18.花になるということ
「研究? 砂漠に緑?」
ピンと来ていないのか、カリムはザハラの言った言葉を繰り返す。
無理もないとは思う。女性が研究することもそうだが、今まで生きてきたこの砂ばかりの国に緑を増やそうという発想は、想像の埒外だったのだろう。
「出来る気が全くしないけれど、君はその研究がしたいわけだよね? それと、見合いお断りがどうにも繋がらないのだが……」
カリムは困惑した表情のまま、一瞬言いよどんだ先を話し出す。
「少なくとも、僕は妻のやりたいことを認めないような夫にはならないつもりだよ」
「あの、例えばの話なんですが……カリム様は商売をされていますよね?」
「知っていてくれたのか。嬉しいな。そうだよ、うちは代々続く商家だ。だから、資金も名義も研究するには十分だと思うよ」
ザハラが自分のことを知っていたのが嬉しかったらしい。カリムはパァッと笑顔になって意気込んでくる。
「その大事な商売相手の方が『お前のところの嫁の研究はけしからん!』と、抗議とかしてきた場合って……稼業をとりますよね?」
「それは……」
それまでの勢いはどこへやら。ザハラの質問で、カリムは言葉に詰まってしまった。
それが答えだと思う。
この砂漠の国において、男の仕事とその妻が個人的に進めている研究とやらのどちらが優先されるかなど問うまでもないことなのだから。
(万が一、そんなことがあったら、どんな旦那様であっても「研究を辞めろ」と言うのが普通。……わかってたけど、突きつけられると凹んじゃうなぁ)
花となって研究をするのであれば、こんな風にいつでも研究が取り上げられる可能性がつきまとってしまうのだ。それが、怖い。自分の研究成果が奪われるだけならばともかく、その対象にナプも入ってしまうとしたら。
頭の中でクルクルとナプが回って踊る。
やはり、少しでもナプを危険に晒すようなことはしたくない。
「し、しかし、それはレアケースだろう?」
「それは、仰る通りですが……研究が実を結んだ場合、様々な利益と不利益が考えられますよね?」
砂漠に緑が増えることのみであれば、歓迎しないカマルヤの民はいないと思う。ただ、それもどう広がるかはわからない。
例えば。研究が順調に進んで、カマルヤでも野菜が大量に栽培できるようになったとしたら、現在他国から野菜を輸入して利益を得ている商人は目障りだと考える可能性はある。勿論、そこまでの成果が出せるかもわからないので、あくまで仮定の話でしかないけれど。
それでも、商売人であるカリムがそういった計算ができないわけがない。予想通り、カリムは表情を曇らせた。
「し、しかし……現実にそうなると決まったわけでは……」
「リスクを承知の上で挑戦する道も正しいと思います。でも、私はそのリスクを飲みたくないんです」
どんなメリットがあったとしても、リスクとしてナプの命が挙げられるのならば、それはたちまち霞んでしまう。
(背筋を伸ばして、口角を上げて……あとなんだっけ。ううん、全部はできなくたっていい。今の私の気持ちを、ちゃんと伝えよう)
ザハラは一度座り直してから、まっすぐカリムを見た。
「理由は、今お話した通りです。私は、私の名で研究をしたい。自立したいから、母がお願いしたお見合いを断って回っています」
「そ、れは……この国では無謀では? 花の寿命は短い」
カリムは、話をしさえすればザハラを囲うことができるという自信があったのかもしれない。その自信を、こんな風に思ってもみない主張で崩されたからか、明らかに動揺しているのが見て取れた。
「君が研究したいというのであれば、最大限譲歩すると約束するよ。それに、僕は花が五つ揃ったとしても、全員を同じように愛でる自信がある! 僕以上に条件がいい人はいないんじゃないか?」
条件だけで言えば、確かにそうだ。
年齢も年齢であるし、花には不適格と言っていいザハラを第一夫人に望んでくれる相手なんて今後出会うことはないだろう。これ以上好待遇で、花として迎えてくれる人はきっといない。
(すごくすごく、良い人だとは思うわ。私になんて、もったいないくらい)
普通であれば「こんなにも好待遇で熱烈に私を望んでくれるなんて」と喜ぶのだろう。
でも、ザハラはカリムの言葉に少し悲しいような気持ちを持つだけだった。
「……私、欲張りでワガママなんです。カリム様にはきっと私みたいな強欲な女よりも、相応しい方がいらっしゃると思います」
「強欲? ワガママ? 君が?」
「好きになった旦那様が、別の女性と過ごすのがイヤ。私の研究の裁量権を、私以外の誰かが持つのイヤ。……ね? ワガママで強欲でしょう? ですから、私のような不適格な女よりも、素晴らしい女性を花としてお迎えください」
そう言って、ザハラは深々と頭を下げる。
(……嫌われちゃっただろうな。それとも、呆れられたかな。お話は本当に楽しかったし、物凄い好条件をくれる素晴らしい人だと思う。でも、やっぱり私、この国の花には向かないみたい)
口に出してみて、ハッキリ自覚した。
自分は、多分嫉妬深いのだ。旦那様となる人が、他の女性と仲睦まじくしている姿を、笑顔で見守るなんてきっとできない。かといって、欠片も好意を抱いていない相手の花になる未来も想像できなかった。
(ヤスミーナさんの、他の花の方みたいに完全なビジネスだったなら大丈夫なんだろうけどな……。でも、そうなると研究が切られる可能性があるから、やっぱり無理ね)
色々考えを巡らせてはみるけれど、やはり夢を叶えるならば花となる未来は見えなかった。
「し、しかしだな……」
カリムはどうにか二の句を継ごうとしている。
やはり、女性から断られるというのはプライドが傷つくのだろう。その点は本当に申し訳ないと思いつつも、ザハラにできることはない。どうしたものか、と考えていたところ、部屋にノックの音が響いた。
「お客様申し訳ありません。少し大きなお声が聞こえましたので、心配で参りました。入室してもよろしいでしょうか?」
カリムの声が高くなったのを心配して、店員が来てくれたようだ。勿論エルメリンダの指示だろう。
「あ、あぁ。すまない。大丈夫だ」
多少動揺を見せながらもカリムが許可を出すと、入室してきたのはエルメリンダだった。
「大変申し訳ありません。ザハラが何か失礼をしたようですね」
「い、いやそんなことは……」
カリムは否定するも、エルメリンダの気迫は凄かった。
「ザハラは花になるにはまだ未熟なようです。まさかあなた様に声を荒げさせるとは。とても花に推薦などできません故、本日は下がらせていただきます。私が花になれると太鼓判を押せるようになるまでは、お目に触れないよう厳重に注意いたしますのでご容赦願います」
言葉はとても丁寧であり、ザハラの至らなさを謝罪するものだ。
しかし、その実は「もう二度と会わせない」宣言である。ザハラとしても、後味は悪いけれどその方が有難い。
「そ、そこまでしなくても構いません。少し盛り上がりすぎて、自分の声が大きくなっただけですので……ですから、どうぞ今後とも仲良くしていただければ」
ここで終わりかと思ったのだが、カリムはそう食い下がる。
(よっぽど彼のプライドを傷つけちゃったのね……。どうお詫びすればいいんだろう。とりあえずもう顔を合わせないように気をつけなきゃ)
カリムの内心には全く気付かず、ザハラはそう心に決めるのだった。
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