はじまりは突然に
「好き」という気持ちで結ばれるなら、その関係をずっと失わずに済みますか?
俺から離れないでくれますか?
でも、俺には、「好き」が何か分からないんだ
俺には、「好き」を知る勇気がないから
2 はじまりは突然に
―どうしてこんなことになっているんだ?―
太郎の頭にはその言葉しか浮かばない。混乱し爆発しそうになる頭の中で、その文字が繰り返し流れている。
太郎の目の前には、綺麗な女性が立っていた。
肩まである栗色に染まった髪が、風が吹く度に揺れる。
彼女の本来の美しさを引き出すナチュラルメイクが、さらに好印象を与えていた。
彼女は手を前で組み、少し照れた表情を浮かべながら、太郎の次の言葉を待っている。
その彼女の姿を見ながら、太郎は今の状況を整理してみた。
大学2年生の太郎は、専攻している社会学の講義を終え、独り暮らしの家に帰ろうとしていた
太郎の大学は日本の首都、東京にあるが、都心部から離れているためか、木々が多く、「田舎」と表しても間違いではない場所にある。
そのためか、大学の近くには学生のためのアパートが数件建っている。
太郎は、その1つに住んでいた。大学から徒歩5分で着く小さなアパートである。
大学生が住むのにふさわしいありきたりなアパートであり、大学も有名ではないが知っている人もいるという程度の「普通」の学校だ。
そのように、太郎は「普通」の学生である。
特別頭がいいわけでもなく、格好良いわけでもない。
今日もいつもと変わらない平凡な日だった。
朝の占いでも、蟹座は7位だったはずであり、占い通り、良いことも悪いことも起こらない平穏な日だったはずだ。
学校の正門で友人と別れた直後に、呼び止められるまでは。
確かに、長い夏が終わり、風が少しずつ冷たくなってはいた。
しかし、それ以外はいつもと何も変わらない、平凡な日だったはずだ。
―なのに、なぜこんなことに…?―
「えっと…。あの…」
太郎は、言葉と表していいか分からない声で、約5分間、目の前の女性との間に沈黙ができるのを防いでいた。
時間を稼ぎながら、今の状況を必死で理解しようとしていたのである。
太郎の目の前に立つ彼女は、その間、ただ恥ずかしそうに、そして少し不安そうに下を向いているだけだ。
彼女の中に、「5分も経った」という認識はなさそうである。
そんな姿を見せられると、余計に、「どうして」と理由を考えてしまう。
中学、高校時代の修学旅行のバスに、置いてかれるという悲劇のエピソードを持つほどの影の薄さを持った自分。
その自分が、どうして学部で一番美人だと噂される高崎かおり(さん)に告白されているのだろうか、と。
もう一度言おう。太郎は、普通だ。そもそも特徴があまりない。
身長も高くもなければ低くもない。
20歳の日本男児を集め、背の順で列を作れば、おそらくちょうど真ん中くらいの位置に立つことになるだろう。
髪も黒に少しだけ茶色が混ざったような色で、日本人の大半は、この髪色だろう、という色をしている。
髪の長さも長くもなければ短くもない。
「ウォーリーを探せ」、のように、「太郎を探せ」というゲームがあるのなら、おそらく見つけ出すことは難しいだろう。
それほどに、「普通」であり、影が薄い。
加えて、自ら進んで人に話しかけることもなければ、話しかけられることもない。
いつも数人の友人と平穏な毎日を暮らしている。
女性と話す機会は少なく、話せたとしてもすぐに赤面してしまう。だから、必要事項以外は話さないようにしていた。
もちろんこの大学でも、女性と話したことはほとんどない。
それは、目の前の高崎かおりにもあてはまる事項のはずだ。
太郎にとって、2年目になる大学生活で、女性とまともに話したのは、今、この瞬間が初めてかもしれない。
それほどまでに、太郎は、太郎にとって恋愛対象となる女性と縁がなかったのである。
そんな太郎に、どうしてかおりは「好きです」と告げたのであろうか。
太郎が頭を抱えてしまうのも無理はないだろう。
かおりは大げさに言ってしまえば、太郎とは違う世界の人間だ。
彼女の周りには、いつも人が集まり、学部が違う人でも彼女のことは知っていた。
交友関係が広く、それなのに、彼女を悪く言う人はほとんどいない。
彼女は綺麗であり、かつ可愛らしさも兼ねそろえている。
少し茶色がかった瞳は大きく、顔立ちもしっかりしている。顔は小さく、小動物を連想させた。また、彼女の飾らない笑顔も彼女に可愛らしさをもたらしている。
身長は155センチほどだが、すらっとしている体型の所為かよく160センチ前後だと間違えられるという。
彼女は大学で注目の的だった。
男子だけではなく、女子までもが彼女の噂をしている。
もちろん、良い噂だ。
女性にあまり興味を持ってこなかった太郎でも、知っているほどに。
太郎は学内で彼女の姿を何度か見たことがあった。
そしてその度に、綺麗な人だ、と思っていた。
しかし、ただそれだけだ。
太郎とかおりとの間に接点はほとんどない。時々講義で一緒になることがあったという程度である。
しかし、そのいずれの講義も大講義室という200人ほど入る大きな部屋で行われる講義であったため、接触する機会は皆無であった。
あえて上げるとすれば、太郎もかおりも真面目な学生であるため、講義を聴くときは、前の方に座るようにしている。
接触はなかったものの、少し辺りを見渡せばかおりの姿は確認できる位置に太郎はいつも座っていた。
そして、太郎は、何度かちらりとかおりを盗み見ては、綺麗だな、と思っていた。
しかし、そこには「好き」とか、「付き合いたい」という気持ちはない。
ただ好きな芸能人をテレビ越しに見て、憧れを抱いている、といったそんな感情である。
だから余計に驚いてしまう。
見ていたのは自分の方だと思っていたのに、告白されているのは、自分の方で。
「好き」だという感情を抱いたことなどなかったのに、相手は「好き」だと言っている。
「ずっと、…1年の頃からずっと、好きだったんです。もしよかったら付き合ってくれませんか」
5分前、頬を赤らめながらかおりが言った。
白い肌は、顔を赤くするには、ちょうどいい。下を向くと流れる髪も、太郎をドキッとさせた。
太郎が固まり、2、3度頬を強く抓る理由も分かる。
しかし、抓った頬は、本気で痛く、相変わらずかおりは太郎の目の前にいた。
どう考えても今起こっていることは現実で、しかも、嬉しいはずの現実だった。
けれど、太郎は喜べなかった。
太郎は、この現実過ぎる現実を信じていなかったのである。
理性が、「信じてはいけない」と言ってきた。
信じれば、間違いだったとき、余計に傷つくから。
一度手に入れれば、失ったとき、泣くのは自分だから。
だから、太郎は、1つの答えを導き出した。
―これは罰ゲーム、なんだ―
そんなバカげた答えである。
こんな答えが出てきたのは、太郎が、漫画や恋愛小説を読み過ぎているから、ではない。
実際の経験による、防衛反応だった。
太郎は、中学生の頃、実際に罰ゲームでの告白をされたことがあった。
「好きです。付き合ってください」
今と同じようにそう言われた。放課後、校庭の裏で。
言ったのは、当時、太郎の好きな人。
今思えば、単なる憧れだったのかもしれない。それでも、当時の太郎は、その気持ちを恋愛の「好き」だと思っていた。
だから、素直に嬉しかった。
けれど、恥ずかしさで、一度、目の前にいる彼女から、目を逸らしてしまった。
しかし、それがいけなかった。いや、そのおかげで、と言うべきか。
太郎の視線が数人の人影をとらえてしまったのである。
隠れるように姿勢を低くしていたが、太郎の位置からは丸見えだった。
そして分かってしまった。
こういうことには敏感なのである。
何と子どもじみたことだろうか。
何と、悲しいことだろうか。
腹を立てる気すら、起きなかった。
目の前で行われていることが、「嘘」だと分かっても。
当時、流行っていたゲームだったとしても。
それより、何よりも、太郎は恐怖を感じていた。これは、いじめの前兆なのではないのか、と。
条件反射のように、左腕で腹部を守る。
その突然の動作に、目の前の彼女が不思議そうな顔をした。
彼女のそんな顔を見て、太郎は冷静さを取り戻し、苦笑いしながら、手を元の位置に戻した。
そして告げる。
「ごめん、見えちゃった」
クラスメイトが隠れていた箇所を指さして。
努めて明るく。
すると、椿の低木の後ろに隠れていたクラスメイトたちはゆっくり立ち上がり姿を見せた。
楽しそうに笑っている者。
苦笑いをしている者。
申し訳なさそうな顔をしている者が数人、太郎に近づいてくる。
「え…。あ、ごめんね。…太郎くん。…だったよね?」
一番初めに言葉を発したのは、目の前の彼女だった。
ゲームをしていたのは男女5人の集団。
髪を茶色に染めている、少し派手目の人たちだった。太郎は、彼らと話したことがあまりない。
「ごめん。ちょっとした、罰ゲームだったんだ」
彼らは、口々に言った。笑いながら。
太郎が笑っているため、傷ついていないとでも思ったようである。
この手のことは、当時、太郎の中学校では頻繁に起こっていた。当時流行ったドラマで、罰ゲームによる告白のシーンがあり、この時期、やたらと真似をする連中がいたのである。
標的になったのは、太郎のようにおとなしく影の薄い人たちばかりであった。
―名前もろくに覚えていないくせに―
笑いながら謝ってくるその人たちに、そう怒鳴りたかった。
けれど、そんなことは言えなかった。
目立たなくていい。
人に好かれなくてもいい。
ただ、嫌われなければ。
そう切に願った。
次の日、太郎は、彼らにいじめられることもなく、普通に接してもらうことができた。
「おはよう」と言えば、「おはよう」と返してくれる。太郎にはそれだけで十分だった。
けれど、恐怖は長いこと消えなかった。悲しさも。
それからだ。
ただでさえ影を消していた太郎の影がより薄くなったのは。
友だちの数は最低限。必要がなければ人と関わらない。
必死で存在を消そうとした。
存在を忘れられる辛さは知っていた。
けれど、嫌われる怖さも十分に知っている。
どちらも嫌だけど、でも、どちらかを選ばなければいけないのなら、「嫌われない方」を選ぶことに決めたのだ。
当時の太郎には、選択肢は、2つしか見えていなかった。
そして太郎は、同時に、恋は辛いと知った。
好きな子に好きと言われたのに、それが嘘だったのだなんて。
太郎にとって初めての「好き」だった。
こんな自分でも、人を「好き」だと思ってもいいのだと、やっと思えてきたばかりだった。
「好き」という気持ちを持つことの幸せを実感できていたばかりだった。
それなのに。
そもそも、告白を遊び半分でする子のことを好きだったのか、と自分の気持ちを疑った。そして、余計に「好き」が何か分からなくなっていった。
「好き」という言葉は、そんなに簡単に発していい言葉だったのか。
「好き」という感情は、遊びなんかに使っていいものだったのか。
太郎の中に、過去の苦い思いがフィードバッグして思い出された。
それが今に疑りを入れる。
思い出された過去が、問うてきた。
「信じて大丈夫か」と。
太郎は頷けなかった。もう、辛い思いはしたくない。
だから太郎は、信じないことに決めた。
今、目の前で行われている告白も、嘘なのだと。なぜか確信に近くそう思った。
大学生でそんなことするか、と、太郎の冷静な部分が指摘してくるが、その声を無視する。
そして、再び、嫌われるかもしれない、という恐怖が太郎を襲った。
「好き」が嘘かもしれない。
嘘なら、信じてはいけない。
信じたら、余計に傷つくから。
今回は以前とは違い、一緒にゲームをしている仲間は見当たらない。
少し待てば出てくる、と太郎は思っていたが、そんな人たちは出てこない。
だから、5分も待たせ、考えていたのだ。
何と言えばいいか分からなかったから。
―答えたら出てくる段取りになっているのだろうか。それなら、俺なんかに振られでもしたら、高崎さん、笑われちゃうよな―
重要な所には回らない気は、変な所にはよく回る。
太郎は、告白されてから7分後、ようやく、言った。
「はい」
もう、何に対しての「はい」なのか、忘れそうなほど長い間だった。
けれど、
「本当に?」
かおりはほんの少し目を潤ませ、そう尋ねてくる。
改めて直視してするかおりは、本当に可愛く、綺麗で、太郎はこれが嘘だということを辛い、と思った。
「はい」
声が少し震えた。
「あ、あのさ…。じゃあ…アドレス交換しない?」
「えっ…?えっと…」
「だ、駄目だった?携帯持ってないとか?」
「い、いや。持ってますよ。駄目じゃないですし。けど…、えっと…、友だちは?」
「友だち?私、1人だよ?…こ、告白しに来たんだもん」
―は?―
太郎の中の太郎が、大きな声を発する。その声を口から出さなかったのは奇跡に近い。
―って、ことはさっきの告白は本気だったのか?―
太郎は、当たり前の事実を今更ながら把握した。
もちろんかおりは嘘などついていない。
大学生は中学生とは違う。今と昔も違う。今時、罰ゲームでの告白など流行らない。
嘘、というのは悲しい過去を持つ太郎の勝手な被害妄想である。
現実は、こうだ。
〝鈴木太郎、という覚え易過ぎる名前を忘れられるほど影が薄く、人と関わることが苦手、かつ、恋を知らない男が、大抵の人間が振り返るほどの美女に告白され、2人は恋人同士になった〟
何ともない、単純な事実。
「あ、あの…」
「何?」
「…俺でいいんですか?付き合うって…えっと…恋人、ですよね?…高崎さん、可愛いし、綺麗だし優しいし。俺じゃない方がいいって言うか…。合うっていうか…。もっといい人いっぱいいるっていうか…」
本来なら了承した後に言わない台詞を、今更ながら持ち出した。
喜んでいたはずのかおりの顔が、歪むのも無理はない。
「…それって、付き合うのが嫌だっていうことかな?」
「そんなことは絶対にないんですけど…。俺、こんなだし、誰かと付き合ったこととかないから、つまらないだろうし…」
「そんなことは気にしないよ。私は、鈴木くんが好きなの。鈴木くんがいいの。…分かった?」
少し怒ったように、でも、真っ赤な顔でそう言った。
「あ、はい」
「じゃ、アドレス交換しよっ?」
「あ、はい」
赤外線機能を使い、すぐに互いの携帯電話にアドレスが登録される。
かおりはそれを嬉しそうに眺め、「ありがとう」と笑った。
それにつられて、太郎の顔にもやっと笑顔が浮かんだのだった。
「『そうして晴れて2人は、恋人になったのでした』ってか?…太郎、そういうの惚気って言うんだよ」
怒気を含んだ声で、溜息をつきながら言うのは、太郎の数少ない友人の1人、大石慎吾である。
明るめの茶色に染まっている髪をワックスで立たせている慎吾は、太郎の悪友であり、けれど、信頼できる友でもあった。
身長は太郎より少し低く、それを気にしていないと言えば嘘になるが、身長の低さを補う容姿があり、明るさも持ち合わせている、男である。
慎吾もかおりのように、周りにはいつも人がいる。だから、そんな慎吾と太郎が一緒にいることを理解できない人は多い。
実際、慎吾は始めのうち、太郎を嫌っていた。2人が知り合ったのは、ともに哲也という共通の友人がいたからだ。
つまり、哲也を介した、友だちの友だちといった仲だったのである。だから慎吾は太郎の中身はあまり知らなかった。ただ、自分に自信がない姿は見ていてイライラを覚えていたのだ。
けれど、言葉を交わすうちに、太郎の垣間見える優しさや面白さに惹かれていった。一緒にいると楽しい、と思えたのだ。そして、いつの間にか気を使わなくていい相手になっていた。面と向かって言うことなど皆無だが。
そして、今、太郎がいる場所は、もう1人の友人、橋本哲也の住んでいるアパートだ。
太郎はかおりの告白後、助けを求めて哲也のアパートに押しかけた。
哲也は、太郎から見て、大人だ。
黒髪で、眼鏡をかけ、端正な顔立ちをしているから、という理由ではもちろんない。
哲也を纏う空気はいつも穏やかで、一緒にいるとホッとする。
いつも的確なアドバイスをくれ、慎吾のからかいの手から守ってくれる哲也は、太郎にとって、歳の離れた兄貴のような存在の友人だった。
この2人の存在が、太郎に人を信じることを教えてくれた。
過去を引きずり、自己防衛をしがちな太郎だが、彼らがいるから、少しずつ人に心の中を見せつつある。
「俺、哲也に相談しに来たんだけど…」
勝手に話に割り込み、悪態をついてきた慎吾に太郎が言う。
「うっせぇ。文句くらい言わせろつーの。俺らのアイドル奪いやがって」
「だって…」
「だってじゃねぇよ。かおりちゃんだぞ?あの、可愛くて、綺麗で、かつ優しくて、恋人にしたい女の子ナンバー1!なのに、なんで、悩む必要があるんだよ?恋人だぞ、恋人。お前は、彼氏だ。何したって許される存在。いいよな。…何で太郎なんだよ。絶対俺の方がイイ男」
「はいはい。お前の方が、イイ男だよ。…つーか、そうなんだよ。実際、慎吾の方が、格好良いじゃん。…なんで俺?」
「いや、そこ肯定されると、恥ずかしいんだけど」
「俺、誰かと付き合ったことなんかないし、何していいか分からんし…。何で高崎さんが俺のこと好きかも分からんもん。どうしたらいい、マジで」
慎吾の発言を軽くスルーして、太郎は視線を哲也に移した。
腕を組みながら聞いていた哲也は、腕を解いて、コーヒーを口に含み、喉を潤す。
「そんなのんびりしてないでよ。助けてってば」
「まずは落ち着いた方がいいと思うぞ。太郎も飲んだらどうだ?緑茶。せっかく淹れてやったのに飲まないなんて失礼だぞ。親しき仲にも礼儀あり、だ」
「また太郎お茶なのか?じいさんじゃねぇんだから、コーヒーとか紅茶とか飲めよ」
「慎吾、お茶をバカにすんなよ。俺はお茶で育ったって言っても過言じゃないんだからな。ってか、俺はちゃんとコーヒーも紅茶も飲めます。ただ、今は、緑茶の気分だったんだよ」
「出たよ。この、静岡大好きっ子がっ」
「地元好きで何が悪いんだよ」
「そう言えば、高崎さんも静岡出身らしいぞ?」
太郎と慎吾の間に軽い口げんかが始まりそうになるのを哲也が上手く止める。
「へぇ~」
2人の扱いは、哲也にとって慣れたものだ。
静かになった所で、哲也が話し始める。
「…なぁ、太郎。今は、高崎さんの気持ちはちょっと置いておいて、お前の気持ちについて考えてみた方がいい、と俺は思うがな」
「俺の気持ち?」
「太郎は、高崎さんが好きなのか?」
そう問う哲也を前に、太郎の顔は面白いほどに赤く染まっていく。
耳まで真っ赤だ。
「太郎って、本当に純だよな」
からかう口調ではなく、どこか感心したような口調の慎吾。
褒められていることは分かるのだが、太郎は少し、バカにされたように気分にもなった。
「赤くなったということは、好き、ということか?」
確認と取るように、哲也が聞く。
「…分らないよ。綺麗だとは思うし、仲良くなれたらいいなとは思うけんさ、好きとかよく分からんし。別に、付き合いたいとか思ったことないし」
「でも、嫌いではないんだろう?」
「うん」
「じゃ、付き合っちゃえよ。そんな深く考えなくてもいいんじゃねぇの?」
「俺も、そう思う。軽く考えていい、ということではないが、少なくとも俺の目から見た太郎は、高崎さんに好意を寄せているように見えていた。だからこれは良いきっかけになるんじゃないか。…まあ、これは、太郎が決めるべきことだがな」
「俺で、いいのかな?そりゃ、彼女と付き合えるなんて、夢みたいだし、普通に嬉しいけど……」
「けどなんだよ?」
慎吾が先を促す。
太郎は少しだけ沈黙をつくった後、ゆっくりと語り始めた。
「俺、女の人と上手くしゃべれんし、まだ嘘だって可能性、ゼロじゃないし」
「お前、やっぱ、バカだったんだな。今時、大学生がそんな遊びするか?それも、相手は、高崎かおり。かおりちゃんはそんなことしないね。断言してもいい」
「俺も、彼女はそんなことはしないと思う」
「そりゃ、そうだけど。…彼女、人気者じゃん。俺なんかが釣り合うわけないよ。それに、…俺がもっと好きになって、でも、別れたりしたらって考えると…」
「なんだ。それが怖かったのかよ」
太郎は思わず黙ってしまう。
慎吾の言い方は、質問ではなく、断言だった。哲也も、慎吾の発言に「なるほど」と納得している。
3人は決して、長い付き合いではない。
けれど、お互いにお互いのことを理解できていると思っている。だから、哲也も慎吾も先ほどから、どこか、違和を感じていた。
言葉のどこかに、引っかかりがあるような、そんな気がしていたのだ。
太郎はバカではない。
だから、本気でかおりの告白を嘘だと疑っているとは思えなかった。過去に一度苦い思いをしていたとしても。
「別に、いいだろっ?釣り合っていなくたって。あっちがいいって言ってくれるなら。それに、付き合った奴らが皆別れるわけじゃねぇんだし。努力してみればいいじゃねぇか」
「そりゃ、努力はするよ。けどさ、…彼氏面とかしそうで怖い。彼女は、人気者なのに」
「いや、お前の彼女だから」
「…」
「あの…そこまで、顔赤くされると、からかいにくいんですけど」
熱が噴き出してしまう、と本気で思ってしまうほど、太郎は赤く染まっていた。
そんな太郎の姿を見て、慎吾が大きな溜息を吐く。
「あ~あ。太郎にも先、越されたか」
からかっているような、自嘲しているような、とちらとも取れない言い方だった。
しかし、太郎も、伊達に友だちは、やっていない。
「いーだろ?」
からかいには、からかいで返す。
ほとんど成功しないが、これが、対慎吾策だった。
慎吾は、一瞬驚いた顔をしたが、すぐに笑い、そしてわざとらしく怒って見せた。
窓の外には、強い風が吹いている。秋の訪れを告げる、少し冷たく、少し生ぬるい風。
部屋の中は、エアコンを使う必要もなく、窓を開ける必要もないちょうどいい温度だった。
けれど、自分から熱を発した太郎は、少し、窓を開けようかなと、自分の家にいるような感覚でそう思った。
「あ、そう言えば、慎吾。俺、今日7時からの練習休むから、先輩達に言っておいてくれないか。メールでも伝えておくようにするが」
哲也が唐突に話を切り出す。
哲也と慎吾はサッカーのサークルに入っており、その縁で仲良くなったのだ。
2人が初めて出会ったのは、サークルの新入生歓迎会で初試合をしたときである。
ディフェンスについた慎吾を哲也が軽々と抜いたのだ。
哲也は小学生の頃からサッカーを始めていた。高校時代はキャプテンも務め、県大会で優勝したほどの実力を持っている。その反面、慎吾は、小学生の頃遊びでやっていた程度だ。
今では、持前の運動神経の良さとやる気で経験値の少なさをカバーしているが、当時の状況では、当たり前の光景だった。けれど、慎吾は負けず嫌いなため、何度も何度も哲也の前に立ちはだかったのである。「絶対止める」と意気込んで。
しかし、それを哲也は難なく抜いていく。
傍から見ても、哲也が経験者でしかも上級クラスであり、慎吾が未経験者の下級クラスだということは分かった。だから、少しくらい手加減してやってもいいのにな、と何人かが思っていた。
けれど、何をやるにも真剣に取り組む哲也には無理な話である。
そして、慎吾もそんなことは望んでいなかった。
結局、慎吾は一度も哲也を止めることができずに試合を終えた。
試合が終わった後、慎吾は哲也に近づいていった。
哲也は、「面倒くさいな」と思ったという。何か、文句を言われると思っていたようだ。
けれど、慎吾は、「ありがとな。すげぇ、面白かった」と言ったという。
その予期せぬ言葉に哲也は笑い、そして代わりに告げた。「上手くなりたいなら、教えてやる」、と。
それが、2人が仲良くなったきっかけだ。
ちなみに、太郎は、別のサークルに所属している。しかし、入って2年目になるが、1、2回顔を出した程度で、所属していると言っていいのか分からない状態というのだ現状だ。
サークルを頑張っている2人とは大きな違いである。
「なんでだよ?バイトか?」
「いや…」
哲也が口籠った。
いつも完璧な哲也が口籠ることはめったになく、大抵理由は同じだった。
「あゆみちゃんだな」
太郎と慎吾がほぼ同時に言った。
太郎は嬉しそうに笑い、慎吾は面白そうに笑っている。
あゆみちゃん、とは哲也の彼女であり、同じ大学の2年生だ。ちなみに、2人は高校時代からの付き合っている。
哲也とあゆみはともに関西出身であり、あゆみは、東京でも関西弁を使う。
一方、哲也は、親の都合で、東京で生活をしていたことがあった。そのためか、東京では完璧な標準語で話す。
しかし、あゆみと一緒にいるときだけは、場所は東京でも、関西弁になってしまうのだ。
哲也のウィークポイントを挙げろと言われれば、間違いなく1番最初に「あゆみちゃん」と答えるだろう。
デレデレ、ではない。あゆみといるときでも、あくまで哲也は大人のままだ。
けれど、誰の目から見ても、あゆみが好きだということが全身から伝わってくる。
それが太郎には格好良く見えて仕方がない。
「哲也さぼるなら、俺もさぼろうかな。それでもって、太郎の家に行こうかな」
さも当たり前、とでも言うように、慎吾が言う。
「勝手に決めるなよ」と言いながらも、バイトがない限り、太郎は快諾してくれるからだ。そして、今日は、バイトがない日である。
しかし、慎吾が聞きたかった返事は返ってこなかった。
「ごめん。俺も今日、サークルに行くんだ」
「太郎って、辞めたんじゃなかったのかよ?」
「いや…、一応籍だけ入ってる」
「バスケットボールのサークルだったな。…なんで急に行く気になったんだ?1年以上行っていないだろう?」
「えっと…、高崎さんも同じサークルだったらしくて…。俺が入ってること知ってるみたいでさ、それで、えっと…、誘われたから、思わず頷いちゃって…」
太郎は苦笑いを浮かべた。
先ほどまで、付き合うことについて相談していたこともあり、かおりと一緒に行くということは、言いづらいようである。
「何だよ。なんだかんだ言って、上手くやってるのかよ。1人は俺だけか…」
先ほどよりも長く息を吐いた慎吾は、いじけたように天井を見上げる。
哲也は微笑みながら、冷めかけたコーヒーに口を付けた。
まだ6時前だというのに、外は、すでに暗くなり始めている。
色が変わっていく空を窓越しに見ながら、太郎は、サークルの開始時間が早く来ればいい、という想いと、できれば来ないでほしい、という想い、2つの矛盾した想いを抱えていた。
けれど、太郎の想いに関係なく、空は暗さを増していく。




