34.商談の行方
沈黙が痛い。
ラシードは黙って資料を読みながら、時折ハパスの花に視線を移している。
その間、何もできないザハラは心臓が爆発しそうな緊張感に耐えるしかなかった。
(ど、どう、なんだろう。これでダメだったら私、もうできることがない)
例えば「資料のここが足りない」と言われれば、書き足すことはできる。しかし、この案が根本的に不可能であると言われてしまうと……。
沈黙のせいで、思考が悪い方向に向かいそうになった時、ラシードの咳払いが響いた。ハッとして、いつの間にかうつむいていた顔を上げる。
「色々と言いたいことはあるが……まずは商人として話をさせてもらう」
ラシードの顔つきは厳しいままだ。
「きちんとした金額の想定がないっていうのは論外だ。もちろんこの花は素晴らしいし、今用意できる一番の自信作を持ってきたのだと思う。だからこそ、それに値付けをしない、値付けを相手に任せるのはダメだ。相手によっては相当買い叩かれる」
「う……はい」
尤もな指摘に、叱られた子供のようにシュンとしてしまう。だが、ラシードの言葉は止まらない。
「まだ自信が持てないというのは理解できるが、それを相手に悟らせてはダメだ。この花だけでなく、自分に安い値段をつけないこと。これは商人相手じゃなくても大事だと俺は思う」
「はい、すみません……」
商談の心得とかではなく、根本的な部分でもダメだしを食らってしまった。しかし、指摘は事実であり、ザハラ自身も改善しなければと思っている点だ。
(前よりはマシになったと思ってるんだけど……でも、自分で値段をつけられなかった時点で、自信がないと見られるのは当然よね。ううう)
「ここまでが商人としての意見だ。色々と言ったが……そもそもザハラは商人に成りたいわけではないからな」
ラシードの雰囲気が変わる。
商人のそれから、ザハラの知る幼馴染の空気へと。
「気付いてくれてホッとしたよ。資料もキッチリ揃えていたし、よく頑張ったな。それに、商人としての俺も尊重してくれたのは素直に嬉しかった」
「……もしかして、ラシードはこの抜け道に気付いていたの?」
「まあな。親父とかその周辺にも聞いたし」
「あ、なるほど」
ラシードの一族は大半が政に関わっている。聞けば答えてくれるだろうし、家には法律関連の書籍なども揃っているのだろう。
そのあたりを考え合わせると、ラシードはかなり早い段階で気付いていたようだ。しかし、それをザハラに言うことはなかった。
「私が気付くまで待っててくれた……?」
ザハラの呟きに、ラシードは苦笑を返してきた。
「……俺から言うのは、なんか違うと思ってな」
「ありがとう、気を遣ってくれて」
ラシードはザハラの性格まで考慮して、ずっと見守っていてくれたようだ。
もしこの方法をラシードから教えてもらったとしたら、きっとあとからうじうじと悩んでしまったに違いない。ここまでお膳立てしてもらって、果たしてナプの保護者としての資格があるのだろうか、などと。
「うーん、まぁ、俺のためでもあるから」
「ラシードの?」
口を出さず見守ることによって忍耐力を鍛えるとか、そういうことだろうか、と問いかける。だが、返ってきた言葉は意外なものだった。
「俺は外の国を見て、知って……そのうちに『自分は花を五つも平等に愛せるような、器用な人間じゃないんじゃないか』っていうのは感じてたんだ。でも、この国に帰ってきたら、まぁそういうものだしって自然に受け入れてた」
「郷に入っては郷に従えって言葉もあるし……何より生まれ故郷だもの。普通のこと、じゃないかな」
カマルヤでは普通のこと。
男性は花を五つ囲うことを目指し、女性は囲われる花になることを望む。
ただ、自分はその普通になれなかっただけだ。適性がなかった、とでも言えばいいだろうか。そんな風にザハラ自身は考えていたのだが。
「ザハラのお陰で、色々と気付くことができたんだ。伝統を守るのも大事かもしれないが、より良いものに変えていく意識が大事なんじゃないかって」
「私の? でも、私は……色々と偶然が重なっただけで」
「それでも、自立しようとしたのは間違いなくザハラの意思だ。ナプの進化も今までの信頼関係があってこそだろ?」
同じようなことを魔物使いギルドの元長、マルワーンにも言われた。
あの時はとても素直には受け止められず、懇々と諭されたのだった。
今だって謙遜したい衝動に駆られている。そんなことないよ、私なんか、と口を突いて出そうになった。
だが、それを意志の力で飲み込んで、笑顔を浮かべる。
「うん、ナプに関しては、そう……かも」
語尾は自信なさげになってしまったが、それでも自分のしてきたことを素直に受け止められたのは確かな一歩だ、と信じたい。
「プッ……なんだその顔。照れてる?」
「もう! 茶化さないでよ、自分のやってきたを否定しないように頑張ってるの、これでも!」
一体自分はどんな顔をしていたのか。この場には鏡がないため確認できない。
「知ってるって。可愛い顔だから心配しなくていい」
「笑っておいてそれは無理があると思うんだけど……」
「まぁまぁ。それで、なんの話だったか……そうそう、カマルヤに帰ってきたら俺は漠然とザハラを第一夫人にして、あと四人囲って、そうやって生きてくんだろうなと考えてたって話。それが色々すれ違った挙句、『ハーレムには入りません!』宣言をされたわけだけど……」
「う……その節は大変失礼しました。で、でも、やっぱり私、ワガママだとしてもナプと生きていきたいし、緑化の研究もしたいんだもの」
「うん、ザハラはそれでいいと思う。そのための努力もしてきたわけだしな」
言いながら、トントンと先程見せた資料を指で叩く。
「どう、だった? 商人ラシードのお眼鏡には適う?」
「正直に言う。資料だけでは微妙だ」
「う……はい」
「だが、このハパスの水耕栽培、だったか? これはかなりの価値がある。水の乏しいカマルヤで、こんな贅沢な使い方をして花を咲かせる。これは刺さるぞ」
「……じゃあ!」
「あぁ。研究プロジェクトを組もう。そして、その責任者になってもらいたい」
胸に熱いモノが込み上げる。震えてしまいそうなほどに、嬉しい言葉だった。気を抜けば涙まで出てきてしまいそうなところを、ぎゅうと手を握りしめて堪える。
「ありがとう!」
「喜ぶのはまだ早いぞ。申請を却下されないように書類を揃えなきゃだし」
余韻に浸る前に、ラシードに現実に引き戻される。確かに、まだラシードが頷いてくれただけで、公的に認めてもらえたわけではないのだ。
「あ、それはもう調べてあるの。ラシードに用意してほしいモノと……あと、私じゃわからなかった項目がいくつか……」
言いながら、準備していた資料を使用人に持ってきてもらえるようにお願いする。そんなやり取りをラシードはポカンとした顔で見つめていた。
「それ、自分で考えてやったのか?」
「え? うん、そうよ。だって、私がお願いするわけだし、できるだけラシードに負担はかけたくなくって……も、もしかして余計なことだった!?」
「いや、違うよ。やっぱりザハラは有能だな、と思って。雇いたいくらいだ」
「ふふ、お世辞でも嬉しい」
「お世辞じゃないさ。本当に有能だ。勉強熱心だし、わからないことはわからないって素直に言えるのも好ましい。花になるんじゃなく、自分で咲かせた大輪の花を持って乗り込んでくるところもいいな。願わくば生涯のパートナーになってほしいね」
「え、ええっと……」
何だかプロポーズのような言葉に、動揺してしまう。
(生涯のパートナーっていうのは、きっとお仕事相手としてってこと、で……ええっと、ええっと……冷静に! ……むり、顔が熱い!)
鏡を見なくてもわかる。きっと今、ザハラの顔はそこに咲いているハパスの花よりも赤いだろう。
ラシードが微笑んで、言葉の続きを言おうとしたその時。
「ンー!! ンンー」
「すみません! こら、ナプ。どうしたんだ急に」
サームに預けていたナプが突如乱入してきたことで、その場はうやむやになってしまった。助かったという気持ち半分、残念な気持ち半分のまま、ザハラは踊るナプに嬉しい報告をするのだった。
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