そこにいた
セアがこの世から消えて、約一時間が経過した午後一時。
あたしはキルネス含む警邏隊員五名と共に、第四番隊本部の屋上にいた。
頭上を覆う空はあたしの心を投影しているかのように濁りきった曇天で、輝く太陽の姿を完全に隠してしまっていた。頬を撫でる風もたまに空を横切る鳥の影も何もかもがあたしには曖昧に感じられ、視界もどこかぼやけているような気がした。
もうすぐで、あたしをエリア1へと運ぶためのヘリが到着する。
キルネス曰く、あたしの身柄は第一番隊に引き渡され、実験体の一つとして使われるらしい。何をされるか想像もつかない。ただ、断言できるのはそこであたしを待っているのは確実に地獄のような日々だろう。実験体なんて誤魔化すような言い方してるけど、つまりは人体実験ということだろう。どうしてこの国にはこうも腐った人間が多く住んでいるんだろう。地道に人間らしく生きている善人が虐げられ、人間の道を踏み外した醜い悪人が好き勝手に支配する世界。こんな、こんな間違った世界なんて消えてしまえばいいんだ。
「おやおや、随分とご機嫌斜めみたいだね。まあ、昨日みたいに死んだように落ち込まれるよりはまだましだがね」
あたしは視線を空から戻して、無言でキルネスを睨みつける。
こんな奴に言われるまでもない。確かに昨日、『青き悪魔の反乱』の真相を聞かされた時はショックで死んでしまいそうだったし、今もその精神的なダメージは根強くあたしの心に残っている。でも、あたしがそんな顔をしていても奴らを喜ばしてしまうだけだ。囚われの身であるあたしにできることなんて、奴らの思い通りにはならないよう反抗的な態度をとることくらいだ。
「そう言えば、君の大切な亡霊くんの処刑時刻っていつだったか覚えているかい? 覚えているなら教えてほしいんだがね」
キルネスは白々しい口調で言った。
「っく―――」
セアの名を聞くだけで肩が微かに震えてしまう。
それを見てか、キルネスはわざとらしく両手を挙げて嘆いた。
「ああ、そうだったね。セア=レグノードはもうこの世にはいないのか。いやあ、悲しいね。本当に悲しいよ。今頃、死界の地面に叩きつけられて見るも無残な姿で死に絶えてるだろうからね。いや、彼はもともと亡霊なのだから、死ぬことは無いのかもしれないね。だとしたら、国外追放の刑に処したのは大正解だったよ。生きていても死んでいても関係なく、あの惨めな亡霊と永遠におさらばできるのだから、くくくく」
キルネスは、ビルの谷間にこだまするほど大きな耳障りな声で笑った。
奴が憎くて憎くてしょうがない。
こいつさえ、警邏さえいなければ、セアとあたしは一緒にいられたのに。
歯ぎしりをする。爪が皮膚に食い込むほど強く拳を握りしめる。
堪えろ。堪えるんだ、あたし。泣いてはいけない。泣いても誰かが助けに来てくれるわけじゃないんだ。この国には救世主も正義の味方もいないんだ。弱い者達は強い者達に従うしかない。さもないと、あっという間に殺されてしまう。苦しくても悲しくても生きていくしかない。あたしはセアに対する罪悪感を一生抱えて、永遠に償うことのできない罪を背負って進んでいくしかないのだ。だから、もう泣いちゃだめだ。我慢するんだ。セアが今までそうしてきたように、苦しみを隠して笑おう。悲しみを隠して進むんだ。
「それで、あたしをエリア1まで運んでくれるっていうヘリはいつ到着するの? もう待ちくたびれたんだけど、早くしてくれないかしら」
こみ上げてくる感情を抑えて、あたしは精一杯の笑顔を作って笑う。
「ほう、粋がる元気は残っていたか。まあいい、君の地獄はこれから始まるのだからね。ヘリももうそろそろ着くはずだ。君はもう二度とエリア1から出てこれないだろうから、私が治めるこの街の景色をよく見物しておくといい」
そう言い、キルネスはあたしから離れていった。
あたしの反応があっさりとしていてつまらなかったのだろう。
そう、これでいいんだ。
エリア1でも作り笑顔を振りまいて、本心を隠して生きていこう。
セアは復讐者としての仮面を被って生きていたように、あたしも仮面をつけて自らを偽っていこう。うん、決定だ。
遠くから、風を切るような音が近づいてくるのが聞こえた。
その方向をみると、純白のヘリが一台、こちらへ向かって接近していた。
「おお!やっと来たか。あの純白のヘリは間違いなく、第一番隊の専用機の証だ。まるで私の功績を称えているかのように美しく輝いているではないか」
キルネスは頭から警帽をとり、ヘリに向けて深々と一礼した。
あれが、あたしを連れて行くヘリか。確かに白く輝いていて美しいと評価できなくもない。でも、ヘリが醸し出していた美しさは、まるで虚飾に覆われたメッキのように偽物じみた美しさだった。まあ、セアを裏切ったあたしには相応しい乗り物かもしれない。
あたしは皮肉の笑みを浮かべた。
やがてヘリが第四番隊本部の屋上の上空に到達する。
ああ、これであたしに許された幸せの時間は終わるんだ。
これから起こると予想される全ての不幸を覚悟して、受け入れた。
その瞬間、鼓膜を切り裂くような衝突音が辺りに響いて大気を振動させた。
「なんだ!何が起こっている!」
キルネスは慌てふためいて、みっともない声をあげた。
どうやら警邏にとっても予想外の出来事だったらしい。
あたしは鎖の付いた両手で耳を抑えながら、頭上を見上げた。
「え…なに、よ。これ……」
そこでは第一番隊の純白のヘリに、漆黒のヘリが衝突してもつれ合っていた。金属同士が擦れあう嫌な音が鼓膜を刺激する。お互いのプロペラが絡み合ってコントロールを失った二機のヘリは、不安定に旋回しながら本部に隣接していた高層ビルに墜落して爆炎を噴き上げた。爆発が爆発を呼び、その強烈な光と音の影響をもろに受けたあたし達は、少しの間、まともに身動きをとれなかった。墜落した二機のヘリはひしゃげて、やがて地上へと落下していった。
キルネスが狼狽しているのは火を見るよりも明らかだ。
「いったいどうなっているんだ! さっきの黒いヘリ。あれは監獄に常備されている緊急用のヘリのはずだ。それが何故こんなところに―――」
その時だ。突然キルネスの表情が凍りついた。
どうしたのだろう。本部の外観に傷でもついたのかな。
不思議に思い、キルネスの視線の先を追って振り返ると、そこには―――
もう二度と会えないはずのあたしの大切な大切な人が、
仮面で顔を覆うことなく、外套を風にはためかせて、
漆黒の髪と、青く澄んだ神の瞳を煌めかせて、
そこにいた。




