離縁待ちの令嬢、溺愛ルートに強制突入しました
第一章:完璧な離縁計画
「アニエス、君との結婚生活も今日で終わりだ」
豪華なシャンデリアが輝く執務室で、夫であるカシアン・ド・ヴォルグ公爵は、冷徹な声でそう告げた。
(よし、来た!)
アニエスは内心でガッツポーズを作った。
政略結婚から二年。
無口で無表情、氷の騎士と恐れられるカシアンに対し、アニエスは“嫌われ妻“のロールプレイを完璧にこなしてきた。
アニエスが最初に実行したのは、夫の資産を食いつぶす“悪女“のフリだった。
「カシアン様、今月もこれだけのドレスと宝石を注文いたしましたわ。あら、そんなに怖い顔をなさらないで? 公爵夫人の面目を保つにはこれくらい当然でしょう?」
彼女は毎月、山のような請求書を彼のデスクに叩きつけた。
しかし、実際にはその宝石の半分以上を換金し、偽造した領収書を作成。
浮いた金はすべて、夫の領地で経営難に陥っていた孤児院や、引退した老兵たちの年金へと匿名で寄付していた。
(これで彼は『金のかかる女だ』と愛想を尽かすはず。私は私で、寄付のおかげで徳を積めて、離縁後の寝覚めもいい。完璧だわ!)
アニエスは、カシアンがその“匿名“の送り主を特定するために、騎士団並みの情報網を動かしているとは夢にも思っていなかった。
また、彼女は精神的な揺さぶりも忘れない。
「見てください、カシアン様。あなたのハンカチに刺繍をしましたの。……ふふ、不格好でしょう?」
彼女が差し出したのは、わざと糸を歪ませ、形を崩した無骨な刺繍入りのハンカチだった。
公爵夫人が贈るものとしてはあまりに稚拙。
これにはカシアンも眉をひそめ、「……ああ、受け取っておこう」と短く答えるのみだった。
(よし、引いてる! 完全に引いてるわ! 淑女としての教養がないと思われたに違いない!)
だが、アニエスが去った後、カシアンはそのハンカチを愛おしそうに撫で、アイロンをかけ、専用の宝石箱に厳重に保管していた。
彼は、彼女が夜な夜な指を針で刺しながら、彼の健康を祈って“魔除けの紋様“を必死に縫い込んでいた事実に、とっくに気づいていたのだ。
すべては、円満な離縁と、その後に待つ自由な隠居生活のため。
アニエスはあえて悲しげな表情を作り、俯いた。
「……左様でございますか。カシアン様がそう望まれるのでしたら、私は従うほかございません。慰謝料も、この身ひとつで……」
「いや、違う。言葉が足りなかった」
カシアンがデスクを叩いて立ち上がる。
その眼光は鋭く、アニエスは思わず身を縮めた。
やはり、そんなに私が疎ましかったのか。
「今日で『白い結婚』は終わりだ。……離縁など、死んでもさせない」
「……はい?」
アニエスの頭の中に、ポーンと間の抜けた音が響いた。
第二章:計算違いの溺愛
「待ってください、カシアン様。お約束が違います。我々は二年経てば互いに干渉せず、円満に離縁する契約だったはず」
「そんな紙切れは、先ほど暖炉で燃やした」
カシアンが指差す先では、確かにアニエスの自由へのパスポート(契約書)が、パチパチと音を立てて灰になっていた。
「なっ……! 何てことを!」
「アニエス、私は今まで耐えていたんだ。君が私を嫌っているフリをして、密かに領民を助け、私の健康を案じて厨房に指示を出し、夜中にこっそり私の刺繍入りハンカチを縫っていたことを、知らないとでも思っていたのか?」
アニエスの顔が真っ赤に染まる。
(バレてる! 全部バレてる!)
「それに君は、夜会でいつも壁際へ逃げていただろう。目立たないように、わざと地味な立ち振る舞いをして……」
「それは、社交界に馴染めない無能な妻だと思わせるためで……」
「逆だ」
カシアンがアニエスの髪を一房すくい、熱っぽい吐息をこぼす。
「君が社交を避けていたおかげで、他の男たちが君の聡明さに気づかずに済んだ。私は、人間関係を完璧に把握し、影で私の派閥を支える君の横顔を、ずっと独占できて悦に入っていたんだ。……だが、それももう限界だ。これからは、私の隣で、誰よりも輝く公爵夫人として君を閉じ込める」
アニエスは絶句した。
嫌われるための隠密行動が、彼にとっては“自分だけに向けられた献身“と変換されていたのだ。
「……ああ、そうだ。君がこっそり購入した南の島の別荘だが」
「えっ、どうしてそれを……!?」
アニエスが驚愕に目を見開く。
それは彼女が“離縁後“に自由を謳歌するために、偽名でコツコツ買い進めていた究極の隠れ家だった。
「あそこは私が買い取っておいた。今は、私と君が二人で過ごすための離宮として、最高級の調度品を揃え、騎士団の一部を警護に配置してある。君が逃げる場所は、すべて私の領地になったと思え」
(私の自由な隠居ライフが……軍事拠点に改造されてる!?)
カシアンは、彼女が逃げようとするその指の隙間さえも、黄金の鎖で繋ぎ止めるつもりなのだ。
「務めで、私の誕生日にだけ、私の好物であるベリーのタルトを不器用な手つきで焼くのか? 焼いた後、火傷した指を隠しながら私に差し出すのか?」
カシアンがじりじりと距離を詰めてくる。
彼はそのままアニエスを壁際まで追い詰めると、逃げ場を塞ぐように両手を突いた。
いわゆる“壁ドン“である。
「私は君の健気さに、もう限界なんだ。離縁を待っているふりをして、私を焦らすのはもうやめてくれ。……これからは、二年間分の埋め合わせをさせてもらう」
カシアンの瞳には、これまでの冷徹さが嘘のような、熱い情熱が宿っていた。
第三章:逃げ場のない甘い罠
その日を境に、アニエスの生活は一変した。
“離縁待ち“だったはずの彼女は、今や【公爵の愛しすぎる妻】として社交界の注目の的だ。
朝起きれば、カシアンが彼女の髪を梳かし、耳元で愛を囁く。
「今日も可愛いな、アニエス。君を外に出したくない。他の男にその瞳を向けられるだけで、私は正気を失いそうだ」
「カシアン様、重いです……物理的にも、感情的にも」
ある夜会で、アニエスはかつての【壁際の花】作戦を試みようとしたが、それは物理的に不可能となった。
「アニエス、喉は渇いていないか? このドレスの裾は重くないか? ……おい、そこの男。妻をそんな不躾な目で見るな。……目を潰されたいのか?」
カシアンはアニエスの腰に腕を回して片時も離れず、挨拶に来る貴族たちをその鋭い眼光で次々と石化させていく。
「カシアン様、皆様が怯えていらっしゃいますわ。私、少しあちらの令嬢たちとお話ししてきても……」
「駄目だ。君が私の視界から消えるなど、一秒たりとも許さない。どうしても行きたいと言うのなら、私が君を抱き抱えてついていこう」
(……それは公開処刑です、公爵様!)
結局、アニエスはその晩、夫の腕の中から一歩も出ることができず、全出席者から【公爵の最愛の薔薇】として崇め奉られることになった。
さらに、アニエスにとって最大のショックだったのは、長年かけて貯め込んだ【隠居用秘密資金】の末路だった。
「カシアン様、私の……私のへそくり口座が……!」
「ああ、あの端端金のことか。君が私に内緒で苦労して貯めているのが不憫でな。私の個人資産から少しだけ補填しておいた」
「少し……? 桁が、桁が六つは増えていますけれど!?」
アニエスが将来、海辺の小さな家を買うために貯めていた金は、今や“一国を買い取れるほどの国家予算級“の巨万の富へと変貌していた。
「これで、私から逃げる資金はなくなったな? この額を動かせば、どこの銀行だろうと即座に私に通知が届くよう手配してある。君がパンを一つ買うだけで、私は君の居場所を特定できる」
カシアンは優雅に微笑みながら、絶望するアニエスの腰を抱き寄せる。
もはや、隠居どころか、経済的にも物理的にも完全に彼の管理下に置かれてしまったのだ。
朝食の席では、彼自らがアニエスの口にカットフルーツを運ぶ。
「あーん、してくれ。……ふむ、やはり君が食べると、毒味など不要なほど美味しそうに見える」
「……それ、毒味の役目になってません?」
カシアンの独占欲は、もはや隠す気さえない。
第四章:そして、強制終了された自由
アニエスは、ふかふかの天蓋付きベッドの中で嘆息した。
隣では、満足げな顔で眠るカシアンが、彼女の腕をしっかりと離さずに握っている。
(どうしてこうなった……)
彼女の計画では、今頃は南の島で、のんびりと読書三昧の日々を送っているはずだった。
「奥様、本日も旦那様から『世界に一つだけの特注ドレス』が届いております。……ああ、旦那様の愛に包まれて、奥様は本当にお幸せそうですな」
かつては事務的だった老執事や侍女たちが、今や全員“溺愛ルート“の共犯者だ。
「待って、これ以上クローゼットに入らないわ! それに、私が脱走用に用意していた動きやすい乗馬服はどこ?」
「ああ、あれでしたら旦那様が『アニエスの肌には荒すぎる』とすべて処分され、代わりにこちらの最高級シルクの寝間着を百着ほど用意されましたぞ」
アニエスが助けを求めても、屋敷の全員が「旦那様がこんなに笑うようになったのは奥様のおかげ」と拝むばかり。
もはや屋敷全体が、アニエスを逃がさないための巨大な鳥籠と化していた。
さらに決定打となったのは、アニエスがかつて”離縁時に夫へ残すはずだった手紙”の扱いだ。
「アニエス、これには感動した。君がこれほどまでに私との別れを惜しみ、私の将来を案じてくれていたとは……」
カシアンが宝物のように額縁に入れて飾ったのは、アニエスが【離縁後に彼が後妻を娶りやすいように】と書いた、ドライな引き継ぎ事項のメモだった。
「それはただの、事務的な引き継ぎで……!」
「『健康に気をつけて』『無理をしないで』……。行間から君の悲痛な愛が溢れている。これほど愛されている私が、君を離すわけがないだろう?」
(違う、それはただの社交辞令! ……ああ、もう何を言っても”愛”に変換されてしまう!)
「……まあ、悪くはない、けれど」
アニエスは、カシアンの整った寝顔を見つめる。
冷徹だと思っていた夫は、実は誰よりも不器用で、誰よりも彼女を求めていた。
彼の手の温もりが、あんなに欲しかった自由よりも、今は少しだけ心地よいと感じてしまっている。
「……離縁なんて、もう一生無理そうね」
アニエスが小さく呟くと、眠っていたはずのカシアンが、片目を開けていたずらっぽく笑った。
「当たり前だ。逃がさないと言っただろう?」
そう言って、彼は再び彼女を強く抱きしめる。
アニエスの“離縁待ち“ルートは、こうして永久に閉ざされ、二度と抜け出せない“溺愛ルート“へと強制再起動されたのだった。
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