Record6:嘘と信用と変態
理事長の持つ一枚の写真。身に覚えのない如何わしい場所へ向かう中等部の制服を着た女子と俺の姿が写っている。
式島と話をつけたことで全てが終わったと思っていた今朝の自分に説教をしてやりたい。なぜこうも楽観的であれるのか。
「明桜くん────!」
疑いを感じさせる別所の目が、強烈に俺の心を抉る。理由のわからない苛立ちと、悲しみと。心臓が逃げ出さないように、右手でぎゅっと握った。
「別所くん、落ち着きなさい。これはただの捏造──でっち上げられた写真だ」
理事長は俺と共に写真に映る女子中学生を指さした。
「まず一つ。この女の子は学生服だが──わざわざこんな場所に制服で来ると思うかい?」
言われてみれば確かにそうだ。この写真には不審な点が多い。写真の俺は私服だが、女子の方はまるで私は中学生ですと主張せんばかりに制服を着ている。
「君達でもわかるだろうけれど、この手のファッションホテルは未成年お断りだ。制服姿で現れようものならどうなるのかは想像が着く」
理事長は饒舌に俺を庇う。表情筋を微動だにせず話す姿は静かなる獣のようで、庇われているはずが背筋が凍りつく。
「二つ、この女子生徒は実在していないこと。我が校の中等部の学生にこの顔の生徒はいなかったはずだ。そして鏡谷くんの身長と比較して──身長は一五〇センチ前後かな。そして首のホクロ。全ての要素を併せ持つ子は誰一人いないさ。私が保証しよう」
理事長の台詞に度肝を抜かれた。
まさかとは思うが、理事長は中等部を含めた全校生徒の顔を覚えているのか。この写真一枚で断言出来るということは相当な自信があると見える。
「そして三つ。私の知る鏡谷くんはこれほど間抜けで阿呆では無い」
理事長の曇りなき眼が真剣であることを物語る。
大の大人がこれほどまでに漠然とした理由を持ち出すとは思っておらず、その言葉を脳内でリピートした。
またしても教育者とは思えぬ乱暴な言葉が飛び出したものだが信じてもらえるに越したことはない。
「別所くんはそうは思わないかい?」
別所は目を泳がせた後、頼りない眼差しを俺に向けた。
「──じゃあ、明桜くんは何もしてないんだね?」
「当たり前だろ。俺がそんなリスクを抱えるわけないだろう」
別所は無い胸を撫で下ろす。
虚勢を張ってはみたが今にして思えば別所が疑うのも仕方の無いことだった。これまで公開された二枚の写真は紛れもなく俺自身の姿を捉えたものだったのだから、今回もそうであると考えるのが自然な流れだ。
「恐らくAIか何かで作った合成写真だろうね。まったく、近頃の技術発展は侮れないな」
理事長は写真を再度封筒に仕舞う。
「この写真が私に送られてきた意図は────教えるまでもないね」
そう言うと、封筒を俺達の方へと差し出した。
要は「理事長直々に処罰してくれ」という意思表示だったのだろう。その下衆な企みが失敗に終わってくれて良かった。
「私が授業中にも関わらず君達を呼び出した理由は注意喚起だよ。この写真が校内に散布されてしまえば被害は昨日や今朝の比じゃないだろう。皆水を得た魚のように鏡谷くんを攻撃する」
別所は封筒を受け取ると、ブレザーの内ポケットへとしまい込んだ。
格好の餌、という表現が正しいのだろうか。
べしょりんという憧れの存在に近づく悪い虫。もしくは恋敵だったり、個人的な敵意もあるだろう。そんな男から事故などでは済まされない、決定的な綻びが出たとすればまたとない好機だ。
「でも犯人の目星はもう着いてるから大丈夫だよね……?」
別所が俺に問う。が、俺は首を横に振った。
「残念だが、この写真を投函したのは式島じゃない」
「えっ……」
別所という女のことだからそれくらい辿り着いていたっておかしくない──むしろ気付いていなければおかしいとさえ感じる。
「詳しいことは後で話すが、この件には式島以外の他の誰かが一枚噛んでいるらしい。そいつを突き止めない限りは常に脅しをかけられているような状態だ」
別所は深呼吸をして、メガネに暖かい息を吹きかけた。曇ったメガネを服の裾で磨くと、定位置に再度乗せた。
「つまり──」
「心置き無く犯人探しが出来るってことだね!」
意外にも彼女は燃えていた。
いや、違うな。初めから彼女は燃える女だったではないか。ただ今回静かだったのは、曲がりなりにも身内が問題を起こしていたからだ。
しかし式島が主犯でないとなれば。いや、もしかしたら誰かに指示をされて、弱みを握られていて、仕方なく、なんて。
そんな希望的観測の余地が今の別所の原動力になっているのだ。
葛藤から解放されると共に別所鏨の本領発揮というわけか。
「私の仕事はここまで。この先は当人である君達次第。得るも失うも────」
「君達の自由だ」
四限目の終了を報せる鐘の音と、理事長の声が混ざり合った。
「何か収穫はあったかい、明桜」
理事長から出た先では米白がさも当然のように待ち構えていた。まだ授業終了から一分足らずのはずだが、何故。もしかすると俺が知らないだけで米白は複数人存在しているのかもしれない。
「なんでおまえがこんな所にいるんだ。授業はどうした授業は」
いやそもそも何故俺たちがここにいることを知っているんだ。
盗聴器を何処かに仕掛けているのかもしれないが、生憎米白はボロを出すことはしない。俺一人が血眼になって仕掛け場所を探したところで見つけられることは無いだろう。
「そんなにボクがここにいる理由が重要かい? それよりもっと気にするべきことが明桜にはあると思うけど」
米白はいつものようにはぐらかして笑う。
「そーだよ! まっずっはっ! アタシに説明すべきことがあるんじゃないの?」
別所はあざといステップを踏みながら俺の顔を覗き込む。
式島のことだ。式島は今朝の時点で今回の件から手を引くと言い切った。だから今回の事件は終わってなどいない──そう伝えて何になるのだ。
「式島は、今回の騒動に関与していなかった」
嘘をついた。咄嗟の嘘。思いつきの嘘。
「何を言ってるんだい明桜。式島さんは自ら新聞部に出向いて、事実を捻じ曲げたような記事を作らせた。それに今朝の写真の件だって目撃者がいるんだよ?」
そうだ、その通りだ。
口をついて出ただけの言葉に深い意味なんてない。
「今朝俺は式島と話した。その結果わかったことだ」
説明になっていない説明。きっと見苦しいだろう。
別所は抱えた疑心を隠しきれずに棒立ちしている。
「……そう、きっと明桜が言うならそういう事なんだろうね」
米白は先程までの態度とは打って変わって俺の安っぽい嘘を受け入れてしまった。
「そうだよね。明桜くんが言うなら間違いないよね!」
別所は納得したらしい。それが本当に俺の言葉だから、という理由なのかは甚だ疑問に思うが──少なくとも、米白は俺の言葉を一切信じちゃいない。それどころか全てを見透かされているまである。
理由もなく納得するのであれば初めから反発しない。米白はどこまでも合理的な人間だ。
良い気分じゃない。俺が騙したのか騙されたのかわからない、おぞましい何かに侵食されているような。
まあいい、気にするだけ無駄だ。
「米白、演劇部の部活動体験に来ていた生徒をどれくらい覚えてる?」
「えっ? そんなの全員に決まっているじゃないか。可愛い後輩候補達だよ?」
理事長といい米白といい、記憶力が常人の域ではない。スーパーコンピューターばりの記憶容量を持ち合わせているに違いない。
「少なくともあの日演劇部に居た人間の中に犯人がいると考えるのが妥当だ」
米白がその場にいた人間を全員覚えている以上、演劇部で撮られた写真から容疑者を絞り込むのが最善だ。もっとも、他の写真を撮った人間も絞り込めれば良いのだが──生憎心当たりのある人物がいない。
「あっ、そっか。なんでこんなに単純なことに気がつかなかったんだろ」
別所でさえもこのことが盲点だったらしい。きっとそれはやる気があったかどうかの問題だとは思う。
別所は顎に手を当てて少しの間考え込む素振りを見せる。
「ここまで執拗な嫌がらせをするってことはちゃんと動機がありそうなのよね……それに米白くんが撮影に気付かなかった……写真の画角的に正面……」
ブツブツと別所はお経のように思考を口から垂れ流した。
「うーん、どうやらボクはもう要らないみたいだね」
「ん、どうした?」
「いいや、こちらの話さ」
思わせぶりな態度をとる米白の真意はわからない。ただ俺の知らないことを知っているのだと直感的に理解した。
「さて、近況も聞けたことだしボクはお弁当でも食べるかな」
米白は一人で教室へと戻って行ってしまった。
「……本当に何しに来たんだ?」
「……やっぱり情報が足りなーいっ!!」
別所が突然大きな声を出す。廊下の隅から隅までを埋め尽くす、芯のある声。
滅茶苦茶びっくりした。米白の声だったら躊躇無く引っぱたきかねないくらいにはびっくりした。
「別所、うるさい。理事長室の前だぞ」
「だってぇ、思った以上に犯人が絞り込めないんだもん!」
それと大声に何の関係があるのか。頬をわざとらしく膨らませて憤りを表現するが、そういうあざとさで誤魔化される俺ではない。
「明桜くんは犯人に心当たりはないの?」
心当たり、か。俺は顔が良くて、頭も良くて、運動も出来て、モテる。増してや今は学園のアイドルである別所の隣に位置している。恨みを買うのも当然だ。動機を持っている奴なんて腐るほどいる。
「去年だけでもかなりの色恋沙汰に巻き込まれたからな。相当敵は多いぞ」
味方はそれ以上に多いけどな。舐めるなよ。
「仕方ない、あんまりやりたくない手なんだけど……」
別所は出来る限りの背伸びをして、俺の両肩に手を置いた。
「明桜くん、犠牲になってくれる?」
「すまない、待っただろうか」
「いや、全く。急に呼び付けて悪かったな」
放課後、校門前。あろうことか俺は八尾木と二人で落ち合っている。
「構わないさ。急いで来たものだからノーブラノーパンだけどね」
「痴女め!!!!」
「私は一般女性Yだ、痴女ではない」
八尾木はそう言いながらスカートを折る──正気か?
「しかし驚いたな、いきなりデートのお誘いだなんて」
俺は八尾木の奇行にもっと驚いているが、本人は知る由もないのだろう。素っ頓狂な顔をして、短い髪を指にくるくると巻き付けている。
「勘違いしなさそうな女子の知り合いがあんたくらいだったんだよ。説明した通り、自然な振る舞いを頼む」
軽音部の美雨軸先輩なら確実に協力してくれるだろうが、デートに誘う=告白の承諾になりかねない。
それに、ここで八尾木を頼ることに意味がある。
八尾木にこそこそと要望を伝えながら、別所の台詞を思い出す。
『いい? 明桜くんが餌になって犯人を釣り上げるの! 名付けて、鯛でエビを釣る作戦!!』
作戦の概要はこうだ。
まず俺が別所以外の女子とデートに行く約束を取り付ける。その情報を新聞部やその他の人間にさりげなく流布してもらう。そしてその様子を撮影しに来た犯人を潜伏した別所が直々に捕まえる。
そんな別所の意気揚々とした提案に乗ったのは他でもない俺である。可視化できないタイムリミットが刻一刻と迫る中で手段は選んでいられない。
とにかく俺は普通のデートをすれば良いらしい。とはいえ常に別所に監視されながらするデートなど気が散って仕方がないのだが。
「演技とはいえデートはデートだ。そのためにわざわざ部活までサボったのだから、さぞ楽しませてくれるのだろう」
嫌な期待だ。
デートの経験が無いわけではない。むしろ女の子と二人で遊ぶことは多い方だと思う。
しかし、そういう子達はあくまでもデートを楽しむことではなく、俺の隣を歩くことに重きを置いている。だからそれほどデートのクオリティーには拘っていないのだが、八尾木はそうでは無い。
別に俺に惚れちゃいないと、目が物語っている。正直変態に好かれても困るのだが、今回ばかりは俺を好いていてくれた方が楽だった。
「期待してるぞ、鏡谷くん」
無下着系女子とのデート、スタート。