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終跫

作者: 水銀

今朝も重たい目蓋と見慣れた顔々と 伴に私は(いつもの鈍行電車に乗じている。今日は常と異なり憂慮する事が特段亡かったため眼を 瞑っていたところ、私は不図自分がいとけなかった頃の事を思い出していた。よく憶えているのは小学生の頃からであったが顧みるに私にとって人生が愉しそうに思われたのは小学生からの玖年間に限られている。というのも、先ず小学生の時には廻りと較べて一寸ちょっとの脚力が有り、一寸の腕力が有った。其れだけで私は此の世に存在する事ができた、存在する事を己に認められた 。中学生の時も然り、紙面上で模範生の様に振舞うこと ができたため、(ひと)と較べ先生に高く評価され(て了って)、己の存在意義は保障されていた。だが其の後、即ち 高校へ進学してからは己の姿は忽ち土瀝青アスファルト 面下に埋没した。私は不途ずっと自分のぎょうを認めた事は亡く、飽く迄他の業をさげすみ自分の地位を確立していた、然う理解してる。故に自分より遥か高みで更に天に昇らんとする廻他ひとが多々居る其処では私の中で稼働していた機構が上手く働か亡くなり、途端息苦しくなったのだろう。幾何も亡い才能を以て他を貶む己と不才である事から眼を叛け、茫然と天をる己と何方が哀れで愚かだろうか、私には判らない。こんな結論の様な何かを電車に置き去りにして、私は常の駅で降りた。外は先程よりもすこぶる暑く、陽光がはだを灼いて居るのがはっきりと感じられた。強烈極まり亡い熱気に纏われながら、速足で高校へと向かった。

 私は本より「思考する」という作業を遂行する事は疎か開始する事すらできずに居た。思考できなければ此れに付随する「行動する」ということもでき亡い。現に先生により新たな種を植え付けて貰って居るものの、全く残念ながら私は此れを育てることができず、其の儘枯らして了うのだろう。然う思うと今の俗世が友であるように感じられ、一寸安堵する。我々は折角与えられた生を空費する唯で他に恩恵をもたらす事など到底でき亡い。あまつさえ風前の灯火が如く今にも存在が亡くなって終う様に視える。此れが又哀しい事なのか、私には解ら亡い、木偶坊である私なんぞには。

 授業後、私が殊に厭う叱責会が開かれた。此の会には毎度私、私の同級生凡て、先生が集う事となって居たのだが其処では先生が生徒を叱るのが慣習となって居る。確かに私に非が有るのであれば叱られようが構わない、寧ろ歪な私を正さんとして下さって居るのだから其の優しさをしかと噛み締めよう。但、他に非が有るにも拘わらず其れを私の眼前まえあたかも私の犯した罪の様に提示し、咎められて了っては突如として先刻の優しさは私の口内で苦味を帯び、吐気を催す。仕様が亡いので先生の云う事に耳を貸して遣れば

「唯存在して居ると云うのは存在して居亡いと同義であり、一寸撓たわめて云って了えば其れを存在して居亡いと云うのであります。故に此の世に存在するためには何か振動を発し亡ければ不可いけないのであります。只置かれて居る物、水底で身を潜めるたこと独動する物、水面上で飛ぶ飛魚とびうお、前者に人は注意を呉れやし亡いでしょう。諸君は努めて躍動しなさい。」

などと云って居た。此の言葉は常の言葉供と違って私にせまって来て、嗤いながら斯う囁くのだ。

「お前の歩んで来た道を見よ。丸で畦道あぜみちの様ではないか。」

 日が落ち、又日が昇った。今日も最寄駅へと乏々(とぼとぼ)歩いて居た。前日とは異なり昼下がりに家を出た所為か外は灼熱の暑さを以て私を迎えた。此の暑さに苦しみつつ駅にいたところ、見れば其処は此の様な時期、時間もあってか伽藍としている。此の酷暑で人唯で亡く電車も動くのに気が滅入って居るのだろうか、幾ら待とうと一向に遣って来ない。仕方が亡いので私は線路に下りて目的地を目指す事とした。常往く高校よりかは今日他用で赴く其処は近いため然程時間も掛かるまい、然う思った。しかし、思いの外其処までは長くさすがに歩き疲れて了った。加えて日頃の疲労も溜まって居たため、知らぬ間に眼を閉じていた。蝉か何かの音がかしがましかったが其れも気にせず私は眠って了っていた。

 彼が稍々(やや)眠った後眼を覚ますと、其の眼には二十一瓦グラム体重が嘗てより軽い会社員が、靉靆あいたいたる面持の学生が、純真無垢な子と其の親が、干涸ひからび、雨に㳅(なが)されるのを待ち侘びて居る蚯蚓みみずの様な年寄が、要するによく有る電車内の光景が映った。彼のうしろには闇が立ちはだかって居り、奥が有るか否かは定かで亡い。暫くすると其の電車の速度はしだいに落ちてゆき、此れに伴い彼の背ではまばゆい光が差してきた。其処は駅の乗降場ホームであった。彼は乗り降りする客を阻碍じゃまし亡いよう常通り無意識に横に移った。但し、彼は前後に動くことは亡かった、と云うより動くことができるよう設計されて居なかった。降りる客は居らず、乗ってくる客が完全に乗車したところで彼は又定もとの位置に無意識に戻った。そして其の電車は駅を発ち今度は永久に續く様に思われる永く一筋の光すら亡い隧道トンネルへと呑み込まれてゆく。其の隧道では前から、後からむせび泣き、酷く苦しみ喘ぐ数多の老若男女の声が果てしなく残響している。其の電車は破滅を終点とする急行電車である、当然其れは終点へと急いで居るのだ、当然其の乗客等は終点へと急いで居るのだ。

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