Record3:情報に踊らされているのか、俺たちが勝手に踊っているだけなのか。
湿った土の匂いと、やけにうるさい雀の鳴き声で目が覚める。あまりにも強すぎる睡魔に二度寝を提案されるが、多分そんな時間は無い。アラームを事前に切り、ベッドから転がるように這い出る。
眠い。それ以上の思考がままならないが、それでも洗顔と歯磨きは欠かさない。本能に近しいんだろう。
顔を洗ったとて眠気は未だ目の奥を散歩している。
誰もいない静かな台所に向かい、オーブンに食パンを突っ込む。
おかずは……いいや、今日は作らなくて。
焼き上がりを報せる音を聞くと食欲が湧いてくる。こんがりと焼きあがった食パンにバターを塗りたくり、そのままテーブルへと運ぶ。忘れてた、牛乳も。
テレビをつけるといつものニュース番組が放映中である。近年の我が家のテレビは音楽番組とこの朝のニュースを見るためだけの板と化している。
『今日の才能さんは〜この人ォ!』
妙に渋い声をした男性アナウンサー恒例のコーナーの掛け声の掛け声が耳に刺さる。
この人普段はもっと落ち着いた声色なんだけどな。なんでこのコーナーと歌う時だけはこんなに調子に乗るんだろうか。
ガラス製のコップに注いだ牛乳を一口飲む。
『やっほー! べしょりんだよー!!』
開いた幕から現れたのは見覚えのある容姿。頭に乗せた大きなメガネは他の誰とも見間違えようがない。
「んぶっ!?」
液晶の異様な光景に思わずむせ返った。生放送だよな、これ。なにこれ。なに、これ。
『バラエティー番組でもお馴染み、皆さんご存知のべしょりんですがァ、彼女は高校水泳でもその存在感を発揮しているんですねェ』
しかもお馴染みらしい。水泳の才能で地上波に現れた訳では無いのか。別所は結局何者なのか、こんなタイミングで謎が深まるとは思いもしなかった。
『そうなんだけど、アタシはもう引退しようかなって考えてるんだよね。最近生徒会長になったから忙しくなりそうで〜』
『おっとォ!? 衝撃の発表にスタジオがザワついてるぞォ!?』
普通のニュースが見たいよ、俺は。かといってチャンネルを変えるのも負けた気分になる。
パンを齧り、モチモチと咀嚼する。
そっかー、別所は水泳を辞める気なのかー。
マジか。
遠い。家から高校まで約三十分。徒歩では少し辛い。その分校門が見えてきただけで達成感が得られるのだが、そんなもの必要ない。
自転車通学にするべきだよなとは思いつつ、そのために必要な申請が面倒というだけでこの一年間徒歩で通学している。近々申請するか。
「明桜! 少しまずいことになった!」
校門を通過した矢先、米白が珍しく焦った顔で駆け寄ってきた。息を荒くして、汗を垂らす姿は体育の授業でも見たことのない光景だった。
「どうした、遂に」
「違うよ! 見ればわかる!」
俺の台詞が遮られた。俺にもボケさせてくれよ。せっかく面白いこと言おうと思ってたのに。
冗談はともかく、米白が俺に何も言わせないとは、それだけ切羽詰まっているということだ。
米白が走っていった先は、昇降口前の学内掲示板だった。随分と人だかりができているな。
なんだか嫌な予感がする。それに心做しかいつもよりも視線を感じる。
固唾を呑んで後方から掲示板を覗き込んだ。
『学年一の美男美女カップル爆誕!? 公然キッスの真相は!?』
偏差値三〇くらいの見出し文で、一体誰と誰の話を綴った記事なのかが瞬時に理解出来た。
小さな文字で書かれた本文はこの距離からでは読めないが、隣に印刷された接吻の瞬間を捉えた写真は確認できた。
「これまたベタな真似を……」
呆れる他ない。どこの暇人がこんなものを書いたんだ。
「昨日の演劇を見に来た新入生の中に新聞部の子がいたんだろうね。ボクとしたことが撮影に気づかないなんて、とんだ失態だ」
米白は額に手を当てて落ち込む素振りを見せる。
「起きたことは仕方ない。それにこういう噂は慣れたことだ。鏡谷明桜を舐めるな」
口では強がってみたがその実、本当にまずい状況にあることも理解していた。写真という決定的な証拠が上がっていること、そして現場を証言できる人間が複数人存在していること。
「明桜ならそう言うと思ったよ」
米白が思うほど気にしていないようで安心した。第一、米白が気に病む理由は無いからな。
例え演技であろうと俺と別所のキスが揺らぐことのない事実である以上は揉み消すことも出来ないだろう。
既に記事が何人の目に触れたかわからない。
掲示板から剥がすか? いや、それだとやましい事があると思われかねない。
「とにかく、この場は無視が最善だ。ほら、教室行くぞ」
「面目ないや」
はにかんだ米白を連れて教室へ向かう。道中何人もの生徒に声をかけられたが、急いでいると言って誤魔化した。というより、声をかけてきた人のほとんどから絶え間なく憎悪を込めた眼差しを向けられていたため、対話なんぞ怖くて出来やしなかった。
なんとか教室に到着し、自身の席にどさりと座り込む。
「はぁ……なんでこんなに朝から疲れなきゃならないんだ」
制服に熱が籠って暑い。若干汗ばんでいるのも感じる。
「ボクが新聞部に掛け合ってあの記事の内容を撤回してもらおうか。多分上手く話せば誤解は解けるよ」
米白の言う上手く話すとは限りなくグレーな手法を取るという意味合いだろうな。賄賂、強請り、その他諸々。
「なんか怖いから良いわ。それに、不自然に撤回させると生徒会からの圧力だと思われかねないしな」
それこそ取り返しがつかなくなるだろう。
ネクタイを緩め、襟の隙間からパタパタと下敷きで扇ぐ。
しかし記事を撤回させられないとなるとどうする。このままほとぼりが冷めるまで待つのも手だが、どう足掻いたって俺のイメージは損なわれる。別所だって、同じだ。
どうせ生徒会の仕事で呼び出されるだろうから、その時に色々話し合うか。
「鏡谷くん、少し良いかな」
背後から俺を呼ぶ女子の声がする。
また別所のファンか? それとも俺のファンか?
どちらにせよ今は煩わしい他ない。だが、相手が女子ならいくらでも追い払える。
「悪いけど俺、今は忙しいからさ。また後で──」
爽やかイケボと煌めき笑顔のダブルウェポンで追い払うつもりで振り返った。
「おや、意外だな。私にもそのような顔を向けてくれるとは」
いつぞやの素っ裸ド変態さんじゃないですか。いいえ、八尾木さんでした。
「あ、ナナコさん。おはよー」
「米白くんか。おはよう」
二人は当然のように知り合いらしい。相変わらず米白の知り合いの多さには脱帽する。
「八尾木。おまえって服着れたのな」
冗談めかして言ってみたが、一言目に選ぶべき言葉ではなかったような。だが仕方ない。初対面が裸だった以上、制服姿にさえ新鮮味を感じてしまうのだから。
「着たくないだけで着れない訳では無いからな」
八尾木は自慢気な態度で話すが、全くもって誇らしくないことを自覚して欲しい。それにシャツ第二ボタンまで外れている。男女差別ではないが女性がそこまで着崩すというのは如何なものか。
「それで、泣く子も黙る裸族の八尾木サマが何の用なんだ。俺結構切羽詰まってんだけど」
「それは私の台詞さ。朝から水泳部員からのメッセージ通知が止まらなくて困っている」
それは掲示板の記事についてだろうか。それともニュースでの別所の意思表明についてか。どちらにせよ八尾木にとっては立つ瀬がない思いだろう。
彼女は短い髪を指先でねじりながら目を泳がせた。
「聞きたいのはこの記事の真偽だ。どこまで本当で、どこまで嘘なのか。探るようで悪いが、これ以上の混乱は避けたいんだ」
そう言って彼女は記事のコピーを俺の眼前に差し出した。
「新聞部の子が校内で配り歩いていたよ。何のメリットがあるのかは知らないけれどね」
昨日の部活動体験会にて、学園のアイドルことべしょりんと志嶺一のイケメン鏡谷明桜の熱愛疑惑が──。
「もう読みたくない。米白、要約してくれ」
米白に記事をパスする。
「もう、明桜ったら。えーっと、べしょりんと明桜が公の場でキスを見せつけたことになってるね。演劇なんてワードは一切見当たらない。それに、べしょりんは明桜と二人きりの場を作る為に生徒会長になったんじゃないか、みたいな事も書いてあるね」
米白イズ便利。しかしよくもまあそんな適当な事を並べられたもんだな。
「今の話を聞くに、その写真は演劇での演出という認識で良いのかい?」
八尾木が中々に物わかりが良くて助かる。
「ああ、これは偏向報道だ。昨日言ったように俺は別所に恋愛感情なんて持っちゃいない」
「なるほど。しかし演劇で実際にキスなんて、高校生にしてはやりすぎではないか? べしょりんにも立場というものがあるだろう」
やりすぎだというのは同意見だ。リアリティの追求だとかフリではチープだからとか、そんなことはどうでもいい。事実こうやって変な噂が立つまでになっているではないか。
だが八尾木の意見の全てを肯定する訳にはいかない。
「それなんだが、アドリブでキスをねじ込んだのは別所なんだよ。だからその部分に関して俺からは何も言えない」
何より、別所は俺のミスのカバーの末にキスに辿り着いたのだ。今俺が別所の選択を責めるのは恩知らずであり筋違いというものだ。
「……そうか。べしょりんから、か……」
八尾木は神妙な顔つきで顎を撫でる。
「私は教室に戻るよ。べしょりんとはよく話し合った方がいい。そして私も……」
八尾木は百八十度回転し、俺に背を向け歩き出した。
別所と話し合った方が良いなんて、わざわざ言われずともわかっている。
「明桜、ナナコさんと何かあったのかい?」
「いや、俺が何かあったと言うよりな……」
八尾木が恐れていた事態が起こってしまったということだろう。こんな別所と俺の交際を匂わせる記事が大々的に出回ってしまっては、水泳部の活動に何らかの支障をきたす。
昨日見た部員たちの喧嘩の様子がその証拠ではないか。更に別所は水泳を辞める気なんだぞ。八尾木はその事を知らないのだろうが、地上波での発言である以上すぐに情報は散布されるだろう。
「どうにかしてやりたいけどな……」
考えることに疲れた俺は机に顔を伏せ、SHRの始まりを待つのだった。
地獄なんて生ぬるい表現では不相応なほどに、一日での疲れが尋常ではなかった。嫉妬と好奇の入り交じった視線が止むことはなく、メデューサの巣窟で生活している気分になった。
そうしてなんとか放課後という至福の時間にたどり着いたのだが、そんな時間も束の間だった。授業終了時刻から三十秒も経っていないというのにも関わらず、俺の携帯電話は振動し始めた。
俺はスリープモードになっていた携帯電話を起動し、画面に映った名前を見る。当然『べしょりん』の文字。電話でなくメッセージで連絡してきて欲しい。よって一旦切る。
『用件はなるべくメッセージで頼む』
別所に送信はしたが、絶対──再度、携帯電話が振動する。やっぱりな。
「あー、もしもし?」
観念して電話に出る。
「一回目で出てよ!! もう!!」
いまいち迫力のない怒声が飛ぶ。反射的に電話を耳に当てている右耳とは反対の左耳を指で塞ぐ。
「いや、わざわざ電話じゃなくてもいいだろ。どうせ生徒会業務のことだろ。それなら文章に残してくれた方があとから見返せるし合理的だ」
「そりゃまあそうだけど……でも切る事ないでしょ!」
一回出たら出たで絶対改善しないだろ。
「で、なんだ。生徒会室に行けばいいのか?」
「察しが良くて助かるー! じゃ、急ぎで来てね〜っ!」
その言葉を最後に一方的に通話を切られた。マイペースなやつだ。
しかし呑気な話し声だったな。もしかすると別所は記事のことを全く知らないのではないだろうか。いつ別所が学校に来たのかは知らないが、朝の生放送に出演していた以上遅刻してきた可能性は十分にある。
知らなければ俺が説明しなければいけないのか。俺と別所のキスが記事になっていて──なんてことを口にするのは精神的にハードルが高い。嫌だな。
これは杞憂だった。
「これから新聞部に突入する!!」
生徒会室に入っての第一声がこれだったのだから、今朝の事を知らぬはずがない。
生徒会長席でくつろぐ別所に焦りは見られないので、もしかすると今の言葉は聞き間違いだったのかもしれないな。新聞部じゃなくて新分布とか。
んなわけあるか。
「ちょっと待て、突入してどうする気だ? まさかだが、あのスクープの内容を撤回させる気か?」
「そんなわけないじゃん。そんなことをすれば確実にアタシ達はよりクロになるでしょ」
良かった。その点は別所も抜かりないらしい。
「まずは情報の出処を調べたいかな。一体情報提供者が誰なのか。もしかすると新聞部員じゃないかもしれないしね」
「そんなことをして何になる。悪意のある切り抜きをした張本人を吊し上げる気か?」
別所の提案はあまり合理的とは言えない。その行為は傍から見れば火消し行為と何ら変わりないのだ。それを新聞部に直接記事として取り上げられてしまいでもしたら。
「吊し上げ? あはは! しないしない! でも、情報を捻じ曲げた人がわかっていないと、同じ事がまた起こるかもしれないでしょ?」
別所は幼児のように生徒会長席の椅子に座りながらくるくると回る。
「それは根本的な解決になっていない。そもそも論だが、火のない所に煙は立たないもんだ。気をつけるべきは俺達の方だ」
「でも、明桜くんはあの記事を見て腹が立たなかったの?」
別所は回転する椅子を後方へ向いてピタリと止めた。
「急になんだ。やっぱり報復でも画策しているのか」
「アタシはムカついたよ」
俺が別所のこぼした言葉に感じたものは意外性であった。他者からの注目の的である別所は俺と同じように──いや、俺ですら悪意を向けられることには諦めがついている。
今更くだらない憤りなんて湧いてこない。一々反応するのは器の小さい人間だと自称するようなものだと自信に言い聞かせて来たのだ。
別所は俺とは違うのか。
「でもさ、この怒りとか苛立ちって誰に向けるのが正解なのかな? 新聞部? それとも米白くん? 演劇部?」
別所は頭上の大きなメガネを手に取って、高く掲げた。メガネを通して、窓の外をじっと覗いているようだ。
「アタシはこの苛立ちを向ける相手を間違えたくない。人を嫌いになるなら、きちんと理由を持って嫌いになりたいの」
俺の考えは浅はかだったのだと、別所のピンと伸びた小さな背を見て感じた。
俺が今回の記事に対して抱いた感情は決して「無」などでは無い。
いくらその姑息な行為に諦めがつこうとも、誰かの悪意をひしひしと感じていながら何も思わずいられるはずがない。
生まれた負の感情を全て自分の落ち度だなんて消化も出来ない。きっと俺はこのままだと新聞部を、なんとなく嫌いであり続ける。
俺が自省していると、別所は無言で立ち上がり大きく伸びをした。
「それじゃ、行こっか!」
本校舎の少し離れにある部室棟。細々とした部活動や同好会のほとんどはここに拠点を置いている。新聞部はその例の一つであり、一階の最端にその名の看板を吊るしている。
別所がリズム良くノックをすると、その扉は僅かに、ゆっくりと開いた。
「新聞なら間に合ってるんで、お引き取りをー」
謎の怪文と共に隙間からこちらを覗く宝玉のような瞳。禍々しさを孕んだそれに、俺は一歩後ずさりした。
声からして女子だろう。ホラー要素が強いよ。
「部長いる? べしょりんがやって来たよー」
扉の先の瞳と別所が見つめ合って約十秒が経過した。俺だけ世界がミュートされているのか。
「……丹生はどうやら忙しいそうなので、お引き取りください」
ああ、ちゃんと音が聞こえたよ。良かった。
丹生とやらが部長か。絶対ロクな奴じゃないんだろうな。
「……いるのね?」
別所は口角を上げた。とある四字熟語が脳裏によぎった後に、それは決行された。
「とりゃあ!!」
強行突破。別所は開いた扉の隙間にスライディングするように部室に入り込んだ。
俺は普通に無理矢理扉を開いて入る。別所が既にパワーで解決してるんだから、怒られるのは俺ではない。
「お邪魔しまーす」
おお、部室に紫色のカーペットが敷いてある。所々にインクのシミがあるのがいかにも新聞部だ。
「あっ、馬鹿、部外者を部室に入れるなって言ったろ!?」
パーマのかかった桃色の髪の男子が怒号と驚愕の合間のような声を張った。彼は何やら授業でも使う机に向かって必死にペンを動かしている。
部屋にはたった二人しか居なかったらしい。先程別所とやり取りしていた女子生徒は強行突破してきた別所に腰が抜けたのか床にへたり込んでいた。
「キミ、大丈夫かい? 怪我は?」
対他人用フェイスに切り替えて、彼女に手を差し伸べた。
「ああ、すみません。気を遣っていただいて」
彼女は素直に俺の手を取り、そのまま立ち上がった。
「おいメイ!! 作業の邪魔になるからそこの二人とも追い出してくれ!!」
引き続き部長と見られる男はペンを走らせながら言う。想像は着いていたが、どうやら俺たちは歓迎されていないらしい。
「ちょっと! アタシ達だって用があってきたんだから少しくらい取り合ってよね!!」
別所も別所でいきなり押しかけた身で図々しいよな。
「用事なんて大方予想が着いてる。だから事前に断ってるんだ。いくらべしょりんが相手でもな!」
丹生は荒々しい口調でコミュニケーションを拒否するが、別所の呼び方一つで急に幼稚に聞こえる。だから俺は絶対その名じゃ呼ばない。
別所が更に言い返そうとすると、俺の手を取った女子部員がいつの間にか丹生の背後に回っていた。
「あまり図に乗るんじゃ……」
彼女は平手を振り上げる。
「えっ、やめて、ストップ!?」
「ないっ!!」
俺の訴えも虚しく、丹生の頭部からパコンと空箱を叩いたような音が鳴った。一見すると大人しそうな女子だが、実に大胆な行動をする。俺は痛くないからいいけど。
「おい何故叩く! 痛いだろ!」
「自分で書いた記事でしょうが! 責任もって対応しなさい!」
ああ保護者だ。母親なんだ。
俺にはわかる。この部の実質的なトップは部長である丹生ではない。この女子だ。
「チッ……わかった、聞いてやるよ。ただし作業しながらな」
丹生は右手のペンを止める気は無いようだ。なお左手は痛む頭を押さえることで埋まっているらしい。
その態度に別所は若干不服そうだが、仕方ないと割り切って口を開いた。
「単刀直入にきくけど、例の記事の情報源はどこ?」
本当に単刀直入だな。ざっくりしすぎだ。
「今朝のか。守秘義務。はい、この話は終わりだ」
丹生はこちらに顔を上げることすらせず、乱雑に答えた。舐められてるなー。
「おいスバル、ちゃんと答えろ。次は拳だからな」
新聞部のトップ、恐ろしい。その握り拳が脅しの為だけに存在していることを切に願う。
「やめろ、すぐに暴力に頼るのは! それにだ、情報元は一般生徒だぞ!? こいつらが報復でも企てたらどう責任取るつもりだ!!」
丹生はようやくペンから手を離したかと思うと、すぐに防御の姿勢に入った。普段から力で制圧されていることを考えるといたたまれない気分になる。知ったこっちゃないけど。
女子は顎を人差し指で掻きながら考える。
「……確かに、それはそうだね。べしょりんはともかく、鏡谷くんはまだ信用に足るほどコミュニケーションを交わしていないからね」
出した結論がそれかよ。
もしかしてこれ、俺がいなければ個人名まで聞き出せるのでは。つまり俺は邪魔者──そんなわけは無い。いや、そんなことはあってはならない。かくなる上は。
「大丈夫だよ。今から仲良くなればいいだけだから。そうだ、名前を教えてよ」
虜にしてやる。このメルティ・フェイスが牙を剥くのだ。
「あ……申し遅れました。私、副部長の双葉四迷です。気軽にメイとお呼びください」
これは、ツッコミ待ちか。いや、本名だろうか。
俺が答えあぐねていると、メイは頬を緩ませ、声を漏らした。
「ふふ……そうですよね、初見の方はみんなその反応をします。母が二葉亭四迷のファンでして。父と結婚したのも苗字が二葉亭に似ていたからだとかなんとか」
どうやら本名らしい。本人は触れられることを拒むような態度ではなく安心した。
何せ二葉亭四迷の由来は「くたばってしまえ」なんて物騒な台詞だからな。普通意味を知っていれば、娘にそう名付けようなどとは思わない。
だが、ここは由来など知らないフリをしておこう。
「四迷なんて、可愛らしい名前じゃないですか。知的そうな第一印象ともぴったりですよ」
出まかせだけで会話を構築することには慣れている。
「いえいえ、知的だなんて滅相もない。私たち三年生だろうと生徒会の御二方には敵いませんよ」
あー、まずい。同学年だと思って滅茶苦茶フランクに話してた。つまり部長の丹生も三年生なんだろうな。今更態度は変えられないよな。このまま突っきるか。
「おい、オレは貴様の口説き文句を聞くために入室を許可したわけじゃねえんだぞ。用が済んだなら帰れ」
丹生……先輩がイライラしている。貧乏揺すりの振動が俺のハートに伝わってくる。流石に世間話に花を咲かせすぎたか。
「すみません、丹生先輩も口説かれたいですよね」
「貴様、次に口を開いたら万年筆で頬に風穴空けてやるからな」
冗談なのに、怖い。俺の顔に穴を開けるなんて、法が許さないだろう。文化財保護法ってのをご存知ないか。
「それじゃ、本題に戻りましょうか。別所、続きを……別所?」
別所が応答しないことに違和感を覚えて、隣を見る。
別所はそっぽを向くように、目を逸らした。
「関係ない話ばっかりして悪かったって。だからそう怒るな」
丹生先輩だけでなくおまえも怒るのか。全く世知辛い世の中になったもんだぜ。
「違うーっ! なんでこれでモテるのかなホント!」
「えっ、顔が良くて頭も良くて運動神経も良いからじゃないか?」
「もーっ!!」
牛じゃあるまいしそう鳴き喚くなよ。何を言ったって俺がモテる事実は変わりはしないし。
「あークソ!! 部室でイチャつくな!! 他所でやれ!! 帰れ!!」
丹生先輩は遂に堪忍袋の緒が切れてしまったらしく、俺と別所の二人を部屋から締め出してしまった。
ピシャリとしまった扉を背に、俺はため息をついた。
「結局情報元が一般生徒ってことしかわからなかったな」
「明桜くんが丹生先輩を怒らせたからだけどね!?」
何も言い返せないからやめろ。ずるいぞ。
「まあその情報が値千金だよ。新聞部はあくまで拡散に加担しただけってわかったからね。廃部は勘弁してあげよう」
「涼しい顔してそんなこと考えてたのかよ。学園のアイドルの本性が刹那見えたぞ」
こいつに権力を持たせたのは間違いだったと全校生徒が思い知る羽目にならなきゃいいが。
天井を仰ぎ、扉にもたれかかろうと背に体重をかける。そのたった数秒が、再度扉が開かれるタイミングと一致してしまった。
「すみません、もう少しお話を……!」
突然メイ先輩の声が首裏に衝突する。
地面との接点は両足の踵だけ。気づいた時には体勢を立て直す余裕もない。
「ちょっ……危なっ……」
そんな声を上げたってもう遅い。俺が倒れ込むと共にあたりが揺れた。音は無い。痛みもなかった。
見知らぬ、天井。
部室棟の天井ってこんなに白いんですね。あ、スプリンクラー付いてる。
「メイちゃん、明桜くん、大丈夫!?」
別所が駆け寄ってこちらを覗き込む。初めは心配そうに眉を下げていたのだが、段々とその表情は真顔になっていく。奇天烈なメガネと真顔の相性は最悪。特有のハイテンションがあってこそ騙せる格好だというのに。
待て待て、こんなこと考えてる場合じゃない。
「俺は怪我は無い、けどメイ先輩は?」
振り向くために床に手をついた。実にその床は柔らかかった。なるほど、俺が怪我をしなかった理由もよくわかる。
弾力というか、例えるならマシュマ────
「明桜くん、手。どこに置いてんの」
冷たい声。マシュマロに似た感触のするカーペットなんてあるかよ。
これは、触ってしまっただけだ。揉んではいない、よって事故。
必死に言い訳を考える俺の下ではメイ先輩が倒れ込んでいた。美しくしなやかな手で胸を押さえつけられながら。
視認して血の気が引いた。
「す、すみません! すぐに退きますっ」
慌てて後方へと跳ね退いたわけだが、次は別所に頭突きをかましてしまった。
「いたぁい!?」
「うあっ!? す、すまん!!」
「鏡谷くん、慌てすぎです!! 落ち着いてください!!」
「貴様ら机を揺らすな!!」
部室は完全にパニック状態だ。主に俺のせいで。
もう、全てがどうでも良くなってきた──。
「本当に、すみませんでした」
正面のソファに座る別所とメイ先輩を前に深々と頭を下げた。
「いえ、わざとではないんですからそう謝らなくても……」
優しいね、メイ先輩。
「……ポンコツ」
辛辣だね、別所。
度重なる事故により混乱に陥った俺を、二人は生徒会室まで連れ戻してくれたのである。
別所はぶつけた額を擦りながら、じっとりとした湿度高めの眼をこちらに向けている。
俺はただひたすら申し訳なさに身を削られる思いだった。
「まったく、メイちゃんの懐の深さに感謝しなよ?」
「面目ない……」
気まずい空気が漂う。仮にも生徒会外部の人間を招き入れているのに、この緊張の糸を解すことが出来ない。
そういえば別所はメイ先輩のことはメイちゃん呼びなのか。恐らく以前から面識はあるのだろうが、馴れ馴れしい呼び方である。
「普通彼女の目の前で他の女性の身体を触るようなことはしないでしょうからね。流石に事故だと思っていますよ」
メイ先輩はそう笑っているが、言葉の一端に違和感を覚える。
「彼女? 何の話だ」
「えっ、べしょりんと鏡谷くんは付き合っているという話では?」
揶揄っているのかとも考えたが、彼女の目に曇りは無い。新聞部である彼女も例外ではなくあの記事の内容を信じているようだった。
「断じて付き合ってなどいない。俺は彼女は作らない主義だ」
「今は、ね」
別所、黙れ。
メイ先輩は全く状況を呑み込めていない様子である。恐らく別所が余計なことを言ったからだ。
「えっと、つまり……べしょりんが……んー……?」
俯いてブツブツと何かを呟く様はスピリチュアルな何かを発していそうで──怖い。メイ先輩、普通に話している分には良い人なのに、急に雰囲気が豹変するのは何故なんだろうか。
「恐らく、新聞部に情報を提供した人物が間違った情報を織り交ぜたんだと思います。簡潔に言うと、あの写真は演劇中のワンシーンなんですよ」
「あ……ああ、なるほど! 演技だったんですね──あっ」
メイ先輩は会話の途中で何かに気付いたかと思うと、ソファから跳ねるように立ち上がり、あろう事かそのまま床に跪いた。
「この度は私たち新聞部がご迷惑をお掛けしてしまい大変申し訳ございません!!」
齢十六にして年上の女性の土下座を拝むことになるとは思わなかった。
「ちょ、ちょっとメイちゃん! やめてやめて!」
「何もメイ先輩が謝ることないですよ!」
別所と俺は反射的に立ち上がり、宥めるように言葉をかけた。
第一俺は彼女の胸を触ったという事実がある以上強く出られない立場なのだ。
メイ先輩は顔を上げ、泣きそうな顔で口を開いた。
「いえ、私たちがしっかり情報の裏取りをしておくべきだったんです。普段は確認しているんですけど……すみません……」
そんなに謝られると俺らも悪い気がしてくる。写真が捏造だった訳でもないからな。部分的に見れば事実とも言える。
「いや、ボロを出したアタシ達も悪かったから、そんな顔しない!」
こういう時に別所の無鉄砲な明るさは頼りになる。
「必ず記事の内容については訂正させますので……あっ、そうです! お詫びといってはなんですけど情報提供者の名前、私知ってるんですよ」
メイ先輩はゆっくりと立ち上がり、膝の埃を払った。
思わぬタイミングでの思わぬ収穫。つけ込むような形になったことは本意では無いが、念の為に聞いておいて損は無い。要はその人間への信用問題である。
「その方の名前は──」
メイ先輩が発した名前に、俺は即座に反応することは出来なかった。ただ、別所はその名前を聞いて苦虫を噛み潰したような、やるせない表情をしていた。