2.再会と自立を阻む壁
クスクスと尾を引くような笑い声。
ヒソヒソと聞こえよがしに交わされる囁き。
地味、場違い、身の程知らず。
悪意の刃がザハラを斬りつける。
(そんなの、知っているもの……)
それでも傷ついてしまうのは、心のどこかで否定する自分がいるからか。それとも、ラシードだけはそんな自分でも受け入れてくれると思っていたからか。
そんなザハラの甘さを嘲笑うように、門は閉ざされた。
まるで泥沼に沈んでいくような——。
「ンー!」
ぺしぺし。
ぺしぺし。
頬に何かが当たる。
「う、うーん……え? あ、朝?」
昨日は、ラシードに会いに行ったけれど、門前払いされて……。
初恋は、水を与えられなかった草みたいに萎れてしまった。
それから……。
「そうだ、ナプ!?」
「ン! ンンー!!」
マンドルからマンドランに進化したナプが、床で寝ていたザハラを健気に起こしていたようだった。
「ごめんごめん、起こしてくれてありがとう」
ナプの進化に興奮したザハラは、「これは本格的に緑化研究ができるかも!」と寝食を忘れて観察と記録に没頭。その結果、草がちょろちょろ生えた部屋の床で、そのまま寝落ちしてしまったのだ。
「ンンー!」
ナプは進化と同時に床から草を生やした。居住空間としては困った事態だろうが、砂漠の緑化をテーマに研究してきたザハラには天恵としか思えなかった。もちろん、再現性はまだ確認できていないし、そもそもどうしてあの瞬間に進化したのかも解明できてはいない。
それでも、種を植えているはずもない床の上から一瞬で草が生えたというこの現象は、砂漠にとって希望になり得るのではないか。
「もともと、マンドルの頃から保水能力があるのは分かってたのよね。それだけでも研究に値すると思ってたけど」
進化したマンドランは、その能力がさらに向上していた。そして草を生やす力まで持っている。もしこの現象を再現できれば、砂漠の緑化だって夢じゃない。
「ナプはすごいね。こんな能力があるなんて!」
思わず声が弾む。
成り行きでペットになったナプだけれど、今では大切なパートナーだ。手足が生え、表情も心なしか豊かになり、奇妙なダンスで和ませてくれたりもする。言葉は通じなくても、心は通じ合っている気がする。
「でも、これ以上研究するなら、もっと広い土地とちゃんとした道具が必要なんだよね……」
広い土地といっても街中の地価の高い場所が必要なわけではない。むしろ砂漠の片隅の、他に使い道のないような場所が望ましい。道具にしても最初はごく普通の農耕機具を貸し出してもらえれば十分だ。
幸い、このカマルヤ国は新しく事業を興そうとする者に寛容らしい。四方を砂漠に囲まれているこの国が生き延びるには斬新な発想を取り入れて、立地的に恵まれている他国に少しでも差をつけるしかない。そんな考えから、新事業を立ち上げようとする若者には、それなりに手厚い補助が与えられるという。
ただし、審査に通れば、の話だ。
女性には権利がないこの国で、いかに新事業主が厚遇されているとはいえザハラの今の立場で審査に通るかどうか。
(同じ人間なのにおかしいよね、こんなの)
ギュッと自身の手のひらを握りしめる。
けれど、そんなことをしても爪が食い込んで痛いだけ。現実は何も変わらない。
「……とにかく行ってみるだけ行ってみよう。審査が通らないって決まったわけじゃないし」
この砂漠を緑にしたい。
長年の夢が、今まさに叶うかもしれない。その可能性があるなら、何だって試すべきだ。
「そうしたら、ナプとずっと一緒にいれるものね」
現段階で事業などと口にするのもおこがましいのは重々承知だが、ザハラにはもう猶予がない。今、この時にも父が現れて、見たことも聞いたこともない相手に嫁げと言い出してもおかしくはないのだ。その相手がナプに理解を示さない人間だったとしても、ザハラは従わなければならない。妻は夫の所有物だから。
処分しろと言われると決まっているわけではないが、その公算は高いとザハラは睨んでいる。マンドラは無害な魔物だと周知されているが、ナプはマンドランに進化した。魔物の進化は報告こそあるが、実例が少なすぎて解明には至っていない。そもそも魔物をペットにしている例が皆無に近いのだ。これでは理解を求める方が難しいだろう。
だが、事業となると話は変わる。実際、魔物を使役しての事業例は結構な数に上るらしい。ナプは使役しているわけではないが、そこはそれ。ナプによる砂漠の緑化が事業として認められれば、ザハラが事業主となって誰に囲われることもなく一緒に研究を続けられるのだ。
「うん、決めた。行って諸々問い合わせてみよう!」
自分とナプと砂漠の未来のために、ザハラは勇気を奮い起こして役所へ向かった。
だが――。
「審査を受ける資格がない……?」
待っていたのは、冷たい現実だった。
研究を進めたい、支援を受けたい――何を訴えても返ってくる言葉は同じ。
「当制度は成人を対象としています。未成年は対象外です」
「成人の基準は年齢ではありません。親の庇護下にあると判断されれば未成年と見なされます」
「男性は両親と異なる住所であること。女性ですと……やはり婚姻が最低条件ですね」
つまり男子は安部屋を契約するだけで、実際は親の脛をかじっていても審査を受けることができるわけだ。
更には。
「その場合、ご主人の許可が必須です。名義もご主人となりますので」
この国では、女性の名は何ひとつ残らない。初めから存在などなかったかのように。
「……『名より実を取れ』ですよ、お嬢さん。それが賢いやり方です」
あまりにも悲愴な顔をしていたからか、担当者は口調を変えてそんな有り難い助言を寄越した。
囲ってくれる相手を見つけて、自分の望むように働きかける。それがこの国での、女性の合理的な生き方。ザハラだって理解していたつもりだ。名が欲しいわけでもない。
(ナプみたいに自分の足で立って生きていきたいだけなのに……)
誰にも頼らず、自分の力だけで生きていくことは、この国ではわがままな願いなのだろうか。
悔しさに唇を噛みながら役所を出た、その時。
「……もしかして、ザハラか?」
顔を上げると、そこには金色の髪をなびかせた、美しい青年が立っていた。
記憶の中よりもずいぶんと大人びた、けれど確かに面影を残しているラシードがそこにいた。
一瞬見とれてしまったが、すぐに昨日の出来事が蘇ってくる。
吹っ切れたと思っていたはずの初恋の傷が、またジクジクと疼き始める。
どうしてこんなタイミングなのだろう、と泣き言を言いたい。けれど、何でも聞いてくれるナプは、ここにはいなかった。
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