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第7話 化かし合い

 知性が宿った双眼の下には、濃いクマが浮かんでいる。エルヴィン・ヨハネス・オイゲン・ロンメル少将は、ボリボリと何かを噛み砕く音を指揮車内に響かせていた。入隊して30年超。数多の戦場を駆け抜けてきた彼であっても、2日間の徹夜行軍は身に堪えていた。将兵たちに配給されていたペルビチン(覚醒剤)を常用しなければ、意識を失いかねないほどに。

 ただ、爛漫とした目の輝きは失われてはいない。

 ドイツ軍を苦しめたアルデンヌのあまりに長い悪路は、ようやく終わろうとしていた。危惧されていたフランス軍の妨害も乏しい。このまま順調にいけば、ムーズ川を越え、普仏戦争の古戦場セダンへの突入は秒読みだった。

 アプヴェーア(国防軍情報部)の報告によれば、フランス軍はこの地域に2線級師団しか配備していなかった。セダンの突破さえ叶えば、あとは平野が広がるばかり。機甲師団の真価を発揮するにふさわしい戦場が整う。

 ロンメルが率いる第7装甲師団は、グデーリアン装甲軍集団の隷下として、対フランス戦の主力に位置付けられていた。ドイツ中の機甲戦力をかき集めたこの装甲集団のトップには騎兵出身のクライスト上級大将を充てる案も浮上していたが、ヒトラーの「パンはパン屋に焼かせてやれ」という一声で、装甲屋の代表格たるグデーリアンが抜擢。ロンメルもその下に組み込まれた。

 そう。ヒトラー。敬愛すべき我が総統。彼の政治的決断は今のところ、何もかもうまく行っていた。うまく行きすぎて心配になるほどに。

 あぁ、()()()()()()、無邪気でいられたのだろうが。

 鬱蒼とした森を抜けると、車内に温かな日差しが差し込み、あくびを噛み殺す。ペルビチンの効能を上回る眠気で意識が混濁する中、ロンメルは昔日の出来事を思い出した。


◇ ◇ ◇


 ドイツ第三帝国の総統官邸は、ベルリンの中心部、ヴィルヘルム通りとフォス通りに挟まれた一角の南側に位置している。ロンメルは総統官邸の廊下を緊張気味に歩いていた。

 このとき、総統大本営護衛隊長としてヒトラーに仕えていたロンメルは、陸軍内でも有数のヒトラー支持者だった。同僚たちが陸軍式敬礼をする中、はばからずに右手を高く掲げるドイツ式敬礼をして顰蹙を買うことさえあった。

 そのきっかけは、彼の書いた「歩兵は攻撃する」という本にあった。出版後、ヒトラー・ユーゲントの課題図書に選ばれるほどのベストセラーとなったが、何よりもロンメルに恩恵をもたらしたのは、愛読者の中にヒトラーがいたことだった。

 傍流は傍流を愛する。

 ロンメルが貴族出身ではないことを知ったヒトラーは、親しみを込めてサイン入りの「我が闘争」を送った。思わぬ贈り物に感動したロンメルはヒトラーに心酔するようになった。そうした歪んだ関係の行きついた先が、総統大本営護衛隊長への起用だった。

 もっとも、あの暗殺未遂事件の後、ロンメルはヒトラーと面会する機会を失った。ポーランド戦が終わったことで、ヒトラーが各地の大本営に行く機会も途絶え、護衛隊長も名ばかりの仕事になっていた。

 ユンカーが幅を利かせる軍内で、地方出のロンメルは戦功を挙げなければ地位を築けない。総統の身近にいられないなら、いっそ前線に戻ろうと決意するまでに、そう時間はかからなかった。そこで人事局に異動を願い出たところ、総統から呼び出しがかかった次第だった。

 御許を離れたいといったから怒られるかな。いや、あの方はむしろ喜んで送り出しそうなものだが。

 執務室では眼鏡をかけたヒトラーが黙々と書類を読み込んでいた。

 ロンメルがハイル・ヒトラーを決めると、ようやく視線がこちらを向いた。

「よッ、飯食ったか」

 ヒトラーはツカツカと近寄ってきた。ロンメルの手を握り、大仰に振る。親しげに肩を叩く。

「さんざんご無沙汰して悪かったな」

「いえ、あの、お怪我は大丈夫ですか」

「ナニッ、イギリスの新聞が大仰に書き立てているだけさ。あいつらは俺に死んでほしいと思っているからな。あいにく、見ての通り、体も頭もピンピンしとる」

 続けて2、3言交わす。

 ヒトラーはソファーに座るよう促すが、ロンメルは無言で拒絶した。目の前の男を敬愛してきたからこそ、違和感を機敏に掴んだ。

「ところで」

「うん」

「貴方は誰です」

「ほぉ」

 〝ヒトラー〟はニンマリと笑った。何も悪びれる様子はなく、感心の色さえ見えた。ロンメルには、それがヒトラーの皮を被った何かに見えた。鳥肌が立つ。

 こいつは、総統じゃない。

 護衛隊長のロンメルは官邸への武器の持ち込みが許されていた。素早く距離を取り、腰のワルサーに手を当てる。その様を見て、ヒトラーは笑みを深める。

「おいッ、ロンメル、俺が頭を打ったのを聞いていないのか。今のはなかったことにしてやる。マンフレート君は元気か。父ちゃんがこんな調子じゃ、せがれも困るぞ」

「息子の名前はご存知ですか」

「そりゃあ頭に詰まっとるヨ」

「では初めて貴方にお会いした1934年のゴスラーの収穫祭は覚えておいでですか」

 ヒトラーは頭を叩く仕草をしながら、そらんじる。

「きみは第三大隊の指揮官で、たまたま護衛を担当してくれたんだったな。警備の順番を巡って親衛隊と揉めて、ヒムラーとやり合った。今と変わらず無鉄砲だった」

「そこまで克明な記憶ならば覚えておいででしょうが、私との会話はご記憶にありますか」

「無事、任務を終えた君に礼を言ったな」

「いいえ。あの日の貴方は私のことなぞ目もかけずに立ち去っていった。会話を交わしたのは、その後のカイザープファルツの閲兵式が初めてでした。そして、この思い出話を我々2人で何度も話してきた」

 ロンメルはワルサーの銃口をヒトラーに向けた。

「風穴を開けられるのと、正体を明らかにするのはどちらがいい」

 ヒトラーは両手をひらひらと振り、「降参だ」と返した。椅子にどっかり座り込み、観念したようにロンメルを見据える。そして、どこからか取り出した扇子を仰ぎ始めた。

「何が聞きたいんだ」

「まずは貴様の正体だ」

「いくらでも話してやるが、怒って撃つなよ」

 その説明をひとしきり聞いて、ロンメルはヒトラーの頭部にワルサーをぐいぐいと押しやった。

「カクエイ。ハッ、未来の日本の首相だと。ビスマルクやフリードリヒ大王を名乗った方がまだそれらしいんじゃないか」

「わしもオダノブナガに生まれ変わりたかったから困っとるんだ。で、どうすんだ」

 鋭い眼光を前に、ロンメルは沈黙した。その先の展開まで考えて行動に移ったわけではなかった。目の前の男を射殺すれば自分は国賊になるだろうし、総統の精神が入れ替わったなどと外で放言すれば、病棟に突っ込まれるのは確実と思われた。

 そして何より、カクエイの見た目そのものはヒトラーだった。話す内容はあまりに突拍子もなかったが、頭ごなしに否定できない真実味を帯びていた。

「貴様は何を企んでいるんだ」

「異国でおっ死にたくないだけさ」

「その、未来人といったな」

「君らから見ればそんなもんだ」

「この戦争はどうなる」

「聞きたいのか」

 ロンメルは数秒間躊躇った末に、やはりいい、と続けた。この男の顔を見ていれば、どういう帰結を辿ったか、何となく想像はついた。先の大戦を経験した人間の一人として、絶対とか必勝とか、そういう観念を信奉するタチでもなかった。

「それがいいだろうナ。ところで今日の用件だがな」

「待て、まだ納得したわけでは」

 話を遮ろうとすると、カクエイは勢いよく立ち上がる。並々ならぬ気迫に、ロンメルは思わずたじろいだ。銃を持っているというのに、攻守が逆転していた。

「いいか、貴様が俺を撃てば、肉体的にヒトラーは死ぬ。万が一にもヒトラーが戻ってくる可能性はなくなる。だから貴様は撃てない。俺は今まで通り仕事をしてドイツに奉仕する。それ以外に道はないッ!どうだッ、わかったか!」

 およそ理屈じゃないと思いつつも、ロンメルは反論しなかった。サシでこの男とやり合うのは無理だろうと心中で白旗を上げていた。ワルサーをホルスターに戻す。

「つまり、なんというか、装甲師団の師団長にしていただきたいのです」

「人事局は君の経歴から山岳師団長が適任だと横槍を入れてきとるが」

 カクエイは一拍置いて続けた。チョビ髭が膨らむ。

「まっ、俺を見抜いた観察眼に免じて良しとしよう。第7装甲師団長が空いている」

 やけに切り替えの早い男だな。そういえば総統もよく話題が飛ぶ癖があった。

「ところで、君はユンカーでもないんだろ」

「ええまぁ。シュヴェリーン人ですから」

「田舎から出てきて一旗あげようとすると必ず世間のやっかみを受ける。仕事はほどほどに、人間関係を上手くやれ。人事は任せろ。以上!」

 出てよし、と手を振ったカクエイに、ロンメルは軍靴を揃えて「ハイル・カクエイ」とドイツ式敬礼を捧げた。彼なりの敬意の表し方だった。目を丸くしたカクエイが顔を上げる。空中で交差した視線は、かつての主従関係とは異なる温かみを帯び始めていた。

【あとがき】

本作で夏コミ応募しました。当選したらよろしくお願いします。

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― 新着の感想 ―
[一言] 砂漠のキツネvs政界の王狸。面白かったです
[良い点] 昔あった、「なにわ総統物語」彷彿とするけど、コンピュータ付きブルドーザーは、違いますね [一言] 早い更新まってます
[良い点] ハイルカクエイ w
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