CSI:十朱
フラスコに挿された金属の花をいじる。見ての通り花っぽい金属なのか、実は金属っぽい花なのか。前者だよとシャロの背中が言った。頼むから送信する気のない思念まで読まないでほしい。
新しいアジトは、十朱中から歩いて五分のところにある稲荷神社の拝殿だった。流石にバチ当たりなので賽銭箱に五百円玉を入れておいた。
急遽用意したアジトにしては、随分設備が整ってると思ってシャロに訊いたら、いつアジトは一つしかないと言ったのかね──と言われた。何それ初耳なんだけど。いや、抜かりのない相棒でホント安心するわー。
「何か言いたげだね」
別にと言って、ケースから取り出したカプセルを一個奥歯に仕込む。
セイバー。オオカミの毒にやられたときにも世話になった気つけ薬だ。カプセル内のナノロボットが異常を感知したときのみ、人の噛む力で割れる仕組みになっていて、通常時では何を根拠に言っているのやらT・レックスでも噛み砕けないらしい。既来界だとハンドラーのライセンスがあれば専門店で買えるそうだ。私、ライセンスなんて持ってないってシャロに言ったら、左腕内側を指差された。ああ、そういう。じゃあ、見せづらい箇所にエンボスがあったらどうすんだろう。近付けるとガリガリいう装置でもあるってことか。
久しぶりに会ったシャロは──何故かコクーン体だった。
とんがり帽子に、襟を立てたインバネスコート。優に一九〇以上あった身長は、今や私の膝下までしかなく、それでふわふわしてるもんだから、新手のてるてる坊主に見えなくもない。吊るしたら、次の日は濃霧注意報が出そうだけど。
ワケを訊いたら、シャロは平然とこう云った。
──友人が早急に大量の負力を必要とする状況にあった。だから、提供した。
煙が見えた程度で、強烈な幻覚症状が起こらなかった理由については。
──あれは、ハンドラーから急激に負力を吸い上げるが故に起きる現象だよ。私の場合は、自らを構成する負力を、辛うじてコクーン体として留まれる程度に、他者へ注いだに過ぎない。
合成音声による応答がなかった件については。
──辛うじて留まったと強調しただろう。ここ数日キーをタッチする手がなかった。
音声入力もシャロには意味がない。ギノーの声を拾えるマイクがないからだ。
コートの裾には、変わらず杏葉紋の刺繍がある。 シャロの所属する組織──月窓のシンボルだ。ここにある機械は、ほとんどそこからの支給品らしい。
月窓は特定のギノーによって構成された組織で、三つの派閥に分かれているけど、いずれにせよ目的はただ一つ──妖怪に至ることだという。シャロが言うには、妖怪が陰と陽の両面を備えているのに対し、ギノーは陰の面しか持っていない。だから、不完全ってことらしい。月窓の目指す妖怪が何なのか、どうやって至るものなのか、私にはわからない。ただ、シャロには命を救われている。向こうも──私の苦抜きの能力にって意味で、私に興味をもっている。どのみちこんな物騒な世界、一人じゃ生きていけない。信頼できる相棒はほしい。
「ねぇ、さっき言ってたカノジョ。助かったの?」
シャロが──こっちを二度見した。
「いや、当てこすりっていうか、わかるわよ? なんとなく」
ああと言ったあとで、何故そんなことを訊くとでも言いたげなシャロの表情。
いや、顔ないけど、こう付き合いが長いと、渦巻く煙の向こうに見えてくるものがある。
で、何で訊いたんだろう。シャロの友人イコール私の友人だから心配して当然 ──なんて言えるほど、私は楽天家じゃない。
既来界は、そういうのが通用する世界じゃない。
だから──。
「そっ、じゃ、いい」
素っ気ない返事しかできない。
バツが悪いなと頬を掻く私に、
「ありがとう」
と、シャロが言った。
──ますますバツが悪い。まあ、厭じゃないけどさ。
「釘を分析した結果、ワンノートの種類がわかった」
言って、レーザーがデスクに映したキーボードを操作するシャロ。バーチャルキーボード。SFチックだけど、未来界でも当に開発されている技術らしい。押してる感のないキーってタイプミスしやすそう。
空中にディスプレイが現れた。十字架状の発疹が無数に浮かぶ人の肌が映っている。色艶から見て屍体か。とにかく、あの日私にできたのと同じものだった。
「〈トートウントレーベン〉──接触している物質に意識を遣ることで猛毒を付与するワンノートだ。ただし、これだけでは身元を特定できない。このワンノートを使えるギノーは他にも存在するからね」
そこでだと言って、シャロがキーをタッチする。
追加されるディスプレイ。今度は、あのペッパーボックスピストルが映っている。
「ニックネームはドルカス。ささめ君の言う通り、見た目はペッパーボックスピストルに酷似した火球射出器だ。全てのバレルが同時に火球を射出する仕様は、改造によるものだろう。これを〈トートウントレーベン〉の使い手が撃つことで、炎に猛毒が付与された。ここで、ドルカスと毒を併用した手口で過去に事変として処理されてきた件を見返してみた。すると、被害者にはある共通点があった」
ディスプレイに並ぶ顔写真。ギノーもいれば人間もいる。ギノーの顔がよくできたCGイラストなのはカメラに映らないからだろう。
「狐によって構成された勢力。狸によって構成された新勢力。妖怪狸専門のハンドラー。彼らがいなくなったとき、最も恩恵を受ける組織──それが八百八狸だ」
八百八狸。
これまで撃ってきたギノーの顔を、狸をキーワードに思い返してみる。
思い当たる節は──多分ない。
「どういう組織なの?」
「根源では、四国随一の妖怪狸の眷属として親しまれ、人間との約束を守る義理堅い面も見せている。が、ギノーとは所詮妖怪と似て至らぬものだ。狸の合戦を好むという面が拡大解釈された結果、他のギノー勢力に手あたり次第合戦を吹っかけ、打ち負かした者たちに烙印を押すことで眷属を拡大する──さながら蛮族だ」
相変わらず、ウチらギノー謳歌してますみたいな連中には、ちょっと口が悪い。
「烙印っていうのは、ギャングのタトゥーみたいなもの?」
「平易に言えば、押されると狸になる」
「は?」
「たとえばささめ君が狐のギノーだったとしてこれを押されたが最後、君は狸が化けた狐のギノーとなる。存在を──根底から覆されるわけだ」
眷属拡大って言ってたけど、まさか文字通りの意味とは。
「じゃあ、この八百八狸がつくしを?」
殺したのか。
関与している可能性は高いとシャロが言った。
──四挺の銃といくつかの薬莢。
「アジトにあった薬莢。報告してたでしょ。それに八〇八って彫られてた」
「八百八狸は、八〇八と刻まれた特注の薬莢を扱うそうだ。自分たちの仕業だと知らしめ、目撃者の口を封じるために」
オオカミは、明らかに私を待ち伏せしていた。
じゃあ、シャロと私がいない間──。
「アイツは、仲間と殺り合ってたってこと?」
「衝動的か計画的かは判別がつかないがね」
「そりゃあ、衝動的じゃない? アイツは私を殺す気だったのに、わざわざ仲間を削って成功率を下げるようなマネしないでしょ」
計画的だというのなら、チームで私を仕留めて、それから仲間の背中を撃てばいい。
「オオカミに限らず各々が疑心暗鬼だったのかもしれないよ。八百八狸は三年前に壊滅的なダメージを負っている。総帥である隠神刑部を含め、重鎮である一桁台の狸七名がただ一人のハンドラーによって抹消されたのだ。現状は新総帥に元三番狸を据えた新体制で再興を図っていると聞くが、すでに内部分裂している可能性はある。もっとも、何故オオカミがささめ君を襲ったのか──その説明にはなっていないが」
短く息を吐いた。
溜息を吐くには早いよとシャロに言われる。
「だって、オオカミはもう倒したのよ。アイツから情報は引き出せない」
「それについてだが、一概に良いとも悪いとも言えないニュースがある」
言って、シャロがキーの上で指を踊らせる。
「八百八狸に絞って検索をかけた。するとだね」
表示される大きめのディスプレイ。そこに、映っている顔は。
──あれ?
「ご覧の通り、オオカミではなくトラが出た」
「──ふざけてる?」
これがオオカミなのだよと言って、シャロが肩を竦めた。
確かに、バストアップの画像をよく見ると、着ているシャツはオオカミと同じだ。
と、すぐ横にもう一つ、ディスプレイが現れた。
煙を吐く狼の頭に、ぼってりと突き出した狸の腹、身体中に走る虎の縞模様。
──妖怪。
その単語が、すぐ頭を過ぎったのは、浮世絵タッチだったせいもあるだろう。
「虎狼狸。コレラ流行の際に創作された妖怪で、オオカミ──一三九番狸のルーツに当たる。虎狼狸には〈ダンプリングブラザース〉という固有のワンノートがあってね。倒す度に頭が入れ代わるのだよ。虎から狼へ、狼から狸へ。ヒヒイロゴケの鎧を失い、ルーツが破壊されたとしても、二度までならコクーン体を経ることなく、数分で復活できる。ささめ君は奴をオオカミと呼んでいたね」
つまり──。
「タヌキはまだ生きているかもしれない」