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嘘つき公爵と、全部お見通しの令嬢【読み切り】

作者: じょな
掲載日:2026/06/11


 婚約者の言葉を聞くたびに、私の胸は痛む。


 チクリ、と。


 昔からずっとそうだった。「心臓が弱いのかしら」とずっと思っていたけれど、最近はわかっている。あの感覚には、決まったタイミングがある。


 嘘を聞いたとき、だ。


[* * *]


「君のことは何とも思っていない」


 アルフレート・ヴァルター公爵は、整った顔を微塵も動かさずそう言った。


 銀色の髪、氷を溶かして作ったような瞳。「氷の公爵」という通り名は、なるほど的を射ている。笑わない。感情を見せない。完璧な貴族の仮面を、一秒たりとも外さない人だった。


 胸が、じくりと痛んだ。


 ……嘘ですね。


 私はティーカップを静かに置いて、微笑んだ。


「そうでしたか。私もまだ、あなたのことをよく存じ上げませんから」


「……そうだな」


 今度は痛くなかった。


 不思議な人だ、とまた思う。言葉のほとんどが嘘なのに、ときどきひょいと本音が混じる。まるで自分でも気づいていないみたいに。


 茶会の間、私はずっと数えていた。


 嘘、本音、嘘、嘘、本音、嘘。


 本音の割合は、だいたい三割といったところだった。


[* * *]


 侍女のミアナは、帰りの馬車の中で深刻な顔をしていた。


「エリーゼ様。あの方、相当お嫌いなんじゃないでしょうか」


「そうは思いませんよ」


「でも、冷たくて……」


「態度は冷たいですけれど、嘘をついているんです」


 ミアナが目を丸くした。


「嘘、ですか」


「ええ。『何とも思っていない』とおっしゃっていましたけど、嘘でした。他にも、いくつか」


「……エリーゼ様、それって」


「わかりません」と私は答えた。「なぜ嘘をつくのか、まだわかりません。でも、悪意のある嘘じゃない気がします」


 嘘にも質がある、と私は思っている。


 誰かを傷つけようとする嘘は、痛みの種類が違う。あの人の嘘は、どこか、自分を守るための嘘に似ていた。


 ミアナはしばらく黙っていたけれど、やがてため息をついた。


「エリーゼ様って、たまに怖いですよね」


「そうでしょうか」


「そうです。絶対そうです」


[* * *]


 次に会ったのは、公爵家主催の小さな茶会だった。


 アルフレート様は今日も完璧だった。令嬢たちの話に相槌を打ち、私には必要最低限の言葉しかかけない。


 胸は、ときどきチクチクする。


「エリーゼ様、放置されてますよ」


 ミアナが小声で言った。


「ええ、気づいています」


「悔しくないんですか」


 少し考えた。


「……悔しいというより、不思議なんです。あの方、ちゃんと私の方を見ているんですよ」


「え?」


「さりげなく、でも、ちゃんと。ガラスに映った角度でわかります」


 ミアナが絶句した。


 アルフレート様が他の令嬢と話している。その姿を視界の端に捉えながら、私は静かにお茶を飲んだ。


 放置したいなら、監視しなければいい。


 なぜ見るのだろう。


 嘘の答えはいつも、その先にある気がした。


[* * *]


 転機は、なんでもない日の夕暮れだった。


 公爵家の庭を散歩する許可をいただいていた私は、一人で小道を歩いていた。婚約中に敷地内を知っておきなさいという両家の取り決めで、週に一度の散歩が認められている。


 アルフレート様に会うとは思っていなかった。


「……なぜここにいる」


 声をかけてきたのは向こうだった。


 噴水のそばのベンチ、書類を広げた膝の上に手を止めて、彼は私を見ていた。仕事中だったらしい。珍しく、少しだけ表情が崩れていた。


「散歩の許可をいただいておりましたので」


「……ああ」


 短い沈黙。


 立ち去るべきかと思ったけれど、彼は「座れ」とも「行け」とも言わなかった。ただ、視線を書類に戻した。


 私は少し離れたベンチに腰を下ろした。


 風が吹いた。噴水の水音が静かに続く。


 悪くない時間だ、と思った。


 しばらくして、アルフレート様が口を開いた。


「……この庭の花は、好きか」


 突然の問いに、少し驚く。


「はい。特に、あの白いものが好きです」と私は噴水脇の低木を指した。「名前は知らないのですが、夕方になると少し香りが変わって」


「イレナだ」


「え?」


「花の名前。イレナという」


 短く、それだけ言って、また書類に視線を落とした。


 胸は、痛くなかった。


 ただそれだけのことなのに、胸の奥がじんわりと温かくなった。


「……ありがとうございます」


 返事はなかった。でも、書類を持つ手が、一瞬止まった。


[* * *]


 翌週も、私はイレナの前に立っていた。


 アルフレート様はいなかった。当然だろう。先週が偶然だっただけで、公爵がそう何度も庭に出てくるわけがない。


「……先週は、たまたまだったんですね」


 独り言は、誰にも届かない。


 イレナの白い花を見ながら、私はひとつ息をついた。


 なぜ嘘をつくのか、知りたかった。


「イレナが好きなのか」


 声がして振り返ると、アルフレート様が立っていた。


 今日は書類を持っていない。ただ、そこにいた。


「……また来てしまいました」


「好きにしろ」


 それが許可なのだと、私は受け取った。


 彼は私の隣に立って、白い花を見た。


「来週も来るのか」


「はい」


「……そうか」


 嘘じゃない。問いも答えも、全部本物だった。


 胸が、温かい。


 隣に立つ公爵の横顔を、私はそっと見上げた。感情を見せない横顔。完璧な仮面。でも今は、その仮面が少しだけ、緩んでいる気がした。


 きっとこの人は、気づいていない。


 嘘をついていないとき、少しだけ、違う顔をすることに。


 婚約期間は、まだある。


 全部お見通し、とまではいかない。でも、少しずつわかってきている。


 この人の嘘の奥にあるものが、少しずつ。


 ※この読み切りは本編「冷徹公爵は私を試しているようですが、全部お見通しです」の雰囲気版です。


 嘘の理由、試し行動の真相、そしてふたりの本音が出揃うまでの全30話は本編でお読みいただけます。


 本編はこちら→ https://ncode.syosetu.com/n0169mi/


 腹黒公爵がどこで崩れ始めるか、ぜひ見届けてください。


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