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Record2:志嶺高校は言わずもがな乱れている。

 半強制的に引き受けた生徒会活動第一日目、部活動体験の見回りという体裁で行われる挨拶運動。軽音部と演劇部というたった二つの部活動を訪れた段階でタイムリミットの半分が経過した。

 全ては別所の破天荒かつ奔放な善性のせいなのだが、当の彼女は焦りという焦りを見せていない。その様子を見た俺は、確かにいくつかの部に絞って挨拶に回るだけであれば、一時間という時間は十分なものだと高を括っていた。


 だが、俺は目の前の光景とふざけた台詞を耳にしてそれが無謀であると確信した。


「第二回、性癖王決定せええぇんっ!!」


 閑散とした教室と、黒板にでかでかと記された「性癖王決定戦」の文字。そしてそれを先導する男女二人。こんな部活、挨拶だけして帰るなんてこと出来そうにない。

 バラエティ番組の司会ばりのハイテンションで扉を開いたはずの別所も今となっては苦笑いで硬直している。これは俺から声をかけてやった方が良さそうだ。


「どーも、生徒会で……す……?」


 黒板の前で佇むメガネの男子と目が合った。先程性癖──なんとかと叫んでいた男だ。

 そして俺は酷く重いため息を吐いた。呆れというべきなのか、落胆というのか、とにかく複雑な感情を脇に挟んで。


「おお、久しぶりだなあ明桜。話すのは中学以来か」


性癖王宣言(アレ)を見たあとで久しぶりなんて呑気な返事が出来るはずねえよ、佐々木」


 先程公開セクハラとも言える発言を廊下に響き渡らせたのは俺の中学の同級生及びサッカー部員であった佐々木奏(ささきかなで)その人だった。どこか聞き覚えのある声だとは思っていたが、こんなところで再度巡り会うとは思わなかった。


「あれ、友達?」


 別所は怪訝そうな表情でこちらを見つめる。実際に友達かどうかは一旦置いておくとして、昼間から公の場で性癖について語ろうとする男と友達だと言っていいものだろうか。その、ブランディング的に。


「高校入学から一度たりとも話していない奴を友達と呼ぶのは少し厳しいかもしれないな」


 佐々木は志嶺高校の同級生で唯一出身中学が同じ生徒である。成績が特筆して良いわけではなかったが、記念受験のところをまぐれで合格したと小耳に挟んだ。普通当てずっぽうで受かるような試験内容ではなかったはずだが、目の前で制服を着て立っている、その事実が全てである。


「何が友達とは呼べない、だ。連絡先を一方的に消したのは明桜の方だろ」


 佐々木の反論に言葉が詰まる。確かに俺は中学卒業と同時に同級生の連絡先をオールデリートした。いや、正確に言えば一人を除いた全員だが、誤差の範疇ということで。


「明桜がこの高校にいるって聞いたからサッカー部を見に行ったんだけど何故かいないし。成り行きで文芸部に入って、部長にまで成り上がっちまった」


 どういう成り行きだよ。しかしサッカーはやめてしまったのか、勿体ない。他人の選択に口出しすることが余計なお世話だとはわかっているが、佐々木ならばこの高校でも余裕でレギュラーを狙えたはずだ。


「悪かったって。ほら、今交換しようぜ。アカウント作り直したんだ」


 俺は頭を掻きながらポケットの携帯電話を取り出す。電源を入れると、俺はメッセージアプリを開き、友人の追加画面へと移る。佐々木も同様の動作をし、専用のコードを読み取った。


「あっ、明桜くん、アタシとも交換しよ!」


 すかさず別所は無断で俺の液晶画面上のコードを読み取った。


「……絶対他人に俺の連絡先を渡すなよ。いいか、絶対にだからな」


 これほどまでに俺が念を押すのは中学時代の事件に起因する。クラスの大して仲良くもない男子と連絡先を交換した。確か数学だかなんだかを教えて欲しいとかで頼まれて、快く承諾した。しかしその男子は俺の連絡先を女子達に高値で売り始めた。

 当時の俺はトラブルを避けるため、女子に連絡先を渡さないと決めていたというのに、日に日に増える知らない女子から送られてくるメッセージに戦慄したことをよく覚えている。


「信用ないなあ…… 」


 別所は不貞腐れながらも俺の連絡先にスタンプを送り付けてきた。ヘンテコなメガネを頭にかけた女の子のスタンプ──自画像だな、これ。自分で描いたのだろうか。

 こうして俺の携帯電話の連絡先の数は二桁の大台へと踏み出した。


「佐々木ぃ、性癖王の続き……」


 生気のない声が佐々木の背中から聞こえた。いや、ワード的には性気はあるのだけれども──やかましいか。


 その声の主は佐々木の背中にのしかかり、全身を佐々木に委ねていたメガネの女子だった。メガネの奥にはうっすらと開いた目が見える。あまり女子の髪型には詳しく無いが、ショートのハーフアップと言うやつだろうか。なにはともあれ、外見は普遍的な女子である。異様なほどのメガネ率に肩身の狭ささえをも覚える。

 その女子と佐々木の近さは目を疑うほどにはなかなかセンシティブな距離感である。正確には距離感に驚いた訳ではなく、佐々木という人間への違和感に驚いた。


 佐々木は女子とはあまり話さないタイプだった。いや、女子に限らず友達が少なかっただけだと言っていい。基本的には静かで、周囲からは取っ付きにくいと評価されていた。

 それでも俺や他の部内の男子には表情豊かに話していたのだが。少なくとも女子とは事務的な会話以外しなかったはずだ。


「あ、ごめん。それじゃ明桜、僕ら性癖王決めなきゃだから」


「ストップ!! 色々待ってくんない!?」


 背後霊のような女子を引きずり、未知の世界へと帰ろうとする佐々木を、別所が呼び戻した。佐々木は嫌そうな顔を浮かべてUターンしてくる。


「なんだよ生徒会長さん。僕忙しいんだけど」


 別所に対してあからさまな悪態をつく人間を俺以外で初めて見た。佐々木が性欲に目覚めて変わってしまった訳ではなさそうで一安心だ──いや、むしろ不安だな。その方が生物学的には健全だ。冗談でも性癖王なんて言葉を叫ぶ男が別所に興味を示さないなんて、まさかとは思うが。


「まず部活動体験会なのに文芸部内に一年生が見つからないけど、どうしたの?」


 別所の好奇心からか、それとも生徒会の立場からかよくわからない質問が飛ぶ。


「別に、不人気なだけだよ。こんな何してるかもわからん部活に人が来るわけないしな」


 部長自らそんなこと言っていいんですか。しかしまあ、文芸部なんて存在を今日初めて知った俺からすれば佐々木の言うことは正しい。


「まあいいや、じゃあ二つ目。性癖王決定戦って何!?」


 別所が俺の気持ちも込みでツッコミを入れてくれた。性癖の王とはなんと不名誉な称号だろうか。


「その名の通り、性癖王を決める戦いだ。参加者は各々自分の性癖およびフェチシズムを曝け出し、最も共感を得られた者が性癖王になる」


 淡々と話す佐々木に対して吐きたい言葉は色々あるが、特に言いたいのは「おまえそんなキャラじゃなかっただろ」ってことだ。

 部内の低俗な下ネタに対して聞こえないふりをしていたあの頃の佐々木はどこにいったのか。もしかすると俺が知らないだけで中学時代から変化の兆しはあったのかもな。


「ちなみに考案者は吉田だ」


 佐々木は背中に憑いている──ああ失礼、覆いかぶさっている女子を親指で指さしてそう言った。彼女は吉田というらしい。恐らく佐々木を変えた立役者の一人なのだろう。


「新入生お断りの看板ぶら下げてるのと変わらないでしょ、それ! 三年生もいないし、本格的に文芸部は人を呼ばないとまずいよ!?」


 どうやら演劇部に続き文芸部も廃部の危機に瀕しているらしい。考えずともたった四人しかいなかった教室がそれを物語っているのだが。


「うるさいな、生徒会長さんには関係ないだろ。部長は僕なんだ」


「なっ、アタシは心配して……」


 佐々木と別所は不毛な言い争いを始めた。背に女子(おなご)を纏う変質者(メガネ)VSアホデカクソメガネの構図はハブとマングースの闘いを彷彿とさせる──わけもなく、ただ見苦しいだけである。


「明桜くんからも何か言ってよ!! 副会長でしょ!?」


 そして結局俺にしわ寄せが来る。別所が必死になる理由が俺にはわからないが、なんとなく不憫なので口添えしてやる事にした。


「佐々木、おまえの主義主張はともかくもう少し丸い話し方は出来ないのか。別所だって一応、多分、恐らく、十中八九善意で言ってるんだから」


 別所も別所で態度に「みんなアタシのこと大好きでしょう?」と言わんばかりの驕りが垣間見えるが、それを加味しても佐々木は冷た過ぎる。


「僕は今の文芸部を大事にしているのさ。そりゃあ来るものは拒まないけれど、自ら部員を増やそうだなんて思わない。それが会長殿の善意で曲げられちゃ困るな」


 とにかく口を出すなってことだな。恐らく何を言っても無駄だ。この学校には人の話を聞かない奴が多いらしい。


「佐々木くんの意思はよくわかったわ。生徒会長に喧嘩を売ったこと後悔しないようにね?」


 別所は一点の曇りどころか曇りだけを貼り付けたような笑顔を佐々木に向ける。佐々木は恐れをなしたのか大きく肩を震わせた。これからは別所が職権濫用しないよう監視が必要そうだ。


 そういえば、何故この部活に挨拶に来たんだろうか。人数も少ない、活動内容もふざけたこの文芸部に時間を割く理由がわからない。いつ廃部になるかもわからない文芸部(ここ)より、もっと人数の多い野球部だとかサッカー部に行った方が今後のためになるだろう。


「とにかく! この部もいつまで保つかわからないからね! 忠告したから!」


 別所は怒り心頭に発するかのような口振りで文芸部を去ろうとした。俺も後に続こうかと思っていたが、生気のない腑抜けた声が俺達の名前を呼んだ。


「鏡谷さん、べしょりんさん、折角ですし性癖王決定戦に参加していきませんかぁ……?」


「なっ……」


 悪魔の提案に佐々木が思わず声を漏らした。


「え、佐々木は嫌だった……?」


「いや、吉田がいいんならいいけどさ」


 まず吉田とやらは佐々木から降りろ。佐々木の背中の角度が段々とにゃんこ化している。

 俺は返答に困っていたが、先に別所が声を上げた。


「いいの? するする!」


「正気か!?」


 別所が己の性癖を曝け出すことを宣言した。冗談じみたノリに躊躇する俺がおかしいのだろうか。というか別所、おまえはさっきまで佐々木に敵意剥き出しだったのによくもまあ参加表明出来るな。


「明桜くんもやるよね? というかしなさい」


「いや、自分の性癖とか把握してないっての」


 半強制的に参加が決められそうになったが、根本的にゲームの参加権がないことをアピールする。


「あのー私、占い齧ってて性癖くらいなら見通せますよ」


 吉田が外堀を埋めてきた。占いなんて信じちゃいないが、都合が良すぎないか。性癖なんて深層心理に片足突っ込んでいることをそう簡単に当てられてたまるかよ。

 吉田はブレザーの胸ポケットをまさぐり、手のひらサイズの小さな水晶玉を取り出した。


「おい、背中にずっと硬いもんが当たってると思ったらそんなもん仕込んでたのか。痛かったんだぞ」


「当ててたんですよぉ」


 佐々木の不満に対し吉田はカウンターを決め込んだ。嘘、普通に嫌がらせの域である。当てるなら柔らかいものを当ててやれよ。何とは言わんが。

 吉田はようやく佐々木の背中にのしかかるのをやめて、近くの席に座る。スカートのポケットから取り出した厚手のハンカチの上に水晶玉を置き、表面を磨く。

 俺は佐々木に案内されるがままに吉田の正面の席に座り、水晶玉をじっと眺めた。後方から覗き込む別所の物珍しそうな顔が歪んで映る。


「左手の人差し指と中指、あと小指を水晶玉にくっつけてください」


 吉田の奇妙な支持に従うと、吉田は神妙な顔つきで水晶玉を覗いた。


「えっ、あっ、ひどぉ……」


 第一声が不穏すぎるだろ。もしかして、触れただけで何かわかったっていうのか?


「え、なに、俺の性癖ってそんな特殊なの? 危ない? (アブ)ノーマル?」


 自ら性癖という人間の深層部を探っておいて引くなんて人様の所業じゃない。鬼畜という言葉がお似合いだ。


「ああ、いえ、間違いでした。気にしないでください。それより色々見えたんで話していきますねぇ」


 間違いってことは無いだろう。吉田が何かを隠したことは俺から見ても、そして俺以外から見ても明白だった。


「まず鏡谷さん、相当ツンデレみたいですねぇ」


「なっ!?」


 お通し感覚で出していい情報じゃないだろ。


「えっ、明桜くんってツンデレなの!? だからアタシに強く当たるんだね〜?」


 ほーらすぐ別所が調子に乗る。俺が椅子に座っているのをいい事に頭をぽんぽんと叩いてくる。鬱陶しいことこの上ない。


「んなわけないだろ。俺は不満を素直に口に出している、ただそれだけだ」


 俺は頭の別所の手を振り払った。


「自覚がないタイプなんですね。いずれ苦労しますよぉ」


 勝手なこと言いやがって。まあこんなことで怒るほど俺の器は小さくない。所詮は占いだ。


「あとは、んーと、自分のことが大好きで仕方がない、モテることそのものに快楽を感じるが恋愛したい訳ではない、コンプレックスは少食……」


 なんだか流れが不穏になってきた。暑くもないのに額に汗が伝う。


「最近の悩みは勝手にモテるせいで温存している口説き文句が使えない……なんだか残念なんですねぇ、鏡谷さんって」


 俺は恥という会心の一撃を喰らった。あまりに具体的な話をするものだからバーナム効果だなんて誤魔化しは効かない。正真正銘彼女は俺が視えている。


「え、もしかして図星喰らっちゃった? バチあて?」


 別所も半信半疑ではあったのだろう。しかしそれも俺の様子を見て揺らぎつつある。


「では本題ですね。性癖なんですけどぉ……」


 俺の本性が晒される。占いがマジだとわかった今、その答えを聞くのが怖い。唾を飲み、吉田の手元をじっと見つめる。


「メガネですね」


「メガネ……?」


 メガネ。メガネって、今まさに吉田と佐々木の着けているそれか。いや、無いな。メガネに魅力を感じた覚えは無い。第一メガネは癖というより好きなタイプに近しいような気もする。わざわざやましい表現をしなくてもいいではないか。


「つ・ま・り、明桜くんはアタシに興奮して仕方ないってこと!?」


 別所が嬉々として口を挟む。


「普通のメガネを掛けてから言え。それに俺は別にメガネに惹かれたことはないぞ」


 別所がメガネキャラを名乗るのはメガネへの冒涜だろう。むしろ別所の場合はメガネがマイナスステータスになっている。


「あと自分では自分を(サディスト)と認識しているけれど、実は攻められる方が好き──黒髪ロングのメガネっ娘に半ば無理矢理押し倒されるシチュが好みみたいですよぉ」


「なんだそれ知らん知らん知らん!! そんな想像したことないが!?」


 吉田が俺のイメージをブチブチにぶっ壊しに来ている。占いが不確定要素を含むのをいい事にあることないこと言い放題だ。よりにもよってメガネだらけのこの場でそんなことを言うな。


「想像したことがなくても本能が望んでいるんですよぉ」


 吉田はゆったりと話す。彼女が俺の何を見たのか、考えたくもない。


「あー、明桜くんって実はむっつりなの……?」


「仕方ない、思春期ってそういうものらしいしな」


 ほんのり顔を赤くする別所と何か納得している佐々木。双方ともに神経を逆撫でする。


「あのなぁ、第一俺がむっつ……欲にまみれるようなことがあればいくらでも解消できんだよ! いくらでも女子引っ掛けられる自信がある!!」


 否定材料がこんなものしかなかった。想像するくらいなら相手を見つけて実行する。俺がイケメン故の結論である。


「つまり明桜は遊び人なんだな。今までに何人喰ったんだ」


 佐々木が曲解した。違う、実際にしていると言いたかった訳では無い。前提条件(むっつり)を覆してくれ。


「えっとぉ、不特定多数の人と遊ぶ人はちょっと仲良くしたくないですぅ」


 占いとやらが一体何を見せているのか俺には知る由もないが、吉田が非難するのは違うだろう。見るならちゃんと見ろよ。


「もう俺はいいっての! 次別所が見てもらえよ!」


 俺はとうとう嫌になって立ち上がり、次の生贄を差し出した。ここが占い部ではなく文芸部であることも、時間に追われていることも忘れて、ただ押し付けた。


「えー、アタシ結構ヒミツ多いんだけどなぁ……」


 俺と交代して席に着いた別所は占いが本気(ガチ)で当たると信じているようで、怖いだのブランディングがだのと愚痴をこぼしていた。


「あのぉ、べしょりんさん……」


 吉田が恐る恐ると言わんばかりの口調で話しかけた。


「ん? なぁに?」


 別所は己の武器である笑みを吉田に向けた。


「頭撫でてもいいですかぁ……?」


 脈絡のない頼みであった。もしかすると占いのための儀式なのかもしれない。そうでも思わないと吉田はギリギリ変態である。


「なんだかよくわからないけど、いいよ。トクベツだからね?」


 別所が吉田に向けて頭を下げる。吉田はただ無言で優しく頭部を撫でた。


「……何を見せられているんだ?」


「吉田はそういう子なんだよ」


 佐々木は説明になっていない説明をする。しばらくその光景を眺めていたが、次第に満足したのか吉田は撫でるその手を止めた。


「ありがとうございます、では占いますねぇ」


 なんだったんだ。

 俺と全く同じ工程を踏み、吉田は水晶玉と睨めっこを始めた。一件真剣そうにも見えるのだが、右手は何故か佐々木の頭の上にあった。無抵抗のまま撫でられる佐々木を見ていると、それも占いの作法なのかと錯覚しそうになる。


「見えてきましたぁ。えーと」


 別所は若干の警戒を抱えているようで、顎が引けている。


「あぁ良かったぁ、ちゃんと処女なんですねぇ」


 セクシュアルハラスメンツ。空気が凍ったのを肌で感じる。佐々木は言葉を失い、俺に目配せしている。早く何か言えと言わんばかりに。


「まあ高校生なら妥当だろ、たぶん」


 駄目だ、何を言っても地雷を踏み抜いている気がする。これもこれでセクハラだ。だがそんな俺の配慮は杞憂に終わる。


「アタシはアイドルだからね。純潔は守らないと」


 気にしないと言わんばかりに強気な態度を見せるが、頬どころか首までもが仄かに火照って真っ赤になっている。


「あ、でもキスは経験あるんですねぇ」


 吉田は残念そうに呟いた。なるほど、劇の演出のためにアドリブでキスするようなやつだ。別所は必要とあらばその程度の行為は拒まないのだろう。誰とでも()()女、別所。


「恋愛感情はないから安心して! 義務キスよ義務キス!」


 言い訳の方法が若い女優か風俗嬢にしか思えない。第三者からすれば恋愛感情の有無などさしたる問題では無いはずだが。


「あれ、でもキスの経験回数は一回だけでぇ……相手は……」


 吉田がそう言いかけたところで別所が飛びついて彼女の口を手で覆った。


「ちょーっと吉田ちゃん? アタシにもプライバシーってモノがあってぇ……」


 口角が上がりきらず中途半端な笑みを浮かべる別所の姿は中々に見苦しい。いや、それよりだ。

 今の吉田の占いが当たっているのであれば、別所は演劇部で交わした接吻(アレ)こそが別所の初キスということになる。いや、あれはノーカウントだったりするのか。確か別所も似たようなことを言っていたではないか。


「そっ、そうだ、ちょっと占って欲しいことがあるんだけどいいかな!?」


 別所は強引に話を逸らす。

 別所は俺たち男に聞こえないよう何か吉田に耳打ちすると、吉田はまた水晶を視始めた。気づけば俺も別所も、佐々木さえその吉田の挙動ひとつひとつに夢中になっている。

 吉田は占えたのか、一息ついてから椅子の背にもたれかかった。


「えっとぉ、卒業までにはかなり大きくなってるみたいですぅ、安心してくださぁい」


 佐々木はキョトンとした顔をしているが、俺は別所が何を聞いたのか即座に気付いた。


「身長、伸びるといいな」


 気付いていないという体でやり過ごすため、わざとらしく「身長」という言葉を強調した。まあ、わざわざ耳打ちするような内容で、大きい小さいの話をするとすれば、それはきっと()()だ。実際、別所の身長は特筆してまで低いわけじゃない。


「ああいえ、これ胸の話ですよぉ 」


 吉田のオブラートに包むことの無い一言によって俺の精一杯の気遣いは空へと旅立った。グッバイ。

 肝心の別所は俯いたまま小刻みに震えている。可哀想ではあるが、俺や佐々木がいる前でこんな質問をした別所も悪い。


「気にしてない……」


 別所が何かか細い声で呟いた。


「ん?」


 俺は疑問符を声に出した。


「胸は大きさじゃなくて柔らかさなんだからぁ!!」


 そんな捨て台詞と共に別所は立ち上がり廊下へと飛び出して行ってしまった。


「吉田、デリカシーは何処(いずこ)に?」


 佐々木はそう言うが、デリカシー云々の問題じゃない気もする。


「べしょりんさん可愛いのでぇ……キュートアグレッションってやつですよぉ」


 落ち着いた声色で何を言ってるんだこの人。あんたのキュートアグレッションなんてものじゃなく尊厳破壊の間違いではないか。


「追いかけなくていいのか、明桜」


 佐々木の視線は扉の向こう側を指している。そういえば別所がどこへ走っていったのかわからないではないか。一刻も早く追いかけなければ後から難癖をつけられかねない。


「邪魔して悪かったな、佐々木」


 そう後方に向かって言い残し、教室の扉をよそ見をしながら開いた。そのまま壁のようななにか──いや、人に衝突した。まるで銅像か地蔵にでも体当たりしたような気分だ。突然だったこともあり、俺は後ずさりしながらよろめいた。


「おや、これはこれは。新副生徒会長の鏡谷くんじゃないか」


 衝突した相手の顔を見上げ、俺は戦慄した。


「理事長……先生……」


 生来の仏頂面をギプスで矯正したかのような鉄の笑顔で見下ろしている。俺でも萎縮してしまう程の巨体、まるで機動する戦士のよう。


「そんなに怯えなくても。どうだい、副会長に任命された気分は」


 小動物と相対するかのような感覚で理事長は笑いかける。圧倒的な強者としての余裕。肌は齢四〇とは思えないというのに、貫禄については別の意味で齢四〇と思えない。


「っあー、正直乗り気では無いですね。ほら、別所さんと並ぶとどうしても比べられちゃうんで。見劣りするでしょう」


 仕方なく不慣れな謙遜をする。謙遜と言いつつ客観的に見れば一つの事実なのかもしれないが、プライドが肯定しない。

 理事長はそのまま教室に入り、開きっぱなしの扉を抑えるようにもたれかかる。


「そう思うのも無理はないね。今の鏡谷くんが真っ向から彼女と張り合えるのは──顔の良さくらいかな。あと筋力とかも」


 冗談なのか、真面目なのか。いずれにしろ人の心を忘れてきたに違いない。教育者としてあるまじき発言によって俺の自尊心は滅多刺しだ。


「きっと別所くんなら生徒会の仕事もほとんど一人でこなせるだろう。完璧にね」


 心無き発言に舌を噛み切ろうかと思った。いや駄目だ、俺の死は世界の損失だ。具体的にはなにがどう損なわれるのか、何一つ説明は出来ないが世の中突き詰めればそんなものだ。


「それでも私は鏡谷くんが必要だと思うよ。大人としての意見だ」


 良い感じに着地してるように聞こえるが納得がいかない。マイナスに対してプラスが曖昧すぎる。


「そりゃあどうも。俺は一層やる気が失せましたけどね」


 俺は不機嫌を声にした。


「第一私は君の全てを知っているわけじゃない。それと同様に、別所くんの全てを知っているわけじゃない。きっと彼女にだって弱さの一つや二つあるだろうし、鏡谷くんの強みは一つや二つじゃないだろう」


 本当にそうか? 別所に出来ないことが想像出来ない。彼女ならば英語どころかポルトガル語だって当然のように話し出しそうだ。いや、それは言い過ぎでも、きっと一週間あれば地球の真裏でホームステイを楽しめるくらいの言語レベルに到達してしまうだろう。なお、全てはイメージである。


「とにかく、私は君に期待しているんだよ。くれぐれも、裏切るような真似をしないようお願いします、ね」


 ゾッとするような締め方をしないで欲しい。心臓が夏の蝉のように五月蝿く鳴く羽目になる。


「おい明桜。話し込むのは良いけど、会長追わなくていいのか」


 佐々木が背後から近づき言った。不憫な別所のことを完全に忘れていた。しくじったな、近くにいない限りは見つけられる気がしない。


「ああ、そういえば。先程別所くんが屋内プールの方へ走って行くのが廊下の窓から見えたよ。いるならそこじゃないかな」


 どうやら理事長による目撃情報のおかげで探す手間は省けそうだ。しかしあの一瞬で屋外まで飛び出してしまうとは。足が早いと表現するのは適切なのだろうか。

 とにかくプールへと向かえば良いらしい。プールということは、水泳部の練習場所である。


「ところで、佐々木くん。黒板のソレは何かな?」


 理事長の言葉に、俺は危険を察知した。性癖王決定戦なんて馬鹿な真似をしていることがバレてしまったわけである。


「私が顧問をしている以上は廃部なんてことがあっちゃいけない。それはわかるね?」


 俺は静かに廊下へと脱出し、教室の扉を閉めた。扉が厚くて助かった。この先繰り広げられるかもしれない修羅場から目を、そして耳を逸らすことが出来るだろう。


 そういえば理事長は文芸部の顧問だったのか。道理で文芸部などという規模の小さな部を優先的に訪れたわけだ。

 そんなことを考えながら階段を一段飛ばしで駆け下り、靴箱へとたどり着く。アンティーク調の靴箱は、西洋風の造りであるこの校舎でも一際異彩を放っている。こうも大量に並んでいては希少性なんて無いのだろうけれど。自分の靴箱を開いてローファーへと履き替える。


 中庭を通過して、体育館横の屋内プールへと足を運ぶ。去年の体育では水泳を選択しなかったため、実際にここに来るのは初めてなのだが、慣れないためか妙に緊張してしまう。厚手のカーテンが入口の向こう側を遮断するように設置されているが、日光避けだろうか。中の様子はわからないが、とにかく入ってみる他ない。


「失礼しまーす……」


 扉とカーテンを避けた先は玄関ポーチになっており、計三つの扉が目に付いた。壁には「この先土足厳禁」の貼り紙と、チラシが画鋲で刺されたコルクボードがある。


 本校舎とはうってかわって金属製の安っぽい靴箱に脱いだ靴を放り込む。正面扉がプールに直通しており、右が男子更衣室、左が女子更衣室となっているようだが、着替える理由も着替えを覗く用事もないので──冗談だ。


 とにかく俺は正面扉をほんの少し開いて中の様子を伺うことにした。


 なんか、女子しか居ないな。男子がいればここに別所が来ていないか聞き出すつもりだったのだが。だがしかし、探している相手は別所であった。探すまでもなく見つけてしまうのである。


「残り三往復! またバタ足緩んでるよ!」


 本日何度目か、ため息が漏れた。熱心な指導者のその姿。ふざけたメガネと短い黒髪。ああ、あと貧乳って特徴もあったんだっけか。

 残念で品の無い事実確認はさておき、なぜ別所が水泳部の指導をしているんだ。あまりの身勝手さにため息どころか反吐が出そうだ。大体あと三十分で部活動体験時間は終わるというのに、すぐ寄り道をする。

 まだたった三つの部活動にしか挨拶していないというのに。


 しかし別所の姿はふざけているようには見えない。指導としては真剣らしいが、それはそれでタチが悪い。声が掛けにくくなるだろうが。


「変態か?」


「ひゃっ」


 びっくりした。突然声を掛けられたことと、その内容、コンボでびっくりした。


「俺は変態じゃねえ。イケメン──」


 そう言いながら振り向いた。俺は絶句した。

 全身ぐっしょりの女性が素っ裸でそこに棒立ちしていたからだった。色が抜けて茶色みがかった髪の毛を引っさげて、訝しげにこちらを見つめていた。


 目が合ってから、五秒ほどの沈黙をやり過ごした。その沈黙を打ち破ったのは女子の方からだった。


「……変態か?」


 先程とは言葉の重みが変わっている。彼女の肘から水滴が垂れ落ち、ぴちゃりと音を立てた。

 いくらカーテンで外からの視線がシャットダウンされていると言えど、公共通路でこの格好はまずいんじゃないだろうか。


「……少なくとも俺は露出狂では無いぞ」


「ふむ、つまり君は露出をしないタイプの変態なんだな」


 論点がおかしい。それに堂々と仁王立ちするな、恥ずかしくないのか。


「露出しないタイプの一般人だが!?」 


「ほう、奇遇だな。私は露出するタイプの一般人だ」


「そんな一般人がいてたまるか!」


 何故こうもこの高校は変人が多いんだろうか。仮にもエリートとして集められた人材のはずなのだが。


「何か君は勘違いをしているみたいだな。まるで露出が悪であるかのように言うではないか」


 悪かどうかは置いておいても正ではないだろう。いや、むしろ性だ。


「少なくとも社会性を有している人間のとる行動ではないだろ」


「君の言う社会性とやらの定義は知らないが、個の生物が自然状態を維持することを誰が咎められると言うんだい?」


「司法だろ!?」


 全裸の女子の主張は人間社会で生きてきたとは到底思えないのネジの外れっぷりで、怪しい宗教にでも感化されたのかとさえ思うほどだった。一体何教だよ。ああすまん、露出教か。


「話を戻そう。君が変態じゃないと主張するのなら、我が女子水泳部に何の用だい」


 なんとなく予想はついていたが、彼女は水泳部員らしい。こんな人に相談するのは気が引けるが、仕方ない。


「あー、用事ってのはだな──」


「すすすすとーっぷ!? 見ちゃダメぇ!?」


 言いかけたタイミングで背後から目を覆われる。眼前が暗闇に染まる。ああ、考えるまでもない。百パーセント別所だ。


「アホか、隠すべきは俺の目じゃなくこいつの裸体だろうが」


 別所の手を振りほどこうと腕を振り上げるが、別所の腕は固定されたかのように動かない。石──いや、岩。コンクリ。その細い腕にどれ程のパワーを蓄えているのか疑いたくなる。


「そういう問題じゃないって!! 女の子の裸だよ!? 目を逸らすべきでしょ!!」


 そんなことを言われても眼前で裸体を曝け出す女に会ったことなどあるはずないのだから、別所の語る一般常識など知る由もない。


「それより別所、おまえはおまえで何をやってるんだ。黙って飛び出されちゃ俺も困るだろうが」


「あぅ……それは、ごめん……」


 やけに素直に謝り、目隠しを解いた。変態こと全裸の女子はいつの間にやら体にタオルを巻いている。初めからそうしてくれ……いや、服を着ろ。


「知り合い……ということは、まさかこの人が鏡谷くんなのかい、べしょりん」


 まさかこの変態が、という意味が内包されていそうで嫌なんですが一体どうお考えでしょうか。


「そうだよ、そうそう。ほら、私に負けず劣らずの顔の出来でしょ?」


 俺の肩に手を置き、誇らしげにふんぞり返る別所だが、全くもって別所が威張る要素にはなり得ない。俺のかっこよさは俺だけのモノだ。

 全裸女子改めタオル女子は俺の顔をまじまじと見つめ、納得したように頷いた。


「なるほど、これはうちの部員たちが彼の名を出しては騒ぐわけだ」


「んで別所、これからどうするんだ。本格的に時間が足りないぞ」


 タオル女子による発言を華麗に無視し、別所に問う。実際運動部なんかは一つたりとも回れていない。初めから大した数は回れないと思っていたが、現時点で四つだけ。全体の五パーセントにも満たない。


「うーん、完全に優先順位間違えちゃった……まあいいや、今日じゃなくてもいずれ会う機会があるだろうしね」


 身も蓋もないなこいつ。今日の活動を全否定するかのようなことを言いやがって。顎に人差し指を当ててあざとさを匂わせたって俺には通じないからな。


「折角だし、水泳部を見て行ってはどうかな。私も部長として歓迎するよ」


 ド変態によるド級のカミングアウトが行われた。信じ難いことに、この頭のネジと良識のタガが外れた女子こそが水泳部を執り纏める(おさ)らしい。いやまあ、別所みたいな女が生徒会長になる高校なのだから、おかしな話ではないのかもしれない。


「そう言ってくれてるけど、明桜くんは……どうしたい?」


 別所は最終的な判断を俺に委ねた。別所のことだから、有無を言わせず直進するものだと思っていたが、今回に限ってはそうでも無いらしい。


「俺に聞かれてもな。第一別所はさっき顔合わせしたんだろ?」


 わざわざ改まって行くのもな。部外者である俺たちがそう何度も出入りするのは気が引ける。


「アタシじゃなくてメインは明桜くんなんだよ。第一アタシも水泳部員なのに今更挨拶も何もないもん」


「ん? 別所も水泳部なのか?」


 道理で部長も変なやつなわけだ。というのはさておき、そんな話全く知らなかった。いやまあ、スポーツ万能とは聞いていたから不思議でもない。


「えぇ!? アタシ去年のインハイ優勝したのに!? ウソぉ!?」


 別所は怒り混じりに吃驚している。いわゆる世間知らずがこんなにも身近にいたわけだから妥当なリアクションだ。


 確かに言われてみればうちの高校の水泳部が優勝だとかいう話を耳にした覚えがある。まさかそれが別所の話だとは思いもよらなかったが。インハイ優勝ってことは高校生女子全国一位ってことだよな。種目がどうとか水泳には詳しくはないが、それがとんでもないことなのは明白である。


「なんでも出来るなほんと……」


 思わず感嘆の声を漏らしてしまう。そこで謙遜する素振りがないところがいかにも別所だ。謙遜する方が嫌味か。


「それで、その時の準優勝がナナちゃん。個人のメドレーでは志嶺高校はサイキョー格なの」


「ナナちゃんって誰だよ。知ってる前提で話すのはやめてくれ」


 別所が水泳部という事実さえ知らなかった俺が他のメンツを把握してるはずないだろう。興味もないし。

「ああ、名乗り忘れていたな。私だ。二年、水泳部部長、八尾木七凪幠(やおきななこ)だよ。私の名は」


 この変態は変態でも出来る変態だった。


「漢数字のナナに夕凪(ゆうなぎ)のナギ、最後に(はば)と無しで七凪幠だ。無いという意味のナシであって果物の梨ではない。一見ナナナナと読みたくなるが正真正銘ナナコだ。好きな言葉は幼馴染(おさななじみ)、嫌いな言葉は七光(ななひか)りだ」


 うるさい、おまえはかのリズム芸人か。八尾木、さておき。


「なお後半の自己紹介は適当だから忘れてもらって構わないよ。八尾木でもナナコでも気軽に読んでくれたまえ」


 今日は覚える名前が多くて疲れる。次に会う時には八割がた忘れている気がするな。


「この時間が一番無駄だとは思わないかい、鏡谷くん。とにかく一度見て行って欲しいんだよ。特に君にはね」


 無駄なのはおまえの自己紹介パートだ。八尾木はプール正面扉を開き、手招きした。

 別所はあまり気乗りしないようだったが、渋々といった顔で俺の先を行った。嫌ならば嫌と言えば良いものを、わざわざ他人に委ねるなんて。


 八尾木に連れられて入ったプールサイドは真っ白なタイル製。幼い頃に市民プールで滑って頭を打った記憶が蘇る。いや、銭湯だった気もするな。とにかく俺にとってプールサイドは滑り止めのある床が好ましい。あわよくば銭湯の床もそうしてほしい。


 プールから這い上がった競泳水着姿の女子がこちらに気づいたかと思えば、反応を示すことなく、女性陣の輪へと混ざっていってしまった。


「おい別所、水泳部に男子はいないのか?」


 別所に耳打ちする。


「いない。というより女子水泳部しかないからねこの学校」


 道理で変態による変態のための変態行為が許されているわけだ。いや、許されているわけではないよな。


「ちょっと部長! 新入生の前では服を着てください!」


 女子の輪から一人抜け出して来た。はきはきとした話し方からわかる、真面目な女の子であった。


「そのうち着るさ。それより、新入生は集まったかな」


 何がそれよりだ。裸体より大事なことがそうそうあってたまるか。


「部長がシャワー浴びてる間に二十人は来たんですが……その……べしょりんがいないと知ってほとんどが帰っちゃって……」


 女の子は申し訳なさそうに述べた。二十人って 、八尾木は何分シャワーを浴びていたんだ。湯船があるわけでもあるまいし。


「ごめんね、そっちに顔出せなくて」


 別所は顔の前で手を合わせ軽く謝った。気負い方に人間性の違いを強く感じるな。


「いや、構わないよ。どうせべしょりん目当ての子達が入部するとも思っていないからね。大事なのは残った人材だ、どれ、お話してくるよ」


 八尾木ははぐれにいる水着姿の女子五人の元へと一人で行ってしまった。衣服がタオル一枚じゃなければマトモそうなのになあ。


「それで、鏡谷さん。あなたは何故ここに?」


 ちゃんと俺の名前を知ってくれている。珍しくもなんともないが嬉しい。


「ちょっとした挨拶だよ。ほら、生徒会って部活動の管理も一部任されているから」


 堅くならないよう、砕けた言葉で優しく返答した。別所は何か異質なものを見るように俺を見上げているが、絶対に目を合わせてやらない。さしずめ「アタシと対応が違う!」という意思表示だろう。


「そうですか。くれぐれも我々()()部員の邪魔はしないようにお願いします」


 これはファーストコミュニケーションに失敗したかもしれない。彼女自ら振ったはずの話を一瞬で無へと還されてしまった。


「えーと、そうだ。さっき部長さんに注意してたけど、いつも裸体(あんな)なの?」


 自然に話題を振れたと思う。初対面の相手には少し難しい、触れづらい話題だが、問題ないだろう。


「……そうですよ。だから男子生徒には来ていただきたくないんです」


 敵意。あからさまにその男子生徒とやらは俺を指しているではないか。これ以上は話すべきじゃないかもしれない。

 お堅い女子生徒は後方の部員達に一瞬目を向けた。俺と別所も釣られてそちらを見ると、そのほとんどが俺たちのどちらかへと視線を飛ばしていた。


「ところでべしょりん。明日の練習メニューについて相談があるんですが……」


「え、アタシ? ナナちゃんに聞いた方がいいんじゃないかな。アタシ部長じゃないし、明日も生徒会で顔出せないだろうから……」


 え、明日もなんかやるんですか。いやいや、別所一人でだよな。そうだよな。

 別所はバツの悪そうな顔と声で応えた。


「……そうですか。明日も泳がないんですね。仕方ないですよね。でも、メニューだけ一緒に考えてくれませんか」


 不機嫌そうながらも心底丁寧にお願いする彼女に、別所は断る姿勢を見せられなかった。別所は何やら専門的な話を始め、俺は一人になった。


 ただ暇を浪費するのも気分が悪いので、奥の女子達と会話してみることにした。勿論、邪魔をしないという注意事項に則って。


 何やら彼女達は細々とした声で何か相談しているようだった。内容は聞き取れないが、盗み聞きもタチが悪いので正面から混ざりに行くべきか。


 多人数と同時に挨拶する時の心構え。その一、姿勢を意地でも崩さない。各個人と親交を深めることが難しい状況ではチャラい男と思われる事態は避ける。中身に触れる前に敬遠されるからな。初手は生真面目なくらいのイメージで良い。


「部活動中失礼します」


 その二、声のトーンを一段階上げる。イメージは古本屋の店員の挨拶。第一声で根暗では無いことをアピール。


「初めまして、生徒会副会長の鏡谷明桜です。少しだけ練習風景の見学に来ました」


 とにかく柔らかい発音を意識。長時間目に視線を合わせない。俺なりの対人、いや、対女子スキルである。


「お疲れ様です!」


「ゆっくりしてってください!」


 女子の内半数ほどがそれぞれ食い気味に返事をした。逆に言えば残りの半数からの返事はなかった。全員からの返事がないことは想像の範疇だった。しかしどうも様子が変だ。

 そうだ、眼が違う。据わっていると言うべきか、とにかく嫌悪に似たとてもおぞましい何かを感じ取った。

 俺に挨拶を返さない女子というのは多くの場合緊張など、返したくても返せないという状態にある。しかし今回はそうじゃない。明確な意志を持って無言を貫く選択をしている。


 俺の人生とは無縁だと思っていたはずの、異性からの拒絶というシチュエーション。おかしい、おかしいぞ。俺に限って初対面の女子に無視されるなんてことがあるはずない。あっていいはずがない。


 中途半端に沈黙を決め込み、目の行先に段々と困ってきた。新入生と話す八尾木の声が無駄な程に耳へと届く。特に聞く気もないが。


「鏡谷さん鏡谷さん!」


 部員の内一人が元気よく俺の名を呼んだ。この子は挨拶を返してくれた子の一人だったはずだ。

「どうかしました? えっと……」


 なんて呼べばいいんだ。呼ばなくていいか。名前を聞いてしまうとこれからずっと覚えておく必要があるからな。


「ぶっちゃけべしょりんとどういう関係なんですか!?」


 ああ、うん、そうですか。恐らくこれからも根気強く付き合っていくことになるであろうその質問に驚く理由はなかった。


「普通に生徒会長と副会長の関係で、それ以上でもそれ以下でも無いですよ」


「ウソぉ、そんな事ないでしょ」


 彼女らは口々に疑心暗鬼な言葉を飛ばす。どういう関係も何も、今日副会長に任命されたどころか初めてまともに別所と話したというのに何もあるわけない。


「さしずめ、秘密裏に付き合ってる、とかでしょう? 私たちの目は誤魔化せませんよ」


 勝手な妄想はやめて頂きたい。色恋沙汰となると妙に自信を持って話すよな、女子って。いや、括りが大きいか。


「残念だけど、俺は今フリーなんだ。だから俺が付き合うのは、キミ達の中の誰かかもしれないよ」


 キザな言葉が許される顔で良かった。俺がそう語りかけた途端に騒がしかった女子達は照れからか顔を背けてしまった。

 ただ、俺を無視した女子達は依然として眉をひそめている。相当嫌われているらしい。辛い。男子に嫌われる理由ならば思いつくんだけどな。ほとんどが恋愛絡みの嫉妬が原因なんだけれど。


「すまない、鏡谷くん。少しいいかな。二人で話したいことがあるんだ」


 振り向くと八尾木がいつの間にやら俺の背後にまで迫っていた。あまりに近いため、タオルの隙間から胸の谷間が見える。ニーチェのあの言葉が脳裏に刻まれた。散々裸を見せられた後で今更どうもこうもあるかという話だけれども。


「新入生はいいのか」


「ああ、もう時間も時間だ。着替える時間も加味するとそろそろ上がってもらった方がいいだろうと判断した」


 八尾木はタオル姿のままプールサイドを歩き出した。その背を追うように足を運ぶ。プールのレーンの数が多すぎて、逆サイドまでの道のりが遠い。


「時に鏡谷くん。なぜ君は副会長になったんだい」


 一切こちらを向くことなく唐突に、平坦な声で話し出した。


「気づいたらなってたとしか言えん。俺だって今日初めて知ったんだ」


「そういう成り行きとかはどうでもいいさ。どうして、君は断らなかったのかな? 君でもわかるはずだ、べしょりんと一緒にいることでの危険性(リスク)くらいは」


 別所含む他の生徒からプールを挟んでの対角点を過ぎ、両開きの鉄の扉の前へと辿り着く。別所は何やら真剣な顔付きで話しており、俺のことなど微塵も気にしていない様子だ。


「承知の上だ。その辺は上手くやるしかない」


「……本気で言っているのかい、それ」


 八尾木は眼前の扉の南京錠を外し、慎重に開く。ギギギと重い音を立て、薄暗い部屋が現れる。

 八尾木が扉を支えたまま目配せした。多分中に入れということだろう。俺はそれに従って、扉を通過した。


「……普通に倉庫か」


 大量のビート板、監視台、名前のわからない清掃道具や救命用具。その他様々なものがある割には随分とスペースが有り余っている。整理整頓が上手なのか、そもそもの倉庫が広すぎるのか。


「なあ八尾木、ここの照明のスイッチって……」


 ガチャリ。そんな音が今となっては狭すぎる空間に響いた。外から差し込む光は鉄の扉によって閉ざされてしまった。

 俺は、油断していたのだろう。言葉に詰まる。


「照明ならここさ」


 そんな声と共に完全な暗闇が仄暗い程度にまで緩和された。その光源は蛍光灯ではなく、まさかのデスクランプ。


「生憎蛍光灯は常に要交換状態なんだ。なんせ、扉を開きっぱなしにしておけば充分に見えるから、面倒くさがって誰も替えたがらない」


「そうか。それで、その扉を閉めてまで話したいことってのはなんだよ」


 平静を装うことで精一杯だ。俺は気づいてしまったから。八尾木が扉に南京錠をかけたことに。事実彼女の後ろの扉にはそれらしきものがぶら下がっている。


「単刀直入に言おう。生徒会を辞めてくれ」


「……あ?」


 まだ就任して三時間だぞ、馬鹿言うな。


「聞こえなかったかい? 生徒会を辞めてくれと言ったんだ」


「聞こえなかったし、聞き入れるつもりもない。はい、この話は終いだ」


 こんなくだらない話をするためにわざわざ倉庫まで来たのか。


「もし、だ」


 八尾木は俺の元へと一歩詰め寄る。


「もし君が、下心で生徒会を続けたいと思っているのなら──」


 もう一歩、詰め寄った。それに合わせて俺も一歩後ずさるが、何かにつまづいて尻もちを着いた。どうやら大量のタオルの束に倒れ込んだらしい。


「私が()()()()()()になったっていい」


 八尾木が俺の逃げ場を断つように覆い被さる。大蛇と兎を彷彿とさせる。


 八尾木の身体からはタオルが完全に落ち、その肌が(あらわ)になる。


 心拍数が上がる。呼吸のペースが乱れる。冷や汗が止まらない。


 ドクリ。不快なリズムと音が胸を(つんざ)


「やめて……」


 俺が絞り出した声はたったそれだけの言葉だった。

 情けない──情けない。


 八尾木はそんな俺らしくない声に反応したのか、とにかく俺から飛び退くように離れた。


「す、すまない。怖がらせるつもりはなかったんだ。本当だ。な、泣かないでくれ……」


 まさか。俺は自分の頬に触れる。濡れている。いつの間に。訳のわからないまま、俺は動けなくなってしまった。


「君には何もしない、しないから、落ち着いて──」


 俺は息を大きく吸って──吐く。これを何度か繰り返し、ほんの少しだけ心拍が落ち着いた。


「……悪い、取り乱した」


「いや、鏡谷くんが謝るようなことは無い。私がやり方を間違えた」


 八尾木は鉄の扉に背をつき、そのまま崩れるように座り込んだ。


「──べしょりんが必要なんだ」


 八尾木は神妙なトーンで語り始めた。間接照明の明かりでは俯いた彼女の表情などわからない。


「三週間ほど前だった。彼女が突然部長を代わってほしいと言い出したんだ。生徒会長になりたいからってさ」


 三週間前となると、ちょうど春休みが明けた頃だ。

 元々別所が部長だったと言う話は想像が着く。実力的にも性格的にもだ。


「当然断った。生徒会についても反対した。だけど、べしょりんの決意は固かった」


 八尾木は感情が漏れ出たかのように後方の扉を殴りつける。ガシャン、と大きな音がした。


「全一に輝けるほどの天才で、水泳部の紅一点のカリスマ的存在。水泳部は彼女に魅了されて所属している人間がほとんどさ」


 八尾木は苦虫を噛み潰すどころか、噛み殺すように歯を食いしばる。


「そんな彼女がいなくなった結果、部活動に参加する人数は極端に減ってしまった。新生部長として不甲斐ないばかりだよ」


「別所の影響力はわかった。でも何故それが俺の生徒会辞職に繋がるんだ。別所が生徒会長である以上現状は変わらないだろ」


 むしろ俺が辞めてしまえば別所の仕事量が増える。当然部活がどうとか言ってる暇も無くなるだろう。つまり、全くもって逆効果じゃないか。


「いいや、そんなことはないよ。べしょりんは君が──」


 八尾木が言いかけたところで、倉庫の扉がガタガタと揺れ始めた。


「あー、あー、キミ達は完全に包囲されているっ! すぐに出てこないと明桜くんの性癖を新聞部に売り飛ば……」


 よりによって別所にバレている。八尾木が扉を殴りつけたせいだ。


「おい八尾木! 鍵開けろ!! 早く!!」


 俺の尊厳がピンチだ。


「なんでべしょりんが君の性癖を把握しているんだ? 結局そういう関係なのか?」


「やかましい! さっさと開けろ!」


 八尾木は不可解と言わんばかりに眉をひそめ、南京錠を解いた。勢いよく開いた扉の正面には、別所だけでなく、他の水泳部員までもが並んで傍観していた。


「さて、裁判の時間だよ」





 別所とその他部員らによって俺と八尾木はプールサイドに正座させられていた。あと数十センチ下がればもう水中である。

 八尾木は裸同然だからいいものの、俺は制服なんだぞ。おかげで膝の部分が段々と湿ってきた。


「さて、キミ達は鍵を掛けてまであんな所で、しかもそんな格好で何をしていたのかな?」


 別所、目が笑っていないぞ。片手に握った濡れタオルにどういう意図があるのかは考えないようにした。


「べしょりんには悪いが、私は黙秘権を行使する!」


「ナナちゃんって面白い冗談言うよね。アタシそういうとこ好きだよー」


 別所がタオルを地面に打ちつけると、鋭い音が響いた。

 八尾木から笑顔が消えた。蛇に睨まれた蛙のように肩をすぼめている。


「ま、待ってくれべしょりん。私は万年こんな格好だ。別にそれ自体に怪しさはないだろう」


 嘘だろ、万年裸同然(こう)なの? 冬も? 死ぬよ。


「相手が明桜くんじゃなければね。ちょーっと怪しいよ?」


 そうだ。俺だからな。事実襲われそうだったし、別所の主張は全く間違いではない。

 チワワのように震える八尾木を見ると可哀想になってくる。口添えしてやるべきか。


「別所が何を想像してるのかは知らねえけど、何もねえよ。ちょっとばかし別所(おまえ)の普段の様子を聞いてただけだ。ほら、俺は別所のこと何も知らねえしさ」


 八尾木が場所を選んで話した内容である以上、生徒会云々のことは言わない方がいいだろう。


「そ、それってつまり、明桜くんはアタシのことをもっと知りたかったんだ。ふーん。ふぅん」


 嬉しそうだなこいつ。チョロすぎて心配になるぞ。

 別所の機嫌が良くなり、俺たちは解放されるものだと思っていた。


「騙されないでください、べしょりん!」


 そう言い放ったのは、俺が真面目と評した女子部員だった。彼女は確実に敵意を持っていた。まずいかもしれない。


「鏡谷さんは機嫌を取るためにそう言っただけです! あの目は嘘をついてます! 私にはわかります!」


 うお、正解。俺の目ってそんなに濁ってるのかな。いや、今朝鏡で見た時はビー玉のように透き通っていたはずだ。


「ちょっとミサキ、失礼じゃない!!」


 他の部員が勝手に応戦した。俺を置いていくな。


「失礼だろうがなんだろうが言わせてもらいますよ! 彼はべしょりんを誑かして生徒会という場に誘致するだけに留まらず、部長にまで手を出したんです! 女の敵、いや人類の敵です!」


 言い過ぎ。あっれー、俺って評判良かったはずだよな? 何故こんなにも嫌われているんだ。


「ちょっと落ち着いて。明桜くんはアタシが生徒会に誘ったんだよ」


 別所がなだめるが、聞く耳を持たない様子だ。


「そう仕組まれてたんですよきっと! でなきゃべしょりんが水泳部を捨ててまで生徒会になる理由が──」


 バチンと鈍い音が鳴った。先程反論した部員が、真面目そうな部員もといミサキの頬をぶったのだ。


「勝手なこと言わないで!! 鏡谷くんはそんな人じゃない!!」


 そうだよ俺はそんな人じゃないよ。でも暴力はやめようね、痛いから。


「ユカ、あなたが何を知っているんですか。理想でモノを語らないでください! いくら自分が彼のことを好きだからって──」


「ミサキっ!!」


 別所と八尾木が同じ言葉を同時に口にした。静寂で埋まる。胸を刺されたように、心音が暴れる。

「それ以上言ったら、もう水泳部には居られないと思って」

 別所がギロリとミサキを睨む。学園のアイドルを名乗っているとは思えないほどに恐ろしい形相だった。


「す、すみません……でもっ」


 まだ言うのかミサキ、鋼のメンタルかよ。先生に怒鳴られた小学生でも黙りこくるのが普通だぞ。


「私は鏡谷明桜を受け入れられません……彼にこだわって生徒会長でいるというのであれば、すぐにでも辞めてください」


 別所が俺に拘る? 馬鹿言え、たかだか演劇部のために俺を手放そうとしたんだぞ。

 呆れていると、今まで傍観していただけの水泳部員達から、ちらほらと手が挙がる。


「それには私も同意見です」


「私も……」


「べしょりんがいなきゃ水泳部は成り立たないし……」


 八尾木が話していたことはこれか。


 この部は別所に依存しすぎている。


「それにべしょりん、気づいていますか。この部には少なからず鏡谷明桜に対し恋慕の情を向ける者もいます。そしてここ最近彼女らのパフォーマンスは非常に落ちています。その意味、わかりますよね?」


 ミサキは発言を咎められた後とは思えないほどに流暢に話す。

 別所は言葉に困り、口をぱくぱくと動かしている。仕方ない。


「一旦その辺にしてくれないか」


 俺は正座のまま声を上げた。皆の視線が俺に集まるが、慣れっこだ。


「俺を好きだとかは知らないけど、そこで別所を責めるのはお門違いってやつだ、違うか?」


「っ……まるで他人事みたいに言うんですね」


 まあ他人事だし。俺からすれば水泳部の成績なんてどうでもいい。


「大体あなたの信用がないのも良くないんですよ! わかってます!?」


「そうよ、私たちのべしょりんなのに!」


「アイドルに手を出して許されるはずないでしょ!?」


 外野がヒートアップしてきた。少なくとも別所はおまえらのものでは無いと思う。

 なんてことを考えていた。部員たちの頭の隙間から何かが飛んできた。曲線を描くでもなく、真っ直ぐ、ストレートで。

 あっ、これ、缶だ。空き缶だ。そう視認した時には軽快な音を立て、俺の鼻頭を攻撃していた。


「いっ……!?」


 あまりの痛みに後ろに反り返ると、後ろには踏ん張るための地面がなかった。あるのは水面だけ。


「鏡谷くん!?」


 最後に聞こえたのは八尾木の声。

 水しぶきを立てながら俺はざぶんとプールの底に沈む。口いっぱいに広がる塩素の臭いが気持ち悪い。

 誰だ、あんなもん投げたやつは。


 何とか上昇しようと四肢を動かすが、水を吸った制服が重すぎて思うように動けない──いや、そもそも俺は()()()()んだ。これがバレちゃあ、スポーツ万能ももう名乗れないかもな。


 不快感を覚えながら目を開いても、映るのは天井からの光だけだ。


 その光も閉ざされていく──そう感じた。違う、人影が遮ったのだ。その人影は俺の腕を掴んだかと思えば、巧みに背負った。


「っ、げほっ、がほっ」


 たった数秒のうちに水中から引き上げられ、新鮮な空気が肺を満たした。水を飲んでしまったせいで強くむせ返った。


「大丈夫!? 明桜くん!!」


 俺の肩を支えていたのは別所だった。俺よりずっと華奢な身体で、息を荒くして焦りが見える。

 意地でも外さなかったトレードマークのメガネがなくなっているのと、制服のまま飛び込んできたことがその証拠だ。


「す、すまん。恩に着る……っげほっ!!」


 鏡谷明桜きっての恥だ。泳げないことがバレたどころか溺れたところを女子に助けられるなんて。悔しい思いも多々あるが、今回ばかりは別所に感謝するしかない。

 別所は俺の背中を優しく(さす)る。


「とりあえず水から出よっか。上がれる?」


 別所に促されるがまま、鉄製の梯子を使いプールから脱出する。あまりにも服が重い。

 プールサイドには別所が脱ぎ捨てたであろうブレザーが雑に置いてある。


 別所は俺に続いてプールから上がると、ずぶ濡れの髪を絞る。カッターシャツんから桃色の下着が透けているが、まあ気にしないことにした。助けて貰っておいて指摘する気にもならないしな。


「で、今缶を投げたのは誰かな?」


 別所は前髪をかき上げながら言う。駄目だ、これはまたお怒りモードに突入する流れだ。


「別所、落ち着け。犯人探ししたところでだ。それよりお互い風邪ひくぞ……へくちっ」


 小さなくしゃみが出る。人のことを心配している暇はないらしい。


「え、くしゃみカワイイ……」


 別所は目を丸くしてこちらを見つめている。風邪ひくって言ってんだろうが、俺のくしゃみはほっとけ。


「……鏡谷くんもこう言ってる事だし、缶を投げた犯人についてはナナちゃんに任せようかな」


 別所が服の裾を絞ると、大量の水が音を立てて落ちる。

 八尾木は眉の下がった作り笑いを浮かべている。いっその事別所に委ねたかったのだろう。

 しかし俺たちはどうする。当然だが着替えなんてないぞ。まさかとは思うがこのまま帰る羽目になるのだろうか。えー、やだ恥ずかしい。


「あ、タオル持ってきた方が良いよね、ちょっと待っててね」


 別所は小さな足跡を残しながら先程の倉庫へと駆けていく。


「……私のタオルであれば貸せるが」


 八尾木は纏ったタオルに手をかける。


「え、嫌だろ。フツーに」


 裸に巻き付けたタオルだろそれ。そのタオルを使えって、一体どういうプレイだよ。

「冗談だ。それでも本気で嫌がられると傷つく。私だって曲がりなりにも乙女だからな」


 八尾木は笑っているが、乙女を自称する人間の露出度じゃないんだよな。


 あ、そういえば。

 俺はポケットにしまったままの携帯電話を取り出す。思いっきり水没したが、大丈夫だろうか。

 電源ボタンを押すと問題なく画面は点灯した。一応起動はするっぽい。細部まで確認はしていないが、防水機能とは素晴らしい技術だ。感動した。


「そりゃあっ!」


 無邪気な掛け声と共に俺の顔に布が降りかかる。


「さっすがアタシ! 明桜くんにクリーン☆ヒットー!」


 柔軟剤の香りが鼻の奥へと押し寄せる。俺は別所の投げたタオルで髪をわしゃわしゃと拭く。せっかくセットした髪が滅茶苦茶だが、仕方ない。


「悪いな、サンキュ」


 軽く別所に例を言う。別所は撫でるように髪を拭きながら、申し訳なさそうに笑った。


「ところで明桜くん、体操服とか持ってきてたりって……」


「無い」


「だよねぇ。今日のC組の時間割に体育無かったもんね」


 何故他クラスの時間割を把握しているんだ。もしやC組に限らず全てのクラスを──なんなら他学年まで把握してるまであるな、この女は。


「私の制服を貸そうか? 何、心配はいらない。私は水着、何なら裸でも帰宅するからな」


 八尾木、まさかおまえは公然わいせつ罪ってのを耳にしたことが無いのか。随分治安の良い街に住んでいるんだな、羨ましい。


「アタシも今日は体操服持ってきてないからなぁ……」


 八尾木のことは無視なんだな。俺でもそうする。


「いや、別所は部員に借りればいいだろ。こんなにいるんだぞ」


「アタシだけ借りたって仕方ないじゃん! それに、体操服は名前が印字されてるからあまり貸し借りは好ましくないかな」


 ああ、なるほど。モテる人間特有のアレだ。


 あれは中一の時だったな。俺も他クラスの男子に体操服を借りたことがあった。返却後一時間足らずでその体操服は盗まれたらしい。ちなみに俺が借りた理由は俺自身の体操服も盗まれていたからである。


 別所はプールサイドに置きっぱなしだったメガネを頭に乗せ直した。うーん、やっぱりそのメガネは無い方が良いな。まともな美少女が奇怪な美少女になる。


「あっ、そうじゃん! 衣類なら……」


 別所は床に落ちたブレザーから携帯電話を取り出して、誰かに電話をかける。


「もしもーし!! いきなりで悪いんだけど、なにか服貸してくれない? 部の備品であるでしょ?──うん、ああいや、アタシのだけじゃなくて二人分──そう、正解!!」


 電話相手の声は聴こえないが、何となく相手は察せられる。どうせアイツだな。


「うん、ありがとーね!! じゃあ生徒会室で!! じゃね〜」


 爆速で要件を済ませて電話を切った。別所は携帯電話をブレザーにしまい、そのままブレザーを羽織った。


「と、いうことで生徒会室に戻るよ。タオルはそのまま持ってっちゃっていいから」


 別所はブレザーのボタンをひとつずつ留めていく。


「待て、説明は?」


「あとで!!」


 そうですか。本当にあとで説明してくれるんだろうな。しない気がするな。そうだろうな。

 別所はずぶ濡れになった俺の袖を掴んで例の如く引っ張っていく。唖然とした顔の水泳部員達に見送られながら、屋内プールを後にした。手振ってあげるか。ばいばーい。

 靴箱で上履きに履き替えた後は別所と並んで歩いたが、予想通り電話の内容が説明されることは無かった。まあいい、聞くまでもない。


「やあ、一時間ぶりだね」


 段ボール箱二つを抱えた米白成葉(よねしろなるは)生徒会室前(そこ)にいる時点で大体は察しがつく。


「鍵開きっぱだから入ってくれてて良かったのに、ごめんね」


 別所が扉を開けて米白を招き入れる。米白は机の上に段ボール箱を置くと、ソファに沈むように座り込んだ。

 俺も続けて生徒会室に入る。廊下と比べてとても暖かく感じる。風がないだけで体の冷え方が全く違うな。


「久しぶりに生徒会室に入ったよ。いつのまにか会長席は随分と煌びやかになっているみたいだけど」


 ラメシールやぬいぐるみだらけの別所仕様になった会長席は、流石に米白の目にも異様な光景として映ったらしい。

 ん、待て、米白は生徒会室に入ったことがあるのか。何気に初耳だな。


「可愛いでしょ、これ。アタシ程じゃないけどね」


 やかましい。


「まあそれはいいや。とにかく、着替えはこの中に入ってるから。舞台衣装だからちょっと動きにくいかもだけど」


 想像通り、段ボール箱の中身は演劇部備え付けの衣装らしい。

 米白は早くも立ち上がり、生徒会室の扉に手をかけた。


「今来たところなのにもう行くのか?」


「いやあ、二人きりという親睦を深めるにはうってつけの機会にボクはお邪魔かなと思ってね。それとも明桜はボクが居た方が嬉しいかい?」


「帰れ」


 別所と米白が一緒に居るとウザさ指数が基準値を超越するらしい。


「また明日っ!」


 手を振りながら米白は生徒会室を去った。礼を言い損ねたな。

 別所は手を振って見送ったあと、鼻歌を歌いながら段ボール箱を開封していく。

 別所が掲げた衣装の一着目──バニースーツ。


「出オチかよ……」


 俺はそう呟くだけだった。

 別所は何も言うことなく手に取ったバニースーツを丁寧に畳んで机に置いた。

 いつ、どこのタイミングで使ったのだろうか。

 別所が次に取りだした二着目は、どこかの学校の女子制服のようだった。


「意外とまともなのが出てきたな」


「これは中等部の制服だね。うわぁ、なつかしー!」


 くるくると回転させながら、制服の全貌を確認している。

 俺は中等部出身ではないので初めてその制服が志嶺(うち)の中等部の制服だと知った。そういえば登下校中に同じ制服を着ている人を度々見かけるな。


「じゃあアタシこれ着るね、あっち向いてて、着替えるから」


「いや流石に部屋出るっての。普通に着替えようとすんな 」


「気なんて遣わなくていいって。アタシは明桜くんのこと信用してるよ?」


 適当言うな。気を遣うとかそういう問題ではなく、良識の問題だ。常時半裸の八尾木に比べれば比較的まともかもしれないが、物差しが完全にイカれている。


「とにかく外にいるからさっさと着替えろ」


 そうして廊下で待つこと約二分。身体が本格的に冷えてきた。

 どうせならもっと日当たりのいいところで待つんだったな。

 呑気に考えていると、背にしていた生徒会室の扉から声がする。


「入ってきていいよー!」


 そして本日三度目になる生徒会室への入室を済ませる。その中には中等部の制服に身を包んだ別所。現役中学生と言っても信じられるが、これは若いと言うべきなのか幼いと言うべきなのか。


「違和感がないな」


「まあ一年前には毎日着てたからね。それに高校の制服とデザインは大して変わらないし」


 別所は唯一無事だったブレザーを上から羽織り、ボタンを留めた。成程、一見高校の制服に見えるな。ちょっとスカートの色が濃いくらいか。


「くしゅっ!!」


 またもやくしゃみ。やはりいつまでも濡れた服でいるのは辛い。若干乾き始めてはいるが、下着や肌着までは乾かない。

 身体をぶるりと震わせると、別所がこちらをじっとりとした眼で見つめてくる。


「……とりあえず脱いだら?」


「はぁっ!?」


「ここなら誰もいないしさ、いいんじゃない?」


 セクハラか。またもや性犯罪の匂いがする。水も滴る良い明桜(オトコ)にキたのか。

 はっ、もしや俺を惚れさせるための強硬手段なのか。


「濡れた服着続けるよりマシでしょ。上だけでも脱いだ方がいいって。どうせ着替えるんだから」


 ああ、違うわ、これ。普通に気遣ってくれてるんだわ。申し訳なくなってきた。疑ってごめん、マジで。


「大丈夫だ。この格好でいい」


「つまらない意地張らないで。はい、脱いだ脱いだ」


 目を離した隙に俺のシャツのボタンは全て外されていた。稲妻、閃光、(はやぶさ)


「勝手に脱がせるな!!」


「じゃあ自分で脱げばいいじゃん!!」


「脱がないって言ってんだろ!! 俺の肌は有料コンテンツなんだ!!」


「散々ナナちゃんの裸は見ておいて何言ってんの!!」


 ここで八尾木のことを掘り返すか。あいつは自分から見せてただろ。

 俺がサブスクだとしたら八尾木は地上波放映だ。勝手に流しておいて金を取る放送局があってたまるか──あれ、あったような。


「不可避だろあれは!?」


「はい、風邪ひく前に脱げっ!!」


 抵抗する間もなく俺の衣類は引っ剥がされた。上裸状態、流石になんというか──


「恥ずかしいんだけど」


「思ったより細いんだね。でも腹筋はしっかりしてる……」


「観察するな、極力見るな!」


 別所は唇を尖らせて、腕を後頭部で組んだ。


「もう、恥ずかしがることないのに。さあ、次は明桜くんの分の服を探さなきゃね」


 別所はダンボールに頭を突っ込んで服を取り出していく。腰を突き上げるようなその体勢は中々に危うい。スカートの丈的な意味で。目を逸らしておいてやればいいか。


「……どうしよ、ロクなのが無い」


 別所が呟いた。


「そんなことはないだろ。ちょっと見せてみろ」


 別所を退けるように隣に立ち、机に散乱した衣装とダンボールの中身を確認する。


「なんだこれ、ナース服に……メイド服? コスプレ部だったか、あの部活は」


 無論そんな部活は無い。多分。


「明桜くんがこれでもいいならいいけど……」


「とても良くない。公序良俗的に」


 俺ほど顔が良い男でもその絵面は通報されかねない。通報されずとも何が悲しくてコスプレ紛いの格好で下校しなくちゃいけないんだ。


「男子制服もあるっぽいけど、サイズが合わなさそうだね……」


 別所はもう一つの段ボール箱を漁るが、これといってまともな衣類は見当たらないようだった。


「米白に期待した俺も馬鹿だったか……」


 まあ別所が比較的普通の服装になっただけ良しとしよう。何が普通じゃないって、当然メガネだが。


「えっと、どうしよっか」


 別所が困り果てた顔をする。

 仕方ない。俺は先程脱いだシャツをもう一度着直す。肌にしっとりとした感覚が甦ってぞくぞくする。


「今日やることはもう無いのか」


「え、まあ、就任初日だし特にもうする事はないけど」


「そうか。じゃあ俺帰っていいか。これ以上日が落ちてしまう前に帰らないと寒くて仕方ないからな」


 帰る口実が出来た、と思っておこう。


「え、そっか、なら一緒に帰ろ? 折角だし」


「嫌だ。物理的にしっとりしているイケメン高校生が中学生女子を連れて回るなんて事案だろうが」


 別所の提案を論理的に、いや倫理的に断る。そもそもなんでこいつと帰らなきゃいけないんだ。友達かよ。


「物理的にしっとりしている人間は一人でも二人でも怪しいと思うけど……」


 それはそうだ。でもまあ多少乾いてきてはいるから大丈夫だろう。それに皆俺を見る時は顔ばかり見るんだ。多少服が濡れていたところでだ。


「まあそういうことで。お先に失礼。()()()()


 俺は去り際の挨拶をして、鞄を置きっぱなしの教室に向かう。


「あーもう、また明日!」


 そんな精一杯の声が後方から聴こえて思わず笑みが──何故かはわからないが、少しだけ嬉しくなってしまった。





「はぁーっ…… 」


 波打つ浴槽に浸かると、悪いものを吐き出すかのように声が漏れる。散々冷やし続けたこの身体が温もりに感動している。


 ふむ、水面に映る俺も中々に美しい。


 いつものように自分に見とれていると、防水ケースに入れたスマートフォンが間抜けな通知音を発した。プールに落ちても大丈夫だったこのスマホに防水ケースなんぞ必要かとは思うけれど。


 それはさておき、この通知音はメッセージアプリ特有の音だ。


「米白か? 久しぶりに連絡してきたな……」


 画面を確認すると、そのメッセージの送り主は米白ではなかった。


『今日は一日お疲れっ! アタシの都合で振り回しちゃってゴメンね?(><) 風邪ひかないように、しっかり体をあっためて寝てね? 約束だよ!!』


 文面だけでも別所からだとわかるな。


「善処する、っと」


 一言だけを返信して画面を切ろうとすると、ものの数秒で返信が来た。


『政治家か!!』


──何だこのスタンプ。別所の自画像と思わしきキャラクターがピンポイントなツッコミを繰り出している。


「政治家以外の人間にも善処させてくれよ……」


 脱力状態で天井を見上げると、またもや通知音が鳴った。


「ああもう、なんだ」


 次は別所でも米白でも無かった。本日連絡先を交換したもう一人の人物、佐々木だ。


『あのさ、明桜が良かったらなんだけど、また気が向いたら文芸部に遊びに来てくれ。せっかく同じ学校なんだから、もっと話したいしさ』


 文芸部とは思えないほどに初々しい文章だ。メッセージとか慣れてないんだろうな。


『性癖王と占い以外ならいつでも』


 冗談交じりの返信をし、携帯電話をスリープモードにする。

 今日は色んなことがあった。軽音楽部では先輩に告られるわ、何年ぶりか演技する羽目になるわ、文芸部でやばい女と会うわ、水泳部でやばい女と会うわ。

 それと共に八尾木の言葉を思い出す。


『──べしょりんが必要なんだ』


 俺も水泳部の状況を見ていると嫌でもわかった。今までの様子などは知る由もないが、きっと水泳部は()()()()()()()だ。現部長の八尾木にはコントロール出来る状態じゃなかった。

 本当に別所はこのまま生徒会にいていいのか。たった一日を共にしただけでそう考えてしまうほどに、八尾木の顔は深刻に見えた。でなければあんな身を捨てるような行動には──駄目だ、気分が悪い。


 でも俺が別所の選択に口出しするもんじゃないよな。


 結局俺は就寝するその瞬間まで、俺とはなんら関係もない水泳部のことで頭をいっぱいにしていたのだった。

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