第1章:天高く・・・な秋(1)
高い空が、夏のぎらぎらした色より幾分穏やかな色合いで周囲を包んでいた。
木陰で草木の匂いを嗅ぎながら寝転がっていたスフィルカールは、青い瞳をややすがめると勢いよく起き上がる。
ちらちらと光が黒い髪を照らしている。
彼は座ったまま、うーーんと大きく伸びをした。
「うーん。まさしく、天高く、龍肥える秋、だな。」
「馬だろそれ。」
「馬ですそれ。」
両隣から、冷静な突っ込みがはいる。スフィルカールは言葉につまり、口をへの字に曲げた。
「カールって、どうしてそう中途半端に覚えているんですかね。」
歴史書を広げたまま、黒い髪の少年があきれる。
フィルバート・ハルフェンバック。一応子爵らしい。皆はフィルと呼ぶ。
168㎝のひょろりとした立ち姿といい、ガラス玉のように光の加減で揺れる黒い瞳といい、周囲からやや浮いた印象を与える。その容貌は、辺境中の辺境と言われる極東のフェルヴァンス人の父親によく似ているそうだ。
華奢な見てくれとは違い、腕っ節の方はかなりのものである。身軽さと体の柔軟性を持ち味にした剣技が得意で、また最近は格闘技や体術の方にもその才能を見せていると指導に当たる騎士達から将来性を有望視されている。風に愛された騎士、と言ったものがいるとか、居ないとか。
国許はとなりの東方公国だが、現在はラウストリーチ公国の摂政のもとで剣術や政治を学ぶということで滞在している。
「なんか、変なとことで勝手に変えてるんだよな。お前が微妙に間違えるたびに、うっかり笑わねぇように、一生懸命ウルカが口をへの字に曲げてるんだぜ? その顔につられて俺たちが笑いだして、師匠に叱られるんだよな。」
金髪碧眼の少年が草の上にうつぶせになり、格闘中の魔術書から顔をあげた。
ナザール・ロズベルグ。ナージャと呼ばれている。身長は165㎝。
もともとは街の孤児であったが、闇の力の強い魔術師に真名を与えられたにも関わらず、全く影響されなかったため、聖なる力に恵まれた魔法使いであるとして現在は公国の宮廷魔術師見習いである。宮廷に入る際、重鎮の老魔術師の養子ということになりロズベルグ、を名乗っている。愛嬌のある表情で気が効いており、くるくるとよく働く。師匠以外の宮廷魔術師達からの頼まれ事もよくこなし、そのついでに本を貰ったり、魔術言語を教わったりと非常に可愛がられている。師匠の魔術師長リヒテルヴァルト侯爵から学ぶことのできない系統の魔術も積極的に学び、いずれはこの公国にとって良い人材となるだろうということだ。
「・・・・龍でも良いだろ。趣旨は秋は喰い物が旨いってことなんだから。」
古典文学についての本を隣にほうって、スフィルカールは憮然として言いわけをした。
黒い髪に青い目。身長は現在三人の中では一番底辺での発展途上中の160㎝。ちなみに三人とも15歳である。いや、孤児のナザールについては実際のところはわからないが、「まぁ、大かたそのくらいだろう」というところで一応同い年だ。ナザールは二人の誕生日を聞いて、ちょっと年上感があるからと勝手に誕生日を5月21日と決めてしまったからなんともはやではある。
このスフィルカール、口のきき方を知らない生意気な少年、と傍目には映るが、その実この公国の公王であるからどうしようもない。つい数か月前までは、生まれたときに余計なことをほざいた予言者のおかげで、父皇帝に「将来帝位を脅かすもの」として痛くもない腹をさぐられ(生まれたばかりでは画策のしようもない)、挙句には呪い殺されるところであった。「死んだら父親を呪いかえしてやろう」と物騒なことを考えていたが、偶然街で出会ったナザールの師匠である男によって闇の呪いが解かれ、ついでにその男を自分に仕官させた。その男であるシヴァ・リヒテルヴァルト侯爵や摂政のリュスラーン・ライルドハイト侯爵から"才気走ったくそ生意気な子供"と言われてはいるが、公王としての最低限の仕事はちゃんとこなしているということで見捨てられては居ないらしい。“居ないといろいろ困る人”になるべく、同年代の少年と共に日々勉学や剣の修行に励むという、齢15にして今更ながらの子供っぽい生活を送り始めているところである。
ナザールはうつぶせのまま脚を交互に動かして魔術書をめくりつつ、くくくと笑った。
「ウルカにとっては当たりかも。あいつ何か食べないといけないわけじゃねぇのに、人の食いもん喰うの好きでさ。特に秋はリンゴが旨くて困る、って言ってた。ナナの焼くアップルパイが好物なんだぜ? あの顔で甘党って笑えるだろ?」
ウルカ、と皆の口に上っているのは、一見黒髪金目の美少年に見える者の事である。いつもシヴァに付き従っており、表向きは目の見えないシヴァの侍従ということになっている。その正体は、青黒い翼を持つ龍で、当の本人曰く「本当なら、人の姿の時は身長190センチで、常に女に事欠かないほどの良い男」だったはずだが、シヴァの命を助けた際、記憶と声と目を食らう時に、シヴァに「うっかりいろいろ力を喰われた」のでこの姿になってしまったということらしい。
冷淡な少年と思いきや、なんだかんだでお人よしなツンデレ龍で、シヴァに叱られたあとの彼らをフォローしたりなだめたりなどの役が板に付いている。
「シヴァが甘いものはあまり好かぬからな。仕事がてら茶菓子をつまんでいる時も、シヴァが許せば隣で旨そうに食べている。」
「龍って、太るんですかね?」
「太るって皆に言われるから、なんとなく気にしてみてるんじゃない? なんか人間臭い言い回しをしてみたいんじゃないかって師匠が言っていた。師匠が許さなければ喰い物は口にしないから、まぁ問題ないだろ?」
ナザールに師匠と呼ばれているのは、全盲の魔術師でこの公国の魔術師長のシヴァ・リヒテルヴァルトである。街の奥で金持ちから法外な金子をふんだくる治療師をしていた頃、スフィルカールの呪いを解き、それをきっかけに仕官することになった。スフィルカールを帝位に近づける「闇の魔術師」ということかと考えられるが、最近はスフィルカールが予言の事などすっかり気にしなくなり、どうでもよくなったらしいのでその真偽は等閑に付されている。全盲なうえ、声も出せず、真名以外の記憶をきれいさっぱり失っている。瀕死のところをウルカに見つけられ、自らの眼と声と記憶を引き換えに命を助けてもらい、契約したということだ。そのため、シヴァの左半身には赤黒い文様がびっしりと描かれている。普段の仕事では覆面をかぶっているため顔の造作をほとんどわからないが、素顔は涼しげな目元と口元の優男で「フィルの10年後の顔想像図」と言われているほど、フィルバートに似ている。
ウルカに助けられる際「うっかりいろいろ力を喰った」ため、その左手には病気やけがをたちどころに治す力が備わっている。自然治癒では治る見込みがない者などに術を施し、それでも治る可能性のない先のない病人やけが人、そして孤児を街の奥に整えた施設で面倒を見ている。
「あー、もう古典なんぞ面白くない。飽きた。」
「飽きたとか言うなよ。」
「シヴァ様に、会議が終わるまでに読んでおけと言われたじゃないですか。大丈夫?」
「三回は読んだからもういいだろ?」
「何時の間に読み終えてるんだよ・・。」
「読むだけは早いんだから。」
ぱふっと本を顔にのせ、スフィルカールは草の上に寝転ぶ。