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第22話 ブルドッグ

 3日間に渡って開かれた条約機構の設立会議は、最終日を迎えていた。

 議場として借り上げられたニース・オペラ座のホールには、欧州中の独裁者やその腹心がずらりと顔をそろえた。

 最前列にどでんと座り込むベニート・ムッソリーニは、娘婿のチアノ外相と何やら言い合っている。その脇で、主催国フランスのペタン老元帥はこっくりこっくりと居眠りしていた。一つ後ろの席にいるフランコ総統とサラザール首相は借りてきた猫のように議場を慎重に観察している。最左翼に陣取るホルティ提督は威厳を放ち、神妙な顔をしていた。

 みな、時間を持て余していた。ここにきて英国の加盟が緊急動議され、会議が中断されたためだ。


「ヒトラーもガタが来たかな」

 ムッソリーニは不満顔でまくしたてる。

「内戦中の英国を陣列に加えるだなんて。導火線に火のついた爆弾を抱え込むようなものじゃないか」

 チアノは必死になってなだめた。イタリア語を解するドイツ人がどこにいるか分かったものではない。

「ドゥーチェ、まずは推移を見守りましょう」

「イギリス人とはちょっと前まで殺し合った仲だぞ。一体どんな説明をしてみせるのか、見ものだな」

 威勢良く愚痴を漏らす義父に対して、チアノは憐れみを覚えていた。ライオンも老いれば何とやらだ。アンタがそんな調子だから、こんな重大な情報すらドイツから根回しが来ないんだぞ。第一、もはやドイツにおべっかを使うほかないじゃないか。どの国よりもドイツに貢献して、忠実な同盟国はどこなのかを証明する以外、イタリアが生きる道はないとチアノは信じていた。


 ペタン元帥は、イタリア語の喧騒で目を覚ました。咳払いしたが、イタリア人たちは気に留める様子もない。

 87歳という高齢が祟り、最近は寝ている時間の方が多かった。国政の実権はラヴァル首相が握り、ペタンはもっぱら象徴的な「国父」として君臨しているに過ぎない。この会議の中身も、英国の加盟にも、さほど興味はなかった。

 ただ、唯一、ロンドンに亡命しているドゴールのことが気がかりだった。ペタンは歩兵連隊を指揮していた時代に、部下だったドゴールをずいぶんと可愛がってやり、彼の息子の名付け親すら務めた。

 だが、戦車の運用方法を巡って見解が分かれ、次第に距離が遠のいた。ドゴールの亡命政権樹立で亀裂は決定的になった。ペタン側がドゴールを反逆罪で欠席裁判にかけ、死刑判決を下しているほどだ。

 ただ、ペタンは最近、このまま死ねないとも思い始めていた。息子がいないペタンにとっては、ドゴールという男はどれだけ憎たらしく思えても、替えの利かない存在だった。小生意気な若造め。早く帰順すればいいものを。などと考えているうちに、ペタンは再び眠気に襲われた。


 会場で唯一のアジア人の山本五十六は、仕立ての良いスーツを身に包んでいた。

 おくびにも出さないが、居心地は悪かった。居並ぶファシストのお歴々とは、政治的信条があまりにも違った。山本がかつて出席した戦前の国際会議では、あまり見ない性質の人々だった。

 それにしても。

 これから来る英国の特使は度胸が試されるな、と山本は思った。議会や野党を弾圧した経験がない人間の方が()()()場に乗り込むのだ。議会の洗礼とはまた違う。外相のイーデン辺りでは、弁は立っても暴力的な空気に飲まれるのではないか。

 天井を見上げる。まぁ、そんなことをよそ者が気にしてもせんない話だ。実際のところ、今の山本の興味は、ニースから5キロほど離れた賭博の街に向いていた。山本はかつてそこで部下が経費を種銭にして大負けした際、持ち前の勝負強さを発揮して取り返してやったことがあった。勝ちすぎて出禁を食らったほどだが、そろそろ店も忘れているだろう。何とか山口君を説得してモナコに寄らせてもらえんものか。


 ほどなくして、司会が会議の再開を宣言した。演説するのは誰なのか。好奇の視線が注がれる中、入り口から二人の男が姿を現した。

 正体に気付くと、どよめきが波紋のように広がる。

 先導はアドルフ・ヒトラー。エスコートされているのはウィンストン・チャーチルだ。

 ヒトラーは最前列に着座した。チャーチルはステッキをつき、そのまま壇上へ上がる。会場に敵対的な空気が漂う中、チャーチルは気に留めない様子でスピーチを始めた。

「まず冒頭、お集まりの皆様、そして、汎欧州条約機構への大英帝国の加盟を推挙いただいたヒトラー閣下に謹んで感謝を申し上げます」

 芝居気たっぷりに一礼する。

「私は皆さんご存じの通り、ダンケルクでの軍事的大敗を招いた責任を取り、首相の職を辞しました。そのような老骨が、再びこのような国際会議に出席しているのは、ひとえに、我が国が破廉恥この上ない陰謀によって、危機に直面しているからであります」

 バルカン半島の独裁者が盛んにヤジを飛ばすが、チャーチルは黙殺して続ける。

「これから大英帝国の現状を語るに当たり、何の遺恨も苦渋もありません。ただ、国のために尽くし、そして、我々を育んできた母なる欧州文明を存続させる。この二つの願いだけを胸に、演壇に立っています」

 ここで一息つく。自然とヤジが止んだ。張り詰めた静寂。会場の空気が引き締まる。

「いま、我が国に降りかかっている災禍は、4年前にドイツやイタリアと刃を交えた戦争とは全く性質が異なります。宣戦布告も、最後通牒もなしに、他国に奇襲を仕掛ける。一片の名誉も見いだせない、卑劣な犯罪とも形容すべきものです。かかる不正義によって国民の信託を受けた政府が転覆される事態は、決してあってはなりません」

 チャーチルは険しい表情で、会場を見渡す。

「共産主義の脅威は、地球規模のものです」

 聴衆の目がチャーチルの身振り手振りに集中する。

「一つの国で進出を許容すれば、ペストの如く、欧州全体へと広がるでしょう。目下、大英帝国が共産主義の防波堤として持ちこたえていますが、敵の勢いは増しています」

 拳を振りかざして、言葉に熱を込める。

「わが軍の将兵は敵の3分の1にも満たない寡兵で、この1年、互角以上の戦闘を繰り広げてきました。ですが、敵は津波のように増援を送り込んでおり、軍事的にみて、我が軍は極めて際どい状況に立たされています」

 水差しの音のみが響く。

「今や、マンチェスター、バーミンガム、エディンバラ、グラスゴー、インヴァネス、シェフィールドの古都に赤旗が翻りました。国土の8割が忌まわしい敵の支配下に陥っています」

 わずかなどよめき。英国の惨状が自国に起きた場合を想像したのか、苦々しい顔を浮かべる出席者もいた。

「それでもなお、私はわが国民が義務を果たし、志ある国から支援を受けられれば、共産主義の脅威を生き延びることができると確信しています。それが、陛下の政府、つまり政府全体の決意であり、議会と国民の意思です」

 ブルドッグそっくりの顔で吠える。ウェストミンスターで国民を鼓舞するスピーチをしたように。

「この島でユニオンジャックを振り続けるため、我々は最後まで戦い続けます。いかなる犠牲を払おうとも、自らの島を守ります」

 ここで声を一際大きくした。

「我々は海岸で戦い、水際で戦い、野原と街頭で戦い、丘で戦います。我々は決して降伏しません。たとえ、この島が征服され、飢えに苦しむとしても、欧州文明の同胞たちが解放に踏み出すまで、大英帝国は戦いを続けるでしょう」

 一人一人を見据えて、呼び掛ける。

「どうか、お力をお貸しください」

 そして、再び、深々と一礼。会場が静まり返る中で、最前列から拍手が起きる。

 ヒトラーが立ち上がっていた。それを見たチアノは、ムッソリーニをそそのかして追従させる。次第に拍手の渦が議場を満たしていく。

 角栄はぼぉっと思った。さすが、ホンモノは違うナ。いいモノをみた。


 ◇ ◆ ◇


 私と、パパ・ヘミングウェイが、宣伝省から指定されたホテルに着いた時、入り口には馴染みの記者が何人かたむろしていた。ライフのベテラン記者はむすっとした顔で「来ても無駄足だぜ。クラウツは玄関にすら入れてくれやしねぇのさ」と吐き散らかした。どうやら、他の記者たちはロンメルに直当たりしようと、自力で彼が滞在しているホテルを嗅ぎ当て、たどり着いたらしかった。

 これはまずいぞ、とパパは私に耳打ちした。控えめに見ても、私たちがロンメルへのインタビューの約束を取り付けたと明かせば、嫉妬と妬みで八つ裂きにされそうな雰囲気だった。間違っても同席なんて事態になれば、せっかくの特ダネもパーになる。

 そこで、われわれは一計を案じた。まず、彼らの憤りに対してせいいっぱい同情してみせた。そして、パパは胸に毛むくじゃらの手を当てて、ドン・キホーテのように宣言した。

「合衆国の記者代表として、俺とキャパが奴らと交渉してこよう」

 周囲の記者連中は、パパの言葉を素直に信じて敬意と称賛の言葉を送った。実に気のいい連中だった。「あんまり無理はするなよ」と心配してくれる記者すらいた。

 かくして、私たちは堂々と包囲網を正面突破した。ホテルの玄関から不審げな視線を送っていた宣伝省の役人に小声で名乗りをあげると、あっけないほど簡単に入場を許可された。

 エレベーターに乗る寸前、後ろを振り返れば、記者たちは大騒ぎしていた。私たちがドイツ人に連行されたとでも思ったのかもしれない。

 ――あいつらに悪いことをしたな

 パパは悪びれた様子で頭をかいた。私は、これからこなさなければいけない大仕事で頭がいっぱいになっていたので、黙りこくっていた。

 宣伝省の役人は、ホテルの最上階のスイートルームに私たちを案内した。

 ――少々お待ちください

 そうして、私たちは取り残された。パパはソファーにもたれかかって、質問の確認を始めた。私もカバンからコンタックスを取り出して、レンズを拭き直した。ここに来るまでに何度も手入れをしたのだが、気を落ち着けるために何か作業していた方が楽だった。

 予定している時間を越えてもなお、将軍は姿を現さなかった。張り詰めた空気の中で、時間が刻々と過ぎていく。私とパパは、一言も交わさずに、ただ、その時を待ち続けた。

 ほどなくして、廊下を軍靴が蹴る音が響いた。黄金のモールをきらめかせた将軍が姿をあらわした。間近でみるロンメルは、思っていた通り、被写体としてこれ以上ないほどに好材料だった。

 ――遅刻をお詫びしたい。いかんせん会議が遅れたもので

 インタビューが始まる前に、将軍は謝罪した。そして、我々に手を差し伸べた。パパも、私も、報道人としての立場を貫くため、握手はしない方針を事前に確認していたというのに、二人とも思わず握り返してしまった。

 宣伝省が「コリアーズ」のために用意した時間は、30分間だった。質問と回答を数往復すれば、あっという間に過ぎる時間だ。パパは記者の顔つきとなり、さっそく質問を浴びせ始めた。

 ――将軍は条約機構の軍事部門のナンバー2です。まず伺いたいのは、先ほどの会議の終わり際、チャーチル氏が登壇され、英国への派兵を要請されましたね。こちらにはどう対応されますか

 私は、一枚たりとも撮り逃さないように、あらゆる角度から将軍にシャッターを切った。この瞬間、私は写真家として、ロンメルを独占する夢にみた時間を過ごした。その合間、将軍は通訳越しに端的に答えていく。

 ――我々は派兵に応じる考えです

 パパの目がかっぴらいた。この一言だけでも、コリアーズの編集長が泣いて喜びそうな特ダネだった。パパは興奮を落ち着かせ、事実を正確に確認しようと質問を重ねる。

 ――派兵規模はどれぐらいで、指揮官はどなたになりますか

 将軍は応じる。

 ――陸では独仏が主体となるでしょう。数は機密に当たるのでご勘弁願いたい。指揮は私が執るようウェイガン議長から指名を受けました

 パパはふぅむと髭をいじった。面白がり出したときの癖だ。

 ――しかし、将軍。あなたはダンケルクで英軍を撃破した張本人です。矛盾を感じませんか

 ――矛盾というのは?

 ――つまり、昨日の敵が今日の味方という不条理についてです

 今度は将軍が考え込む番だった。そして逃げずにパパに向き合った。

 ――ないといえばウソになるでしょう。私の部下も、イギリス人も、きっと心の奥底では納得できないものがあるかもしれません

 しかし、と将軍は力を込めた。

 ――イギリスが共産化する事態を避けたいという思いは共有しています。だからこそ、英国は条約機構への参加を表明したのです

 パパは頷いた。ナチスは嫌いだが、将軍個人に対してはそれなりの敬意を払おうという意識を持っていた。

 ――ただ、これをきっかけに独ソの全面戦争に発展する可能性もあるのでは

 パパの問いかけに、ロンメルは首を横に振った。

 ――今回の義勇軍派兵は英国に限った話です。少なくともヒトラー総統は、ソ連との友好を希求しています。先日、総統が私に伝えた言葉を紹介しますと、「近所の納屋が傷んだなら修理に手を貸してやるべきだ」と

 パパは苦笑いする。

 ――失礼ながら、これまでのドイツの外交姿勢をみますと、そうしたお言葉は信じがたいものがあります

 将軍も微笑で返す。

 ――であればこそ、われわれは信頼を回復する外交方針を貫いていくことをお約束します

 その後も質問の往復を繰り返した後、ドアを叩く音がした。取材終了の合図だった。

 将軍は時間が短く申し訳ないと謝罪した。さっそく義勇軍編成のため、ベルリンに戻る必要があるんだと説明する。そして、パパに聞いた。

 ――次はどんな取材をするのかね

 ――そこのキャパとも相談していますが、たぶん、二人とも英国に渡って戦場取材をするでしょうね

 それを聞いた将軍は、ではロンドンでまた会おう、と再び握手を求めてきた。今度はパパも私も戸惑わずに握手した。将軍の手は、常人よりも一回り大きく、温もりがあった。

 ホテルの外に出ると、記者たちが一斉に押し寄せてきた。ゲシュタポに射殺されたのかと思ったよ、と不謹慎なことを言いだす輩もいた。

 期待の視線が注がれる中、パパは残念そうな顔で言った。

 ――ロンメルはもうベルリンに向かって発つらしい。あともう一押しで取材できそうだったんだが

 かくして、我々はロンメル将軍の独占インタビューという特ダネをモノにして、いくばくかの報奨金を手にした。ただ、出し抜かれたことを憤激する他社の記者をなだめるために、報奨金を上回る額を酒場で奢ることになったので、手元には何も残らなかったのだが。

【あとがき】

史実において、写真家のロバート・キャパは従軍カメラマンとして連合軍のイタリア侵攻やフランス解放を目撃しました。彼の著作「ちょっとピンぼけ」によれば、スペイン内戦時代からの友人の文豪、ヘミングウェイとは現場を何度も共にしたようです。ヘミングウェイが師団長に気に入られ、ドイツ軍から分捕った武器で武装したり、サイドカーを供与されたりとやりたい放題しているのが(本編とは関係ないですが)彼らしい破天荒ぶりです。

前回、列車砲についてコメントありがとうございました。色々と考えてみます。

面白かったら、感想や高評価していただけるとありがたいです。

追伸:ひそかに評価ポイントが1万の大台に迫っています。

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たまんねぇなぁ! 前回は角栄の演説で消火された「我々は戦う」のくだりだけど今回は炸裂するだろうな
……Their finest hour.  此処でコレを持って来ましたか! 参りますた。
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