お気の毒ですが、冒険の書は消えてしまいました
「なぁ、俺たちは今日、何をした?」
ある日、勇者は疑問に思った。冒険の書に日々の旅の記録を記すと同時に、記憶がどこかへ飛んでいる気がするのだ。そんなことを感じ始めてから、勇者はこの世界に違和感を覚えるようになった。そして、そんな違和感の解消のためにも、ともに旅をする仲間に質問を投げかける。
仲間から返ってきた答えは、冒険の書に記した道筋とまったく同じものだった。その答えに、勇者の違和感は現実味を帯びた。
「なら、昨日は?」
昨日も同様に、冒険の書に記された道筋とまったく同じものだった。これで、勇者は確信する。
(俺たちの記憶は、記録に操られているということか)
その夜、勇者は冒険の書をジッと見つめながら頭を働かせる。
「俺たちの記憶が操られているとすれば、一番怪しいのはこの冒険の書だ。こいつに記録したことが、俺も含めた、世界全体の記憶になっている」
ここで、勇者はひとつの仮説を立てた。勇者たちの記憶のみが冒険の書に操られているのなら、世界全体まで勇者たちの記録通りに動いているのはおかしい。勇者たちのみを操っているのなら、間違いなく世界中の人間たちから、おかしな人扱いを受けていなければ辻褄が合わないからだ。
だが、行く先々の人々は、勇者たちを「魔王を倒し、世界を救う勇者パーティ」として、熱く出迎えてくれる。
つまり、この冒険の書は世界全体の動きを記録して、それを元に世界の記憶を操っているのではないかと考えた。
「こいつが世界の記録だと思うと寒気が止まらないが、俺にはそうとしか考えられないな。だが、まだ実証したわけじゃない。だから、今から真実の実証をしてやる」
勇者はペンを取り、今日の旅を冒険の書に記録した。だが、いつものように辿ってきた真実の冒険の記録を記したわけではない。
「うそを記すなら、これくらい大げさな方がいいだろう」
勇者は「魔王を倒すまでの道筋」を、想像で冒険の書に記録した。冒険の書に記録したことが世界の記憶となるのなら、次の瞬間には「魔王を倒した世界」が現れるはずなのだ。
「頭が……痛え……」
勇者の考えは外れではなかった。
「この世界は一体どうなっているんだ……?」
瞬く間のうちに世界がドロドロに溶けていく。その溶けていく世界のいたる所から、勇者が冒険の書に記録した、「魔王を倒すまで」のストーリーが浮かび上がり、展開されていく。
(やばい。意識が……もたねえ)
冒険の書に記録したストーリーを見終える前に、勇者の意識が途絶えた。
「これで確信した。この世界は冒険の書が操っている。ここは、正義も悪もない……くだらない世界だ」
勇者が目覚めたそこは、前回の記録を済ませた地点だった。つまり、まだ仲間に「なぁ、俺たちは今日何をした?」と質問を投げかけていない状態。これも、仲間に確認を取って実証済みだ。
「記録に記憶が縛られているこの世界に、正義も悪も存在しない。なら、終わらせるべきだろう」
勇者は剣を取りだし、冒険の書をバラバラに切り刻んだ。すると、前回と同じように世界がドロドロになり、崩れていく。だが、前回のように、うそであっても記録された道筋はない。つまり、冒険の書は世界を操るための記憶を植え付けることができない。
「この世界は間違っているよ。記憶は自分で切り開いて集めていくものだ。決して、記録から与えてもらうものじゃない。記録から記憶が生まれるんじゃない。記憶から記録が生まれるんだ」
世界を操ることができなくなった冒険の書は、世界の崩壊を選択した。
「……あれっ! データが……消えちゃった……」
お気の毒ですが、冒険の書は消えてしまいました。