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透明な空に誓おう

作者: 林 りょう



 星のない夜空を彩る紅い炎。その熱気を孕んだ風は生きる物から酸素を奪い、夢を壊す。

 希望の為にと剣を取り押し寄せた者達が、そうやって希望を殺すのだ。大儀という形の鎧を纏い、正義という名の盾を並べ。

 深夜の襲撃だった。予想外の裏切りであった。

 けれど、街の人々はその真相すら知らずに地を転がっていく。

 本来戦う術を持つものすら武装さえままならず、着の身着のままただ倒されるのみ。このような時の為にと、長い年月をかけて鍛え抜いた身体は、たったの一太刀に為す術が無かった。

 断末魔の悲鳴。絶望での悲鳴。懇願の悲鳴。悲鳴、悲鳴、悲鳴――

 殺された希望は徐々に積み重なり、相手の希望を狂わせていく。大儀と正義を血で飾らせ、未来を穢そうとする。

 この時点でこの地獄は、歴史となり始めていた。


「こっち……!」


「追っ手が!」


 けれど、潰えるものがあれば必死に抗うものもある。

 貴族が翻した国への反旗に巻き込まれた街、炎に包まれた生地(せいち)を唇を噛み締めながら捨てようと決意した年若い男女が、複数の者に追われていた。

 貧相な平民の服装を所々焦げさせた青年が必死に握るのは、武器ではなく愛だ。密やかに育み、そして交わし続けてきたそれをなんとしてでも守り抜こうと、恩ある主人に誓って命掛けで街を脱出した。

 その主人は二人を逃がすため、既にこの世から旅立っている。彼にとっては、街の者全てから恨まれても構わないとまで考えての選択だった。

 娘の存命は、自らの息子が仕出かした暴挙に対して願ったせめてもの慈悲だ。それを許してくれた青年へ全てを託し、街の領主は歪んだ剣によって冷たくなった。


「走って、早く!」


 悲痛な叫びの背後では、二人にとって地獄の亡者よりも恐ろしい者達が鎧を鳴らして迫ってくる。

 娘にとって、確かに血の繋がった兄が寄越した死神だ。伸びてくる手は自分の命を刈ろうとする鎌にしか見えない。

 そんな相手からなんとしても護ろうとしてくれる繋がった熱い手の先では、険しい表情をして額から血を流す愛しき青年が。頬を矢が掠め、彼はさらに焦りを濃くする。

 娘が強く手を握れば、青年はそれを上回る決意で握り返してくれた。その優しさに、涙が零れてしまいそうなほど愛しさが溢れる。

 いつも毎日、誰もが褒めてくれた艶やかな髪は乱れ、まるで人形のようだと誉めそやされた顔は煤で汚れ。多くの女性を羨望させた美しいドレスなど、膝から下はただの布切れとなって来た道に落ちているだろう。

 それでも、手は離れるどころかさらに強くなる。

 私利私欲の為に吐かれる空っぽな賛辞の為でなく、貧相でも大切な青年の為に頑張っていた着飾りには甘い言葉を一度だって囁いてくれなかったが、だからこそその想いはこんな時でも真っ直ぐだ。

 貴族じゃなくなっても、今まさに殺されそうでも、震えながら一緒に生きようと叫んでくれた。父から自分を託され、泣きじゃくる娘に対してずっと一緒にいようと――

 きっと最後の瞬間まで、青年はその約束を守り抜いてくれることだろう。そういう人だと娘は知っている。そんな彼の持つ夢を、彼女は知っていた。

 足を矢に射られてもその歩みは止まらない。逞しい腕が射られても繋がった手は離れない。

 このまま二人溶け合って、風になれたらどれだけ幸せなことだろうか。そうすればどこまでも自由に、共に逃げ続けることが出来る。誰にも邪魔されず、抱き合っていられる。

 ――あなたならきっと、私を生かし続けてくれる……。

 逃げる時間が増す毎に、青年の姿が血に塗れていった。娘に付いているものは、かすり傷以外全て彼のものだ。

 おそらく領主が死んだ今、その代わりに娘を処刑し首を晒すために今は生かそうとしているのだろう。

 未来を夢見た矢の雨は、青年にだけ降り注ぐ。


「生きるんだ、一緒に!」


 嗚呼、その心に二人を繋ぐ虹が架かる限り、宿した翼は羽ばたかないのだろう。

 終わりまで、青年は娘のものでありたくて、娘も青年のものでありたかった。


「えぇ、一緒に」


 はぐれることなく、歩みを止めず。一緒に同じ夢を見よう。

 娘の呟いた言葉が自分とはどこか違うと気付いた青年が振り向いた。歩みは止めず、握った手も離さず。

 けれど、その身が流す憎悪の混じった赤い涙が滑り、無情にも二人の繋がりを引き裂いた。


「あっ……」


「そんな!」


 娘の身体が地面に倒れる。絶望の鐘が鳴り響く。

 一人になってしまった青年に対し、正義も未来も容赦なかった。


「駄目えぇぇ!」


 それを防いだのは、娘の身から生まれた透明な炎だ。青年の命を刈り取ろうとした全てを焼き切って二人を隔てる。

 ゆっくりと立ち上がる姿を呆然と眺める先で、娘は微笑んでいた。

 青年と過ごした日々の中にあるどれよりも儚く美しく、悲しげな笑み。炎は彼が再び手を取る事を許してくれなかった。


「どうし、て……。どうして!」


「逃げよう? 一緒に」


「だから早く、早くこっちに!」


「約束よ。忘れないで」


 じりじりと、炎の奥で娘の身に歪んだ槍が迫る。

 けれど青年の手には、武器となる剣も譲れない愛もなくなってしまった。大切な主人と護り抜くことを約束し、全てを捨て、どんなことでもすると決めたはずなのに。

 背中で脅威が迫っても、娘は青年だけを見ていた。


「生き続けるの、一緒に。あなたはずっと最後まで、私の騎士だわ」


 恐怖からか全身で激しく震えながら笑う頬には、希望が流れて地を伝う。いつしかそれは種に染み込んで、娘のような美しい花を咲かせるのだろうか。

 言葉の意味に気付いた青年はそんなものは見たくないと、最後のその瞬間までその存在そのものを愛し、怖いのなら抱き合い共に震え、そうして死にたいと叫ぶ。

 けれど娘はそれを約束しなかった。


「私はあなたの意志を、未来を、少しでも残したい。それが女というものだもの。だけど、私が残すには時間も数も、そう多くはない。だから、ね?」


「だから逃げるんだろう!? 俺は君の為に騎士になりたかっただけなんだ!」


「あなたは私の騎士だわ。今も昔も――これからも」


「だったら! だから……!」


 言葉にならない想いの声。娘の細い腕が乱暴に拘束され、首には冷たい鎖が巻かれる。

 それでも娘は青年だけを見て、一緒に居るからどこまでも連れていってと笑う。


「生き続けて、多くを残しましょう。多くを残して。そして一つで良いから、その中に私を入れて?」


 それが娘と青年が交わした最後の会話。

 透明な炎は黒の色を付けて姿を遮り、轟々と燃え盛る塊が一つ、青年の身体を覆ってその場から攫った。

 広すぎる世界で、青年がどこに行ってしまったのかは分からない。

 娘がどうなったのか、知ってる者は少なかった。

 お互いに息を吸える場は限られていたのに、それが分かっていても彼らは――愛の為に生きる事を引き換えにした。


 数年後からだ。一つの歴史が文字となり、声を失ってからのこと。

 広い世界の各地において、まるで迷子のような放浪の騎士の噂が囁かれるようになったのは。

 その男はよく言ったそうだ。探しているんだと――


「それまで俺は、約束を守るから。誰も居ない場所で」







お粗末さまでした。

せつなく、真っ直ぐ。相変わらずのノリ書き上げです。

明確じゃない会話の中にある二人の想いを感じてくれれば幸いです。

よければご意見ご感想、お待ちしております。



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