは、ささめねーちんの着てるヤツがいい。

 だから、私の服ばかり着ていた。

 二〇センチ以上身長が離れていたけど、つくしは元が良かったから、ずるっとさも着こなしに見えた。私の服が着たい──そこに、気遣いはあったと思う。大野木(おおのき)家は五人義姉妹で、つくしは末っ子だったから、お下がりには困らないワケだし。

 けど、それ以前に、あの娘には好きなもの自体がないんじゃないかって思えた。

 あの頃のつくしには、選ぶなんてこと、できなかったのだから。


 初めて会ったときの姿は、今でも憶えている。

 海外の土産物屋さんに売ってるような薄っぺらいワンピース、カット用のハサミを使ったかさえ怪しいショートヘアは、そのくせ妙に手入れが行き届いていて。靴は──履いていなかった。

 そこはマンションの屋上で、空はマンションの外壁とそっくりな埃色だった。私が着いたとき、あの娘はフェンスの前で、両手を真っ直ぐ上げていて。その先には、スニーカーがぶら下がっていた。

 ──探検に来たのか?

 それが、つくしの第一声だった。

 ──まあ、そんな感じ。

 本当は、空に距離感を覚えなかったというか、ベランダから見上げたそれが、どうにも作りモノっぽかったから、もっと高い所に行けば、イメージも違うんじゃないかと期待して、上ってみただけ──だったと思う。

 屋上に向かう途中、飛び降り自殺って、案外こういうふわふわした気持ちから起きるのかも──とか、ダークなことを考えていた気もする。実際、自殺志願者っぽい人を見かけたら一一〇番か事務所に連絡──みたいな掲示が団地内にはあった。

 ──いいなぁ。けど、こっちは忙しいんだ。乾かしてるから。乾かさないと、怒られる。

 ──何やったの?

 差し出されたスニーカーは、白い生地に浮かぶ黒ずみが湿疹みたいで。よく見ると、インソールが濡れていた。インソールだけが。下ろしていった視線の先、つくしの素足は──。

 ──すごい。お医者さんみたいだ。

 両足に包帯を巻く私の手つきに、つくしが言った。でしょ? とちょっと得意げに言って、テープで包帯を止める。我ながら、あそこで母さんのナプキンを使おうとひらめいた小学生時代の私を褒めたい。包帯を(じか)に巻いただけじゃ、すぐに滲出液(しんしゅつえき)が滲んでいただろう。

 ──はい、オーケイ。けど、ちゃんとホンモノに診てもらいなよ?

 ちょっとやそっとじゃ(ほど)けないかどうか、触って確かめていると、

 ──治るよ。

 声が降ってきた。はっきりとした口調だった。

 ──もう、治ってるよ。

 今でも思う。あれは、笑顔なんかじゃなかった。

 ただ、頬を緩めて。心配しないでって、言ってくれているようで。

 普通、これくらいの年の子が、刺激の強い薬液か何かを踏んで足が(ただ)れたら、そりゃあ泣いてお家に帰るだろう。なのに、この娘は、その足でスニーカーを履いて、濡らしたから、乾かそうと思ったから、ここへ来て。でないと。

 怒られるからって。

 ──じゃあ、おまじないね。

 人差し指と親指で、つくしの足の甲から、何かを摘んで抜く素振りをした。

 ──クギを抜いたの。痛みのもとになっているクギ。痛いだけじゃなくて、(かゆ)いとか気持ち悪いとか、そういうのも全部まとめて、今抜いたの。だから、もう治ってるよ。

 つくしは目を細めて──笑った。

 唇の端にできたカサブタは、どうせ転んでできたんじゃないんだろう。


 だから、好きなものを見つけてほしかった。

 自由に選んでいいって知ってほしかった。

 二月末のその日、つくしと出掛けた目的は、誕生日プレゼントの下見だった。三月六日でつくしは一〇歳になる。服に靴、アクセサリーからステーショナリーまで。色んな店を回って、色んなものを見て、あの娘がちらりとでも目を輝かせるものがあれば、後でこっそり買いに行く──そういうプランだった。そう、そういう、プランだった。あの言葉に、つい固まってしまうまでは。

 ──なあ、ささめねーちん。これ欲しい。

 帰りのバス。つくしはうとうとしていた。着いたら起こすよって伝えると、もうすぐ五年生だしヘーキと言った。その腕に抱えられている、ラッピングされた箱。こんなに早く、それも目の前で、サプライズのつもりが。オレンジ色の空に目を細める私の肩へ、小さな頭を寄せて。

 ──ホントはさ。ささめねーちんのくれるものなら、何でも嬉しかったぞ。

 つくしは、そう言った。言って、瞼が閉じてゆく。

 それは、今日一日私が連れ回したせいだと思ったから、ごめんねって口にする代わりに、頭を撫でた。

 そして、つくしは一〇歳になった。

 だけど──。

「五年生にはなれなかったね」

 私とつくしの相部屋。

 私は、膝に片っぽだけのスニーカーを抱いている。

 キャンバス生地のキャメルが、つくしの髪の色にちょっと似ている。

 本当に──何でも良かったのだろうか。

 何でも嬉しかったって言うなら、このスニーカーは。

 あの娘なりの気遣いだったの。

 優しい──嘘だったの。

 もう、その答えは一生わからない。

 そのうち、この部屋は私とつくしの部屋ではなくなる。

 誰かがそれを決めるんじゃない。そんなつらいことを他の誰かにさせちゃいけない。

 私が決めないと、みんな──いつまでもじっとしている。じっとして、くれている。

 だから、私が早く立ち直って、引っ張ってあげないといけないんだ。

 掌に、カッターを当てる。

 ──きしっ。

 ねぇ、頼むからさ。

「あんまり──期待させないでよ」

 生命線に沿って、刃先を動かす。亀裂からぷつぷつと血の玉が覗く。

 これは釘だ。釘の頭だ。


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