33.商人ラシード
勝手知ったるラシードの屋敷。
そこでザハラはガチガチに緊張して立っていた。
屋敷の人達が「どうぞ座ってお待ちください」と言ってくれているのだが、今日だけはそういう気分になれなかった。
ただ、ナプのことだけはお願いした。ナプが邪魔をするとは思わないが、念のために別室で待機してもらっている。
「なんだ、座って待ってれば良かったのに」
持ってきた資料に目を通しながら最終確認をしていると、商談から帰ってきたらしいラシードが入室してくるなりそう声をかけてきた。
「今日はなんか……座ってるのは違う気がしたから」
いつもの様に依頼主と受注者として、あるいは幼馴染として来たのであればそれでもいいと思う。しかし、今日のザハラはそのどちらの立場でもなく来訪したつもりだ。
「それで、わざわざ手紙で都合を聞いてまでしたい話というのは?」
「えっと……」
ここでもじもじしていてはだめだ。今、自分は将来を懸けてラシードの前に立っているのだから。
エルメリンダのアドバイスを思い出す。少しでも自信のある女性に見えるように。
「商人のラシードさんに相談を持ってきました」
「へえ」
ラシードの雰囲気が変わる。きっとこれが彼の仕事での姿なのだろう。いつもは幼馴染として甘やかされていたのだということを痛感する。
「商人の俺に言ってくるってことは、それなりの覚悟を持ってるってことだよな?」
「うん。冗談でこんなこと言わない。ラシードの苦労とか今までの頑張りは想像することしかできないけど、商人という仕事に誇りを持っていることは知っているから」
会わなかった期間、彼がどんな苦労をしたのかなんてわからない。理解できるはずがないのだ。ただ、彼の決断と仕事にはできる限りの敬意を払いたい。そう思って調べられるだけ調べて、正式な仕事の提案として失礼がないようにしたつもりだ。
「そうか。商人の流儀に則ってきたから何かと思ったが……どんな話か、楽しみだな。まず座ろうか。立ったままじゃお互い疲れるからな」
「ありがとう」
まず話し合いの席についてくれた。それだけでも有難いことである。普通の商人だったら「女の話など聞けるか」と言われかねないから。
「それで、ザハラはどんな商談を持ってきたんだ?」
席について、ラシードと正面から向き合う。
あとは直球勝負だ。何せ、ザハラは商人としての駆け引きは当然として、花としての駆け引きも得手ではない。できることは、誠実に話すことのみ。
「……私の研究を買いませんか」
ザハラの言葉に、ラシードが目を見開いた。
言葉を挟む様子がないので、中身を続けて話す。
「私の研究は、砂漠に植物を増やすというもの。これをあなたに売りたい」
「対価に望むのは?」
「緑化プロジェクトを立ち上げてもらって、私をその責任者にしてほしい。そうすれば、私でも……女性でも土地を買えるから。詳しくは資料を用意してきたから目を通してもらえる?」
そう言って手書きの資料を手渡す。
数日かけて、正式な書類として扱うことができるように体裁を整えたものだ。
この国では、名義を持たない者が土地を買うことはできない。故に、生涯その名義を得ることのない女性は、土地を手に入れる術がないのだ。
それでも諦めきれず調べ続けた末、ザハラは一つの抜け道を見つけた。
それは、責任者になること。
例えば、ブティックの店長や喫茶店の経営者など。
その座には男性が就くのが常だ。だが、規定には性別の縛りはなかった。つまり、持ち主が任命さえしてくれれば、女性のザハラでも責任者になれるのだ。そうして責任者になれば、事業の拡大を名目とした土地や建物の売買及び賃貸に携わることができるのである。
(ラシードなら、少なくとも門前払いはしないはず……。でも商人としての彼にお願いをしているのだから、情で許可はしてくれないと思う。あとは、このプロジェクトがラシードのお眼鏡に適うことを祈るしかない……)
学校の卒業生という特権をフルに使って図書館で調べ上げた。法律上問題がないのは何度も確かめたし、商談を持ちかける際の礼儀も外してはいないはず。だから、あとは中身勝負なのだが……。
「……資料としては良くできてる。現在できること、将来的にできると見込めることあたりはかなり面白く読ませてもらった」
反応は少なくとも悪くはない、と思う。ただ『初めての商売の手引き』に『商人は基本的に感情を見せるべからず』と書いてあった。初歩の本にデカデカと書いてあるのだから、きっと基本中の基本なのだろう。だから多分、まだ油断はしてはいけない。
「ただ、この資料ではどのくらいの費用がかかるのか、それを差し引いてどの程度の利益が見込めるのかがはっきりしなかったな」
(う、やっぱりそうだよね……)
ラシードの言葉はザハラも予測していた。商人が重要視するのは「儲けられるかどうか」だ。それは理解している。しかし、ザハラからすれば、本当に儲けが見込めるかわからないものを資料に書き込むのは憚られたのだ。
素晴らしい研究になるだろう、という部分は胸を張って言える。けれど、こと商売になると自信が持てない。
自分なりに誠意を尽くしたつもりだが、このままでは商人としてのラシードは首を縦には振らないだろう。
「私は値付けに関して全くの素人だから、あなたの目で判断してほしい」
ザハラはそう前置きして、打ち合わせ通り使用人に目くばせをする。
今回の商談は、恥も外聞もなく、たくさんの人に相談した。母しかり、マダム達しかり。そして、このラシードの屋敷でお世話になっている人達にもだ。ザハラの知らない、商人としてのラシードと苦楽を共にしてきたこの屋敷の人達は的確に彼のツボを押さえたアドバイスをくれた。
このタイミングで、コレを見せるのもその一つだ。
使用人が、しずしずとザハラの切り札を運んできてくれる。
「これは……」
「ナプの力を借りて実現したハパスの水耕栽培よ」
テーブルの上に置かれたのは、装飾の少ないガラスの器。その中には様々な色や大きさの石と、キレイに澄んだ水。その上には大輪の真っ赤な花が咲いている。
「ハパスか。旅の途中で栽培しているところを見たことがある……まさか地元でも見れるとは」
ラシードは感心したような声を上げた。
ハパスはその花の美しさからカマルヤでも人気が高いが、温暖な気候と清浄な水を好むためこの国での栽培は難しいとされている種の一つである。
以前フラワーアーチの話をしていたので、ラシードは花にも詳しいのではと思ったのだが、どうやら当たりだったようだ。内心でほっと息をついて話を続ける。
「うちの国だと強すぎる陽射しのせいで水が傷んじゃうから実現できなかったみたいなの。でも、研究が進めばもっと色んな種類の花が咲くはずよ」
「これは、ナプがいないと無理なんだな?」
「同じ条件で、ナプの手を借りなかった場合は水が傷んで根がダメになってしまったの。水質管理が難しい種類みたい。そして根がダメになってしまったものは、ナプの力があっても回復しなかった」
この研究に価値があると示すためにも比較対象は必要だ。悲しそうに首を横に振ったナプを思い出すと、今も切なくなる。
しかし、そんな気持ちのままラシードに向き合うわけにはいかない。商談に集中しなければ。
「ナプは一人しかいないから量産は無理だよな?」
「……そこはもっと研究してみないとわからないわ」
「ふむ……」
いくつか質問され、それに答える。だが、いかんせん研究が進んでいないから『わからない』と答えるしかないことが多い。
ザハラの曖昧な答えを一通り聞き終えたあと、ラシードは手元にある資料にもう一度目を通し始めた。
(こんなに不確定要素が多いと断られちゃうかも……)
『時にはハッタリも必要』と手引きには書いてあったが、やはりそういったテクニックも必要だったのだろうか。
ラシードがめくる紙の音だけが微かに響く中、ザハラの不安はいやが上にも高まっていく。
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