貴方のために私は神殺しの刀を打つ
「祟り神をぶった斬れる刀を打ってくれ」
「…………………………………………、は?」
大陸を四つに分断するその一角。
米と水と刀の国・天照の首都、その中でも小さな鍛治工場でのことだ。
後ろで結んだ黒髪や元は真っ白だった着物を玉鋼を打つ際に飛び散る残滓で汚した少女、羽川蜜華はあまりにも馬鹿げた提案に口をぽかんと開けていた。その手に握った槌が落ちなかっただけ奇跡とも言える。
父親から鍛治工場を受け継いだ若き刀鍛治の視線の先には大真面目な顔をしている馬鹿が立っていた。
城山大和。
漆黒の袴の左胸に太陽を刻む者。それは将軍家に忠誠を誓う剣士たる『侍』の象徴である。
侍とは他国における兵士と同じく外敵や魔獣などあらゆる脅威から国を守ることを役目とする。
ただし他国の兵士と違って腰に帯びた刀に己の魂を込めて力に変える。その力は超常を振るう魔獣とも互角に渡り合うほどに刀や身体を強化するといったものであり、上位者は一軒家を輪切りにできるほどだ。
そんな侍の一人である城山大和は十七歳にもなるとそれなりに外面を取り繕うことを覚えたのか世間ではその美しい外見も相まって模範的な礼儀正しい侍だと評判だが、幼馴染みである羽川蜜華は知っている。
この男は根本的に馬鹿なのだ。
そうじゃなければ神をぶった斬るだなんて口に出せるわけがないのだから!!
「ばか、ばかばかっ!! なんてこと言い出すのよっ。祟り神がどれだけヤバいか歴史の教科書をちょっとでも読めばアンタみたいなばかでも理解できるはずよ!!」
大陸は四つに分断された。
数百年前まで大陸を統一していたかの国が内乱で四つに分かれたとかそんな話ではなく物理的に四つに引き裂かれたのだ。
それも全ては祟り神という一匹の怪物によって。
人類が滅亡しなかったのは今の時代において各国で侍や聖女、呪術師に魔法使いと呼ばれることになる始祖たる実力者たちが命懸けで戦い抜いたからだ。それでも総人口の何割という規模の死者が出てようやく祟り神は封印された。
天照の侍、アヴァロンの聖女、須佐男の呪術師、モルガーナの魔法使い。今では四つの国にわかれた神秘の担い手の始祖たちが現代では再現不可能なほど強大な技術を結集して完成させた封印術によって祟り神を封じたが、あくまで封じただけで殺したわけではない。
かの祟り神は未だ生きており、その脅威は健在であれば、今もなお封印を打ち破ろうとしている。
だからこそ封印術を補強して維持しなければならない。
四つの秘奥を集結させた封印術を維持するためには当然エネルギーが必要だ。だが封印術は侍のように単に魂を込めてそのエネルギーを利用すればいいわけではない。
どこまでも希少で特殊な素質を持つ人間の魂を特定の儀式でもって歪曲・増強し、封印術専用の魂に加工した上でその人間を殺し、魂を取り出す必要がある。
救世の巫女。
その魂に生まれながらに特殊な資質があった人間。
それだけの誰かに大仰な肩書きを押しつけて、世界を全人類を救うためだと責任を押しつけて、正義を盾に死に向かって背中を押して──そうして殺すことで人類は生き延びてきた。
その誰かをどこぞの破滅主義の祟り神信奉集団などに横取りされないよう護衛するのが城山大和に課せられた役目だった。
そこで彼は知ったのだ。
救世の巫女という肩書きがどれだけ大仰だろうとも、護衛としてそばにいればそこにいるのはただの女の子でしかないとすぐにわかった。
それは綺麗に整えられた重圧に逃げることも助けを求めることもできずに全てを諦めて絶望した女の子だった。
腰に帯びた羽川蜜華の処女作の刀に魂を込めて戦場を駆け抜け、十七歳という若さで歴戦の侍と肩を並べるほどにまでなった男はだからこそ迷うことなく言葉を紡ぐ。
「祟り神がどれだけ強くても関係ない。女一人救えない侍なんざ生きている価値もないんだ。だから頼む。俺が侍であるために救世の巫女なんていう失笑もんの生贄に頼らずとも軽く圧倒的に楽勝で世界を救うためにお前の力を貸してくれ」
馬鹿はどこまでいっても馬鹿だった。
その腰に帯びた刀だって処女作だけあって決して名刀と呼べるようなものではないと羽川蜜華は思う。
今の彼ならもっといい業物を手に入れることもできるだろうに『お前が全力で打ったこいつに魂を込めてきたから俺はこれまで生き残ってこれたんだ』と冗談でも何でもなく即答するような馬鹿なのだ。
一人の女の子を全人類を救うためという正義で押し潰そうとする流れがあった。もしも逃げたならば誰も彼もが死ぬんだから大人しく犠牲になって『みんな』を救え、と。
それが気に食わない。
だからかつて全人類を滅ぼしかけた祟り神だろうが何だろうがぶった斬る。封印する対象さえいなくなれば救世の巫女が命を捨てる必要もなくなるのだから。
それができれば苦労はしないというのに、馬鹿はそれが可能かどうかなんて頭にはない。一人の女の子を救うために必要ならやる、それ以上も何もない。
そんな彼の姿を羽川蜜華はこれまでずっと見てきた。だから今回もまたこれまでと同じように突き進むに決まっていた。
「……今のアンタはそこらの侍よりもずっと強くて、有名で、使える金も人脈も昔私とそこらを駆け回っていた時とは比べ物にならない。こんな場末の刀鍛治よりも腕の立つ職人を見つけることも、名刀を手に入れることもできるはずよ」
「どれだけ金を積んだって神殺しなんざハナからできるわけないとやる気のない刀鍛治の打つ刀に俺の求める切れ味は備わらないし、どんな名刀も祟り神を斬るために打たれたもんじゃない。俺が欲しいのは他のどんなもんが斬れずとも祟り神一匹ぶった斬れればそれでいい刀だ。だったら頼れるのはお前しかいないだろうが」
「なんでよ?」
「決まっている」
やはり馬鹿は何の迷いもなくこう言った。
「お前なら一度決意したならどんな難題だろうが叶えるために全力を振り絞るし、そんなお前なら絶対に祟り神をぶった斬ることに特化した刀を打てると信じているからだ」
で、返事は? と馬鹿は言う。
そうやって大真面目な顔をして他の人間なら最初から不可能だからと選択肢として思い浮かべることもない道を選び、貫き、数々の武勲をもぎ取ってきたからこそ城山大和という侍の名は若くして国中に広まっているのだ。
「ああもうわかったわかったわよやればいいんでしょーが、このばあーかっ!!」
「おう、任せた」
「まったく……」
「あ、一ヶ月後には救世の巫女が封印術を補強するために殺されてしまうからそれまでに頼むな」
「はぁっ!? こんのっ、ただでさえ無理無茶不可能の目白押しなのに猶予が短すぎるのよォォおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」
ちょっと年頃の女らしくもなく叫んでしまったが、こればかりは向こうが悪いと蜜華は言いたい。
普通に刀を打つだけでも時間が必要だというのに、今回は祟り神という怪物を殺すことに特化した刀を打つ必要があるのだ。
材料となる玉鋼の段階で刀の性能を上げる『何か』を施しておかなければいかに技術を結集して完成させても神殺しを成し遂げるほどに特異な変貌を遂げられるわけがない。
その『何か』を模索するだけでもどれだけ時間が必要かわからないというのに制限時間が一ヶ月とはどれだけ無茶振りをすればいいのか。
とはいえ、間に合わなかったとしても大和は構わず祟り神に挑む。勝てる可能性がなくてもそれで諦めるほど聞き分けのいい男であれば幼馴染みである蜜華はこんなにも苦労していないのだから。
城山大和の生存確率を一パーセントでも上げるためには羽川蜜華が理論上でも天文学確率でもとにかく神殺しができる刀を打つしかないのだ。
ーーー☆ーーー
一ヶ月後、小さな鍛治工場の床に羽川蜜華は倒れ込んでいた。
「うーおー……つっかれたー」
まさしく寝る間も惜しんでというヤツだった。というか今日まで自分から寝ることはなく気がつけばぶっ倒れて跳ね起きてというのを繰り返してきた。
身だしなみになど気を遣っている暇なんてもちろんなく、髪はボサボサで身体中がいつも以上に汚れていた。
蜜華は『年頃の女がこんなになるまで頑張ったんだぞ、感謝しろぉー』とこちらを見下ろしている男にか細い声で言い放つ。
「おう、ありがとうな。で、成果は?」
「んっ」
ゆっくりと腕を持ち上げる。それだけでも今の羽川蜜華には重労働だったが、何とかその手に握った『成果』を差し出す。
「……刀は使用者の魂を込めて力に変えると言われている。まあ魂とは言っているけど生命力とかとにかく人間以外にも全ての生物に備わっているエネルギーを刀内部の回路で変換・増強して使用者の身体や刀の強化をしているわけだけど……」
「だけど?」
「相手は祟り神。大陸全土の実力者が結集してそれでも勝てないから封じるしかないと判断された怪物よ。一のエネルギーを十とか百とかどれだけ効率的に増幅しても人間程度が持つエネルギーで記録にある神の性能を上回ることはできない。根本的に魂に込められたエネルギー量が違いすぎるから、祟り神が魂のエネルギーを込めて振るう超常にはどうやったって届かないのよ」
ならば、と。
羽川蜜華は繋げる。
そこで諦めずに戦う道を選んだ馬鹿のために。
「足りないなら奪えばいい。この刀を抜いたら最後、際限なく強制的に外部の魂からエネルギーを奪って使用者に供給する。その力を別の刀に込めてやればアンタの力は膨れ上がっていくし、逆に力を奪われて祟り神は弱体化していく。時間が経てば経つだけ力の差は縮まって、いずれは神を超えられるはずよ」
人間に神を殺す力は生み出せない。
ならば神自身の力で神を殺せばいい。
理屈としてはわかるが、問題がないわけではない。
「とは言っても神の力をアンタが制御できなければそれまでだし、祟り神を殺せるまで力を吸収しきる前に殺されてもそれまで。他にも、まあ、戦闘は素人な私よりもアンタのほうが勝機が限りなく低いのはわかるよね」
「だけどゼロじゃない。僅かでもお前が勝ち筋を切り開いてくれた」
「……そんなに言ってもらえるほど上等なもんじゃないけどね」
こんなものしか用意できなかった。
この程度の備えでこの馬鹿は祟り神という極大の怪物に挑む。
羽川蜜華は戦闘に関しては素人だ。
だけどそんな彼女でもいかに無謀な挑戦かはわかる。
大陸全土が白旗を上げたのだ。
侍、聖女、呪術師、魔法使い。その始祖たちが今の技術では再現不可能な封印術で祟り神を封じた。
そう、再現不可能。
祟り神との戦争で大陸が四つに分断され、真なる実力者たちが死に絶えたことで価値ある技術は失われ、それらをどうにか復元しようとしているが未だかの時代には及んでいないのが現状だ。
絶大な技術が揃っていた黄金時代でも不可能だった難題に今の侍が一人で挑む。前提条件からして圧倒的に不利だというのに勝ち目は本当にあるのか。確かにあの黄金時代においても羽川蜜華が打った刀と同じ性能の道具があったとは伝え聞いていないからまだ祟り神に試していない戦法にはなるが、これまで並べてきたのは机上の空論に過ぎず本当は勝てる可能性はゼロではないのか。
(いや、だ)
刀を受け取ろうと城山大和が手を伸ばす。
受け取ったらそこまで。彼は祟り神に挑んでしまう。
(大和に死んでほしくない。救世の巫女を死なせないためにだなんて関係ない。それで大和が死んだら何の意味もないじゃんっ!!)
それはすなわち救世の巫女を見捨てるということだ。それでも『関係ない』と思えてしまう自分がどれだけ最低かは自覚している。
だとしても嫌なものは嫌だった。たった一人の幼馴染みに死んでほしくない。優しくなくても綺麗でなくてもそれが蜜華の嘘偽りない本音だった。
幼い頃はお互いの立場なんて気にせずにそこらを泥まみれになるまで駆け回って遊んでいた。あの時は本当に何も悩みなんてなかった。
大和がそばにいてくれたら、それだけでよかった。
あの日々には幸せしかなかったのだ。
羽川蜜華が幸せに生きるためには城山大和がいなければならない。彼がいない人生なんて生きている価値もない。
そう即答できるくらいには、彼女の胸の奥には自分でも抱えきれなほど大きな想いが押し込められている。
「や、まと」
「ん?」
だから。
だから。
だから。
「やっちゃえ。神様なんて軽く圧倒的に楽勝でぶった斬ってこい!!」
「おう、任せろ!!」
神殺しの刀を大和が掴む。
蜜華の処女作と並べて腰に差す。
そうして背を向ける彼を蜜華は見送ることしかできなかった。
言えるわけがない。
行かないでなんて言えるものか。
ここで何もできずに救世の巫女を見殺しにしたら城山大和は一生後悔する。
それはこの馬鹿にとって死ぬよりも辛い結末なのだ。
それがわかっていて迷わせることなんて言えない。ここで引き留めて、それでも最後には祟り神に挑むのはわかりきっている幼馴染みの心に棘を残したらそれがどれだけ小さくても生存確率を下げてしまう。
だから背中を押せ。
この馬鹿が神に勝って帰ってくる可能性を少しでも上げるために、ほんの僅かでも憂いを残すな。
天文学的確率だろうが何だろうが神にだって届きうる可能性を秘めた神殺しの刀を打った。後はもうこの馬鹿が神さえも殺すほどに突き抜けた馬鹿なのだと信じるしかない。
それに、何より。
こんなにも胸の奥に押し込まなければならないほど強い想いを抱く男の生き様を否定することだけはできなかった。
「帰ってきてよ、ばか……」
堪えきれず小さく漏れてしまった取り繕うことも忘れた言葉に、大和はこう即答した。
「もちろんだ。必ず帰ってくるから待っていろ」
彼はそう言った。
城山大和は確かにそう言ってくれたのだ。
ーーー☆ーーー
それから二週間が経った。
城山大和が帰ってくることはなかった。
ーーー☆ーーー
きっかけなんて覚えていない。
物心ついた頃には蜜華のそばには大和がいた。
由緒正しき侍の家系である城山家の一人息子と小さな鍛治工場の刀鍛治の娘。身分の差は明らかで、本来なら接点なんてなかっただろう。というか今の蜜華が城山家のような由緒正しき人間と出会っても身分とか色々考えて尻込みするに決まっていた。
純粋なほどに幼くて、だからこそ何も怖いものはなくて、城山家の人間が羽川蜜華のようなそこらに掃いて捨てるほど転がっている一般人と大和が一緒に遊ぶことを黙認してくれたからこその奇跡だった。
とはいえ、いつまでも何も知らない子供のままではいられない。由緒正しき侍の家系たる城山家。その一人として大和は侍として名を馳せる必要があり、そのためには普通の人間では耐えられないほどの鍛錬に時間を費やす必要があった。
成長するにつれて大和と一緒に遊べる時間は少なくなっていった。このまま時間の流れに任せていれば二人の縁は切れていただろう。
大和には城山家の人間として歩むべき道がある。
そしてそれ以上に大和という一人の人間が侍として誰よりも強くなり、悲劇に苦しむ多くの人間を救うのだと決めていることをずっと近くにいた蜜華は知っている。
義務であり、夢であり、ゆえに大和は迷わない。放っておけば幼馴染みの男の子は蜜華なんて置いて遥か遠くに突き進んでしまう。
『お父さんっ! 私、刀をつくりたい!!』
だからこそ、だ。
惨めに縋りつくのでもなく、来たる離別の日まで現実から目を逸らすのでもなく、羽川蜜華は城山大和と共に歩む道を選んだ。
侍として突き進む彼の力になるために。
誰も彼も救う侍の腰に相応しい刀を生み出せる刀鍛治になれば、城山大和の隣に立つことができる。
幼馴染みとしてだけでなく、大和の義務も夢も支えられるだけの刀鍛治になる。必要とされる人間になれば隣に立っていられるから。
そう決意した彼女が持てる力を全て注ぎ込んで打った刀は、しかし名刀と呼ばれるものよりも劣っていただろう。この世のどんな刀よりも優れているとは決して言えなかった。
想いだけで歴代の最高峰の刀鍛治たちを超えられれば苦労はしない。
だから。
だけど。
羽川蜜華の処女作である刀を受け取り、抜いて、その刃を見つめて城山大和はこう言ったのだ。
『ありがたく使わせてもらう。こいつがあれば俺は無敵だ』
『そんなわけない……。お世話はやめて』
『おいおい。俺がお世辞とか言うと思ったか? 侍にとって刀は命を預けるもんだ。他のどんなことを妥協できてもこれだけは妥協できるもんじゃない』
『だったら……』
『だからこそ、だ。こいつはお前が俺のために魂を込めて打った刀だ。他の誰にとってもただの刀でも、俺にとってはこの世で最も命を預けるに足る名刀なんだ』
『そんな精神論に、命をかけていいわけ?』
『それこそが侍の力の源だからな』
そう言われても蜜華が納得していないことはわかったのだろう。大和は抜き身の刀を肩に担ぎ、なんでもなさそうな調子でこう続けた。
『俺はお前の打った刀でどんな強敵も斬り捨てて誰も彼も救ってやる。そこまで出来れば俺の言ったことが本当だって信じてくれるよな?』
『このばか……。ああもうわかったわよ好きにすればいいわよっ。でも私ももっともおーっとイイ刀を打ってやるんだから!! そんなお世話が必要ない、アンタの力になれる最高の刀をね!!』
『お世話じゃなくて本音だってのに』
『うるさいばあーか!!』
この時よりは蜜華の腕も上がっているはずだ。
神殺しの刀。その性能は唯一無二であり、理論上では神を殺すに足るものであった。
実際に祟り神は討伐されたと発表があった。
公式の発表では救世の巫女によるものだとされているが、そんな偉業を成し遂げられるとすれば城山大和において他にはいないことを蜜華は知っている。
政治的な駆け引きからそんな発表がなされたのだろうが、そんなことはどうでもいい。問題なのは祟り神が殺されてから二週間もの間、大和が帰ってきていないことだ。
祟り神を相手に無傷はありえない。戦闘において重傷を負っても不思議ではないが、それなら医療設備が整っている首都に運ばれるはずだ。城山家であれば価値ある大和を生かすためにも必ずやそうする。
二週間もあれば絶対にそうなっている。
だというのに大和が帰ってきたという連絡もないということは……。
「ばか」
城山大和は偉業を成し遂げた。
大陸全土が白旗を上げて救世の巫女という生贄を捧げることで封じるしかなかった怪物を討伐したのだ。
これから先、救世の巫女として捧げ殺される多くの命を救ったのは正しい行いで、褒め称えられるべき偉業で、世界中の人間がそのことを知れば感動で涙を浮かべるかもしれない。
「ばか、ばかばかっ!! 何にも凄くないわよっ。私は絶対に褒めてやらないからね、このクソ馬鹿があ!!」
それがどうした。
城山大和がいくら正しさを貫き、結果として多くの人を救ったのだとしても、当の本人が死んでしまっては何の意味もない。
全人類なんて知らない。
世界平和なんてどうでもいい。
たった一人の幼馴染みが死んでそれでハッピーエンドだなんて言えるわけがない。
「嘘つき。口だけじゃん! 格好つけるだけ格好つけて呆気なくくたばっているんじゃないわよ!!」
「どうした。何かあったのか?」
「馬鹿が馬鹿やって死んだのよ!!」
「おいおい、誰が死んだんだ?」
「誰って大和の馬鹿に決まって……きまっ、て、あれ?」
「ん? 俺???」
いつのまに小さな鍛治工場に入っていたのか、何やら布の包みを両手に抱えた男がそこにいた。
というか城山大和だった。
「はぁっ!? 何で生きているのよ!?」
「何でって、死ぬ理由がないからな」
「祟り神と相討ちで死んだんじゃなかったの!?」
「まさか。お前が魂を込めて打った刀があったんだ。あんな奴に殺される理由がない」
「じゃあ何で今日まで帰ってこなかったのよ!?」
勢いでそう問いかけると、城山大和は気まずそうに目を逸らした。しばらく黙っていたのだが、沈黙に耐えかねたのか両手で抱えていた布の包みを近くの机に広げる。
中から出てきたのは二本の刀……の残骸だった。
刃だけでなく柄も砕けており、細かい破片同士を組み合わせても半分にも満たない分しか揃っていなかった。
「祟り神はぶった斬ってやった。そんなのはお前がそのための刀を打ってくれたからできて当たり前のことだが、見ての通りでな。二本とも砕けてしまったんだ」
「な、にを」
「うっ。わかる、怒るのはわかるがこれでも頑張って集めたんだ!! 祟り神がくたばる時に爆発してだな、そのせいで砕けた破片が遠くに飛んでいってだな! 祟り神を殺してから今日まで探していたんだが、ここまでしか集められなかったんだ!!」
「…………、」
「刀鍛治にとって刀は己の子供のようなもんだ。それをこんなバラバラにしたばかりかそこらじゅうに撒き散らしてなくすだなんて怒るのが当たり前だよな」
大和には蜜華が怒っているように見えたのだろう。それは間違いないが、理由のほうは見当違いにも程があった。
「こ、このばか、本当ばかっ!! ありえない、最低っ、頭に筋肉とか誇りとかそんなもんしか詰まっていないからそこまで大真面目にばかを極めたことが言えるのね!! ばかばか、超絶ばかっ!!」
「そうだな。本当に悪かっ──」
「言っておくけど、私が怒っているのは刀を壊されたからじゃないから」
自分でもびっくりするくらい冷たい声が出た。蜜華自身がそう思うほどなのだから、大和は馬鹿げた主張を口にする余裕もなくなっていた。
「確かに私が自分で打った刀は我が子のように大事よ。だけどね、武器はどこまでいっても武器なのよ。敵を倒すために使われて、いずれは朽ちて壊れる。それは当然のことで、別に怒るようなことじゃない。そりゃあ雑に扱われたりしたら嫌だけど、大和がそんなことしないのはわかっているからね」
「だったら、なんで怒っているんだ?」
「ばか」
ぽん、と。
触れるくらいに放たれた蜜華の拳が大和の胸に当たった。鍛え抜かれた彼にとってはそよ風のようなものだっただろうに、不思議と響いたのか一歩後ずさっていた。
そんな馬鹿にも届くよう、蜜華は言葉を叩きつける。
「アンタが、大切で大好きな大和が死んだんじゃないかって心配だったからよ!! 祟り神になんかに負ける大和じゃない。そう信じていても、それでも二週間も帰ってこないし生きているって連絡もなかったら不安になるに決まっているじゃん!! 刀が壊れちゃうことよりも何よりも大和が死んじゃうことのほうがずっとずっと辛くて悲しくて嫌なんだから!!」
言って、叫んで、そして。
ここまでやってようやく伝わったのか、大和はゆっくりと頭を下げた。
「心配かけてごめん」
「んっ。わかればいいのよ、ばかっ」
ふんっ、とそっぽを向く蜜華。
態度こそ不貞腐れた感じだったが、その口元は本人も自覚していないほど小さく、だけど確かに緩んでいた。
大和が生きていた。
そんなのどれだけ馬鹿げた理由で二週間も心配かけさせられたからといって帳消しになって余るほどに嬉しいのだから。
「しかし、あれだな。お前から言わせてしまうだなんて男として失格だな」
「別にアンタがばかなのは今に始まったことじゃないからね。許してあげるわよ、仕方なくねっ!!」
「いや、そうじゃなくて」
うっかり小躍りしそうだった蜜華は『ん?』と眉をひそめる。
ここから馬鹿が馬鹿やった以外の何が出てくるというのだ?
「大切で、大好き、か。俺も蜜華のこと大切だし大好きだからな」
…………。
…………。
…………。
「は、ひ?」
「だから、大切で大好きだって言っているんだ。もちろん友愛とかそんなじゃなくて、愛しているとか付き合いたいとか結婚したいとかそういう意味での好きだから」
「はぃいいいいいっ!? ちょっ、ばかっ、何を言い出しているのよ!?」
「何って、先に言わせてしまったからな。せめて俺もきちんと想いを伝えるべきだと──」
「ばっばかっ、ばかばか!! 愛っ付き合いたっ結婚とか!! 俺もって何よ俺もって!! 私は一言もそんなこと言ってないんだけど!?」
「だけどさっきのはそういう意味だろ?」
「……ッッッ!!!!」
ここで真面目に、真っ直ぐに、迷いなくそう言えるのが城山大和だった。
確かについうっかり本音が漏れていた気がしないでもないが、蜜華自身意識しておらずこうして指摘されるまで自分が自爆していたのだと気づいていなかったくらいだ。
それを、蜜華が自覚するよりも先に的確に見抜かれた。
そのことが恥ずかしくて仕方なかった。
「な、なんっ」
「別に狙ってやったことでもないが、ちょうどいいしな。よし、蜜華。結婚するか」
「な、なななんっ、なあ!?」
もう馬鹿の馬鹿さ加減が止まるところを知らないと蜜華は顔が熱くてどうにかなりそうだった。
「このばかっ! なんでそんな、身分とか考えているわけ!? 私はただの一般人でアンタは由緒正しき城山家の一人息子よ! そこらの平凡な女が名家の一人息子と結婚とか絶対に周りが認めないわよ!!」
「何を言っているのやら。なあ、蜜華。お前自分が何を成し遂げたか自覚していないのか?」
「なにを、いって……?」
「祟り神はお前の刀を使って俺がぶった斬った。まあ国からの公式の発表じゃ救世の巫女のおかげとなっているが。これまでその命を捧げてきた歴代の救世の巫女の力がついに祟り神を討伐したとかそんな美談に仕上げることで救世の巫女を率先して用意していた国家上層部が間違っていなかったという世論に持っていくためにな」
大和の声音は軽い。
実際には彼が祟り神を討伐したというのに、その手柄を横から奪われてなおも気にした様子はない。
「だけど、国家上層部の連中は知っている。俺が祟り神をぶった斬ったことをな。というかその手柄も含めて好きにしていいと言ったのは俺だし」
「なんでそんなこと言ったのよ? 真実を広めれば世界を救った英雄にだってなれたのに」
「別に俺はちやほやされたくて祟り神をぶった斬ったわけじゃないからな。救世の巫女が死なずに済むならそれでいい」
「はぁ。アンタらしいわね」
「それに、思わぬ副産物も出来上がったしな。手柄云々に関しては国家上層部がお前を狙って横槍を入れてこないよう借りを作って牽制するためにも差し出すのが結果的に最適解だったとも言えるし」
「ん?」
「とにかく、だ。祟り神を殺せたのはお前の刀があったからだと国家上層部をはじめとしてお偉方は知っている。なあ、蜜華。自覚がないようだから言うが、今のお前の価値はそこらの名家の娘よりも跳ね上がっているぞ」
「なんで!?」
「だからお前の刀のおかげで祟り神を殺せたからだ。神殺しの刀を打てるような人材は唯一無二だ。名家の連中が結婚だろうが何だろうがしてでも手に入れてやろうと考えるのは当然だろうな。親父たちも前まであれだけ俺と蜜華が結婚するのに反対していたのに今ではさっさと結婚しろとうるさいしな」
「待って、待ってよ!! ゆっくり順番に処理させて!! まずは、えっと、名家の人たちが私と結婚しようとしているだって?」
「ああ」
「だって、そんな、私は別にそこまで凄くない!! 実際に祟り神を殺したのはアンタじゃん!!」
「お前なあ」
大和は呆れたように額に手をやって、
「外部の魂のエネルギーを際限なく強制的に吸収する刀。現代の刀鍛治どころか黄金時代の始祖たちでさえも生み出せなかったもんを一ヶ月で完成させた天才が何を言ってやがる?」
──あの黄金時代においても羽川蜜華が打った刀と同じ性能の道具があったとは伝え聞いていないからまだ祟り神に試していない戦法にはなる、という前提があった。だからこそ試す価値はあるのだと。
蜜華はそこまで深く考えていなかったが、実際にこれまでそういう道具を作り出せるがやらなかったわけではない。
そんな特異な道具を作り出せる技術が現代にも黄金時代にも存在しなかった。
何せ侍の力からして刀の使用者が自発的に魂を込めるのが基本だ。それは聖女だろうが呪術師だろうが魔法使いだろうが多少超常の形が違うにしても大元は変わらない。
だが蜜華はその大前提を覆した。
刀の使用者だけでなくその周囲にさえも影響を及ぼす。それも際限なく、強制的に──時間さえあれば抵抗しようが関係なく神の力を根こそぎ奪い取れる。
防御不能で確実に敵対者を殺す刀など蜜華以外に鍛造できるわけがない。
だからこそ今この時代になって初めて祟り神を討伐する道を切り開けたのだ。
大和の隣に立つために。
ずっと一緒にいるために。
それだけを願って城山大和の歩みに合わせてきた結果、蜜華自身も気がつかないほど高みにのぼりつめていた……のだが、当の本人は指摘されても実感が追いついていなかった。
「いや、あの、納得はできないけど大和がそう言うなら本当なんだろうね。そう思うことにする、うん、一応ね仮にねちょっと大袈裟だったとかからかっていたとかだったらすぐに言ってね普通にそっちのほうが納得できるし!!」
「はいはい。なんだって昔から自分にだけそんな厳しいんだか。自己評価が低すぎるのはそれはそれで嫌味になることもあるんだから気をつけろよ」
「うるさい、ばか!!」
それよりも、と半ば強引に話を変える蜜華。
「もう一つ。さっき言っていたアレは本当なの?」
「アレって?」
「城山家の当主様たちが私とアンタがけっけけっ結婚するよう言っているってヤツよ!!」
「ああ。本当は説得にもう少し時間が必要だと思っていたが、ここまで早くに認められたのは蜜華の価値が跳ね上がったおかげだ。流石は俺が惚れた女だな」
「んっ、んんっ!! 真顔でばか言って……ッ!! あっ、そうよ! 前までは当主様たちは結婚に反対していたって何!? アンタ前から私と結婚したいとか言っていたわけ!?」
「ああ、そうだな」
「な、んで……そこまで」
城山大和は侍として国中に名が広まっている。
それだけの武勲を立て、その分だけ地位も名誉も財も築き上げていて、望むなら名家のお嬢様だろうが手に入れられる。
──蜜華は己の両手に目をやる。
そこには何度もマメが潰れてごつごつとした女らしくない掌があった。それだけじゃない。髪もボサボサで肌も荒れていて身だしなみに気を遣う余裕もないほどに刀ばかり打ってきた女だ。
こんな小さな鍛治工場の娘とは比較にならないほど綺麗な女と大和は結婚できる。わざわざ薄汚れた女を選ぶ必要はない。
近くにいられればそれでよかった。
隣に立つ。それはあくまで大和を支える相棒のような立ち位置であり、この胸の中に押し込めた想いが叶うだなんて考えたこともなかった。
だって不釣り合いだ。
身分が違う。外見だって大和のように整っていない。他にも何もかもが蜜華は大和の足元にも及ばない。
蜜華が誇れるのは刀鍛治としての腕だけ。
それだけなら大和の力になれると思ったからこそがむしゃらに頑張ってきた。
それだけなら、差し出せる。
それ以上は何もない。
だから。
だから。
だから。
ごつごつとした女らしくない手を大和が掴む。
そのまま引き寄せて抱きしめた。
「ばっ、やめっ、離して!」
「嫌だ」
「なんでよ、このばかっ!」
「俺は蜜華が好きだ」
そう耳元で囁かれて足から崩れ落ちそうになる。
それだけで簡単に固く硬く封じ込めたはずの想いが溢れそうになる。
「身分とか何とかそんなもん関係ない。蜜華という一人の女のことが好きになったんだ」
「……アンタの周りにはもっとずっと可愛い女の子がたくさんいる」
「他の誰かよりもお前がいいんだ」
「私は女らしくない。これまで刀を打ってばかりで外見に気を遣う余裕もなかった」
「そんなお前が魅力的なんだ」
「私は、だって!!」
「何年の付き合いだと思っている? お前のことはお前よりも知っている。その上で好きだって言っているんだ」
城山大和のその言葉が本音だと、嘘なんかじゃないと、ずっと一緒だった蜜華はわかってしまう。
「だからそろそろ蜜華の本音を聞かせてくれ」
「そんな、そんなのっ、私だって好きだよ! 本当は大和と結婚したいわよ、ばかあ!!」
完敗だった。
敵うわけがなかった。
物心ついた頃には一緒だった男の子。
きっかけさえも思い出せないほど当たり前のように好きになっていた彼が自分のことが好きだと言っているのだ。
それを跳ね除けることなど初めからできるわけがなかった。
ーーー☆ーーー
それからも色々なことがあった。
世間には秘匿されているが神殺しの刀を打ったほどの技術を持つ刀鍛治、そして実際にその手で祟り神を殺した侍。
その価値は絶大であり、本人たちがどうであれ周囲が放ってはおかなかった……のもあるが、何よりも城山大和はかつての救世の巫女のようにどうしようもない悲劇に押し潰されそうになっている誰かを放っておけない。
自分から率先して危険地帯に飛び込む大和の隣に立つ以上、蜜華に平穏無事な人生など送れるわけがなかった。
だけど、それでも、決して彼の隣から離れるつもりはなかったが。
「今度はなに? 『湖』から這い出た魔女が辿るべき未来の道筋を決定づける剣を『王』に授けるって何それ!? 剣を鍛造した魔女が望む未来に進むよう世界が歪められる。だから何がどう転んでも未来は魔女の思い通りとか何なのその無茶苦茶っぷりは!?」
「まあカミサマとか出てくるくらいだからな。特別な剣をつくって未来を操作する奴がいてもおかしくない。とにかく放っておけば俺らの国が滅亡する運命が確定する。このままじゃ勝ち目がないから運命を斬り開くための刀を打ってくれ」
「神の次は運命!? 無茶振りにもほどがあるわよ、この極大ばかっ!!」
「あ、運命の日まであと一週間しかないからそれまでによろしくな」
「だから無理無茶不可能の目白押しなのに猶予が短すぎるんだってえ!!」
「それでも蜜華はやってくれるんだろ?」
「むう!!」
いいように転がせているようでムカつくと口の中で吐き捨てて、それでも蜜華はこう返していた。
「やってやるわよ!! ただし今度は余計な寄り道せずに運命を斬り開いてすぐに帰ってきてよね!!」
「もちろんだ」
「ふんっ。わかっていればいいのよ!」
「新婚早々お嫁さんに寂しい思いはさせられないからな」
「んっ、うう」
「愛しているぞ、蜜華」
「こ、この、うるさい! 私もだよ、ばかっ!!」