水面下
今回は前半はユーリ、後半はコレッガの視点で進みます。
あたしが第零番隊に所属していて、その中の隠密部隊『密罰』の一員であることは、ヴァンゼと出会って少しして彼の口から直接聞かされた話だ。
記憶を失っていたのでそもそも警邏が何をする組織なのかさえ忘れていたあたしは、常識的には警邏が第一番隊から第九番隊までしか存在しないとされていることも初耳だった。
一般市民の中に身を潜め、隠れた犯罪者を密告する隠密部隊。そんな得体の知れない部隊に自分が所属してたなんて信じられなかったけど、ヴァンゼがそう言うのなら真実なのだろうと思った。
ヴァンゼ曰く、とある犯罪者達を追い、戦闘を行った際に脳にダメージを負ってあたしは記憶喪失に陥ったという。酒場『ハチミツ』の名前の由来も昆虫のミツバチと『密罰』とをかけたらしい。ヴァンゼらしい奇妙なセンスだなあ、と初めて聞いたときは思わず吹き出してしまった。そんなこんなで、あたしは酒場のバイトという表の顔と『密罰』の一員という裏の顔を持ちながら暮らしてきたわけだが、裏の顔を使う機会はこれまで一度も無かった。不審に思い、ヴァンゼに本当にあたしは第零番隊の隊員なのかと問うと彼は、この酒場の周りには良い人たちしかいないんだ、と微笑みながら言ったのを覚えている。だから、今回の一件は記憶にある限りでは、あたしにとって初めての任務だった。
本音を言うと、すごく嫌だった。
とても苦しくて悲しくて胸が張り裂けそうになった。
だって、そうでしょ。
ノードの亡霊だか何だか知らないけど、深い怪我を負った少年を騙して、その好意と真剣な想いを利用して、最終的には捕まえて処刑するなんて、ヴァンゼには悪いけどとても善人のすることとは思えない。ノードの亡霊の噂はちらほら耳にしたことがあったから、警邏に対してかなり攻撃的で破壊的な活動を繰り返していたのは認識していたけど、だからってここまでしなくてもいいんじゃないか。
セアが悪逆非道な悪魔のような少年だったらあたしも躊躇わずに任務を遂行していただろう。でも…セアは、セアは、あたしのプレゼントを心から喜んで受け取ってくれるような優しくて純粋な少年なのだ。ひねくれたとこも少しはあるけど、決して悪人だとは思えない。本物の悪人は女の子に蜂のガラス細工を買ってくるなんて温かいことできない。
夜中にセアがうなされていた時もそうだ。あたしに弱ってるところを見られまいと、彼は必死に強がっていたけど、握り合っていた手のひらを通して、あたしは彼の脆さに気付いてしまった。この少年はずっと独りで復讐なんて重いものを背負って国家と戦ってきて、もう体も心もボロボロなのだと。
だから、今回の計画をヴァンゼに説明された時、あたしは抗議をした。なにかもっと他のやり方があるんじゃないか。誰も悲しまなくて済むそんな夢のような方法があるんじゃにか。セアを騙すなんてあたしにはできない。例え任務だとしてもやりたくない。でも、あたしのその願いが叶うことはなかった。これが任務だからだろうか、ヴァンゼはいつもより一段と声を張り上げて厳しくあたしを叱った。あたしには任務を忠実に遂行する以外に選べる道は無かった。それでも、セアにもっと笑顔になって欲しいからと、岩山に遊びに行ったりもしたし、そこでサプライズをしたりもした。セアと仲良くなればなるほど、悲惨な結末を迎えることになるのは覚悟していた。今振り返ってみると、そんなの気にしてなかったんだと思う。目の前のセアに夢中で、どうやってセアを驚かすか、どうやってセアを笑わせるか、どうやってセアを怒らせるか、そんなことばかり考えていた。あたしにとって、セアはつまり…そういう人だったのだ。
『ハイエナ』のアジトで戦意を喪失したセアが仮面をとり武器を捨てて投降してから、リグレジアを囲んでいる巨大で分厚い壁の中にある監獄に収容されるまでは、本当にあっという間の出来事だった。また犯罪集団『ハイエナ』は解散し、コレッガ達も全員逮捕されたという。セアによって大半が殺されてしまったのだから無理もない。仮面をつけて殺し合いをするその恐ろしい姿は本当に中に入っているのがあの優しいセアだとは信じがたかった。
セアの処刑は二日後の正午。その内容は、リグレジアで最も残忍な刑として有名な、極刑・国外追放「メシュラキスモス」に確定したという。人は壁の中でしか生きられない。外は生き物が生存不可能な死界だ。高さ八百メートルを超える巨大な壁の上から手足を拘束されたまま死界へと突き落とされる究極の死刑。それが国外追放だ。それが意味することは、囚人の存在の抹消、そして人権の完全否定だ。あなたは産まれてくるべきではなかった、と暗にそう告げている。要塞国家リグレジアに住んでいるあたし達にとって、死界へ捨てられるということはそういうことなのだ。
昨日、任務を完遂して家に帰ってから、あたしはずっと布団にくるまっていた。セアが使っていた布団に顔を埋めるようにしてずっと、ずっとだ。何もでいないあたしは、セアに貰ったガラス細工を強く握りしめる。
…もう、死にたい。
生きる希望を削がれた気分だ。何もかもが嫌になった。
無力なあたしが憎い。セアを騙したあたしが憎くて憎くてしょうがない。
セアは今頃、どうしているだろうか。あたしを恨んでいるかな。きっとそうだろう。あたしのせいで何もかも失い、国外に追放され死んでしまうのだから、憎んでいない方がおかしい。これほど悲しいことはない。これほど辛いことはない。もう、いっそあたしもセアと一緒に国外へと捨てられてしまいたい。
突然、部屋をノックする音が聞こえた。ヴァンゼだろう。あたしは布団にくるまったまま入室を許可する。
「ユーリ、いつまでそうやって拗ねてるつもりだ。いい加減切り替えろ。セアのことはもう忘れろ。任務と私生活の区別もできないようでは、『密罰』としてやっていけないぞ」
あたしは沈黙を貫くことにした。
ヴァンゼは呆れた声で続ける。
「任務は終了した。もうセアはいないんだ。今夜からまた俺と二人で酒場を切り盛りしていくことになる。日が暮れるまでには気持ちの整理をしておけよ」
そんなこと、言われなくても分かっている。
セアがいなくなったことの重さを誰よりも深く感じているのはあたしなのだ。
「ま、あまり自分を責めるなよ。セアは国家に対して多くの破壊活動を繰り返してきた犯罪者なんだ。人も何人も殺している。『ハイエナ』のアジトでお前も見ただろう。躊躇なく刃を振るうセアを。『密罰』の一員であるお前が、セアの逮捕に協力するのは至極当然のことだ。ユーリ、気にするな。黄緑茶でも飲んで仕切りなおせ。セアのことは俺だって―――」
その時、一階で誰かがヴァンゼの名前を呼ぶ声がした。お客だろうか。それにしては早すぎる。開店は夕方からだというのに。
「はいよー。今行くから待っててくれ」
そう返事をして、ヴァンゼは一階に下りて行ってしまう。
ヴァンゼはあたしを心配してくれているのだろう。厳しく振舞うことが多いけど、心根は優しいのだ。
でも、今はまだそんなヴァンゼの優しさに応えることはできなそうだ。
ごめんね、と心の中で呟く。
このセアに対する張り裂けそうな想いは一向に消えてくれそうにもない。
「どうい―――だ!話が―――いか――――んだと―――さか―――か、あの子は――――――」
なんだろう。一階でヴァンゼが誰かと口論をしているのが聞こえてくる。しかもかなり激しそうだ。喧嘩でもしているのだろうか。
少しして静かになったと思ったら、今度は騒々しく階段を駆け上がってくる音がする。その音は複数の人間のものだった。
布団から顔をあげて、部屋の入口の方向に顔を向ける。
するとそこでは、見覚えのある警帽を被ったブロンドの瞳をした男が顔を覗かせていた。
ぶち殺してやる。
今に見ていろ、あの糞虫どもが。
この俺に屈辱を与えた人間は全員惨たらしく殺してやる。
道理で事が上手く進み過ぎていたわけだ。まさか警邏の手のひらの上でまんまと踊らされていたとはな。腹立たしいことこの上ない。
あの時俺は、亡霊野郎に顔面を蹴られまくって地に伏した。顔の骨がいかれて出血もとまらなかったせいで、意識は朦朧としていた俺だったが、どうにか警邏の話を盗み聞きすることができた。そこで俺は初めて自分が嵌められていたことを知った。亡霊野郎が警邏に投降した後、俺ら『ハイエナ』も捕まって、監獄に連行されることになった。
幸い生き残った一階の連中も気絶している間に全員捕えられたようだ。俺も縄で縛られ、警邏に引きずられて地獄街から運びだされた。だが、俺はまだ諦めていなかった。隠し持っていたナイフで縄を切り裂き、俺を運んでいた警邏を殺して、俺は逃亡した。そして、帰る居場所を失った俺は地獄街をどこへ行くともなく彷徨っていた。それにしても間抜けな奴らだ。最も奴らの目的はあの亡霊野郎を捕えることで、俺など眼中になかっただろうがな。
あの亡霊野郎の本名、セアと言ったか。この俺を散々蹴り飛ばしておいて、勝手に掴まりやがって。おそらくあいつは死刑だろう。これでも一年前まで警邏の隊長をしていたのだ。国家に牙をむいた人間がどういった末路を辿るのか想像するまでもねえ。
くそったれ。この怒りの矛先は誰に向ければいい。
いや、そんなの決まっているか。
あいつだ。あの男女だ。あいつが俺らを利用した張本人だ。
酒場『ハチミツ』にいる女を攫えば亡霊野郎をおびき寄せることができる。そう言って奴は俺らを騙し利用したのだ。警邏の内通者といったところか。タイミングが良すぎると思ったんだ。警邏が躍起になって探しても見つからなかった亡霊野郎の居場所と弱みを握っている人間が、俺らみてえな社会のクズにボランティア精神で情報を流すこと自体、普通に考えてあり得ない話だ。
ああ、折れた顔の骨が疼きやがる。鼻はもう使い物にならねえみたいだ。くそったれ。誰かを殺さねえと気が済まねえ。あの男女め。絶対に見つけ出してぶち殺してやる。
地面に唾を吐きつける。
俺が警邏の手から逃れ、こうして地獄街を彷徨い続けて数時間が経過した頃、それはいきなり現れた。
気配は無かった。
ただ、金属が擦れる嫌な音がした。
その音が聞こえなかったら、俺はそれの存在に気付かなかっただろう。誰かが俺の前にいる。
懐からナイフを取り出す。ナイフを構え、膝を曲げ戦闘態勢をとる。
こいつ、いったい何者だ?
瞳を失い、気配を察知できるようになって随分経つが、気配のない人間と対面したことなど一度もない。生きている限り生き物は微弱な気配を断つことができない。
待てよ……本当になかったか?
俺は強烈な既視感を覚えた。
すると、それは独り言を口にするかのように、中性的な声で喋りはじめた。
「世の中に腐るほど人間はいて、無駄に繁殖し続けている現状を僕は嘆くよ。生存を許される希少な人種はごく僅かだ。そう彼のような何物にも侵されない絶対的な信念。淀みのない漆黒の瞳。ああ、今すぐにでも迎えに行って僕の手で彼を滅茶苦茶に穢し、嬲り、愛でて、味わい尽くしたい。でも、駄目なんだ。今すぐにはいけないんだ。僕にはこの国の不純物であり異物であるゴミを排除しなくてはならないという義務がある。だから、そうだね…早く終わらせようか」
聖歌を歌うかのように、仰々しい素振りをするそれは、紛れもなく俺の正面に立っていた。気配は感じられないのに、そこにいた。
この女みてえな声に、男みてえな喋り方。間違いねえ。
「てめえ、この前の男女か。よくも俺らを騙してくれやがったな。まさかてめえの方から俺に会いに来てくれるとはな。手間が省けたぜ。ズタズタに引き裂いてやるよ!」
俺はそれの下へと駆けた。どんな手品を使ってるか知らねえが、気配を察知できないのは厄介だ。動かれて居場所を見失う前に、とっとと始末してやる。
声を聞く限り、それとの間合いはおよそ五歩。ナイフの届く距離にまで接近した俺は両手のナイフを同時に振りおろした。が、そのナイフは虚しく空を切るだけだった。
くっそ、逃げられただと。そんな馬鹿な話があるか。何の音も―――
刹那、肉の千切れる音が聞こえた。
そして同時に、俺の世界は消滅した。




