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復讐讃歌 〜青き瞳が世界を塗り替えるまで〜  作者: 抹茶堂
第2章「仮面を剥がされし者達」
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stand still

 ヴァンゼに拘束具を解いてもらい、自由の身となった俺は光眼を使い警邏に『侵入』して、ユーリに関する情報を収集することにした。ヴァンゼにはその間に俺の外套と短剣を探してもらうよう頼んだ。さっきは強く言い争ってしまったが、ユーリを助けたいのはヴァンゼも同じなのだ。


 不思議なことに監獄内の警備は異常に薄く、移動するのに手間はかからなかった。そして、俺は位の高そうな警邏の一人から、ユーリが今日の午後一時過ぎ、つまりはあと三十分でエリア1へと連行されてしまうという情報を盗んだ。どう急いでも三十分以内にここから第四番隊本部まで行くのは不可能だ。エリア内には車道も何本か通っているが、渋滞していたり警邏が検閲を行っていたりで、最低一時間はかかってしまう。だから、俺は考えた。この状況を打開する良い案はないか、考え抜いた。その答えが、ヘリだった。俺にはヘリの操縦はできないが、警邏が使用しているヘリは全自動の最新機種だと以前聞いたのを思い出し、もしかしてとヘリを探してみたら案の定その通りだった。全自動ならば、俺の光眼で『侵入』できる。準備を整え、ヘリで本部まで行く旨をヴァンゼに伝えると、予想していたがヴァンゼも一緒に行くと言ったので俺は断ることにした。ヴァンゼには悪いとは思ったが、ここからは俺の仕事だ。敵にキルネスがいる限り光眼使い以外の人間は足手まといにしかならない。ヴァンゼにはユーリを救出した後、逃走する際のサポートをしてもらうよう頼み、俺は外套を羽織り、短剣を腰に差して、監獄を後にした。


 ヘリでエリア4上空を飛ぶこと約四十分。やがて、本部が見えてきた。本部の上空では白いヘリが今まさに着陸しようとしているところだった。屋上に拘束されたユーリの姿を見つけた時は、何十年間も離れ離れで暮らしていた恋人に再会したような気分だった。俺はエリア1の使者が乗っているであろうその白いヘリに思い切り機体をぶつけた。もの凄い衝撃がヘリを震撼させ、窓ガラスが瞬時に木端微塵に砕け散る。そして、ヘリ同士が絡み合ってコントロールを失い墜落しそうになるのを確認して、俺は屋上へと降り立ったのだった。

 


 俺はユーリの正面を向いてその鮮やかな赤い瞳を見つめた。

 ユーリの白銀の髪は吹きつける風にさらさらと揺らめき綺麗に乱れていた。

 驚愕に眼を見開き、固まっていたユーリだったが、俺がじっと見つめていると、からくり人形の笑顔のように頬を引きつらせながら、震えた声で言った。


「えっと、セア。こんなとこで会うなんて奇遇だね。どうしたの? もしかしてあたしに復讐しにきたのかな? ま、そうよね、上手く脱出できたみたいだけど、危うくあたしのせいで死刑にされるところだったんだから、恨んで当然よね。でも、あたしも警邏に捕まっちゃったんだ。あはは、おかしいでしょ。これって天罰ってやつかもね。セアを裏切ったからこんなこ―――」


 いつも通りに振舞おうとしているのだろうが、ユーリの置かれている状況を知っていた俺には、ユーリの素顔を覆っている笑顔の仮面の存在に嫌でも気が付いてしまい、その悲哀の声を最後まで聞いてあげることができなかった。

 何より、ユーリにこんな辛いセリフを言わせてしまっている自分を許せなかった。


「そんなわけないだろう!」


 俺が叫ぶと、ユーリは肩をびくりと震わせ電源の切れた機械のように大人しくなった。


「俺がユーリを恨んでるとか、ユーリに復讐しに来たとか、そんなことあるわけないだろ!ユーリが俺をどう思ってて、今どうして欲しいかなんて、言わなくてもわかるさ。短い間だったとはいえ、俺はユーリと一緒に暮らしていたんだからな。君にも俺が今ここに何をしにきたかわかるはずだ!」


 ユーリは何かを堪えるように口を閉ざしていた。

 俺はそれでも構わなかった。ただどうしても、胸の内にあるユーリに対する溢れる想いを今この場で伝えておきたかったのだ。


「俺はユーリに感謝してるんだ。初めてユーリに出会った時、確かに俺は亡霊だった。国家に家族を殺され、生きる目的も楽しみもすべてを失った俺に、残されたもの。それはとめどなく溢れてくるどす黒い復讐心だけだった。俺の日常を、愛する家族を、幸せな日々を破壊した国家に復讐する為だけに俺は生きていたんだと思う。俺は復讐という名の亡霊に取りつかれてしまっていたんだ。でも、そんな俺にユーリ、君は生きる意味を与えてくれた。そんなことないって君は否定するかもしれないけど、こればかりは冗談でも嘘でもない本当のことだ。君は俺に生きる喜びを、幸せを、楽しみを感じさせてくれた。君は俺を亡霊から人間に生き返らせてくれたんだ。だから―――」


「やめてよ!」


 突然、顔を俯けたままユーリは感情を爆発させた。


「なんで、どうして…あたしはセアを裏切ったのよ! セアの家族やノードの人達が死んでしまった原因を作った張本人なの! だから、あたしは警邏の実験体にされて罰を受けなくちゃならないの! もう、もう嫌なの! 誰も傷つけたくない。あたしの笑顔の陰で苦しんでいた人達に合わせる顔がない。もう放っておいてよ! あたしは、ユーリ=ミロノードは、セア=レグノードに対して、世界一酷いことをした最低の人間なのよ!」


 今にも泣きだしそうな声で、ユーリは自分を見捨ててくれと頼んできた。

 そのセリフの真意を読み取れないほど、俺も愚かではない。

 ただ、どうにも冷静に言い返すことはできそうもなかった。

 泣きたいなら泣けばいい。助けてほしいならそう言えばいい。

 何故、そこまで自分を責めるのか。

 もうこれ以上、折れてしまいそうな儚い心を傷つけるのはやめてほしかった。

 だから、俺は想いのすべてをぶつけた。


「放っておけるわけがないだろ! ユーリ=ミロノード! 俺の眼をみろ!」


 俺がそう言うと、ユーリはゆっくりと顔を上げ俺を見つめ返してきた。

 ユーリは顔をくしゃくしゃに歪めて、瞳を潤ませていた。


「ヴァンゼから『青き悪魔の反乱』の真相は聞いた。だからもう、虹色の光眼のことも、記憶を失った経緯もユーリの過去のことは全部知ってる」


「だったら、だったら何であたしにここまで―――」


「そんなの、好きだからに決まってるだろ!」


 その瞬間、ユーリの眼は大きく開かれ、すぐに透明な涙があふれ出してきた。

 おそらく、俺を裏切ってしまった罪悪感も、過去の惨劇を思い出して受けた心の傷も、ユーリは辛いのを隠してここまで耐えてきたのだろう。

 俺はユーリの涙色に染まった瞳をみつめて続ける。


「俺は___セア=レグノードは、ユーリ=ミロノードを世界一愛している! 世界一大切に思っている! 俺がユーリを恨んでいないことも、憎んでいないことも、信じられないならそれでも構わない。でも、俺が君を好きだっていうことだけは信じてほしいんだ」


 こんな大声で叫ぶことは滅多にないせいで、少し声がしゃがれてくる。

 ユーリは嗚咽を堪えながら、膝から崩れ落ちた。

 どこかユーリを追い詰めているかのような形になってしまって少々心が痛むが、これでいいのだ。俺の気持ちをユーリに伝えることができたのだから、もう躊躇うことはなにもない。

 ユーリから視線をキルネスへと移す。マグマが噴火口目がけて上昇してくるように、自然と体の奥底からユーリを傷つけた者に対する怒りが迸ってくる。全身の血が逆流して今にも破裂してしまいそうなほど、俺は感情的になっていた。


 キルネスを睨みつけながら、俺は吠えた。


「だから、ユーリを傷つけた貴様らを、ユーリを実験体なんかにしようとする貴様らを、俺達の家族を殺した貴様らを、俺は死んでも許さない!」


 キルネスの部下たちは、脅えているのか、拳銃をこちらに向けてはいるものの完全に腰が引けていた。

 それに対して、キルネスはというと―――背筋に寒気が走るほど不気味に、嗤っていた。

 俺と目があってスイッチが入ってしまったのか、いきなり下品な声をあげながら嗤いだした。


「っくくくくく、ひゃははははははははははははははは、ひいっひひひひひひひっひいいひひいひひひひひひひひ、ひひひ、ああ、これだから、これだから警邏の仕事はやめられない。人が命がけでもぎ取った幸せを踏み躙ることができるのだからね。まったく、復讐にとりつかれた亡霊とノードを滅ぼした悪魔が、なに恋愛なんて人並みなことしてんだあ?おいおい、あまり人を笑わせるなよ。許さない、だと?馬鹿馬鹿しい。だいたい、地上で暮らすこともできないような最下層のゴミみたいな人種が、まともな幸せなんて掴めるわけないだろう。この国で私達警邏に逆らったら人間はみんなもがき苦しんで無様に死んでいくって決まっているんだよ!」


 キルネスの瞳は楕円形に歪み、唇は三日月のように怪しく弧を描いていた。

 俺は強く歯ぎしりをした。口の中に血の味が仄かに広がる。

 キルネスにしてもコレッガにしても、どうしてこうも簡単に人の気持ちを弄び、平気な顔で人の幸せを壊すことができるのだろう。愛する家族を殺され、そのショックで記憶を失い、周りに騙されて望んでもいないのに誰かを裏切ってしまった少女が、それでもなおその誰かのために罪を償おうとしているのに、こんなことって、こんな理不尽な現実ってあるだろうか。

 喉が痛むのを堪えて俺は叫び続ける。


「許されていいわけがない。この国は、リグレジアは昔から何も変わっていない。大地に巣食う国家という名の闇はいつも俺達みたいな不幸な人間に理不尽な現実を叩きつけて押し潰そうとする。支配して蹂躙しようとする」


 たった十八年間しか生きていないが、六年前までの裕福な暮らしも、社会のどん底での貧しい暮らしも、リグレジアの光と闇の両方を俺は身をもって経験しているのだ。

 今、俺の口から放たれている言葉の数々は、これまで俺が出会ってきた国家の重圧に苦しんでいる人々の想いを代弁しているといっても過言ではない。

 キルネスは薄ら笑みを浮かべ、嘲笑うように言った。


「くくく、何を今更。要塞国家リグレジアとはそういう国なのだ! 生まれた瞬間にそいつの人生はもう国家のものなのだ! 国家のために生まれ、国家のために苦しみ、国家のために死んでいく。これがこの国に生まれた者の運命。宿命ともいえる。この死にぞこないが。その貧弱な頭でも理解できたかね? 弱者は惨めな運命に逆らわずに、黙って従っていればいいのだ!」


 キルネスのその言葉に俺の中の何かが切れた。

 俺は声帯が壊れるほど全力で、烈火の如く叫んだ。


「ざけてんじゃねえぞ! 運命だと! 宿命だと! ざけたこと抜かしてんじゃねえよ! そんなふざけた理由で誰かが苦しんでいいわけがない! 死んでいいわけがない! そんな、そんな理不尽な現実は俺が死んでも許さない!」


 俺はこの身に宿る全ての熱い想いを、純粋な戦意へと昇華する。

 敵対する者達を殲滅するために、五感を研ぎ澄ませて、集中力を極限まで高めていく。

 瞬間、俺は瞼を全開にして、視界に映るあらゆるものを視た。


(侵入完了。警邏隊員四名の意識の切断を実行)


 一斉に、キルネス以外の警邏が気絶して地面に倒れた。

 これで、この場において戦闘可能な人間は俺とキルネスだけになった。


「くそっ、亡霊貴様、不意を突くとは卑怯な真似をしてくれる」


 気を失った部下を見てキルネスは悔しそうな顔をしたが、すぐに元の嘲笑を浮かべると、懐の拳銃に手をかけた。


「ふんっ、こんな雑魚どもに利用価値を見出そうとしていた私が愚かだった。いいだろう。相手をしてやる。よく考えれば貴様とは何回も殺しあってきたがこうして一対一でやるのは初めてだったな。いい機会だ、私の手で直接処刑してやろう」


 キルネスはセリフを言い終えるのと同時に、拳銃をぶっ放してきた。

 俺は即座に横に飛び退き、ギリギリのところで弾丸を避ける。銃撃戦において片方しか拳銃を持っていない場合、撃たれる側の人間は少しでも立ち止まったら、そこで終わりだ。


「どうした!さっきまでの威勢の良さはどこにいった!この、死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!」


 キルネスが俺に向けて乱発してくる弾丸を毎回数ミリ単位レベルの間隔で何とか避け続ける。体を激しく動かすたびに拷問で受けた傷が警鐘をならすが関係ない。動き続けなければただの肉塊になってしまう。ただ、不幸中の幸いというべきか、キルネスが冷静さを失って拳銃を無闇に打ち続けてくれているのは助かった。やがて弾丸が尽きるその時こそ、反撃のチャンスだ。

 地面を転がり、飛び起きて、また転がり、横に飛び退く。俺はただひたすらにキルネスの銃撃を回避し続けた。外套の表面は千切れに千切れて、少量の血をにじませながらボロボロになっている。

 カチッ

 その時、拳銃の弾が底をついた。

 俺は一気にキルネスの懐へ接近しようと地を駆ける。

 短剣を抜くため腰に右手を伸ばす。左手はまだ感覚が戻りきっておらず、戦闘には使えそうもなかった。

 目の前にある醜く引き裂かれた笑みを血で染めるまで、あと少しというところまで接近した時、俺はキルネスの余裕そうな表情に強烈な違和感を覚えた。気のせいか光眼の赤い輝きが増しているような気がする。確証はなかったが、その危機感を信じて俺は咄嗟に横に転がった。

 直後、辺り一面に弾丸の雨が降り注いだ。そのうち数発を脹脛や肩にくらってしまう。


「ぐあっ、…まさか、貴様」


 地面に這いつくばりながらキルネスの瞳を睨みつける。


「おいおい、私を嘗めてもらっては困るね。ただ馬鹿みたいに打ち続けていたわけがないだろう」


 これは、赤の光眼の能力に違いない。拳銃から放たれた弾丸を『操作』して勢いを殺さないように迂回させ、頭上から俺目がけて降り注がせたのだろう。

 迂闊だった。あと少し遅かったら撃ち抜かれていたのは脹脛じゃなくて胸か頭だったかもしれない。

 今すぐにキルネスに精神攻撃をかけなければならない。


 精神攻撃といってもやることは、いつもと同じで青の光眼の能力を使ってキルネスの瞳に『侵入』するだけだ。だが当然、光眼使いであるキルネスには高確率でそれは不可能だ。俺の精神力がキルネスのそれをはるかに上回らなければ『侵入』はできない。でも、『侵入』はできなくても『侵入』しようと試みることによってキルネスに精神的不可をかけることは可能なのだ。他色の光眼使いが青の光眼の『侵入』を防ぐには、内面世界に強固な意識の障壁を形成すること、簡単に言えば、外部の干渉を受け付けないと強く念じる行為が必要不可欠だ。ここで俺の『侵入』のもう一つの効果が表れる。『侵入』を防ぐために意識の障壁を形成しようとすると、その分通常よりも多くの精神力を消費することになり、ただでさえ高度な精神力を必要とする光眼の能力は、ほとんど使用を封じられる状態になってしまうのだ。もちろん、俺が『侵入』をしかけている間に限定してのことだが、お互いの能力を相殺し合い、能力戦ではなく基礎的な戦闘に持ち込んでしまえば、俺の勝機は格段に増すはずだ。


「でも、この状況じゃ―――」


「ほらほら、串刺しにしてやるよ!」


 その時、膝をついていた屋上の地面が蠢いた。


「くっ、またか」


 すぐさま、後方に飛び退く。足を休めることなく飛び退き続ける。

 そんな俺を追うようにして、平らな地面が凶暴な一メートルを超える棘の剣山へと形態を変化していく。ほとんど正方形に近い屋上の中心にいるキルネスから遠ざかるようにして退いている俺は必然的に屋上の角に追い詰められてしまう。

 ザン、ザン、ザン、ザン、ザン、ザン、ザン、ザン、ザン、ザン、ザン

 獰猛な野獣の牙のように鋭利で巨大な棘は、俺を血祭りに上げようと、瞬く間に地面を凶器で埋め尽くしていく。

 まずい。このままじゃ逃げ場が無くなる。どうする。


「そらあ、亡霊の串刺しの出来上がりだ!」

とうとう屋上の角に追い詰められ、俺は屋上の外縁を覆う鉄柵の上に飛び乗った。後ろは虚空。ビルの谷間が口を開けて待っているだけだ。

 すぐに俺が立っていた地面から棘が生える。これで逃げ場は完全に失われてしまった。見渡すと、屋上の三分の一が巨大な剣山になっていた。

 幸いユーリは、俺がいる屋上の隅と点対称になる位置にいるため、戦いに巻き込まれる心配はなさそうだった。

 キルネスは仰々しく両手を広げて、蛇のように卑しく歪んだ瞳で俺を嘲笑う。


「くくくくく、情けないねえ。あれだけほざいておきながら、こうもあっさりと追い詰められてしまうのだから。でも、レグノード家がサーカス界の主役として有名だったのは事実のようだね。さっきからちょこまかと逃げ回ったり、柵の上に飛び乗ったり、そんな調教された猿のような真似、私にはとてもできない芸当だよ」


 キルネスが俺に向ける侮蔑の眼差しは、本当に俺を家畜か虫けらとしか見ていないようだった。


「どうとでも言えばいい。現に、貴様の攻撃が俺に通用していないのは事実だ」


 少しでも時間を稼ぐため、キルネスの挑発を受け止める。

 その隙に俺はこの不利な状況を打開する手段を必死に考える。

 今はまだ『侵入』で精神攻撃をかけることはできない。

 光眼を使わずに、この形勢を逆転する方法。

剣山を乗り越えてキルネスの間合いに忍び込む方法。

……駄目だ。このままでは―――

 鉄かコンクリートか定かではないが、とりあえず何か固いものが砕ける音がした。それも相当多くの音が重なって重い粉砕音になっていた。


「これは―――」


 突然、地面から天目がけて生えていた棘の根本が切断されて、その鋭利な先端を俺へと方向転換したのだった。

 重傷なんてもんじゃない。これをくらったら確実に、死ぬ。


「さあ、亡霊の串刺しが出来上がるのか、それとも亡霊の飛び降り自殺を見物できるのか、どっちかねえ?」


 刹那、一斉に無数の棘が俺に向けて放たれた。

 遠くでユーリの悲鳴が聞こえた気がする。

 棘の雨は俺のいた屋上の角を覆い隠し、轟音と共に、鉄柵もろとも全てを、その鋭利な先端で貫き破壊した。

 この時、コンクリートが砕け散り砂煙が発生して、俺をキルネスから隠してくれたのは不幸中の幸いというべきだろう。

 危機一髪、俺は屋上の淵に捕まり、一命を取り留めた。

 背後を砕け散った棘の欠片や鉄柵が通り過ぎて、遥か下へと落下していく。少しして地上に打ちつけられたその塊が粉々になる小さな粉砕音を聞いた時は、死の恐怖を肌身に感じた。下手すれば俺もコンクリートの塊のように無残な最期を迎えていたかもしれないのだ。

 いや、まだ死のリスクが消えてなくなったわけではない。

 ただでさえ左手が使えないせいで、右手一本で屋上からぶら下がってるというのに、その上攻撃を仕掛けられたらいよいよ絶望的だ。

 早く這い上がらなければと思い、俺が腕に力を入れようとした時だった、いつの間にか真上まで来ていたキルネスに右手の甲を踏みつけられた。

 圧迫するような痛みが走る。


「ぐあっ、くそ、キルネス」


 見上げると、キルネスが虫けらを見るような蔑みの目で見下ろしていた。


「くははははははは、ここまでのようだねえ、さっきの攻撃で死ななかったのはさすが亡霊と言ったとこか。だが、これでもう貴様との長かった闘いも終わりだ。それともなにか? サーカス界の主役はこの高さから落ちても問題ないとでも言うのかね?」


 キルネスは地団太を踏むように、何度も何度も俺の右手の甲を痛めつけた。


「ほらほらほら、命乞いの一つでもしてみたらどうだ? まあ、例え貴様が嘆いて懇願しても、私が貴様を嬲り殺すことには変わりないのだがね」


 右手を襲う衝撃で、指が少しずつ後退していく。

 口から苦悶の声が漏れる。

 痛みと死の恐怖で頭がおかしくなりそうだ。

 くそっ、こんなところで、こんなところで死ぬわけにはいかない。

 今ここで俺が殺されてしまったら、ユーリはもう二度と笑顔で暮らせなくなってしまう。それだけは、何が何でも避けなくてならない。

 そうだ。まだまだ俺は限界じゃない。死んでもユーリを助けるんだろ。

 俺はキルネスを睨みつけ、痛みで歪んだ顔に無理矢理笑みを浮かべて言い返した。


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