Record5:本命の悪意
デジャヴ。そんな言葉がある。響きが何となく格好良くて、是非とも積極的に口にしたい単語。高二にもなって何を馬鹿なことを考えているのだと、周囲の人間が知れば鼻で笑うだろう。
さあ、笑ってくれ。これ以上の言葉が見つからない俺の事を。
「──デジャヴだ」
校内の掲示板に貼り付けられた数枚の写真とそれに集る蝿のような生徒達を見て、昨日の見たはずの光景を思い出した。
生徒達に紛れて、またしても昨日見た覚えのある人物の姿が見えた。
「丹生!! またあんたの仕業かっ!!」
新聞部部長、丹生。昨日、俺と別所のスクープ記事を書いて公表した張本人だ。
思わず掴みかかりそうな勢いで詰め寄ってしまい、丹生先輩は畏怖するかのように仰け反った。
「待て待て、今回の件は新聞部は関与してねえよ!! やるなら記事として文章も添えるし、写真だけ貼るなんて雑な真似、新聞部部長の名が廃るだろうが!! なによりあんな写真、立場上公開できるわけないだろ!?」
丹生先輩の主張はもっともだった。なぜなら掲示板に貼り付けられた写真の一枚は、俺が新聞部員であり実質的な新聞部の支配者、双葉四迷の胸の脂肪を鷲掴みにしている写真だったからである。
こんなものを全校生徒に公開してしまえば丹生先輩の命は無い。それ以前に倫理の問題だが。
「──すみません。俺の早とちりでした」
疑われる方も悪い、なんて事はない。証拠以前に考えることを放棄していた自分を恥じた。そして、俺も丹生先輩と同じ穴の狢、彼を責める権利などあるはずなかった。
「なに、気にすんな。メイから事情は聞いてる。昨日のことは────そうだな、悪かったと思ってるよ」
丹生先輩は謝ることに慣れていないのか、照れ臭そうに後頭部を掻いている。
俺も新聞部の部室を滅茶苦茶にした件で謝るべきなのだが、今そのことを掘り返すと丹生先輩の機嫌が悪くなるだろう。だから今は心の中でだけ謝罪させて頂こう。申し訳ございませんでした。
「記事に関しては事故ですから、仕方ないですよ。それより──」
問題は繰り返された悪意である。俺たちに対する継続的な攻撃意志が顕著に表れている。つまり、この攻撃はこちらが白旗を掲げるまで続く可能性が高い。
さらに言えば、被害が生徒会外部の人間にまで及んでいる。
いよいよ笑って見過ごすことも出来なくなってきたという訳だ。初めから笑っちゃいないけれど。
「すみません、ちょっとお先に失礼します!」
人と人の隙間を縫いながら丹生先輩の元を去った。
一刻も早く、この事件の犯人である式島美崎を止めなければならない。そのためには多少強引でも本人から話を聞くべきだ。別所には悪いが独断で動かせてもらおう。
靴を上履きに履き替えて階段を二段飛ばしで駆け上がる。鞄の肩紐が何度も宙に浮いては俺の心へと強くのしかかる。
式島の暴挙を止めるなどと息巻いたものの、生憎彼女の所在など二年であること以外は微塵も知らない。別所に所属クラスくらいは聞いておくべきだった。おかげでしらみ潰しに探していく他ない。
まずはA組。始業の時間まで二十分ほどの余裕があるため、教室内の人数はひと目で数え切れる程だった。
開きっぱなしの扉を潜り、十分な声量を用いて言葉を発した。
「すまない、このクラスに式島美崎という女子はいるか!?」
一斉にこちらを向く生徒達にほんの少し萎縮しそうになるが、必要な行為だったと割り切るしかない。
その中の男子生徒の内一人が無言のまま俺の側へと、気味の悪い早歩きで向かってきた。
「鏡谷だな。おまえさぁ、俺たちのべしょりんだけじゃなく、他の女子達にも手ぇ出してんだろ? そんな奴に人の情報なんて軽々しく渡せるわけねぇだろ!!」
勝手にヒートアップするな。急いでいる身としてはこういうねちっこそうな人間と会話したくない。
「誰だか知らんが怒りをぶつけたいだけなら後にしてくれ。俺は急いでるんだよ。他人の嫉妬に構っている余裕はないんだ」
端的に会話をお断りする。どうやら教室内に式島はいないらしい。出来ればどのクラスに所属しているかくらいの情報は聞き出したかったのだが、お怒りの彼のせいで質問出来る空気では無い。
「なんで今の文脈で嫉妬になんだよ!! おちょくってんのか!?」
そりゃあ、俺に怒鳴りつけるような男は大抵そうだからな。今までの人生で培った経験がそうだと言っているのだ。その大半が自覚無しだというのが厄介なのだが。
「落ち着け。あんたが女の子に相手にして貰えないことと俺がイケメンで優秀なことは別問題だ。俺に当たり散らかしたところで何も解決しないぞ」
俺は優しく諭す。あの鏡谷明桜から直々に教え導かれるなんて、羨ましい奴だ。俺だって俺に諭されたい。
そんな好待遇にも関わらず、彼はより機嫌を悪くしたようで、眉間のしわが段々と深くなっていく。
「ふざっけん……なっ!!」
彼は拳を振り上げた。どうやら図星だったらしい。
拳が俺の顔面を目掛けて飛んでくる。この男、国宝を傷つける気か。暴力に訴えてくることは想定外だ、反応が遅れたせいで躱せはしない。背に腹はかえられない、腕で受けるか。
両腕で十字を作るようにして盾にする。覚悟していたが、彼のその拳は第三者の手のひらで受け止められた。
俺の後方から伸びてきた誰かの細い腕。
「明桜、その無意識的に人を煽る癖はトラブルの元だ。早めに直した方が身のためだよ」
米白が切り忘れたラジオのように講釈を垂れ流しながら現れた。
「俺にそんな悪癖は無い。全ては真っ当な善意だ」
そんな善意に過剰反応する輩に問題がある、そうは思わないか。
米白は拳を受けた手のひらをブンブンと振る。それなりに痛かったらしい。
「うっ、米白かよ……」
男子生徒はあたかも妖怪の類いに遭遇したかのように上体を後方へ倒した。
「そうだよ米白だよ。しかしまぁ、ボクの明桜の、しかもご尊顔に暴力を振るおうなんて一体どういう了見なのかな?」
米白の言葉の弾幕が男子生徒に降りかかる。何だか聞き捨てならない言葉が聞こえた気がするのだが。
「いつから俺はおまえのモノになった。俺は俺のだ」
「キミは二年A組出席番号十四番津上奨野球部所属でポジションは遊撃手八番バッター昨年五月二十日に先輩である安藤杏菜さんに告白、人生初の彼女が出来たものの三ヶ月目にして破局、理由は安藤さんがキミ以外のとある男子に恋心を抱いたことでそれ以降キミはそのとある男子に猛烈な敵対心を持ちありもしない噂を流すなどの陰湿な嫌がらせを行っているね。しかし噂を広めようとすると何故だか自身の友人が減っていき、挙句の果てには────」
米白は早口で捲し立てて、眼前の男子生徒を完全に自分の世界へと誘おうとしている。
男子生徒はだんだんと顔が青ざめて、恐怖を体現したように立ちすくんでいる。なるほど、米白を妖怪と呼んだことはあながち間違っていなかったな。
「おい米白、戻ってこい、その辺にしておけ」
米白の肩を掴み、トリップしていたところを引き戻す。
「ちょっと明桜、あと二十分は彼について語れるのに」
二十分経ったら授業なんだよ。
友人でもない、たかが生徒Bにそこまで語れる余地があるのか。全くもって感心はしない。
「一体誰からその話を聞きやがっ──」
「さあね。さて、続きはまだ大事に取っておくとして、どう? 津上くんはまだ明桜に突っかかる気かな?」
米白は怒れる男子生徒の勝手な発声を許さない。あくまでも話の主導権はこちら側にあると主張するように。
「……カスがっ」
米白に対する捨て台詞として、ある意味では満点である。
男子生徒は俺たちの真横を通って廊下に消えていった。今回ばかりは相手が悪かったな。だが同情はしない。
「カスだなんて酷いね。まるでボクが悪者みたいじゃないか」
米白は捨て台詞に不満を零しているが、事実脅迫まがいの卑劣なやり方を実行したのは米白の方である。そこに至るまでの過程を考慮しなければ、ただの変態気質な粕だ。
いや、そんなことはどうでも良くて。
「米白、どうせおまえならわかるだろ。式島って女子は何組にいる?」
「勿論把握しているよ。式島さんならE組だよ。多分今も教室にいるんじゃないかな? 彼女らしい声がさっき聴こえたからね」
何故声が聞こえただけで個人名まで特定出来てしまうのか。気持ち悪いな。
「気持ち悪いなんて心外だよ。人よりほんの少し記憶力が良いだけ」
「気を遣って口にしてないんだから心を読むな。まあなんだ、サンキュ、行くわ」
俺はその場で回れ右をして廊下に駆け出す。
「廊下は走ると危ないよー」
米白の注意も無視して長い廊下を走る。窓から差し込んだ光がチカチカと視界を遮る。
「いい加減白状しなさい!!」
廊下に大きな女性の怒号が響いた。E組の教室からだ。
流石に只事では無いと瞬時にわかる。
開きっぱなしの扉から教室に入ると、そこには式島胸ぐらを掴む、どこか見覚えのある女子生徒。その隣ではそれを制止する水泳部部長の八尾木の姿があった。
「ユカ、それ以上はもう……」
「ナナコは黙ってて!!」
ああ、思い出した。あの胸ぐらを掴んでいる生徒は水泳部の子だ。確か式島と喧嘩してたよな。
そしてそのお怒りのユカに対して八尾木は為す術無しか。
先程の男子生徒といい、この学校は偏差値が高い割に暴力的な人間が多いらしい。勉学によるストレスだろうか。
兎にも角にも、このままにしておいてはヒートアップしかねない。特にユカという生徒は先日も式島に暴力を振るっている。時間の問題だ。
外交モード、起動。
「その辺でストップしておくべきだ。それより何があったのか俺にも聞かせてくれないかな」
爽やかで物腰柔らかな姿勢。完璧な立ち振る舞いだ。
パーフェクトな俺の姿に、教室の人間全ての視線が釘付けになっている。気がする。
「鏡谷くん!?」
ユカは予期せぬ俺の登場に驚いたのか、はたまた他の要因があったのか、直ぐに式島から手を離した。
式島は放り出されて、床へ尻から着地をした。
「あなたが一体何の用ですか」
式島は無様に転げたままこちらを睨む。相変わらず真面目が服を着たような話し方で、思わず俺の背筋も伸びてしまう。
何の用も何も、式島自身が一番わかっているはずだが。
式島の声が再び火を着けたのか、ユカは親の仇と相対したかのような目で見下して叫んだ。
「とぼけないで!! そうやって白々しい態度で誤魔化せるとでも思ってるの!?」
ユカが力に任せて机を殴る。まるでシンクに重い何かを落とした時のような、そんな鈍く響く音がした。どちらかと言えば手の方を痛めていそうな音だった。
どろりとした粘着質な雰囲気が漂う。俺が来るまでの間にユカと式島の二人がどんな会話をしていたのか知らないが、少なくともとっくに冷静さを取り戻せるフェーズは過ぎ去っていたらしい。
「私は鏡谷さんに聞いているんです! ミサキには聞いていません!」
式島も式島だ。感情的に言い返すから互いが互いを煽情するのだ。これでは俺が話したいことにありつける気もしない。
この貴重な発言権を有効に行使しなければ。
「まず私の質問に正直に、目を見て答えてからそういうことは言ったらどう!? べしょりんや鏡谷くんの写真の犯人、あんたなんでしょ!?」
俺の発言権は数秒も保たずにユカに横取りされました。ずっとノット俺のターン。
だが、俺が発言するまでもなさそうだ。やはり二人が言い争っていたのは昨日、そして今朝の写真についてだった。そして、ユカは思っていた以上に物事の核心にまで迫っている。
式嶋は苦虫を噛み潰したような表情でゆっくりと立ち上がった。
「──知らないって言ってるでしょう。部長、ユカを連れて帰ってください」
「シラを切るのも大概に──」
ユカは式島に詰め寄ろうと一歩踏み出す。
危機を察した八尾木がユカの右腕を掴んだ。
「ナナコっ!!」
「部長命令だ……今すぐ、私と一緒に教室に戻れ……」
八尾木は酷く疲弊した表情を浮かべていた。彼女には既に何が正解かわからないのだろう。だから憤慨しているユカをこの場から連れ出すという、至ってシンプルな答えしか出せなかったのだ。
「都合の悪い時だけ部長部長って……それなら部長らしく責任をっ」
ユカがその続きを言いかけた時、俺は彼女の口を手で覆って言葉を遮った。
ユカは背後にいる俺を視認しては、顔を熱く、赤くした。
「ユカちゃん、ここは俺に免じて退いてくれないか」
彼女の口を閉じたまま、ひっそりと耳打ちする。ユカは火照った体を震わせながら、小さく頷いた。
名前呼びと『ちゃん』付け、これに勝る破壊力はそうそう無いだろう。苗字を知らなかっただけとも言えるが。
それを確認し、俺が手を離すと彼女は床にぺたんと座り込んでしまった。
「八尾木、この子を頼む」
「わ、わかった。後は任せたよ」
八尾木はユカを担ぎ、E組を去っていった。
ようやく式島と二人で会話が出来る。それには注目を浴びすぎてしまったが、仕方ないと割り切るほかない。
「あなた、本当に女の敵なんですね。次はユカまでも手中に落とすおつもりですか」
式島は制服に着いた埃を手で払い、自身の席だと思われる椅子に座った。
「俺は俺の味方だけど、誰かの敵になんてなった覚えは無いよ」
俺は式島の正面の席に座り、脚を開いて式島の方へ向き直す。背もたれに腕を乗せ、頬杖を着く。
「さあ、対話を始めようか」
制限時間は十分程度。余裕があるとは言えない。簡潔な話し合いにしなければ収穫は無いだろう。
「別に私はあなたに話すことなんてありませんが」
式島はあからさまに冷たい態度をとる。その冷ややかな視線に心臓がキュッと縮む。
いけない、あいてのペースに呑まれるな。
「昨日新聞部に行った。別所と一緒にね」
式島の眉がぴくりと動いた。
「だから、何ですか」
式島はわかった上で意地になっているのか、自ら核心に触れようとはしない。
「わからないのか。今が引き返す最後のチャンスだってことが」
水泳部は別所を慕う人間ばかりだ。そんな中式島は意図的に別所の評判を下げるような行いをした。その目的が何であれ、式島が許されるとは到底思えない。つまり、このまま事態が明るみに出れば、水泳部内に式島の居場所は無い。それどころか、学校全体の反感を買うことだって考えられる。
式島だってそんなことを望んじゃいないはずだ。
「──脅しですか」
式島は底の見えないようなため息をつく。
「いいや、交渉だ」
あくまでも対等な関係。利害の一致。それだけの話だ。
しかし、その実質まで理解しているのならば話は早い。
「今後生徒会──もとい俺にちょっかいをかけないと約束してくれるなら、キミのしたことは水に流す。水泳部員にも上手く口裏を合わせる、どうだ」
お互い悪い話ではないはずだ。消耗し合うよりはここで手打ちにするのが賢明な判断だろう。
「それを呑んだとして、私の目的は達成されないことになりますが」
俺の提案に式島は不満気である。当然だ。ここで式島が引き下がったなら、彼女はただ無意味に身を削っただけの事になる。
受け入れたくないのも当然だ。だが、それ以上に。
「その目的ってのが初っ端からおかしいんだよ」
品の無い我儘は訂正してやらなければならない。
式島は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をする。
「別所を水泳部に引き留めたいって気持ちはわかる。それが水泳部のためなのかもしれない。別所のためなのかもしれない。でもそれは、キミ……いや、あんたらのエゴってやつだろ」
「エゴですって!? べしょりんは一度部長を引き受けた!! 彼女には負うべき責任がっ!!」
勢いよく式島が椅子から立ち上がる。ガシャンと金属が鳴く耳障りな音を立てながら、椅子が倒れた。冷静さを欠いて、汗を垂らしている。
「おいやめろ、周りに聴こえるのは良くない。あとな、別所が部長をやめることと水泳部が活気を失うことは別問題だろ」
別所は部長という役割を放り出した。それは違いない。だが、それを糾弾するのであれば然るべき理由を持つべきだ。少なくとも、水泳部員のやる気や仲違いの理由に別所を使うのは狡い。
「──っ」
式島は不服ながらも言い返せず下唇を噛んでいる。もう一押しだ。
「それでも別所に責任を取らせたいって言うんなら、こんな回りくどいやり方じゃなく本人と直接話し合うべきだ」
「…………」
式島は黙りこくって俯いている。その沈黙の意味を俺は知らない。やはり腑に落ちないのか、それとも納得せざるを得ないのか。
とにかく俺が今言ってやれることはこれくらいしかない。それに、水泳部の問題の核は彼女でなく、別の人物にある。
「正直なところ、俺も別所に思うところがないわけじゃないんだ。だから、その点については任せてくれ。鏡谷明桜の名にかけてどうにかする」
「──わかりました。信じます。私はもうあなた達の関係には触れません」
渋々俺の提案を呑んでくれたらしい。
タイミングを見計らったかのように始業五分前の予鈴が鳴った。
「ありがとう。でも、メイさん──新聞部の先輩には謝っておいた方がいいと思うぞ」
そんなことを言ったものの、真に謝るべきは俺の方かもしれないが。全ての片がついた後、菓子折でも持って改めて謝罪に向かおう。
「じゃあ俺は自分の教室に戻る。じゃあな」
ひらひらと手を振って人の溢れる廊下へと歩いた。皆俺を避ける。普段から女子は道を空けてくれるのだが、今ばかりはそうもポジティブでない道が俺の為に出来ていた。
辛い。
「ここのナ行変格活用はー、死なー、死にー、死ぬー、死ぬるー、死ぬれー、死ねー、ですねー」
四限目。退屈な授業だ。
国語科担当の川本先生の授業は、この志嶺高校という空間においては異様なまでに易しい。俺からすればほとんどの授業は易しいのだが、この授業に関してはレベルが違う。
加えて、齢五十過ぎの温厚な女性の声色は独特の落ち着きがあり、例えるなら子守唄。初夏のぽかぽかとした日差しが差し込むこともあってか、他の授業なら有り得ないことに、既にクラスメイトの二割は夢の世界へと足を踏み入れている。
かくいう俺も先程から欠伸を繰り返しているのだが。
「ではー、この問題をー、改藤くーん」
川本先生が一人の生徒を指名したと同時に、教室の扉が開かれた。
「明桜くん! 今すぐ来てくれない!?」
嫌です。
なんとなくそんな予感はしていた。授業中にも関わらずノックもしない不躾さは心当たりがあった。
「煩いし五月蝿い。授業中だぞ、川本先生と改藤と俺に謝れ」
「ヨーコちゃん、イツキくん、ごめん! ちょっと明桜くん借りていくね!」
俺でも知らん先生と改藤の名前を出すな。あと俺はスルーか。
別所は軽快なステップで窓際の俺へと近づき、右腕を掴む。
「おい待てなんでもありかよ。せめて事情を説明するとか──」
「明桜着いて行ってあげなよ。どうせ授業に出たってろくにノートも取らないんだからさ」
廊下側遠方の席の米白が余計なフォローをする。
ほら、川本先生が本音を誤魔化すかのように苦笑いしている。おまえのせいだぞ米白。
「悪いけど急ぎだから悠長なこと言ってられないの!!
ほら! 授業も再開できないから!!」
別所はより一層強い力で俺の腕を引っ張り、連行されるような形で俺は椅子から引き剥がされた。
「授業が止まったのはおまえのせいだろーがっ!!」
そんな正当性しかない反論も虚しく宙へと消えていく。米白に手を振られながら、廊下へと引き摺り出されるのだった。
「授業中だというのに、呼び出してすまないね」
理事長はまるで魔王のような佇まいで自身の特等席に腰をかけた。
しかしまさか連行先が理事長室だとは思わなかった。
この部屋に来るのは初めてではないものの、それなりに緊張する。正面の壁に掛けられた扁額の『奔放』の文字が獲物を見つけた鷹のように俺を見下している。
「鏡谷くん、そう硬くならなくていい。ほら、人の上に立つ者に笑顔は必要不可欠だよ」
理事長はそう言って自身の口の両端をぐいっと指でつり上げた。
相変わらず血の通っていない笑顔である。
それを見てにこやかに振る舞える訳もなく、ただ乾いた笑いを漏らすことしか出来なかった。
「ねぇそろそろ本題に入らない? 先生も暇じゃないんでしょ?」
別所はいつも通りの業務用のコスパが良い笑顔を提供している。理事長に対して一切物怖じしないのは踏んできた場数の差か。
「そうだね。呼びつけておいて雑談に興じるというのも失礼な話だ」
理事長は椅子を正面へと正すと、机の上の茶封筒から一枚の写真を取り出した。
やはり、この事か。
さて、どう言い訳すべきだろうか。
別所との接吻も、メイさんとの接触事故も捉えようによっては不純異性交遊だ。それらの疑惑が上がったタイミングでの呼び出し。
指導か、停学か、もしや退学か?
あらゆる可能性を想像すればするほどに顔が強ばる。一発で退学なんてことは有り得ない。わかってはいるが、脳にチラつく。そこまでの処罰でなくとも、想像出来る内の殆どは推薦を狙う俺にとっては手痛いものだ。
「これが一時間ほど前に扉に挟み込まれていたんだよ」
理事長は写真を摘んでこちらへと見せつけた。
どうせ今朝と同じ写真だと思っていた。
「な、なにこれ?」
別所は目を丸くしてその写真を見つめていた。俺は言葉が見当たらない。
なんだこれは。
その写真には、俺と中等部の制服を着た女子生徒が夜のホテルへと足を運ぶ姿が激写されていた。
当然こんなこと身に覚えは無い。フェイクだ。
犯人は誰だ。式島か? いや、違う。この写真が投函されたのは一時間前、つまり一限目から二限目の間だ。
式島はこれ以上俺達に攻撃することは無いと言った。そう、「式島は」。
考えてみれば最初からおかしかった。式島は演劇部の公演時、教室には居なかった。俺と別所の接吻の瞬間なんて撮れるはずがない。
「明桜くん────!」
不安そうな顔で別所は俺へと視線を移した。
信用していないのか? 当然と言えば当然か。知り合ってからたった二日程度の仲だ。
しかし不思議だ。割り切っているつもりが、少し悲しくなる。
落ち着け。はっきりした問題が一つあるだろう。
今回の騒動の根本にいるのは式島じゃなかった。
本命の悪意は────別にいる。