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第8話 猛獣退治

「閣下、ムーズ川が見えてきました」

「おぅ」

 ロンメルは、副官の野太い声でうたた寝から呼び戻された。いつの間にかアルデンヌの森林地帯を抜けていた。

 ムーズ川は西方侵攻作戦の第二の関門だった。ここを抜ければセダン市中心部に突入できる。セダンさえ制圧すれば、あとは機甲部隊の移動に適した平野が広がるばかりだ。

 川に近づくにつれ、火薬と土の匂いが鼻をつく。すでに先着の部隊が交戦し始めていた。指揮車に停車を命じて降りようとすると、人影が寄ってきた。

「お待ちしておりました」

 車上のロンメル目がけて勢いよく敬礼してきた男の胸には、鉄十字章が光っていた。

 ゲオルク・フォン・ビスマルク。

 先鋒を務める第7狙撃兵連隊の隊長で、ロンメルの直属の部下だった。その名の通り、鉄血宰相の一門だが、顔立ちはどちらかといえば歴戦の下士官といったところだった。ロンメルとは同い年だったこともあり、気心も知れている。

「橋はどうだ?」

「さすがに破壊されています。対岸にはトーチカが複数。ここが連中の防衛ラインでしょう」

 双眼鏡を覗くと、トーチカに据え付けられた機銃が火花を上げていた。ボートで渡河を強行すれば、相当の被害が出るのは避けられなさそうだった。

「〝梯子〟はすでに到着しているか」

 問いかけに、ビスマルクは力強くうなずいた。

「えぇ、待機しています」

「素晴らしい。では、手筈通りに」

 5分ほど後、ドイツ軍の迫撃砲がポンポンと連続して、煙幕弾を対岸に打ち込んだ。白煙がフランス軍陣地に立ち込める。十分に射線を遮ったことを確認すると、ロンメルは号令をかけた。

戦車前進(パンツァー・フォー)!」

 躍り出たのは異形の戦車だった。

 砲塔の代わりに、車体の3倍はある鋼鉄製の構造物を背負い、川べりに突撃する。

 停止したかと思えば、その甲羅を天に伸ばし始めた。戦場に、ガコンガコンと異様な機械音が響き渡る。やがて甲羅は対岸に向かってゆっくりと倒れ、瞬く間に橋が完成した。

 同じような光景が、川沿いの3カ所で現出していた。

「うまくいくもんですなぁ」

 呆れたような、感嘆したような、どちらともとれない声をビスマルクは上げる。ロンメルは腕を組みながら応じた。

「ま、総統からの贈り物だからな」

 ()()()()自体は先の大戦からあったが、実戦で運用された例は未だ少なかった。ドイツ軍にしても、喉から手が出るほど戦闘車両が欲しい今、戦闘力に数えられない代物を作ることに異議を唱える将官も少なくなかったが、ある人物の鶴の一声で生産・配備が決まっていた。

 言うまでもない。角栄その人であった。こと戦闘に限っては口出ししなかったが、行軍のあれこれについて、「土方は地球の彫刻家だ。俺に任せろ」と口を挟んでいた。中でも目を輝かせたのは、ペーネミュンデ陸軍兵器実験場で見かけたこの架橋戦車だった。

「こりゃあいい。ボートで突っ込むよりだいぶ楽になるだろう。シュペーア君、何台か工面してやれ」――。

 渡河作戦の円滑な遂行に向けて、ロンメルの第7装甲師団に各種戦車を改造した架橋戦車が10台ほど配備されているのは、そういう背景があった。


 ◇ ◇ ◇


 ビスマルク率いる狙撃兵連隊は素早く橋を渡ると、煙幕が立ち込める中、トーチカに張り付いた。爆薬が詰まった亜鉛製のケースを差し込み、トーチカを一つ一つ粉砕していく。

 ドイツ軍の渡河の早さにフランス軍は慌てふためき、組織的な対応はとれていなかった。戦況が優勢に傾いたことを察すると、ロンメルは指揮車に飛び込み、「続くぞ」と叫んだ。幕僚たちも慌てて乗り込む。

 すでに、いくつかのトーチカは奪取済みで、そのうちの一つが前線指揮所となっていた。

「司令部が来るにはちょいと気が早いですよ」

 追いかけてきた上司を目にすると、ビスマルクは部下との打ち合わせを中断した。

「すまん。アルゴンヌを思い出して、つい先走ってしまってね」

 ビスマルクは苦笑する。先の大戦で歩兵指揮官として戦果を残してきた上司の有能さに敬意を払っていたものの、もう少し後方でドシンと構えていてほしい、というのが率直な感想だった。とはいえ、ここまで来られたら送り返すわけにもいかない。

「セダン奪取まで一気呵成といこうじゃないか」

 勢いづくロンメルをビスマルクが「そうもいかないようで」と制止する。

 気勢をそがれたロンメルの視線を誘うように、ビスマルクはセダン中心部へ向かう街道を指差した。

 銃眼から覗こうとした矢先、腹に響く砲声が轟いた。ロンメルたちは思わず身をかがめる。音からしてドイツ製やチェコ製ではないことは明らかだった。

 街道に前進していたII号戦車の土手っ腹に大穴が空き、炎上していた。続いてIII号戦車が突入しようと試みるが、直撃弾を受けて横転した。

 双眼鏡越しに、ツバが大きく突き出したアドリアンヘルメットを被ったフランス兵がうごいていた。その中心でアスパラガスのような面長の将官が部下に指示を飛ばしている。どこかで見た顔だった。

 そして、その奥には砲塔を2門生やした小山が鎮座していた。通常の戦車の2倍近い巨体。何度もフランスのプロパガンダ映画でみた威容だった。

 ロンメルは思わずつぶやく。

「実物を拝む日が来るとはね」


 シャール2C。

 フランス軍が先の大戦で開発した超重戦車。まるで巨人の国からやってきたかのような全長10m、全高4mの巨体が、こちらを睨んでいた。見るだけでも身震いする。そういえばこの種の兵器は、敵に与える心理的効果も大きな役割だった。

 その特徴的な多砲塔から威嚇するように交互に砲弾が発射される。ビスマルクは耳を塞ぎながらロンメルに叫ぶ。

「デカブツですから足は遅いでしょう。迂回した方がよいのでは」

「いや、最短でセダンを突っ切るにはこの道が一番だ」

「しかし、どうしますか」

 ロンメルは言葉に詰まった。アルデンヌの大渋滞で野砲の到着が遅れていた。到底、歩兵の装備であの戦車を倒す手立てが浮かばなかった。

 しかし、フランスで数両しかないはずのシャール2Cがここにいるんだ。まるで我々の進撃を察していたかのように。

 思考を妨げるように、耳障りなエンジン音が徐々に大きくなる。

 スツーカ(急降下爆撃機)の姿を期待したが、上空に現れたのは10機ほどのフランス軍機だった。腹には爆弾を抱えている。橋をやられるとずいぶん面倒なことになる。固唾を飲んでいると、対岸のドイツ軍陣地から火花が咲き始めた。

 対空砲が洗練されたフランス軍機の機影をえぐり、空中で分解する。中でも威力を発揮していたのは大口径の高射砲だった。高速で放たれた榴弾が、機体を文字通り粉砕する。重厚な弾幕を前に、仏軍機は撤退を始めた。

「さすがはアハト・アハトだ」

 高射砲を称賛するビスマルクの声を耳にして、ロンメルの全身に電流が走った。

 よく考えれば対抗する手はあった。

 ()()()()()()()()。空中を高速で飛翔する目標を捉えるために設計された砲が、対地目標相手にどれだけの威力を発揮するか。スペイン内戦でも散々証明されていた方程式だった。

「化け物退治にもってこいじゃないか」

 ロンメルが悪狐のようににんまりと笑う。それをみた幕僚たちは口々に言う。

「あれはうちの師団じゃありません」

「借りるならグデーリアン閣下に許可を……」

 聞く耳持たず。ロンメルは背をピンと伸ばし、厳粛に命令した。

「諸君は総統の口癖を忘れたのか。『やれ!責任はワシがとる』だ」

 総統、そんなこと言っていたかな。士官学校出の秀才たちは顔を見合わせ、諦観の色を深めた後、高射砲を地上目標に差し向けるよう伝令を出した。

 ロンメルたちがてんやわんやしている間に、フランス軍はシャール2Cを先頭に立て、ムーズ川にドイツ軍を追い落とさんと逆襲を始めた。巨獣は砲弾を乱射しながら、ゆっくりと前進する。距離が縮むにつれ、視界に映る車体と地響きが大きくなった。

 間に合うかな。シャールが俺たちを踏み潰すのが先か、高射砲の陣地転換が間に合うのが先か。ロンメルの額から頬に汗がつたる。

 距離300ほどに接近したとき、シャール2Cのハッチから身を乗り出していた戦車兵が、ロンメルたちの潜んでいるトーチカを指差した。砲塔が回転し始める。

 ロンメル一行が観念した直後、力強い発砲音が響いた。鉄壁を誇ったシャール2Cの前面装甲に拳大の穴が開く。

「やった!」

 誰かが歓声を上げた。

 だが、キャタピラは動きを止めない。自らを殺し得る脅威を探そうと、その場で旋回を始める。

「これでも仕留められないのか」

 ビスマルクがうめく。装甲強化型のようです、とロンメルの幕僚が冷静に分析していた。

 戦場から音が消え、シャール2Cとアハト・アハトの一騎打ちの様相を呈する。

 アハト・アハトはもともと高射砲というだけに、隠蔽性を考慮した外見になっていなかった。アハト・アハトを容易に探し当てたシャール2Cは砲撃を加えるが、わずかに逸れて直撃を免れた。

 決定打となったのはアハト・アハトの3発目だった。タングステン弾がシャール2Cの装甲をえぐると、これまで無傷のように装っていた巨体が、急に動きを止めた。

 穴から白煙がもうもうと上がり、ハッチから戦車兵達が尻尾を巻いて逃げ出す。兵器としての機能を失っているのは明らかだった。

 双眼鏡を覗くと、フランス兵たちが撤退を開始するのが見えた。先ほど視界に映った長身の将官が戦車に乗り込み、下がっていく。敗走しているというのに、不敵な笑みを浮かべていたのが不気味だった。

「セダンの門が開かれましたね。いや、あんなものまで出てくるとは肝が冷えた」

 ビスマルクが語り掛けるも、ロンメルは応答しない。ブツブツと何かをつぶいている。

「ん、どうしたんです」

「……ド・ゴールだ」

「は?」

「今撤退していった将官だ。ほら、フランス軍の〝モーター大佐〟」

「あぁ、例の戦車狂い」

 ビスマルクも名前だけは聞いたことがあった。機甲戦に関する著書を持ち、フランス軍最年少で昇級を繰り返し――開戦前に新編の機甲師団長に任命されたとかいう男。年齢も近かったはずだ。どこか、ロンメルと似た匂いを感じていた。

「おかしいと思わないか」

「ん」

「本来、フランス軍の数少ない機甲師団がこんなところにいるはずがない」

「それは確かに」

 フランス軍の主力はベルギー方面に進撃しているはずだった。それも足の速い機甲師団は優先的に配置されているだろう。いないはずの師団が、アルデンヌの奇襲を食い止めようとしてきた。

「ちょっと厄介なことになるかもしれないな」

 ロンメルは眉間にしわを寄せた。勇敢な男がこう漏らすときは、大抵〝ちょっと〟では済まないんだよな、とビスマルクは不吉に感じていた。

【あとがき】

シャール2C、いいよね。ちなみにロンメルとドゴールは1歳差でした。

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― 新着の感想 ―
ハルファヤ峠の伝説がアルデンヌを抜けた先で再現されるとは、と感動です。佐藤大輔先生の作品が大好きなので、今話に至るまで非常に楽しく読ませて頂いております。
[一言] ド・ゴールの中身は誰なんだろう
[良い点] 登場人物の描写がいい。 心情とか。 兵器の事とか、だいぶん詳しいひとなんだろうか? [気になる点] もうちょっと長いと嬉しい。 [一言] 読み応えがあって良いです。 続きを楽しみにしてます…
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