夕暮れの中で待つ
ぼくは本を読みながら駅前広場のベンチで座っていた。
彼女が来るのを待っていた。
本から目を離すと、駅前は夕暮れだった。どのくらい時が過ぎたのだろうか。
いつから自分はここにいるのだろうか。
一瞬自分が誰であるのかわからなくなった。
この風景は誰のためにあるのだろうか。
自分の前に現前する風景が自分によって認識されているはずであるが、その自分というものが他者を見ているように見える。では、この他者のような人間存在を見ている者は誰なのか。
そんな気分にしばらく捕らわれていたが、「待たせてごめんなさい」と言う彼女の声にふっと我に立ち返りながら、ぼくのほうに歩み寄ってきた彼女を視野に収めることができた。
先ほどまで自分が全世界から投げ出され砂浜に打ち上げられた漂流物のように思えていたのが、彼女の存在を意識することにより自分自身を取り戻しここにいるという安心感となってぼくの意識をモノクロームから明るいカラーに変えていった。
ぼくは思った。これが幸せということなのだろうと。しかしこれでいいのだろうか。
彼女の存在によって自分の世界に色彩をつけることが本当にいいのだろうか。モノクロームでぼくは生きていて自分の問題を解決する努力をすべきではないかと。
そんなことを思った次の瞬間に、彼女に話しかけようと彼女のほうを見たときにそこには誰もいなかった。
彼女は来なかった。ぼくはこの現実をどのように反復することによって自分自身を取り戻すことができるのだろうか。これは難しい課題であるがこの時にはぼくにはわからかった。ぼくは唯そこに存在している物のようにそこに存在することしかできなかった。運命や神を呪うという激しい心の表現をする者も確かにいるだろう。
しかし、ぼくは自分が存在しないものである、取るに足らない存在であるからそんなに重大に考える必要はないと思うことにした。これはごまかしかもしれない。しかし、人間は矛盾であるから、このようなことも許されるのではないかと思えた。
でも、この矛盾はいつか反復により意識がたどられるときに、超えられなければならない。今はその日を待つしかない。残念なから今その矛盾に対決する力は自分にはない。自分にはしばらく考える時間が必要である。
ぼくはベンチを立つと駅のほうへ歩いて行った。