Nutrico et extinguo
コンテナの墓場にいる。コンテナは空っぽか、あるいはゴミ溜めと化していて、ゴミ箱のようにひっくり返せば、ゴキブリの一〇や二〇は湧いてきそうだった。コンテナの表面には、いずれもペンキが塗り重ねられ、油絵のように見えた。
ささめは、壁に設置されたディスプレイの前で、立ち尽くしていた。
──今、コイツは何て言った?
撃ち殺したのは俺ですと青い膚に半纏を着たギノーが言う。
誰だコイツは? さっきから誰に向かって喋っている? どうして、つくしが殺されなければならなかった?
一つは──とギノーが言った瞬間、ディスプレイが、火花を散らして割れた。
ささめはネイルガンを構えつつ、身体の向きを変えた。
肩を竦める虎狼狸がいた。頭は狸に変わっていたが、すぐに奴だとわかった。
「見惚れる相手が違うんじゃねぇのか?」
「ココはどこにいるの」
訊きながら、虎狼狸の右手に目を留める。火球射出器──ドルカス。左手で、ベルトに固定していたケースを掴んだ。〈揺蕩の折〉を発動しようとして。
「煙野郎から口の割り方は教わらなかったのかい。お嬢さん」
虎狼狸が、両手を後ろに隠した。これで、どちらの手に持っているかわからない。
コイツ──。
左手のドルカスがこちらを向いた。横に跳んで、転がりながらコンテナに身を隠す。ちらりと顔を覗かせて。虎狼狸は──いない。静電気が走った。ああ、やはりそうか。
コンテナの──上。
片足をコンテナにつけて、上に向かって滑走。一見ヒヒイロゴケはないが、滑走や〈具現〉が問題なく使えることは実証済み。猛スピードで上り切ったところで、靴裏に付けた苔を解放。慣性に従い、放り上げられる身体。眼下には、こちらへ銃を向けようとしている虎狼狸。
BLEACH──一発、二発。爆発が二回。土煙の尾を引きながら、コンテナからコンテナへと、逃げる虎狼狸。流石に、当たらないか。
コンテナに着地。すぐさま跳び下りて虎狼狸を追う。
わかったことがあった。あの静電気を感じると敵が消える。もしくは近くに現れる。
ガスマスクは、確かに速かった。しかし、ささめが全く目で追えない動きをするときは、大体あの静電気が発生していた。そして、光の立方体が見えた。シャロのアジトを襲った連中も同じものを使ったのか。
遮蔽物に身を隠す。ゴミ箱らしき物体──そう、穴にゴミこそ押し込まれているが、危険という表示を見る限り、元は違ったのだろう。慎重に歩を進めて。
横殴りの熱風。
被っていたフードが脱げた。一瞬、ちぎれて飛んで行ったのかと思った。
退がるや、身を隠していたそれが、火達磨になって吹き飛んだ。
ふと、上を見た。高い天井。火球がいくつか、綺麗な放物線を描いて──。
榴弾。
滑走を駆使しながら躱す。着弾点の予測はそう難しくない。だが、これは。
ささめの後方は、燃え盛る壁に塞がれている。
あからさまに──逃走経路を限定されている。
右手前方にあったガラクタの山が崩れた。進路を塞がれた。砂塵の向こうにネイルガンを構えようとして、直感する。後ろだ。身を低くしながら、完全に身体の向きが変わる前に発砲した。
ドルカスが、虎狼狸の手を離れた。肘に命中して、腕が大きく跳ねたのだ。
虎狼狸は、足元のガラクタに手を伸ばして──。
サイドスロー。駐車禁止と書かれた立て札が〈水火の折〉で止まる。虎狼狸が、それを跳び越えて殴りかかって来る。ささめは、虎狼狸の脇に腕を突き入れて。背中を反らした。勢いを利用して、横転しながら、投げ飛ばした。
空中で身を捻り、四つん這いで着地する虎狼狸。その顔面に──。
立て札が命中した。
〈水火の折〉から解放された物体は、本来の時間の流れを取り戻す。
滑走で勢いをつけつつ、声を上げながら放った、渾身のローリングソバットは。
虎狼狸が、無造作に払った腕によって弾き返された。
ロール──着地の衝撃を受け流し、滑走で距離をとる。片膝をついた姿勢のまま。
SHADOW──虎狼狸が目線を下げた。そう、これは二戦目。一戦目に見せた手の内は、当然知られている。〈揺蕩の折〉に関しては、目に見えている物体しか入れ換えることができない弱点を突いてきた。だがら。
ささめは、真横の壁を撃った。
釘状の結晶は、壁の中を潜行して、目的地へと向かい。
驚いたような顔を浮かべる虎狼狸の脇腹を、左から右へ光輝となって貫いた。
走りながら、掴んだ立て札。膝立ちになった虎狼狸の横っ面を、重石の部分で思い切り殴りつける。
頭からコンテナに激突する虎狼狸。二重にした〈水火の折〉で包囲する。あらゆる角度から釘を撃ち込んだ。あとは、テレポートさえ警戒しておけばいい。
「ココはどこにいるの」
虎狼狸が、ヒヒイロゴケを地べたに吐き出して答える。
静止していたうちの一本が動いて、耳を奪った。それでも、笑っていた。
「本当は気付いてんだろう。俺が何も知らされてねぇってことに」
ささめは、顔を顰める。
「いいねぇ、その顔。どうも俺は足止め喰らって歯痒い思いをしてる奴の面を見るのが好きらしい。ギノーである以上、当たり前のことなんだろうが、中でも俺は──。あの女の言ってた素質ってのはこういうことか」
「あの女?」
そう、あの女だ──と虎狼狸が言った。
静電気。次いで、ささめの背中に硬質な感触。
虎狼狸の手が、立方体に隠れている。まさか──。
仰け反るほどの衝撃が、続けざまに走った。倒れながら、後ろに見えたのは。
立方体から飛び出す、リボルバーを持った虎狼狸の手。
手だけを、転移できるのか。
どさっという音が、耳に届いた。
「狡くねぇか、このワンノート」
眼前に、虎狼狸の足。腹部を、蹴り上げられた。自分の声かと疑うような、悲鳴が漏れた。
「八百八狸が、俺に命じたのは、煙野郎の抹消だった。番号すら与えられてねぇ下っ端どもと一緒にな。だが、俺はもうあんな連中が、刑部じゃねぇ、狸ですらねぇ、あんなペテン師どもが牛耳る組織の昇格に興味なんてねぇんだよ」
──ペテン師ども?
蹴られる。蹴られる。ネイルガンがどこかにいった。視界が涙で滲む。
「だから、あの女の誘いに、てめぇを殺す誘いに乗った。あの女の言葉を借りたところの志ってモンに従ったのさ。気になるだろう? その女が誰なのか? だが、教えてやらねぇ。それは、とっておきだからな。知ったら、お前は既来界で誰も信じられなくなる」
蹴られる。蹴られる。嘔吐した。足で、仰向けにされた。
また──あの女。
言葉が、頭に入ってこない。
「一つ優しい言葉をかけてやるよ。何の罪もない義妹が自分のせいでおっ死んだと思ってるようだが、案外てめぇは悪くないんだぜ」
ささめは、ねぇ──と声をかける。
「今、私すっごくビビってるわ」
虎狼狸が、銃を使う気配はまだない。武器のない今、考えなしにセイバーを使えば、すぐにでも頭に風穴が開くだろう。きっと──楽しくて仕方がないのだ。まだまだいたぶり足りないのだ。人の痛みや苦しみは、ギノーの糧になるのだから。
そう、ギノーの糧に。
「だって、滅茶苦茶おっかないのが来てるから」
虎狼狸の顔から、笑みが消えた。
慌てたように、リボルバーの引き金に指をかけて。
その腕が、曲がらない方向に曲がった。鞘で肘を砕かれたのだ。
幽かに届く、抜刀の音。
虎狼狸の全身が、一瞬にして緋色の霧を纏った。
毛穴という毛穴から、ヒヒイロゴケが噴霧されたのである。
まるで、中身を失った抜け殻のように倒れて──。
虎狼狸は、崩れた。
ワンノート〈清福の折〉──シャロの間合いに入った敵に否応なく訪れる現象。
ささめの傍に屈み込むシャロ。手には、一振りの太刀を持っている。
いつもの姿に戻っていた。
「怖い思いをさせたようだ」
「──ちっとも笑えないんだけど」
涎塗れの口元を拭い、笑ってみせるささめの耳に小さく聞こえたのは。
携帯電話の着信音だった。
さっきまで虎狼狸だったコケ溜まり。音は、そこから聞こえている。手を伸ばし、探り当てた。『エイリアン』のギーガーがデザインしたようなスマホには、赤いトカゲのエンブレムが映っている。
シャロに目を遣った。何も言わないし、何を考えているのかもわからない。顔が──読めない。
エンブレムにゆっくり親指を乗せて、そっと離した。
耳に近付けると、繋がっている気配があった。
間違っても声は出さない。これが普通のスマホだったら、虎狼狸の声は拾えないはずだ。そう、コイツは会話をするためのツールじゃなくて、虎狼狸のいうあの女とやらが一方的に指示を出すツールとして活用されていた可能性がある。
「合言葉をどうぞ」
──は?
危うく声を出すところだった。内容に意表を突かれただけじゃない。スマホから聞こえてきた声は、機械のように平坦で、発音がキレイで。あどけない感じの残る──女の子の声だったから。
これが、あの女?
女の子が、小さく息を吸った。
「我は育み我は滅ぼす」
これは──。
「灼熱の炎に育まれしサラマンドラよ。されど鍛冶の神ヴルカヌスは汝の威嚇を怖れず、業火の如き火焔をものともせず、金青石もまた常夜の闇の炎より生ずる。汝は炎に育まれ炎を喰らいつつ現出す」
女の子は、そこまで淀みなく言い終えると、
「合言葉をどうぞ」
繰り返した。
私は、心の中で舌打ちする。アクセントに特徴はないし、環境音も聞こえない。
シャロを見た。合言葉は外国の詩みたいだった。物知りなコイツなら続きを知っているかもしれない。女の子が、もう一度喋ることを祈りながら、音声出力をスピーカーに切り替えようとして──。
「あなたを同じ志を持たぬ者と認識します」
──あの女の言葉を借りたところの志ってモンに従ったのさ。
聞こえたのは、ギターの弦を弾いたような音。
だから、私はネイルガンを自分の右目に向けた。
眼球を貫いた釘は、眼窩を抜けて、脳に達して──。
右手に衝撃。我に返ったときには、もうネイルガンはなくて。シャロが、鞘で叩き落としてくれたのだとわかった。
「私」
今、何を──。
言葉より先に、手からスマホが消えた。代わりに煙草のパッケージがあって、スマホはシャロの手に渡っていた。容易く──握り潰される。いや、スマホの方が勝手に潰れたのか? 指の隙間を抜けて、ぞろぞろと現れたのは。
蟲。シルバーに鈍く光る体表をした、十数匹のオオムカデ。
「シャロ!」
アイツの手に群がって、多分──咬みついている。多分と付けたのは、当のシャロが全くと言っていいほど動じてないから。淡々と握り潰し、淡々と踏み潰す。手袋と靴が青い体液で汚れてゆく。
私の足許にも、何匹か生き残りがいた。掌をかざすと、黒い煙に絡めとられた。私の放った〈水火の折〉じゃない。オオムカデは、激しく尻尾を振っている。阻まれては、いる。けど、時間が遅くなっているようには見えない。〈水火の折〉が──効いてない? 煙を押し分け、近付いて来る身体が。
シャロの靴の下に消えた。トドメとばかりに踏み躙られた。
見上げるアイツの顔は、やっぱり読めない。読ませないようにしてるのかもしれない。
けど、何かに怯えているような──。
手袋にできた裂け目からは、ぽつぽつと煙が漏れ出ていた。