青と赤の死線
俺はキルネスを睨みつけ、痛みで歪んだ顔に無理矢理笑みを浮かべて言い返した。
「ああ、いいだろう。貴様に命乞いなんて愚かなことをするつもりはねえが、そんなにレグノードの名をだされちゃ黙っておけないからな。いいか、よく見ておけよ!」
そう言い終わるのと同時に、俺は正面の壁を思い切り足の裏で蹴った。普通ならここで体を支える握力が足りずに空中に投げ出されてしまうだろう、が、そんな間抜けなことはしない。右腕に全神経を集中して体を屋上へと引き寄せる。指の骨が軋み、指紋も削れ、一本の腕に腕の筋肉が切れそうになるほどの負担がかかる。だが、歯を食いしばり堪えきる。そして、壁を蹴った勢いを利用して強引に半回転し、そのまま屋上の淵に片手で倒立をするような格好にもっていき、
「うおおおおおおおおおおおおおおお」
ありったけの力をこめて、キルネスの額に踵落としをお見舞いした。
踵が額にめり込み、骨にひびが入る鈍い音がした。
「ぎゃがっ」
キルネスはくぐもった呻き声をあげ、よろめく。
俺はその隙を見逃さない。
血に足を付けキルネスより早く体勢を立て直し、血まみれの右手で腰から短剣を引き抜く。
「らあ!」
その剣先をキルネスの首に突き立てようとする、が間一髪のところでナイフで防御されてしまう。刃を交え、互いに押し合う。
だが、これで不利な状況は覆した。それに条件も整った。
「この亡霊風情が! この偉大な私の頭によくも―――」
(侵入開始―――拒絶反応あり、意識への侵入及び精神攻撃を続行する)
不意にキルネスの顔が凍りつき、醜く歪む。
原因は、俺の『侵入』を脳内で必死に拒んでいるからだろう。
剣を交えた直後、俺は青の光眼の能力を奴に行使した。
精神攻撃をかける際の条件ともいうべき注意事項は、隙を見せたら瞬時に殺されてしまうような窮地に使わないことだ。『侵入』を使うと決めてから実際に光眼が輝き、相手に能力が届くまでの一瞬の空白。もしさっきみたいにいつ地面から棘を生やすか分からない状況や弾丸を放つか分からない状況で、その空白を作ってしまっていたら命がいくつあっても足りない。今みたいに剣を交え余程のことがない限り瞬殺されないような状況でないと『侵入』は使えないのだ。それゆえに『侵入』する時は、相手の不意を突く必要があった。
青く発光する瞳でキルネスを睨みつけて宣言する。
「貴様の光眼は封じさせてもらった。ここからは、純粋な戦闘。肉弾戦だ」
キルネスは血の滲んだ額を空いた手で押さえながら、苛立ちをみせた。
「許さん許さん許さん! ここまでの屈辱を味わったのは初めてだ。いいだろう、上等だ。この死にぞこない目。貴様は私がこの手で直接始末してくれる」
お互いの剣に込める力が徐々に強くなる。刃と刃が擦れあい不快な音が生まれる。
左腕が使えないというハンデを負っている俺が勝つためには、ただ真正面から馬鹿正直にぶつかっていくだけでは駄目だ。多少なりとも策を練らなければ。
短剣に力をこめて一度交えていた刃を切り離す。キルネスがすぐに右足で俺を屋上から蹴り落とそうとするが、俺はそれを横に避け、屋上の外縁部から距離を取るように努める。その間、キルネスの赤い瞳を凝視して精神攻撃を続けるのを怠らない。
ビルの淵から這い上がる際に無理をしたせいか、呼吸が乱れて肺が締め付けられる。左腕みたいに感覚がないわけではないが、右腕も若干痺れていて、とても本調子とはいえない。肩や足も弾丸をかすめた影響で出血していて思うように力が入らない。殺し合いが長引けば長引くほど、俺の死が決定的なものになっていくことは明らかだ。
次だ。次でキルネスと決着をつける。
自然と短剣を握る右手に力が入る。
狙うはキルネスの喉元。一撃で終わらせてやる。
覚悟を決めた俺が間合いを詰めようとすると、キルネスは何故か不敵な笑みを浮かべ、明後日の方向に体を向けた。
何のつもり―――いや、こいつまさか。
「くひひひひ、私はナイフを扱う戦闘の中では一番、投擲が得意でねえ。上に睨まれるから殺しはできないが、切り刻むくらいは問題ない。私に傷をつけた罰だ! せいぜいあの女の悲鳴でも聞いて後悔するんだな、亡霊!」
そう言い、キルネスはユーリに向けてナイフを投擲した。
今からナイフを叩き落すにしても距離的に間に合いそうもない。
考えてる暇はない。即座に俺は短剣をナイフ目がけて投げた。ナイフにぶつかりやすくするため、刀身を回転させるように投擲した。
キルネスの放ったナイフはユーリから一メートルも離れていない空中で短剣に阻まれ地面に転がり落ちた。
ぎりぎり間に合ったから良かったものの、今のは本当に危なかった。冷汗が頬を伝うのを感じる。数秒でも判断が遅れればユーリはナイフの餌食になっていただろう。
「キルネス!コレッガにしても、貴様らのような人間の屑はどう―――」
俺がキルネスに対して怒りを露わにしていた瞬間だった。
突然、銃声が響くとともに、熱いものが両足と右脇腹を貫いた。
「なっ……」
俺は膝から地面に崩れ落ち、血の塊を吐いた。
「セアっ!」
ユーリが悲鳴を上げる。
「くははははははは、この大馬鹿野郎が。切り刻むだけと言ったのにあんな女など守ろうとするからそんな無様な醜態をさらす羽目になる。駄目ではないか、この私の光眼を自由にしては」
キルネスは腹を抱えながら卑しい笑い声をあげた。
「ごほっ、ごほっ、くっ…しまった。貴様、だからいきなりユーリを……」
やられた。背後を振り向くと、俺が最初に気絶させた警邏のものと思われる拳銃が四丁、宙に浮いてこちら銃口を向けて煙を吹いていた。
はなっから俺の光眼を逸らさせるために、ユーリを狙ったのだろう。すべてキルネスの計算の内だったということだ。これで俺は完全に抵抗する術を失くしてしまった。
再び口から血を吐く。傷口から出血が止まらない。短剣も失った。
まずい、これは本当にまずい。何とかしなくては。
地に這いつくばっている俺は、キルネスを見上げ、視ようとする。
「おっと、そこまでだ! 私が四丁の拳銃の引き金を握っているということを忘れるなよ。いつでも貴様の頭と胸を撃ちぬくことはできるのだからね。それにこれで―――何の問題もなくなった」
背後から拳銃が一丁、キルネスの手元へと引き寄せられていく。万が一にも俺に精神攻撃を許した場合を考慮してのことだろう。
「ちくしょう、貴様と言う奴は最後の最後まで……いったい、人の命を何だと思ってるんだ!」
俺は口の中の血が飛び散るのも気にせずに、目の前の外道に向けて問う。
「人の命、だと? 今ここに私を覗いてまともな人間がいるのかね? 血まみれの亡霊に、壊れた実験体、使い捨ての駒が四つ、それだけだろう。くくく、嗤わせてくれるなよ。人外の化け物どもが」
「な、ん、だと?きさ、ま、ごほっ、ごほっ……よ、くも……」
出血と吐血がとまらない。唇の動きもだんだん鈍くなってきた。全身が鉛で覆われているように重く、だるい。いよいよ、洒落にならない。
ユーリの悲鳴が微かに聞こえる。
俺はどうなっても構わない。本来なら今頃、俺は処刑されて死界でただの肉塊になっているはずだった。じゃあ何故俺はここにいるのか。何故まだ生きているのか。答えはただ一つ。ユーリを助け出すためだ。失われていたはずのこの命。ユーリに捧げると決めたんだ。こんなところで倒れていいわけがない。
糸の切れた操り人形のような体を、右腕一本で支える。負傷が重なりすぎて最早悲鳴もあげられなくなった肉体を精神力だけでたたき起こす。
「こ、の…まだ、俺は死んで、ない、ぞ。貴様ひと、り倒すくら、いなら、かはっ、ごほっごほっ、腕一本あれ、ば、充分なんだ、よ」
「このくたばりぞこないめ、なんてタフさだ。いや、これはもうタフなんて領域を超えているか。くくく、そうだったな、貴様は亡霊だった。殺そうとしても死なないんだったな。まあいい。亡霊といえども、脳みそを撃ち抜かれては立ち上がれまい」
キルネスはゆっくりと撃鉄を起こし、照準をこちらにあわせる。
膝を地面につけて、血の滴る体を立ち上がらせる。
「ごほっ、く、ああ、そうだ。俺はまだ死んでいない。生きている限り戦える。ぐはっげほっ、ああ、右手が使えれば十分だ。今から貴様の喉を握り潰してやる
から、そこで待っていろ」
刺し違えてでも、キルネスを殺す。全ては、ユーリのために。
こちらに向けられた拳銃の黒い瞳を睨みつける。
「ふんっ、さらばだ、ノードの亡霊」
そう言って、キルネスは引き金に指をかける。
俺は咄嗟にしゃがんで避けようとする。が、酷使して壊れかけた俺の体は思うように動いてくれない。
しまっ―――
俺の思考が絶望に染め上がり、時間が止まったかのように思われた、
刹那。
視界の端に、高速で接近する灰色の影をとらえた。
そして、キルネスの死角から忍び寄ったそれは、
まるで高級酒についているコルク栓を吹き飛ばすかのように、
キルネスの首を撥ねた。




