嘘つき公爵と、全部お見通しの令嬢【読み切り】
婚約者の言葉を聞くたびに、私の胸は痛む。
チクリ、と。
昔からずっとそうだった。「心臓が弱いのかしら」とずっと思っていたけれど、最近はわかっている。あの感覚には、決まったタイミングがある。
嘘を聞いたとき、だ。
[* * *]
「君のことは何とも思っていない」
アルフレート・ヴァルター公爵は、整った顔を微塵も動かさずそう言った。
銀色の髪、氷を溶かして作ったような瞳。「氷の公爵」という通り名は、なるほど的を射ている。笑わない。感情を見せない。完璧な貴族の仮面を、一秒たりとも外さない人だった。
胸が、じくりと痛んだ。
……嘘ですね。
私はティーカップを静かに置いて、微笑んだ。
「そうでしたか。私もまだ、あなたのことをよく存じ上げませんから」
「……そうだな」
今度は痛くなかった。
不思議な人だ、とまた思う。言葉のほとんどが嘘なのに、ときどきひょいと本音が混じる。まるで自分でも気づいていないみたいに。
茶会の間、私はずっと数えていた。
嘘、本音、嘘、嘘、本音、嘘。
本音の割合は、だいたい三割といったところだった。
[* * *]
侍女のミアナは、帰りの馬車の中で深刻な顔をしていた。
「エリーゼ様。あの方、相当お嫌いなんじゃないでしょうか」
「そうは思いませんよ」
「でも、冷たくて……」
「態度は冷たいですけれど、嘘をついているんです」
ミアナが目を丸くした。
「嘘、ですか」
「ええ。『何とも思っていない』とおっしゃっていましたけど、嘘でした。他にも、いくつか」
「……エリーゼ様、それって」
「わかりません」と私は答えた。「なぜ嘘をつくのか、まだわかりません。でも、悪意のある嘘じゃない気がします」
嘘にも質がある、と私は思っている。
誰かを傷つけようとする嘘は、痛みの種類が違う。あの人の嘘は、どこか、自分を守るための嘘に似ていた。
ミアナはしばらく黙っていたけれど、やがてため息をついた。
「エリーゼ様って、たまに怖いですよね」
「そうでしょうか」
「そうです。絶対そうです」
[* * *]
次に会ったのは、公爵家主催の小さな茶会だった。
アルフレート様は今日も完璧だった。令嬢たちの話に相槌を打ち、私には必要最低限の言葉しかかけない。
胸は、ときどきチクチクする。
「エリーゼ様、放置されてますよ」
ミアナが小声で言った。
「ええ、気づいています」
「悔しくないんですか」
少し考えた。
「……悔しいというより、不思議なんです。あの方、ちゃんと私の方を見ているんですよ」
「え?」
「さりげなく、でも、ちゃんと。ガラスに映った角度でわかります」
ミアナが絶句した。
アルフレート様が他の令嬢と話している。その姿を視界の端に捉えながら、私は静かにお茶を飲んだ。
放置したいなら、監視しなければいい。
なぜ見るのだろう。
嘘の答えはいつも、その先にある気がした。
[* * *]
転機は、なんでもない日の夕暮れだった。
公爵家の庭を散歩する許可をいただいていた私は、一人で小道を歩いていた。婚約中に敷地内を知っておきなさいという両家の取り決めで、週に一度の散歩が認められている。
アルフレート様に会うとは思っていなかった。
「……なぜここにいる」
声をかけてきたのは向こうだった。
噴水のそばのベンチ、書類を広げた膝の上に手を止めて、彼は私を見ていた。仕事中だったらしい。珍しく、少しだけ表情が崩れていた。
「散歩の許可をいただいておりましたので」
「……ああ」
短い沈黙。
立ち去るべきかと思ったけれど、彼は「座れ」とも「行け」とも言わなかった。ただ、視線を書類に戻した。
私は少し離れたベンチに腰を下ろした。
風が吹いた。噴水の水音が静かに続く。
悪くない時間だ、と思った。
しばらくして、アルフレート様が口を開いた。
「……この庭の花は、好きか」
突然の問いに、少し驚く。
「はい。特に、あの白いものが好きです」と私は噴水脇の低木を指した。「名前は知らないのですが、夕方になると少し香りが変わって」
「イレナだ」
「え?」
「花の名前。イレナという」
短く、それだけ言って、また書類に視線を落とした。
胸は、痛くなかった。
ただそれだけのことなのに、胸の奥がじんわりと温かくなった。
「……ありがとうございます」
返事はなかった。でも、書類を持つ手が、一瞬止まった。
[* * *]
翌週も、私はイレナの前に立っていた。
アルフレート様はいなかった。当然だろう。先週が偶然だっただけで、公爵がそう何度も庭に出てくるわけがない。
「……先週は、たまたまだったんですね」
独り言は、誰にも届かない。
イレナの白い花を見ながら、私はひとつ息をついた。
なぜ嘘をつくのか、知りたかった。
「イレナが好きなのか」
声がして振り返ると、アルフレート様が立っていた。
今日は書類を持っていない。ただ、そこにいた。
「……また来てしまいました」
「好きにしろ」
それが許可なのだと、私は受け取った。
彼は私の隣に立って、白い花を見た。
「来週も来るのか」
「はい」
「……そうか」
嘘じゃない。問いも答えも、全部本物だった。
胸が、温かい。
隣に立つ公爵の横顔を、私はそっと見上げた。感情を見せない横顔。完璧な仮面。でも今は、その仮面が少しだけ、緩んでいる気がした。
きっとこの人は、気づいていない。
嘘をついていないとき、少しだけ、違う顔をすることに。
婚約期間は、まだある。
全部お見通し、とまではいかない。でも、少しずつわかってきている。
この人の嘘の奥にあるものが、少しずつ。
※この読み切りは本編「冷徹公爵は私を試しているようですが、全部お見通しです」の雰囲気版です。
嘘の理由、試し行動の真相、そしてふたりの本音が出揃うまでの全30話は本編でお読みいただけます。
本編はこちら→ https://ncode.syosetu.com/n0169mi/
腹黒公爵がどこで崩れ始めるか、ぜひ見届けてください。




